6冊目 文字ばかりが物語ではない
がやがやとした城下の街。たくさんの人が行き交い様々な音で溢れておりました。
「ほ、本当によろしかったのですか?」
「何がだ?」
「御付の方なしに街へ行くなんて……、」
陛下は人目を引かないようよういつもより控えめに笑われました。
「問題ない、いつものことだ。他の奴らもわかっている。むしろ今日はお前を連れてる分マシだと思ってるだろうさ。」
「わたくしを連れてるのも問題では、」
「連れがいれば無茶はしないと思われているらしい。それと、お前はやたらと心配しているが、得体の知れない人間ではないし、王城の人間なら誰だってお前のことを知っている。」
「え、」
思わず瞠目してしまいました。自慢ではありませんがわたくしは引きこもり、先日陛下に申し上げたように仕事に行く以外はほとんど外に出ません。王城の一画にある塔に住んでいますが、知り合いと言える方はほんの一握りです。
「当たり前だろう。私が拾って、私が住処を用意し、揚句毎晩のように通っているのだ。『怪物のお気に入り』としてシルフが知られていないわけがないだろう?」
「い、言われてみれば……、」
よくよく考えたら当然です。陛下が勝手に拾ってきて、王城の一画に住まわせ、そのうえ毎晩のように塔へ通うのです。王城の人間が知らないはずもございません。むしろよくつつかれずにそっとしておいてもらえたな、とも思います。あまり女性にかまけていては、側近の方々が目くじらを立てるでしょうし、女性方からも目の敵にされるのが世の常でございましょう。別に寵愛、といった類の関係ではございませんが、間違いなくわたくしは『怪物のお気に入り』でございます。
「私のお気に入りに無礼をする者はまずおらん。お前もトラブルを起こすタイプではないし、な。」
「それはそれでなんだか申し訳なくなってきます……、」
あくまでも居候の分際で、周りから気を遣われていると思うと居たたまれなくなります。たとえお気に入りだとしても、今のわたくしはただの一平民。無礼とかそのようなことを気にされるような身分ではないのです。
「シルフ、何一つ心配をすることや気にすることはない。お前はただ自分の『望み』のままに生活し、この国民として幸せを享受すればいいのだ。」
帽子で陰った顔で、ニヤリと致しました。それに対し、わたくしも笑顔でお返しいたします。わたくしが陛下のお気に入りである間、おっしゃる通りわたくしは自分の「望み」のために願い、行動することが仕事の一つなのでしょう。
ここ一年ほどでそれとなく理解しておりましたが、ファーベル陛下はわたくしのことをペットとして扱っていらっしゃるようです。
捨て猫を拾い、ケージを用意しケージの中の環境を整え、程よく外に出し、その様子を見ながら愛でる。それと全く変わらないのです。この人間同士らしからぬ妙な状況を楽しんでいらっしゃる節もございます。
普通の愛玩動物と少し違うところは、わたくしの見た目を愛でるのではなく、わたくしの行動に興味津々というところでしょう。望みをそのまま与えたら、わたくしがどのように反応し、行動するのか。それを観察して楽しんでいらっしゃるのです。いわば観察対象、ラットのようなものでしょう。
好奇心のままに、興味のままに行動なさる陛下。いつかその興味が尽き、手放されるような未来もあるでしょう。過度な期待は身を亡ぼすことは痛いほど知っています。ただそこに特に恐怖はございません。
少なくとも、わたくしはこのペット兼司書の生活を気に入っているのですから。
ペット扱いにも特に異論はございません。ラクスボルン王国にいたころの籠の鳥よりずっと彼のペットは楽しいのです。
時折書店や古書店に引っ張られそうになるわたくしは陛下に引き摺られながら街の中を歩き回りました。
正直、帽子をかぶって平民の服装をしていても、ファーベル陛下だとばれてしまうのではないかとハラハラしておりました。身分が割れることで危険は数倍になることはわたくし自身知っています。しかしながら陛下驚くほどバレません。このようにお忍びで城下に降りることは「よくあること」だとおっしゃってはいましたが、相手が陛下だと知りつつ知らないふりをしているようにも、気を遣って黙っているようにも見えません。本当に誰にも気づかれていないのです。そうでなければ露店の店主が「おい帽子の兄ちゃん、ちょっと見て行かねえか!」と声を掛けたり、お芝居で側にいた他の観客に背中を叩かれながら笑いあう、なんてことはまずないでしょう。
ですがよくよく見れば陛下のお顔は、なんといいましょうか、没個性的と表現できるお顔でございます。整っているのですが、目を瞠るほどではなく、昼間会って夜になれば顔を思い出せない、そのようなお顔なのです。普段明るい所で見る陛下は赤い目と濃い黒髪が目を引きますが、今の彼のように帽子の影で明るい赤の目は黒に見えますし、黒髪も隠されてあまり目立ちません。
「シルフ、どうした?」
「……いえ、てっきり陛下が城下に降りては目立つと思っていたのですが、そうでもないのですね。」
「まあ案外言わなければバレないものだ。私自身、そう華やかな顔でもないからな。それに皆大して人の顔などじっくり見ていない。芝居や舞台の類も前後隣の者と話したりするが、それは一個人というより、同じものを見ているという一体感、仲間意識の方が強い。相手がどこの何某というのは些末なことなのだ。」
お芝居の合間、恐れ多いのですが陛下が飲み物を買ってきてくださいました。小さな木の器に入った黄色の液体を受け取りますと甘酸っぱい匂いがいたします。席に座り直し、器に口を付けてからハッとしたようにわたくしをご覧になられました。
「……これはシードルだ。林檎からできているが、飲めるか?」
「大丈夫です。以前街に来た時にも飲みましたが、甘くていいと思います。」
なんとなく得意な気分になりました。いくら出身や育ちが上流階級だったとはいえ、平民としての生活ももう一年なのです。一般的な食や生活様式は多少わかっているつもりです。と言ってもシードルは一度同僚と来た時に大衆食堂で一度飲んだだけでしたが、普通に飲むことができました。薄い果実酒のようで、おいしいとは言えませんでしたが、飲めないというわけでもありませんでした。
「こういう類のものは飲めないものだと思っていたが、」
「いえ、もともと食べる物も飲み物にもあまりこだわりがございません。多少の好む好まざるはありますが全く食べられない、飲むことのできない物とは出会ったことがありません。」
「そう言われるとゲテモノを食べさせたくなるのだが。」
「あの、ほどほどでお願いいたします。」
慣れたようにシードルを飲む陛下。彼らしいと言えば彼らしいとも言えます。本来ならわたくしよりもよっぽど国王陛下の方が庶民のものなど口に合わなそうなのに、陛下は飄々となさっています。もともとの気性も関係しているのでしょうが、慣れや生活への親しみも大きいような気がいたします。
初めて見たお芝居は圧巻の一言にございました。役者の方々の迫力、大道具の迫力もさることながら、熱気にあふれる観客席も刺激的でした。会場にいるすべての人が一体になっているような感覚に鼓動が激しく打ち鳴らされました。お芝居のストーリーは騎士を主人公にした軽快なもので、なるほど文字には表現し難い、いえ文字にしてはおそらく「もったいない」と感じさせるようなそれでした。
会場を出てから自慢げに芝居とは、と語っていらっしゃる陛下のお言葉もそこそこに、特有の感覚に酔っているようでした。会場を出てもあの「心動かされる」感覚が抜けきらず足元がふわふわしていました。ただどうにもあの場の雰囲気や勢いに飲まれてばかりいたので、なんといいましょうか、しっかりと物語に集中できなかったので、もう一度みたいとそわそわしてしまいました。きっとこれからわたくしが街に出たときに感じる吸引力は書店、古書店に加えお芝居が並ぶことになるのでしょう。
文字ばかりが、文ばかりが物語ではない。陛下のお言葉を身をもって感じました。
新しいことを知り、新しく好きなものができ、行動範囲が広がったことは、とても嬉しく光栄なことです。
しかし一番うれしいと思えることは、今までになく陛下が楽しそうで、わたくしにいろいろと教え、語ってくれることでしょう。
今まで本の読み聞かせで行われていた世界の共有はわたくしから一方的なものであったと気が付きました。
今日陛下は、自国の紹介と共に、自身の住む世界へと招待してくださっているのです。
人波が騒めき揺れる中、迷子にならないようにと世界の案内人様はわたくしの手を引かれました。
4冊目において、陛下のLD、学習障害について少しだけ書きましたが、以下補足になります。
陛下は読字障害、書字表出障害の学習障害です。
わたしは学習障害は基本的には治らない、という立場で書かせてもらっています。なお陛下は多少読み書きはできるが苦手としており、治っているわけではなく、訓練及び、周囲の理解にもと「環境要因における障害」の解消・合理的配慮が行われているため、職務上、基本生活上障害を感じていない、ということになっています。
また、設定上の症状は「文を文としてとらえられず羅列のように見える(文を読む上での視線移動・集中のコントロールがうまくいかない)」「文字はマークや絵を描いている感覚」としており、訓練などのおかげで「ある程度はできるが、苦手意識がある。長文の理解が難しい」というレベルまで達しています。
また余談ですが、シルフが陛下に「……そうですか、お仕事に支障がないのなら、良かったです。」については、周囲から理解が得られていること、環境要因による障害がないことについて「良かった」と言っています。そして陛下自身、周りの助けにより「問題ない」と言っているため、LDは陛下自身にとって些末と言えることであるとしています。二人の関係においてもそのことは些末なことだとだとシルフが判断したことが背景にあります。
長々と長文失礼いたしました。
よろしければこれからも「捨て悪役令嬢は怪物にお伽噺を語る」におつきあいくださいませm(__)m