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19冊目 再現

日がてっぺんを過ぎた頃でしょうか、塔内の本棚の整理をしていますと、ぞんざいなノックと共に扉が開きました。そんなことをするのはこの国に一人しかいません。



「ファーベル陛下っ!」

「おお、久しぶりだな。元気か。」

「わたくしは何も変わりません。陛下こそ、お怪我はありませんでしたか?」

「何も問題はない。この通りだ。」



そう呵々と笑われる陛下はレオナルドさんから聞いた通り、息災であるご様子でした。ひとまず、一息つきます。そして元気過ぎるくらい元気、というのもわかりました。一目見てすぐに上機嫌であることは感じられます。歪むように上がる口角。純粋な笑みでないそれは、悪戯をするような子供と称することもできるでしょう。少なくとも『ろくでもないこと』を考えていらっしゃるときのお顔です。見たところ、とんでもなくショッキングなお土産を持っていらっしゃるようには見えません。安心しつつも、警戒心を解く気にはなれずむしろ増します。そのショッキングなお土産が、陛下がここに持ってくるにはあまりにも大きなものである可能性もあるのです。



「その、ラクスボルンはいかがでしたか?」

「ははは、なかなか面白かったぞ。もう二度と、奴らがお前を取り戻そうとすることはない。」



もう二度と、その言葉に冷水を浴びせられたようでした。目が合わせられず、反射的にその目から視線を外しました。しかしらしくもなく陛下が距離を詰められ、片手でグイッと引っ張り上げられます。



「えっ、」

「お前がここにいても、もう誰も文句を言ったりする者はいない。」



何で、と問う間もなく陛下の腕に腰掛けるように抱き上げられてしまいました。未だかつてない近さに、カッと熱が顔に集まりそうになりますが、彼の言葉によって同時に青くもなりそうになります。くらくらとする頭のまま、わたくしは目を逸らすすべも失い、その満足げな赤い目を見ていました。かつて最も近かったときは質問の答えを迫られたときでしょう。質問をするときの陛下は酷く冷たく、得も言われぬ威圧感を感じますが、今の彼から威圧感はありません。ただ、嬉しそうで、満足げで、ずっと年上のはずなのにまるで子供の話を聞いているようでした。

もう二度と、文句を言ったりする者はいない。

陛下は、ラクスボルンの方々を殺してしまったのでしょうか。いえ、きっと殺してしまったのでしょう。今の彼を見て、平和的な解決をしてきたようにはとても見えません。騒ぎにならず、ダーゲンヘルムの被害がない。それはきっと、それほどまでに一方的であった、ということでしょう。

陛下は、優しくはありません。そして少しでも脅かす危険を持つ者をそのままにしておくほど楽観的でも甘くもありません。

今彼は、ただただ純粋に危険を消し去ったことを喜び、そして報告しているのでしょう。


わたくしの我が儘で、数十人という人が陛下によって殺されてしまったのでしょう。覚悟はしていました。わたくしを捨てた人たちが、死んだところで因果応報だと思おうとしてきました。しかしそれは結局わたくしの本から得た知識と同じく薄っぺらで、実のない物だったのでしょう。

だってわたくしは、喜ぶ陛下と共に笑うことも、殺されてしまった方々を国を、知ったことはないとはとても思えないのです。後悔しても死んだ人は生き返りません。責任の取り方など、わかりません。彼らを心の底から悪だとも思えない中途半端なわたくしは、ただ何も考えず、喜ぶこともできないのです。



「……はい、ありがとうございます。」

「シルフ、」

「ここに居ることができてとても、嬉しいです。」



控えめに笑い、空いた手で陛下の黒い髪を撫でました。数度手を動かし往復させると、驚いた顔がみるみる満面の笑みに変わっていきました。



「ああ、ここに居ろ、シルフ。」



今わたくしを抱えている彼は、とてつもなく恐ろしい怪物でありながら、幼い子供なのだと、改めて認識いたしました。以前からそういう方ということはわかっていました。しかしどこかでまだその危険性を理解していなかったのです。自惚れでも勘違いでもなく、わたくしは今この世を地獄に変えかねない圧倒的な兵器を手にしているのです。わたくしは、それを自覚しなくてはいけなく、そしてその重大さを理解したうえで取り扱わなければならないのです。無礼極まりないたとえでございましょう。しかしそれほど、はるか上空に張られた一本の細い綱の上を歩く様に、危険なのです。

わたくしの一言で、数十という人々が死んだのでしょう。ならばわたくしは、もう二度とこんなことにならないように、言葉を選ばなくてはならないのです。

ほっと、バレないように息を吐きました。今の会話では、間違いようもなく喜ぶことが正解でした。後悔しても、悲しんでもいけません。今は純粋に喜び、共感しなくてはいけません。陛下はこの結果を喜びました。邪魔をする者がいなくなり喜びました。そしてそれをわたくしに喜んでほしかったのです。褒めてほしかったのです。そう思いながら、自らの凶行をどこかで理解しているのでしょう、拒絶されたくないという恐れの色もございました。人道的に見れば、諫めなくてはいけなかったかもしれません。正さなくてはならなかったかもしれません。それでも、あの顔を見てそう言えるほど、わたくしは正しくはありませんでした。どの口が正しさなど語れましょう。

恐ろしい方です。それでもわたくしは彼に嫌われたくないとも思ってしまうのです。

落ち着かれたのか、一度わたくしを下ろし、それから強く抱きしめました。考えていたことが一気に吹き飛ぶくらいには動揺し、身を固く縮こまらせたのですが、陛下はまるで気が付いておらず、相変わらずニコニコとしていました。



「そうだ、シルフ。見せたいものがあるんだ。」

「見せたいもの……?」

「ああ、ラクスボルンからの土産だ。」



意気揚々、そんな言葉を体現するようにファーベル陛下はわたくしの手を引き、塔から出ました。対照的に、わたくしの身体はまるで油をさし忘れたブリキ人形のよう。するはずのない身体が軋む音を聞きました。

レオナルドさんの言っていたろくでもないお土産。やはり今は持っていないだけで、あるようです。ずんずんと歩いていく先には、王城。わたくしはほとんど王城に入ったことはありません。用があるときは呼びつけられる前に陛下かレオナルドさんが塔にいらっしゃいます。堅牢な扉に躊躇するわたくしなど知らぬように、陛下は中へ中へと進んでいきます。わたくしのような一般人が軽々しく入って良いのかと思いびくびくしておりましたが、特に咎められることはありません。それどころか会う方会う方に会釈するのですが、奇異の目で見られることもありません。以前陛下がおっしゃっていたように、わたくしの存在は知られているのでしょう。なんだかそれが無性に恥ずかしくもありました。

背中を追いかけていますと、ふと陛下が立ち止まります。見るからに分厚そうな木の扉。そして扉の前に二人の兵士さんが立っていました。



「入るぞ。」

「あ、はい。」



訳も分からず返事をすると、重たげな扉は大きな音をたてて開きました。

ぶわっと空気が変わります。濃い、埃の匂い、水の匂い、ひんやりとした冷気、まとわりつく湿気。前には下へとのびる階段しかありません。しかしここがどこだか、わかりました。以前一度だけ、入ったことのある場所。絶望と、重い身体。

いつの間につないだ手が離れたのでしょう。陛下は一人、わたくしの前を行きます。わたくしは、追わなければならないのでしょう。嫌な汗が背中を伝います。ラクスボルンで投獄されたとき、諦念に支配され恐怖は感じませんでした。しかし今、明確な恐ろしさを感じます。以前閉じ込められた、場所が恐ろしいのです。硬い格子が、冷たい石の床が、苦しい首の枷が。

果たして、お土産は一体『誰』なのでしょう。

誰がこの先で、硬い格子の中で、冷たい石の床で、鎖を付けられているのでしょう。

わたくしは知っています。ここに入れられる苦しみを。そして唐突に現れる足音の絶望感を。足を動かすと、冷たい石に足音が反響いたしました。

それでも、進めなければならないのです。この先には、わたくしの我が儘の結果が待っているのですから。

震える足を叱咤し、地下牢を歩いていきますと格子と向き合う陛下が見えました。ラクスボルンの誰かが、あの中にいるようです。陛下も、お土産の方も、何も話してはいません。陛下はただその人を見下ろしていました。



「……陛下、」

「おお、来たか。これが土産だ。」



口の端をあげ、小馬鹿にするように顎で中を指しました。



「活きが良いから気を付けろ。」



恐る恐る、促されるままに格子の前に立ちました。

みすぼらしく汚れた服、重たげな音をたてる黒い鎖、枷の付けられた細い手足。煤け艶を失った栗色の髪。



「カンナ、様……、」

「シルフ・ビーベル……!」



かつてわたくしを格子の向こう側から見下ろしていたカンナ・コピエーネその人が、格子の向こう側でわたくしを見上げました。

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