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5冊目 本がわたくしを呼ぶのです

「そういえば、シルフは普段何をしてるのだ?」



ある夜、いつものようにわたくしの選んだ物語を語り終えると、唐突に陛下がわたくしにききました。普段、と言うのが何を指すのかよくわからず、今日一日の自身の動きを追ってみます。



「普段、ですか……。朝起きまして、図書館に出勤し、お昼まで通常業務。それからお昼ご飯を皆様と食べ、終業時刻まで業務。この塔に帰ってきて、ゆっくりしながら本を読んで、陛下にお話しする物語を選んでいます。」

「まるで一日の報告のようだな……。では休みの日には何をしている?」

「塔で本を読んでいます。」

「……他には、」

「……本を読んでいます。」

「本を読む以外にやることはないのかお前は。」



呆れたように陛下はおっしゃいますが、わたくしにとっての至高は本を読むことでございます。そう呆れられてもわたくしの中の最優先事項は読書なので、仕様もありません。せっかく気兼ねなく本を読める環境なのです。読まない理由はございません。



「仕事の時も休みの時も本に囲まれて過ごすのか。」

「わたくしは幸せにございます。」



そう、幸せなのです。このダーゲンヘルム王国に来て早一年。この一年はまるで矢が飛ぶような速さで過ぎ去りました。美しい物、新鮮なもので溢れかえり、目を白黒させておりましたが、この一年でわたくしもすっかりダーゲンヘルム王国民らしくなってまいりました。

一瞬呆けたようなお顔をなさいましたが、すぐにまるでわたくしに食ってかかるように言いました。



「……お前に用があり探しているとき、見つけられなかったことがない。」

「それは良かったです。」

「いつもこの塔か王立図書館にいるな?」

「ええ、そうですね。大抵わたくしはそのどちらかにおります。」

「……城下、街に降りることはあるのか?」


「あまり……あ、でも書店めぐりは同僚の方の案内で行きました!古本屋さんというのはとても素敵です!本一冊一冊に、以前の持ち主たちの歴史があるのです!あそこに置いてあるものはかつて持ち主を楽しませ、さらに再び書店に並ぶことでより多くの方を楽しませようと持ち主を探しているのです!なんと素晴らしいのでしょうか!」

「わかったわかったから落ち着け!」



どうどう、とまるで暴れる馬を落ち着けるような陛下に、我に返り恥ずかしくなりました。淑女がこのように捲し立てるものではありません。だいぶ平民らしくなってきましたが、ファーベル陛下に対して砕けた態度、というのはよろしくはないでしょう。


しかしわたくしは、古書店を訪れたときの感動を誰かに伝えたかったのです。今ただのシルフであるわたくしは、もうビーベルの姓を名乗ってはいません。平民として暮らしてますが、同僚の方に時折訝し気な目で見られてしまうのです。労働を喜ぶことであったり、自由に出歩くことに戸惑ったり、見るものすべてに興奮したりと、微妙に馴染めておりませんでした。古書店に行った時も、同僚の方には、「古書店も知らないなんていったいどこのお嬢様だったのよ。」と言われハッといたしました。古書店というのは一般的なお店なのだそうです。そのため、その場では適当にお茶を濁しましたが、必要以上に経歴を口にしたくないわたくしは、世間知らずを隠そうと、過剰に反応しないように喜びを抑えつけたのです。

そしてこうして、経歴のことに興味を持たれない陛下に話す機会を得て、つい嬉しくなってしまったのです。興奮するとしゃべりすぎてしまう癖は最近発見いたしました。



「失礼いたしました。つい嬉しくて取り乱してしまいました……、」

「まあそれはそれで良いことだ。はじめの頃のように澄ましているよりずっといい。」



それは置いておいて、だ。と陛下は厳めしく口を開かれました。

ファーベル陛下のこの表情が、わたくしは苦手でした。厳しく恐ろし気で、何もかもを見透かすようなお顔は、まさにダーゲンヘルムの怪物というものに相応しい気がするのです。初めて会った日のことを思い出します。



「シルフ、お前芝居を見たことがあるか?」

「いいえ、ございません。」

「オペラは?」

「ございません。」

「吟遊詩人の歌は、巡遊語人の語りは、ゲリラ観劇は、見たことがあるか……?」

「も、申し訳ございません、どれも、あるのは知っているのですが、聞いたことは……、」


「お前それでもダーゲンヘルム王国民かあっ!!」

「ひいっ!!」



ばーん、と机に両手を叩きつけ、突然そう雄たけびを上げられました。机の上に積まれていた本の山がグラグラと揺れます。

いえ、お芝居や詩が盛んだということはわかってはいたのです。図書館にいる以上、そういった類の書籍は多く存在しますし、利用者さんと話をしていると、お芝居の話になることも少なくはありません。

しかし、



「だ、だって誘惑が多すぎるんです!」

「誘惑ぅ?」

「部屋を出ようとすると本棚の本たちがわたくしを呼び止めるのです!街へ行くと、書店が、古本屋がわたくしを呼んでいるのです!そして気づいたらいつもわたくしは本を持っているのです!」



この塔の部屋には一年かけても読み切れないほどの蔵書がございます。可愛い本たちを放ってお芝居や歌に現を抜かせません。街に行けば新しく出版された本が、すでに絶版となった本たちがわたくしを呼び止めるのです。



「お前の気持ちはわからんでもない!だが一年もこのダーゲンヘルムに過ごしておいて本以外の物語に触れぬなど何事だ!」

「理不尽です……、」

「この国には、文字に記されぬ物語がお前の思っている以上にあるのだぞ。」

「う……、」



そう言われると返す言葉もございません。文字を読むのが得意でないファーベル殿下のメインフィールドは本ではなく、文字に落とされない文学なのです。何より、文字に記されぬ物語について聞きたいと言ったのはわたくし自身なのです。


もちろん、知りたいというのは嘘ではないのです。ただ、一人でいる場合はどうしても天秤が本に傾いてしまうのです。もはや本能ともいえるのですが、一年自由を謳歌したわたくしは欲望に忠実なのです。



「明日図書館は休館日だったな。」

「え、はい。明日はお休みです。」

「なら街へ行くぞ。」

「はい?」

「本ばかり見ていないでたまには他の物語にも触れてみろ。本も、芝居も、詩もそのどれもダーゲンヘルムの宝だ。」



おっしゃることは十二分にわかりました。一度は見てみたいと思っていたのは事実です。行動が伴わないだけで。明日にでも同僚を誘って街へ降り、改めて案内してもらいましょう。



「わかりました、明日同僚を誘っていってみます。」

「何を言っているんだシルフ。私と行くのだ。」

「……はい?」

「話の流れからして当然だろう。」

「……いえ、いったい何をおっしゃっているのですか?」



さも当然、と言った風に同行を命じられ、一瞬頭がフリーズいたしました。仮にも、いえ陛下という人がいったい何をおっしゃっているのでしょうか。陛下のお考えがわかりません。そんなにお暇でもないでしょうに。



「嫌なのか?」

「そうではなく!わたくし一人のために陛下に一日お付き合いいただくなど、とてもできません。」

「ふん、うぬぼれるな。お前のためだけではない。公務だ!王たる者、自国の状況もわからないということはあってはならない!」



公務、と持ち出されてしまうとわたくしに言えることは何もございません。ラクスボルン王国にいたころは妃となるため、王代理職務などの勉強はしてきましたが、公務というものはやはり国ごとに違うのでしょう。口出しできる範疇外にございます。しかし、そこで首を傾げます。



「……わたくしがファーベル陛下に同行をする、ということでございますか?」

「そうなるな。」

「……いえ、その、それはダメでしょう……?陛下の公務に部下でも側近でもない平民の女が同行するなんて、あってはならないことです。何より、わたくしのような得体の知れない者を同行させては騎士の方々も警戒なさるでしょう。余計な仕事を増やしては……、」



至極当然のことを言ったつもりでしたが、陛下は何故か不思議そうな顔としています。何か間違ったことを言ったかと思いましたが、常識的なことしか言っていないつもりです。たとえ国が違うとはいえ、国王の公務に部下でもなんでもない平民の女が付きそうなど、ラクスボルンでもダーゲンヘルムでもあり得ないでしょう。



「お前は得体の知れない奴ではないだろう。出身はラクスボルン、かつての姓はビーベル。」

「そ、それも嘘かもしません!」

「今更お前がそれを言うのか。何にせよ、私はお前のような力もない女に害を成されるほど軟弱ではないぞ。」

「か、姦計とかもございますよ?」

「くっはははは、それこそあり得ない!姦計を使う毒婦であれば私が塔に行くたびにただ本を読み聞かせて帰すわけがないだろう。」



う、と言葉に詰まります。陛下の言う通り、わたくしには剣を持ち上げる膂力があるかも怪しいでしょう。そのうえ、姦計などもできるわけがございません。そのようなことは教わったことがございませんし、おそらく内容としてはなにか婦女子としてはしたないことをしなければならないでしょう。そのような度胸も技量もございません。というより、陛下がそんなものにひっかかるようなお人には思えません。



「しかし、国王御一行にわたくしが同行するのはどう考えてもおかしいのでは……?」

「御一行?私はお前と二人でというつもりだったのだが?」

「……はい?」



いえ、それこそダメでしょう。

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