17冊目 二人の悪役令嬢
罵声は止まず、増すばかり。そんな中バケツを持ったうちの一人、確か宰相の息子だっただろうか。年若い青年が勢いのままに立ち上がった。
「貴女さえ、貴女さえいなければこんなことにはならなかったというのにっ……!」
人間、感情が昂ぶると周りが見えなくなるのは事実のようだ。先ほどまで粛々といや恐々と大人しくしていたというのに立ち上がって詰っている。同時にすぐ後ろで控えていた部下がザッと素早くその首を落とす。辛うじて持っていたバケツもその首を受け取ることはなく、首は地面で鈍く跳ね、身体は行く先であったカンナの方へと倒れ伏した。骸が一つ増え、語る者が一人減った。
「誰が、動いて良いと言った?……もう聞こえてはいないか。」
惰性で動き続ける心臓に送り出される血が床を汚す。綺麗なままのバケツを拾い上げ、壁際の部下に投げ渡す頃には、もう誰もカンナを罵倒していなかった。殺すのは、吐かせるにも黙らせるにも有効らしい。血の匂いが謁見の間に充満した。残りの罪人の数を数える。
そろそろ聞くことも尽きてきた。
「さて、質問もここまでにするとするか。」
「ではっ、」
「罪人の裁きの時間だ。」
解放されるのではないかと口を開いた王の希望を即座に叩き落とす。助かろうとする、助かりたいと思うこと自体が、罪だ。もうこの罪人たちから聞くことはない。それよりも私の興味は宰相の息子の血を浴びて呆然自失としている小娘に移っていた。
「な、なんでもする!何でもしよう!貴方様の望まれるものをっ、」
「貴様から得られるものが何かあるとでも思うのか?」
「か、金でも、領地でも、国民でもっなんでも差し出します!この、この国は優れた技術を持っていますっ貴方様のお役に立つでしょう!」
私よりもはるかに年上だろう男、かつてラクスボルン王国の王と呼ばれ、威厳に満ち国民から支持されてきた優れた男、いや優れていたはずだった男は今、私の足元に縋りつき、醜態を晒している。賢王の皮を被った愚か者であったのか、それともここ数年で愚者と成り果てたのか、それはわからない。だが国民、国を売ろうとするこの男が王の器ではないことは誰の目にも明らかだった。
「ラクスボルンについては安心しろ。罪を負うのは貴様らだけだ。貴様らがおらずとも、国民は生きられる。」
「そんなっ……!」
「何より、いつだって片手間に奪うことができるものを差し出されても、何の価値も魅力も感じんな。」
口を開けば開くほど、品格を失っていることにこの男が気づくことはあるのだろうか。腰に差していた剣を鞘から抜くと目を見開き口を無意味に開閉させた。無様と言うほかない。この男の価値と言えば、おそらく反面教師の以外に何もないだろう。
「命、命だけはどうかっ……!」
「愚かなるラクスボルン王よ。王らしく潔く散ったらどうだ?……死とは恐れるものではない。死とは生からの解放だ。この世を生きる苦しみからの解放。そう嫌ってやるものではない。死こそ最上の救いなのだから。笑い、喜ぶと良い。」
生きる価値もない罪人を救う方法など一つしかない。重い身体を捨て去って、地獄でその罪を贖うしか。かつてシルフが私を、「ダーゲンヘルムの怪物」のことを「断罪の鬼」と例えていた。なるほどわからないでもない。怯え涙を垂れ流しながら命乞いをする男を見下ろしながら思った。
「まだっ、まだお話ししていないことがありますっ!」
「……ほう、まだ話していないこと、なあ?今すぐにも死にそうだというのに、隠し立てするその度胸だけは褒めよう。」
「かっ隠していたわけでございません!貴方様は与太話とお思いになるかもしれませんが、」
必死の形相。その顔に嘘は見えない。
「……ふ、ははははっ!面白い!与太話は好んでいる。話してみろ。混じりなき真を、嘘偽りなどなくな。」
切っ先を床に向けると、それに倣い部下たちも剣を下ろす。与えられた束の間の執行猶予に罪人たちは息を震わせた。生与奪権を握る圧倒的強者相手に、嘘を吐く余裕はない。
「あの、あの女は妙な妖術を使うのですっ……、」
「カンナ・コピエーネが、か。」
「はい、あの魔女は我々に術を掛けていました、」
「どのようなものだ?」
「ただ、ただひたすらにあの女は正しいと。」
「それで?」
「…………、」
それだけであったようだ。何の根拠もない、徒に命を延ばそうとする面白みもない与太話。私の鼻白んだ様子に気づいてか、必死に言葉を繋げる。
「嘘などではございません!そうでなければこのような稚拙な虚言に惑わされるようなことはなかったのです!あの小娘がっあの小娘が我々に呪いをかけたのです!」
「父上の申すことは本当です!私たちに呪いをかけたのです!」
加勢する血まみれの王子に続く様に、皆口々にあの女に呪いを、術を掛けられたと言い出す。呪いや魔術、魔法というものは架空のものに過ぎない。そんなものは現実に存在していない。にもかかわらず、良い大人が揃いも揃って確信したように言う。「呪いをかけ操り、箱庭に囲われた」と。
「では、なぜ呪いをかけたのにこうして貴様らはシルフを求め、この娘を牢に入れた。操れるのならばそこまで操るだろう。」
「呪いはっ、呪いは途中で解けたのです!」
「解けた?」
「わ、私はシルフが追放されるまで、コピエーネが正しいと思わされていました。しかしシルフがいなくなりあの女が婚約者となると途端に疑わしくなった!愛しているとまで言っていたのに、それすら信じられないほどに何の興味も失った!」
秩序なく訴えだす呪い、そして呪いが解けた時期。正しいと信じていた女へ疑念が生まれた時期、王立図書館からの告発文、失われた愛情。まるで甘やかな夢から覚めるかのように皆一様にカンナへの信用を失った。
12時に魔法が解けるかの如く。
解いたのではなく解けてしまった人を操る呪い。魔女と、悪魔と罵る所以はここにあったのだろう。呪いや魔法など信じていない、だがそれは平凡な少女と同じく異様であった。もはや呪いや妖術の類であるとしか言えないほどに、それは非現実的な力が働いたのだと。
「嘘などではございませんっすべて、すべて本当のことでございます!俄かに信じがたいのは重々承知。しかしこれが真実なのです!」
「……このこと以外に、何か知っていること、隠していることはないか?」
「ありません、神に誓って!」
恐怖に揺れる目に策を弄そうという、嘘を吐こうという色はない。愚かと取るか、いやある意味賢い選択であるのかもしれない。今、命を握られているという苦しみから一刻も早く解放されるという点では。
「……仮に、何かそのような術があったとしよう。それは掛けた本人にも維持することは難しい。術が解けるとまるで夢から覚醒するかの如く感じる。そしてその術は掛けられた者に後遺症によく似たものを残し、正しい判断、正確かつ慎重な思考を妨げる効果があるようだな。」
改めて情報を整理するとまるで毒を盛られたように思えてならない。それを行うのは不可能だが、それに近いもの、例えば催眠効果のある香や香水であれば可能性もなくはない。所詮想像の域は出ないが、本人に聞いた方がそれは早いだろう。
毒に侵され鈍らされた愚かな罪人たち。あまりにも愚かで素直な彼らにいっそ慈しみさえ湧いて来る。一匹の寄生虫に内側から喰いつぶされ、自らが喰われていることすら気が付かず働かない頭を必死に動かしながら生きる道を探すのだ。それが自らの死期を早めていることも自覚せず。
「よくぞここまで吐いてくれた。貴様らの言い分は、十分に理解したぞ。」
「ダーゲンヘルム王っ……!」
今日一番、期待に満ちた顔。絶望に暮れ、死ぬ時を待っていた顔が輝く。生への希望。死刑を待つ罪人であるにも関わらず、いまだ希望に縋りつくその姿勢には感服した。なぜそう思えるのか、楽天主義もここまで行けば美点と言えるかもしれない。クツクツと喉の奥で笑うとレオナルドが趣味が悪いとでも言うようにため息を吐いた。
「皆の者聞け。愚かなるラクスボルン王国、罪人の処遇は決定した!そこに立つ諸悪の根源カンナ・コピエーネ以外、」
溢れだすように、歓喜、安堵が表情からにじみ出る。いいなりとなり、素直に情報を渡し、財産も国も何もかも失う姿勢も見せた。そのおかげで我々は助かり、あの小娘だけが罰せられる。極限状態に追い込まれた人間の心を読むのはたやすい。正しき思考回路を奪われた愚者たちであれば、なおさらに。
「死刑だ。」
私の次の言葉など知っていた部下たちは、一斉に剣を振り下ろした。
今死んだ罪人たちはきっと幸せだろう。煩わしい俗世から解放され、重い身体を捨て去り、そして生きる喜びを最大限に感じたまま逝ったのだ。最期の瞬間、生きる希望に満ち溢れていた。自分たちは殺されないという安心と喜びの中で。
「相変わらず趣味が悪いですね。」
「くくく、どれのことだ?」
短く、片付けろと指示を出すと慣れたようにテキパキと首と胴体がバラバラになった死体を片付けていく。豪華絢爛で会った謁見の間は見る影もなく、血と死臭に塗れていた。二人の悪役令嬢の存在により、ラクスボルン王国は数百年の歴史に幕を下ろす。喜劇と呼ぶか、悲劇と呼ぶか。
「レオナルド、諸候に城が落ちたことを書面で伝えろ。」
「はあ、わかりました。ラクスボルン王の名義で、ですね。」
「わかってるじゃないか。それと落とした首は残しておけ。使い道は蛆の餌以外にもある。」
「本当に、趣味の悪い……、」
口先だけの非難に堪えることはない。罪人の処刑は終わった。城を落としたことは国を落としたことと同じだが、この国自体には興味はない。隣り合っている国であるがダーゲンヘルムとラクスボルンの間には深い森がある。わざわざこの土地を占拠するメリットはほとんどないに等しかった。むしろ突然の上層部、王族や大臣の死に揺れる国を治めることの労力の方がよっぽど大きいだろう。
「半年ほど、軍をラクスボルンに駐留させる。極力体制は変えぬよう、首のすげ替えだけを速やかに行う。」
「了解です。正式な査察官、および諜報員はこちらで適当に見繕っておきます。」
「ああ、頼む。」
有能な右腕がいると話が早くて助かる。必要以上に軍事力でねじ伏せる必要はない。私はこの国を統治したいわけではなく、シルフの身に起こったことの事実を知ること、私のものに手を出そうとした愚か者に罰をあたえることが目的だったのだから。なにより、物理的な恐怖よりも得体の知れない恐怖の方が多数の人間を支配しやすい。隙なく兵を配置すればどこからともなく対抗勢力は作られる。だが突然白昼堂々王族が『ダーゲンヘルムの怪物』に皆殺しにされ、この国はダーゲンヘルムの属国となった。しかし直接的支配はなく、目に見えない力を感じながら何も変わらない日常を過ごす。強すぎる支配は爆発的な反発力を生むが、はっきりしない恐怖での支配はただただ一定の緊張感を生むだけで決定的な力には繋がらない。ダーゲンヘルムにまた一つお伽噺とも事実ともとれる恐怖が足される。今回はそう決着をつけた方が良いだろう。
「ところで陛下、そっちの娘はどうするおつもりですか?」
「ああ……カンナ・コピエーネ。」
真っ青な顔で何をするでもなく茫然と死体が片付けられていくのを、彼女は見ていた。貧相な娘が私の姿を焦燥した目に映すと、崩れるように膝を突き嘔吐した。
「……っ、……、」
「陛下、怖がられてますよ。」
「当然だろう。」
床のおびただしい血とほとんど胃液の吐瀉物が混ざる。ただ泣くばかりの悲劇のヒロインを演じていたようだった小娘は、すべての罪人が死に、私が歩み寄ったことによってやっと現実味を感じたのだろう。奇妙な娘は舞台上に残る役者が自分だけと気づき一人遅れて舞台から降りたようだった。
「死の匂いなど、初めて嗅いだだろう?人の死体など、初めて見ただろう?返り血など、初めて浴びただろう?」
「……っ、わ、たしはっ、」
「これが貴様のしたことだ。」
ラクスボルンの王も、王子も、妃も、側近も、その息子も、近衛騎士も、たった一人の少女の欲によってむごたらしく殺されたのだ。因果応報。言ってしまえばそれだけのこと。
平民上がりの成り上がり男爵令嬢。蝶よ花よと育てられ、優しく皆に愛されて、世界の中心になった気分を味わった。知らなかっただろう、地下牢の冷たさを。知らなかっただろう、みすぼらしい布の着心地を。知らなかっただろう、襲い来る飢えを。知らなかっただろう、憎しみをむき出しにされた罵倒を。知らなかっただろう、針の筵に座らされる痛みを。知らないだろう、大切な者に裏切られる苦しみを。
無知であることは罪だ。結果を見れば明らかなこと。
荒く安定しない呼吸を繰り返す娘を見下ろす。無知は無知でもシルフ・ビーベルとは全く違う。
シルフ・ビーベルは無知であった。無知であったからこそ、何も知らず何も求めなかった。
カンナ・コピエーネは無知であった。無知であったからこそ、何も知らず何もかもを求めた。
二人の悪役令嬢はよく似ていた。よく似ていたが、全く異なった。さながら同じ場所に立ちながら真逆を見るように。
しゃがみ込み見開かれた目と視線を合わせる。自らの吐瀉物に塗れた顔は恐怖に歪むが、糸が切れた人形のように力を失った身体は後ずさることすらできない。ガチガチと震える歯が音をたてる。
「問おう、罪人の娘よ。」
「っひ……!」
「国一つを陥れ、何十という人の命を奪い、無実の人間に有りもしない罪をかぶせ、人々を操った魔女、悪魔、鬼、悪逆非道の幼子、『悪役令嬢カンナ・コピエーネ』。お前は今、決して嘘をついてはならない。混じりなき本心で、答えよ。」
あの日、シルフを拾った日、目が覚めた彼女にした問いを、この娘にもしよう。
無欲な少女に向けた問いを、この罪深いほどに強欲な少女に。
「貴様の、望みはなんだ。」
「のぞ、み……?」
「そうだ、望みだ。貴様が今何よりも、心から望み欲するものを言ってみろ。」
浅く短く呼吸を繰り返す少女。首筋に剣を宛がい答えを待つ。この世の渇望を掻き集め詰め込んだような少女は掠れ震える声で言った。
「……し、しにたくないっ……!」
想像通り。いや、この状況下であればそうとしか言えないかもしれない。異様であり異常であるが、やはり平凡。剣を下ろし、様子を見ていたレオナルドに声を掛ける。
「これは持って帰るぞ。」
「そんなものどうするんですか?」
「シルフへの土産だ。」
「……たまに貴方がシルフさんのことを本当に大切に思っているのか疑問になりますね。」
裁くべきは最大の被害者。彼女の裁きに私が沿うかはまた別の話だが、緊張感のある問答をできると思うとこの土産を持って帰るのが楽しみになる。今の彼女はもう無知で何も望まない少女ではないのだ。
「シルフ、シルフ・ビー、ベルッ……!」
足元から聞こえた声。憎しみと怒りの声。カンナ・コピエーネは確かな憎悪を持ってかの少女の名を呟いた。恨み、憎しみ、また被害者面をするのだろうか、この娘は。今のこの状況は全て、『悪役令嬢シルフ・ビーベル』の復讐によるものだとでも思っていそうだ。自分の愚かしさを他人のせいにするのはラクスボルンの国民性なのかとため息すらつきたくなった。
力なく尻餅をつく惨めな少女は眼だけを憎悪に殺意に爛々とさせていた。
一瞬だけ迷う。本当にこの娘をシルフに会わせて良いものか。檻の中に入れても鎖につないでも、この娘はシルフを傷つけかねない。言葉とて、彼女にとっては十二分な凶器になり得る。
それでも、鳩尾に蹴りを入れて意識を飛ばした少女を連れて行かせたのは、たとえそうなったとしてもシルフは持ち直すだけの力があると思ってだ。
世紀の悪役と呼ばれた、公爵令嬢は『ダーゲンヘルムの怪物』を使い、自らを捨てた母国ラクスボルン王国に復讐を果たした。自身を謗り罵り投獄した王族を皆殺しにし、自身に代わり王子の婚約者の座についた男爵令嬢も殺し、ラクスボルン王国をダーゲンヘルム王国の属国とした。怪物の住まう国、ダーゲンヘルムの属国と化したラクスボルンは周辺国から黄泉の国の領土と呼ばれ、国交を失い数十年かけ緩やかに衰退していった。国民は徐々に他国へと流出していき、残されたのは豊かな自然だけだった。
国としての体を失い、人の住まぬ黄泉の国となったラクスボルンは、ダーゲンヘルム王国の資源庫となっている。
悪辣な公爵令嬢とめげずに幸せを掴む男爵令嬢の物語は、ラクスボルン王国で数年流行した後、語る者もなく、誰に知られることもなくひっそりと国と共に消えていった。
ご閲覧ありがとうございました!
これにて陛下のターンは終了、シルフへと視点は戻ります。