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記されることのなかった物語 Ⅰ

ガタガタと揺れる馬車の中、私は深いため息を吐いた。それが何から来るものかは、わかり切っていた。

覆面の馬車、車体の上の方に空いた小さな窓から少しだけ外が見えた。馬車の中で立って小窓から外を覗くなんてはしたないと言われてしまいそうだが、もうそんなことはどうでも良かった。正しく、どうでもよかったのだ。私はもう、カンナ・コピエーネなんかじゃないんだから。

ダーゲンヘルムの城を出て数日、徐々に北へ近づいているのか春爛漫といった様子から未だ寒さの残る気候に変わりつつあった。

気づけば舞台に押し上げられていた人生を、卵の中のヒナのように狭い馬車の中で振り返った。

胸にあるのは、安堵だけだ。


私は、平々凡々な女子高生だった。どこまでも、平凡で、凡庸だった。積極性はないけれど、クラスで浮いているということもない。人気者ではないけれど、ある程度は友達もいる。身長は平均。体型も平均。成績は上の中だったけど運動神経に関しては下の中。ものすごい特技はない。他人に誇ることも特にない。特筆することがない、と言うのはまさに私のことを言うんだと思う。無難に無難に生きてきた。何か特徴をあげるなら読書が好き。それだけ。人より本を読んでたけど、それだけ。役に立つかと問われれば口を噤むしかなかった。


凡庸な人生は、退屈と言えば退屈だったけれど、言い換えれば平和だった。戦争もなければ紛争もない。殺人とか交通事故とか、そういった危機は近いと言えば近かったけれど、遠いと言えば遠かった。他人事のようだった。

だがそれは他人事などではなかった。

平々凡々な女子高生。そのまま平凡な大学生になって、平凡な会社員になって、本を読みながら年をとって、それから平凡に死んでいく、そう思っていた。


平凡な私は、学校へ行く途中で横断歩道に突っ込んできた車にはねられ、死んだ。たぶん飲酒運転。平凡とは言い難いかもしれないけど、それでも数を見ればそれほど稀というわけでもない。

平凡な女子高生、是枝かんなは18歳で死んだ。



そして、生まれた。

平凡な女子高生だった私は、生まれ変わるという非凡な状況に陥っていた。


二度目の生を受けたのは現代日本じゃなくてどこかヨーロッパのような雰囲気のする場所。鏡を見れば見覚えのない海外風の顔だちの幼女。家は豪商のようで人が慌ただしく出入りし、様々な文化の入り混じったような商品が並んでいた。比較的裕福な家庭に生まれたらしい一人娘の私は、これでもかと可愛がられた。

奇遇にも名前は生前と同じ、カンナであった。


カンナ・コピエーネは、非凡だった。

読み書きはすぐにできるようになり、計算だって習い始めてすぐに完璧になった。成長が早すぎれば不自然に思われると考えて基本的には親に与えられてから様々なものを学び始めた。それでも私は神童ともてはやされた。微かな罪悪感を抱きつつも、私は幸せだった。困ることは何もない。何もかもに恵まれ、遮るものなど何もない。順風満帆、その言葉に尽きた。


成長して、自由に外出ができるようになってから私はとある懸念を抱くようになった。

カンナ・コピエーネという名前、ラクスボルンという王国名、見覚えのある王家の紋章。

ここは昔読んだ小説の中ではないだろうか。


タイトルももう覚えてない。大量に読み漁っていた本の中の一つ。主人公の男爵令嬢カンナ・コピエーネの恋愛物語。男爵令嬢となったカンナは貴族たちの通う学校に行って、様々な困難に遭いながらもそれらを跳ねのけ、最終的にはなんやかんやあって王子と結婚する。そんな話だった。ありふれていて、面白みのない話。それこそ掃いて捨てるほどある。微かに残っているのは良くある話で、ラストは主人公をいじめ倒した意地悪な公爵令嬢を公衆の面前で糾弾して追放するシーン。責め立てられた悪役令嬢は喚きながらも因果応報、怪物の住むと言う隣国の森へ捨てられ、主人公は王子と結婚して幸せに暮らしました。正直、小説というよりも安っぽい乙女ゲームのシナリオのような話だった。


大して面白くもなく、一回読んだだけでもう二度と読むことのなかった話だが、今になって読んでおけばよかったと後悔する。

もしここが本の中の世界だとしたら本編はまだまだ先。父はまだ爵位を賜っていないただの商人だ。時間はあるし、断定するには早すぎる。


しかし断定する要素もなく、ズルズルと悩み続けて十数年。父が、爵位を賜り男爵となった。そして私も商人の一人娘から男爵令嬢、カンナ・コピエーネとなった。疑惑は確信へと変わりつつあった。

たっぷりあった時間を使い、小説に出ていたキャラクターを何とか思い出しそして探し出した。接触することはないけれど、貴族の息子娘の名前など簡単に集められる。その名前を見ながら、薄れつつあるシナリオを補完していった。

主人公の学園生活は概ね一路順風と言え、困難と言えば悪役令嬢による妨害程度だった。公爵令嬢ということは覚えていたので改めて調べてみると聞き覚えのある名前の少女を見つけた。


シルフ・ビーベル。公爵であるビーベル家の長女。


悪役令嬢らしい意地悪で高飛車な少女であったと記憶している。取り巻きを侍らせ我が物顔で学園内を闊歩し、自分より地位の低い者たちをゴミのように扱う。婚約者であるはずの王子でさえ辟易とするような少女だった。今はまだ王子の婚約者は候補段階だけど。


学園に行くようになったら、彼女に関しては諦めるしかないだろう。しがない男爵令嬢が公爵家にたてつくなんてあっていいはずがない。目を付けられたら私の家なんて一瞬で潰されてしまう。

あれやこれやと、これからのことを考えていたけれどそれだけでは息がつまる。


幸いラクスボルンは比較的文化が発達しており王立図書館が王都にあった。情報を集めるにはちょうどいいし、何より本が読める。まるで映画のセットのように立ち並ぶアンティーク調の本棚の波を夢見心地ですり抜けながら本を物色していた。


そんなとき、一人の少女が目に映った。

図書館の奥の奥、あまり目立たない机に彼女はいた。見たところ同じような年ごろで目を瞠った。私くらいの歳の子たちの興味と言えば流行りのドレスだったり香水やアクセサリーばかり。もちろん、その話はあらゆる商品を扱う商家の娘である私はできるし、領地を治める貴族にとっては大事な話にもつながるかもしれないが、私にとって楽しい話ではなかった。着飾ることに目がない年頃の娘にしては、随分と変わった子に見えた。本を数冊積んで一心不乱に読む彼女に私は気づかれていないだろう。それをいいことに不躾と言えるかもしれないが彼女を観察していた。


着ている服は地味で一見平民のようにも思えるが、見たところ質が良い。リボンやフリルなどはあまりついていないし流行りとは程遠いけれど、それはとても平民がおいそれと着れるものじゃない。髪だって艶やかだしページを捲る細い指だって傷一つついていない。綺麗な子だった。きっと100人いたら100人美少女だって言うような子。そんな子が閑散とした図書館で一人本を読んでいる。

私はまるで砂漠で仲間を見つけたような心地だった。

同じような趣向の子がいる、というのは間違いようもない喜びで、そのうえ愛らしい美少女とくればお近づきになりたいと思うのも当然だろう。


私は積極性なんて持ち合わせていないはずだった。けれど話してみたい、とそう思わせる何かが彼女にはあった。



「ねえ、それおもしろい?」



考えて考えて出た言葉はそんな面白みのない言葉だった。

食い入るように文字を追っていた目は驚いたように私を見たあと、少し戸惑うようにぎこちなく微笑んだ。



「はい、とても。」



一度話しかけてしまえば早かった。彼女はよく図書館に居て、いつも同じところで本を読んでいた。最初は一緒に読んでいるだけだったけれど、お勧めの本を教えたり、自分の知っている物語を語ったりとたくさん話すようになった。特にこの世界にないグリム童話やアンデルセン、それはとても彼女の心をつかんだらしく興味津々と言った風に一生懸命私の話を聞いていた。


可愛くて、本が好きな私の友達の名前は、シェルシエルと名乗った。


それでもそれからいくらか経った後こっそりとそれが偽名であると教えてくれた。本当は違う名前だと、秘密の共有を楽しむように。

『シェルシエル』の意味は『探求者』。本の虫のあなたにぴったりの名前だと言うと、少しはにかむように笑った。


ただ私の頭には一抹の不安があった。

名前を隠さなくてはならない身分とは何なのだろうか、と。

着ているものからして貴族なのはわかる。丁寧な口調、粛々とした控えめな所作からは育ちの良さが感じられる。それに何より、器量が良い。ここが物語だとして、彼女は脇役にしては可愛すぎた。

主人公の友人?それはたしかもっとグイグイ来る情報通な子だった。悪役令嬢?悪役令嬢はもっと意地悪で高飛車、美人だけどたぶん種類が違う。悪役の取り巻き?それにしては他人に合わせることなく図書館に来ている。


彼女は、誰だろうか。

彼女が誰かわからないまま、いや、はっきりとさせないまま、私は物語の通り貴族たちの通う学園に編入した。何もかもが物語通り、そう言える。間違いなくここは私の知っている物語だと。編入してすぐ、道に迷ったところを宰相子息に出会う。同じクラスの情報通の女の子と仲良くなった。



「カンナは殿下を見たことある?」

「いえ、見てないわ。」

「すっごくかっこよくて、婚約者決める時には令嬢たちが随分揉めたみたいで……あっ、そこにいるのがミハイル殿下よ。」



彼女に促されるままに視線の先を見ると、誰もが見とれるような美形とその側に立つ令嬢。すぐに殿下がどの人なのか分かった。でもそれよりも、



「……隣に、いるのは?」

「公爵令嬢のシルフ・ビーベル様よ。頭も良い上に気品もあるし控えめな方。」



シルフ・ビーベル、そう呼ばれたのは私の友人であるシェルシエルだった。

一気に情報が雪崩れ込みふらついた。心配する友人に、適当なことを言って早退する。とにかく、ゆっくり考える時間が欲しかった。

何もかもが物語通りのはずだった。なのに、彼女だけが違った。彼女だけが物語通りじゃなかった。



「なんであの子が、悪役令嬢なの……?」



シルフ・ビーベルは、高飛車で、傲慢で、派手に着飾ることが好きな、毒々しい美女だった。あんな、あんな嫋やかな子のはずがない。控えめで、物静かな子じゃない。

シェルシエルがシルフ・ビーベルなはずがない。否定したくて、シルフ・ビーベルのことを調べた。でもラクスボルンにシルフ・ビーベルなんて一人しかいなくて、彼女の特徴は全部シェルシエルと一致していた。

あの子は、私を貶めるはずの悪役令嬢だった。


気が付けば、私は図書館に来ていた。いつもあの子と会う場所に。本も持たず、ただいつもの席に座っていた。約束をしてたわけじゃない。彼女が来るという確信があったわけでもない。会いたいのか、会いたくないのかもわからなかった。

幸か不幸か、その日シェルシエルは図書館を訪れた。



「シェルシエル、」

「カンナ様?どうかなさいましたか?」

「……シルフ様と呼んだ方が良いですか?」



大きな目が零れ落ちてしまうんじゃないかと言うほど見開かれた。言葉にせずとも、それが答えだった。

はくはくと、震える唇から言葉は出てきません。ようやく出てきた言葉は掠れ、目には涙の膜が張っていました。



「違うんです、違うんですカンナ様……!騙すつもりはなかったのですっ、ただここにいることが誰かに知られれば来られなくなると思って……!」



必死に弁解する彼女は真摯だった。私に許してもらいたい一心で、これからも友達でいたいと願って。

私は震える彼女の手を取った。



「大丈夫です、シルフ様。貴女は貴女でしょう?貴女が誰であろうと、お友達だということに変わりはありません。」

「カンナ様……!」



私の言葉に感極まったように涙を零す彼女は、嗚咽交じりにありがとうと言いました。そんな彼女を私は微笑みながら見ています。


本当にそう思っているんですか?

そんな言葉は飲み下す。

その涙は本物?その言葉は本物?その姿は?趣向は?性格は?

だって貴女は『悪役令嬢』でしょう?

涙なんて嘘なんて、他愛もないんでしょう?


疑いの種は芽吹き根を張る。あっという間だった。

何で私に優しくするの?何で私と友達になろうとしたの?その姿は本当に貴女なの?本性は本意はどこにあるの?何で悪役令嬢らしくないの?何で原作通りじゃないの?


一つの仮定が花開く。

シルフ・ビーベルは転生者。

私と同じように未来を知っていて、自分がどうなるかも知っていて、そのうえで回避して主人公に成り代わろうとしてるんじゃないか。


だとしたら、私はなんと滑稽だったことだろうか。彼女も知っている物語を、子供の童話を意気揚々と語り、もっと聞かせてと笑う彼女に応える私はさぞ愉快だっただろう。


あの笑顔は嘲笑だった。


もし、そうだったらどうしよう。いや、そうだったらすることは一つだ。

私は、死にたくない。主人公なんだ。ヒロインなんだ。

喰われる前に、ちゃんと喰わないと。


シルフは、笑う、嗤う。綺麗な笑顔で。


免罪符はどうしよう。そうだ、原作通りにしよう。

原作通りならハッピーエンドでしょう。みんな笑ってるでしょう。みんな幸せでしょう。

ハッピーエンドのために、皆のために、国のために。幸せのために、私は演じるのだ。



「原作通りの私が、正しい。」



ええ、おかしいのは貴女の方。

シナリオを知ってるならシナリオ通りに動くのが役者。どれだけチープな台本でも、役者は逆らっちゃいけない。舞台を引っ掻き回さないで。わかってるでしょう『悪役令嬢』。


大丈夫。私はヒロインで、あの子は悪役令嬢。

皆のため、ハッピーエンドのため、幸せのため。

原作を壊しちゃいけない。それこそが、正義。シナリオ通りに動く私が、正しい。

先に偽ったのは貴女。なら騙しあいをしよう。負けた方が、この舞台から退場するの。

何も怖くない、私は何も悪くない。



「大丈夫、大丈夫……、」



大丈夫間違ってなんかない。目の前にいるのは悪役令嬢シルフ・ビーベルだ。


私の可愛い友人は、もう死んだの。

ご閲覧ありがとうございました!

思ったより長くなったので2話に分けます。たぶん。

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