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22冊目 一度も愛したことがないよりは、愛して失った方が、どれほどましなことか。

日が暮れかけたころ、図書館内にかけられた時計が閉館時刻を指しました。本を借りたり読んでいた本を戻したりと、慌ただしい利用者さんたちを見送りながら館内の見回りをいたします。消灯された館内はうす暗く、窓から入る光で赤くなっていました。この閑散とした様子を不気味だとおっしゃる方もいるようですが、わたくしはこの図書館の姿が好きです。いえ、むしろどんな姿でさえ好みます。普段の明るい図書館も良いでしょう。しかし夕日で染まる様子も、真っ暗になって本棚の本たちが存在感を増す夜もまた、魅力に溢れています。

館内の見回りと戸締りが終わり城へ向かおうとしたところをアイリーンさんに呼び止められます。



「シルフ、この後暇?良かったら晩御飯食べに行かない?」

「ア、アイリーンさん……その、お誘いは嬉しいのですが、ちょっと用事が、」

「あら、また?最近付き合い悪いわね。恋人ばっか構ってるのは妬けるわ。」

「あ、ははは……申し訳ありません。」



仕事が終わればすぐに城に向かい、地下牢でカンナさんのお話を聞き、塔に戻って陛下が訪れるのを待つという生活を送っているせいでしょうか。いつも終業後すぐに帰るため同僚のアイリーンさんにどうも恋人ができたと勘違いされているようです。騙しているようで申し訳ないのですが、わたくしは一度も恋人ができたなんて言ってません。純然たる勘違いです。否定しないだけで。ただ否定するとなると本当のことを話さなくてはならず、まさか彼女にそんなヘヴィな事情を話せるわけもございません。流れ弾にもほどがあります。そんなことになるくらいならばまだ恋人との逢瀬で忙しいと思われた方がまだ良いと思うのです。おそらく。令嬢としては完全にアウトですが、一般の町娘ならセーフだと思うのです。



「あの、アイリーンさん!」

「なあに?やっぱ暇になった?」

「いえ、今日はいけませんが、その……誘ってくれて、とても嬉しいです!」



断りたくて断っているわけでも、ましてアイリーンさんとご飯に行きたくないわけではないのです。こうして気軽に食事に誘ってくれるのは本当に嬉しく思っています。今のように公爵令嬢の名を返し、平民として生活していますが、何やらと過去が付いて回るうえ、陛下とお話しする時間は普通とは言い難いです。アイリーンさんと話しているとき、一緒に働いているとき、そんな時間が一番普通で、わたくしの望んだ平和な日常があると思うのです。



「だ、から、お気持ちはすごくうれしいです!お休みの日なら、全然、大丈夫なので!その、アイリーンさんさえよろしければ、お休みの日に、一緒に街に行きませんか……!?」



この嬉しさと申し訳なさをどうにか伝えたく思いまして。しかしいざ話しているとだんだん自信がなくなってきて声が小さくなってしまうことが情けなくて仕方ありません。きっとわたくしの今の顔は夕日にも負けないくらい赤くなってしまっているでしょう。思えば誰かを誘う、ということは生まれて初めてな気がいたします。

人から見たら微かな、本当に吹けば飛ぶような勇気かもしれませんが、それらを振り絞ったわたくし渾身の誘いとお礼です。不安になりながらも返事を待ちますが、目の前の彼女は一向に反応いたしません。まるでメドゥーサに見つけられたかのように微動だにいたしません。臆病風に吹かれ、もしかしたら言わない方が良かったかもしれないと、一人悶々とし始めたとき、目が覚めたようにアイリーンさんはそのままわたくしに抱き付きました。



「アイリーンさんっ!?このような往来でっ、」

「……いや、もう、本当可愛いわね貴女。恋人が可愛がるのも頷けるわ。」

「それは、」

「もう良いわ、何も言わなくて。貴女が可愛くて私のことが好きなのは分かったから。今度一緒に街に行きましょう。前読んでたシンデレラのスピンオフとか、二次創作をメインで扱ってるお店があるの。シルフもきっと気に入るわ。」



ぎゅうぎゅうとなぜだか抱き付いて来るアイリーンさんにどうしたら良いのかわからず、手をわたわたとさせていますと、アイリーンさんはまるで気づいていないようにわたくしの頭を撫でました。何が何だかわかりませんが、気持ちは伝わったようですし、お誘いも色よい返事のようで、無意識のうちに口元が緩みました。きっとわたくしは今だらしのない顔をしているでしょう。



「ふふ、約束よ。」

「……はい、楽しみにしています。」



図書館前で何をしているのかと思われてしまうかもしれませんが、そんなことさえもどうでもよくなっていました。にこにこと笑うアイリーンさんが、ただ単純にわたくしと一緒に過ごすことを喜んでくれているというのがとても嬉しいのです。




*********





「何、機嫌良いのね。」



そう指摘されたのは本日の物語を一つ聞き終わったころでした。不満たっぷりという様子ですが、ご自分の命がかかっているためでしょうか、ゲーム開始から大人しくしっかり話していただけています。



「そんなに顔に出ていましたか?」

「ええ、不愉快なほど。そんなだらしない顔をした公爵令嬢なんて、世も末だわ。」

「わたくしはもう公爵令嬢ではありませんので。そして貴女ももう男爵令嬢ではありません。そしてわたくしたちのいた国はもう()でしょう。」



苦虫を噛み潰したようなお顔を見ます。以前よりも表情が豊かなように見えます。詰るように檻の中から見ていた時より、ラクスボルンで愛らしい笑顔を振りまいていた時より。今の彼女を見ていると、王子たちに見せていた笑顔も、私を見下し嘲笑った顔も、演技のように思えます。

これが一つ、陛下の興味を引いた理由でございました。曰く、絶望に暮れる姿も面白いが、微かな希望に縋る姿はより面白い、と。昔何かで読みました。この世でもっとも、静かに、人に知られることなく人を死に至らしめるもの『死に至る病』とは絶望だと。どれだけ衣食住が足りても、三大欲求が満たされようとも、絶望はいとも簡単に人を死に至らせると。命の灯をふっと吹き消し、崖の手前に立つ人の背を押す。



「……良いことがあったので。」

「あっそ、悪役のくせに良い御身分ね。ダーゲンヘルムはそんなに楽しいかしら?」

「ええ、とても楽しいです。この国の方々はとても優しい。」



また、喜びが顔に出ていたのでしょう、カンナさんは小馬鹿にでもするようにわたくしを笑いました。



「相変わらず頭の中がお花畑ね。そんなんだからすぐに騙されるのよ。」

「あら、心配してくださってるのですか?」

「愉快な思考回路をしてるのね?アンタが味わってるのは所詮上っ面のもんでしかないわ。教えてあげる。アンタみたいに学ばない馬鹿は何度でも同じ轍を踏む。それでまた、裏切られるのよ。」



きつい口調で嗤う彼女も、もう見慣れたものです。かつてラクスボルンで笑いあった暖かい日々など、彼女と数日地下牢で会ってからはすっぱりと捨てることにいたしました。捨てる、と言うよりも大事に抱えるのをやめた、と言う方が近いかもしれません。しばらくお話しするうちに、あの日々は本当に素晴らしい演技だったのだな、と心から認識したのです。ここまで豹変されると逆に清々しくなってしまいます。



「……そうおっしゃるカンナさんにお聞きしますが、貴女は誰かを信じたことがないのですか?」

「…………、」

「お答えいただけないことは想像ついていたので気にいたしません。ただ、何も信じず、裏切りを警戒し、何もかも疑い続けては、大変でしょう。」



怒ってはいません、恨んでもいません。しかし不思議でした。疑いを常に持ち、裏切りの可能性に怯えながら毎日を過ごし、周囲を騙し続け王子の婚約者候補まで成り上がったカンナさん。それはきっと想像を絶するほどのストレスがあったでしょう。ですが彼女は自らの人生を賭けて芝居を打ち、そして勝ちました。

そんな風に生きるほど、妃という座は大事だったのでしょうか。わたくしにとってただの重圧でしかなかった妃という席は、そんなにも彼女にとって輝いていたのでしょうか。



「はっ、何もかも疑わずに信じ続けて、盛大に裏切られたあんたが言うと滑稽さがケタ違いね。」

「嘘をついて、つき続けて、結局何もかも明るみに出て全ても失ったカンナさんの滑稽さには負けますよ。」



彼女と話すようになって、わたくしの皮肉スキルがみるみる上がっています。それが良いのか悪いのか、わたくしにはわかりませんが、少なくとも陛下は愉快そうです。



「何もかも疑った末に全てを失うのと、何もかもを信じた末に全ても失うの。果たしてどちらの方が良いのでしょうか。」

「そんなの疑った方に決まってるでしょ。」



カンナさんは即答されましたが、すぐに口を噤みました。言いたいことはわかります。人を疑って、最初から人に期待しなければ、少なくとも裏切りの味を知らずに生きていけます。失っても、あっさりと諦めることができる、保険になるのです。保身に走る無様さを、自分では語りたくなかったのでしょう。しかし即答されたものは紛れもなく、嘘に塗れた彼女にしては珍しい本音でした。



「残念、わたくしとは意見が合わないようです。」

「最初から答えのわかってる茶番は楽しい?」

「ええ、まあ。貴女がどう思おうと、それはどうでも良いことなのですが、」



イライラし始めたカンナ様と日がとっぷりと暮れたのに気づき、いつものように牢の前の椅子を端に避けておきます。



「わたくしは今、人を信じられていて、とても幸せです。」

「信用っていうのはね、裏切りとセットなのよシルフ・ビーベル。」

「貴女にも感謝しています。貴女のおかげでわたくしは疑いを学びました。」



感謝している、という言葉に虚を突かれたような顔をされていて、ふ、と笑いました。今もわたくしは、他人を信じています。ラクスボルンでは何もかもに捨てられ、たっぷりと裏切りを味わいました。まるで疑いを知らぬわけではないのです。



「学びました。今のわたくしの友人の言う言葉、そしてかつて友人であり、わたくしを騙しきった貴女の言葉。信じるに値するのはどちらかなんて明らかでしょう?」

「なっ……!」



未だに自分の言うことにわたくしが揺さぶられると思ったのでしょうか。わたくしは学びました。信用の順位の付け方を覚えました。誰を信用していいのか、それはまだよくわかっていません。ほとんどの人を信用しています。人とは、鏡です。基本的には信頼には信頼を返してくださいます。そんなわたくしにとって、信用してはいけないという人間に、カンナ・コピエーネの名前があるのです。



「世紀の大ウソつき令嬢のお言葉など、シャボン玉の膜より薄い物ですよ。」

「…………っ!」

「では、明日のお話も楽しみにしています。」



言葉を失い息を飲むその顔を一瞥してさっさと地下牢から退散します。いつの間にか随分と熱くなっていたようで、塔へ向かう途中の夜風がとても気持ちよく感じました。

ゲームを提案してから、すこぶるわたくしの性格が良くなくなってきているような気がします。陛下は「イイ性格」になったとおっしゃいましたが、その含みに気が付けぬほど鈍感でもありません。あんな姿をアイリーンさんが見たらきっと倒れてしまうでしょう。そんなことにはなりませんが。

本日の献上品『小人の靴屋』を心の中で思い返しながら空に浮かぶ月を見ました。

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