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懐古と懺悔と喜びの記録 Ⅲ

司書の彼女がちょっと思ったより出張ってきたので名前付けました。

イヴ・ヘッジホッグさんです。

少女は読書仲間を得た。同じ年頃の、小さな少女。二人はいつもニコニコと、物語を話し、感想を言い合っていた。そこは朗らかで、神聖さすら感じられる空間だった。



「昔々、あるところに……、」



栗色の髪を持つ少女は、最近この王立図書館に来るようになった利用者だ。貸し出しの名簿には「カンナ・コピエーネ」と書かれている。年のころはシェルシエルと同じくらい。身なりからして貴族なのだろうが、その気安さは垣根を感じさせない。

初めて彼女とシェルシエルが話をしているところを見た時は衝撃だった。私の中でシェルシエルは聖域のような扱いで、誰も触れてはいけない、誰も話しかけてはいけないと思っていたのだ。静かなあの空間こそが至高で、最上であると信じて疑わなかった。

しかしながら新しく来るようになったカンナもまた物語を愛する少女であった。本好きは本好きを迎合する。それはシェルシエルにしても同じだった。二人はすぐに意気投合したらしく、図書館の奥、物語の本棚の側で二人よく話をするようになった。幸い、二人がいる物語のコーナーはあまり人が立ち寄らない、ひっそりとした場所で、話し声が誰かの迷惑になることもない。だからこそ、この空間はより特別なものになった。

他の場所とは隔絶された世界。朗らかな日が注ぎ、色鮮やかな背表紙が囲む。二人の美しい少女が本を愛で、笑いあう。まるでこの世の美しいものを集めて閉じ込めたような空間。



「館長!」

「なんだ?」

「なんだ、じゃありませんよ!あの二人が好きなのはわかりますが、あまり側に寄ってると変態だと思われますよ?」

「……美しいものを愛でて何が悪い?」

「職務中であること、のぞき見であることが非常に悪いと思います。」



司書の彼女に捕まりカウンターへと連行される。気分はさながら失楽園だ。幸せから遠ざかっていく。

物語のコーナーはシェルシエルが通うようになってから少しずつこっそり蔵書を増やしている。それは私の自費であったり、それとなく誤魔化していたり。ここに勤めて10年は超えるが、思ったより上の方々は上げた書類をまともに読み込んでいないらしい。真正面から直談判して蔵書を増やすよりも書面で事後報告した方が賢いと気づいたのは随分後になってからだった。充実した物語の本棚に満足しているが、最近気になることがある。



「ねえ、君は物語が好きだろう?」

「ええ、大好きですが。」

「『白雪姫』という物語は知ってるか?」

「『白雪姫』……?聞いたことがありませんが、新刊ですか?」

「さあな?ただあの二人がその物語について話をしてるところを聞いたんだ。」


『白雪姫』

あるところに雪のように白い肌を持つ姫がいた。姫はその美貌ゆえに継母たる女王に嫉妬され殺されかけるが、命からがら森の奥へ逃げだした。森の奥で姫は小人たちと仲良く暮らすが、生きていることが女王に知れてしまう。女王は老婆に扮し森へ行き、何も知らない姫を騙し毒林檎を食べさせた。姫は死んでしまい、小人たちは嘆き悲しむ。硝子の棺に姫を入れていると、通りすがりの王子が棺に入った姫に一目ぼれする。そして王子からのキスにより姫は生き返り王子と結婚する。姫を殺そうとした女王は、後に焼けた鉄の靴を履かされ踊りながら死んでいく。大雑把にそんな話だった。


ハッピーエンドなのだろうが、少女がつらつらと語るには少々おぞましい話でもある。

この話をしていたのはカンナだ。しかしこの話を作ったのはカンナではないらしく、彼女はただ知っている話を語り聞かせているだけだという。

どうもカンナはいろいろな話を知っている。


『白雪姫』『シンデレラ』『赤ずきんちゃん』あげればきりがないのだろうが、それほどまでに彼女はたくさんの物語を知っていた。

だがそれを私は知らない。自慢ではないが物語という分野ではそれなりの知識があると自負している。国中の本という本を読み、あらゆる物語を読破してきた。にもかかわらず、彼女の語る物語はこの図書館になく、私の記憶の中にもなかった。



「どれも面白そうでね。本があるならぜひ図書館に起きたいと思っていたのだが。そうか、君も知らないか。」

「本人たちに聞いてみれば分かることでしょう?」

「まさか。君は私に盗み聞きを自白しろというか?」



呆れたような視線が突き刺さるが、それがもどかしい所だ。


「シェルシエル!」

「カンナ様。」


朗らかに呼ぶ名前。鈴を転がすような声と共に紡がれる夢のような物語。幸福そのものだった。

だが幸福とは、シャボン玉のようにあっという間にはじける。美しい白昼夢もいずれ醒める。



二人の少女は唐突に、楽園から姿を消した。

誰もいない図書館の奥の奥。私が見回りに行っても、そこにはもうただ静かに並ぶ本しかなかった。本を愛した少女たちは楽園を去ったのだろうか。



「最近、シェルシエルもカンナも来ていないなぁ……。」



閉館の看板を出して、カウンター内の片付けも終わったころ、返事を期待するわけでもなくそうぼやいた。シェルシエルは忙しいのだろうが、時間を見つけてはここを訪れていた。カンナもそれは同じで、しょっちゅうここへ来ていた。もっとも、一図書館職員でしかない私に詳しいことがわかるはずもない。わかることと言えば、ここのところカンナはあまり来ていなかったことくらいだ。カンナが来なくなって、それからシェルシエルも来なくなった。



「……ヘッジホッグ?」



どうせ何も知らないだろう、という言葉だったのに、傍で作業していた司書が唐突に貸出名簿の束を突然落とした。何事かと顔を見れば、蒼白と言って良いほどに色を変えていた。



「イヴ・ヘッジホッグ司書、何か知っているのか?」

「……館長、はあまり外のことに興味がないので、ご存じないと思っていましたが、やはり、」



消え入りそうな声は彼女らしくない。酷く動揺しているようで眉を寄せた。



「はっきり言ってくれ、あの子たちに何があった?」



ヘッジホッグは躊躇うように唇を戦慄かせた。



「……シェルシエル、いえシルフ・ビーベル公爵令嬢は、国外追放されました。」

「…………は?」



なに冗談を、と言おうとしたが彼女が嘘や冗談を言っているようには見えなかった。いや、彼女自身嘘であってくれと信じられないという気持ちなのかもしれない。



「国外、追放……?」

「ええ。彼女はダーゲンヘルム王の治める国、ダーゲンヘルムの森へ送られたらしいのです。」

「何故、何故あの子が!?国外追放なんて、どんな大罪を犯したんだ!?」



国外追放は死罪の次に重い刑。滅多に執行されることはなく、少なくとも行われた例も数えられるほどだ。

それを、まだ20にもならない少女が受ける。それは近年まれにみる異常事態だった。

あんな、あんな大人しく、物語を愛する穏やかな少女が、罪を犯すはずがない。できるはずがない。



「……本当に、何もご存じないのですね。9日前、新聞に報じられましたよ。」

「何を、」

「殺人未遂、だそうです。」

「馬鹿なっ!」



殺人、という言葉に血の気が引いた。あの子が。あの物語を只管に愛する少女、そんなこと。そこまで思ってから気が付く。赤の他人。ただ本を読む場所を提供するだけの私は、彼女のことを全く知らない。ただ彼女の一面を知っているだけ。それだけなのだ。シェルシエルのことは知ってる。だがシルフ・ビーベルのことについてはまるで知らない。



「シルフ・ビーベル公爵令嬢は数ケ月前、ミハイル王太子の婚約者になりました。しかし、王太子はカンナ、カンナ・コピエーネ嬢と仲が良かったそうで……、」

「ちょ、ちょっと待ってくれないか。それじゃまるでシェルシエルが、」



シェルシエルがカンナを殺そうとしたみたいじゃないか。



「嫉妬したシルフ・ビーベル嬢は、カンナ・コピエーネ嬢を階段から突き落として殺そうとしたそうです。そしてそれが発覚し、ダーゲンヘルムに……、」



頭が真っ白になる。あの子が、あの楽園で友人と楽しそうに話をしていた少女が、その友人を殺そうとした?まるで頭が追いつかない。ヘッジホッグが、何を言っているのか、わからない。いや理解したくなかった。逃避しようとする思考の先には、美しいいつかの光景がよみがえる。窓から差し込む光。色とりどりの背表紙。椅子に座り談笑する少女たち。楽園は、失われた。



「……いつ、いつだ。」

「…………、」

「シェルシエルが、カンナを階段から突き落としたとされる日は、いつだ。」

「……11日前、夕方5時頃。」



貸出名簿とはまた別の、来館記録名簿をひっつかみ、遡る。11日前、17時。その欄には彼女の名前があった。

カンナが階段から突き落とされた時刻、公爵令嬢は王立図書館にいた。



「っありえない!ほら、その日シェルシエルはこの図書館にいた!彼女にカンナを突き落とすことは不可能だ!できるはずがない!」

「……そうです!できるはずがないんです!」

「じゃあ何でシェルシエルはっ、」

「証明できないからですっ……!私たちには彼女のアリバイを証明する証拠がないんです。」

「証拠って、そんなのこの名簿があれば、」



半泣きのヘッジホッグに来館者名簿を差し出して、なぜ証明できないかを知った。


11日前17時の欄には『シェルシエル』と書かれていた。

証明できない。ここに来ていたのは公爵令嬢シルフ・ビーべルではなく平民のシェルシエルだったのだから。彼女はここに、自分の痕跡を残してはいない。



「だ、だが私たちの目撃証言があればそんなのなんとでもなる!シェルシエルが公爵令嬢なのは随分前から知っていた、この図書館職員のほとんどが。シルフ・ビーベルがここにいたと証言できるはずだろう?」



しかし気づく。私は新聞を読む習慣はなく本のこと以外にまるで興味がなかったから、シェルシエルの冤罪について全く知らなかった。では今目の前にいるイヴ・ヘッジホッグはいつから知っていた。なぜ彼女が声をあげない。



「……ヘッジホッグ、君がシェルシエルの件を知ったのは、」

「……9日前、新聞で知りました。」

「っなぜすぐに言わなかった!?君がすぐに知らせていれば、彼女の冤罪を晴らせたかもしれない!」



お門違いなことを言っている自覚はある。シェルシエルの身に起きたことを一欠けらも知らぬまま、いつも通りの日常をのうのうと私は過ごしていたのだ。それでも、ならばなぜと彼女を責めずにはいられなかった。



「っ……、」

「ヘッジホッグ!なぜ!」

「っここの、図書館のためです!余計な口出しをすれば、ここの存続さえ危うくなります!」

「そんなわけ、妃になるはずの娘の冤罪を晴らすのに何で図書館が、」

「我々の目撃証言よりも有力な証言があるからです!」

「誰かが、その時間いるはずもないシェルシエルの姿を階段で見たというのか!」

「他でもないカンナ・コピエーネ嬢がっ……!!」



ほとんど悲鳴のようなヘッジホッグの答えは、私を暗闇に突き落とすのに十分な威力を持っていた。


失楽園。

唆したのは蛇でも悪魔でもない、美しい少女だった。


楽園に、囁くような笑い声が、紡がれる物語が満たすことはもうない。

そうして楽園には、誰もいなくなった。

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