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11冊目 使い古され擦り切れそうなストーリー

日が暮れる直前、街が茜色に染められるころ。図書館を出てすぐのところで、ふと思い出したようにアイリーンさんは言いました。



「そういえばシルフは『ダーゲンヘルムの怪物』って知ってる?」

「ええ、知っています。ダーゲンヘルムの怪物は乙女を喰らう、というお話でしょう。」



彼女の口から出た名前はわたくしも知っているお話です。陛下、ファーベル・ダーゲンヘルムご自身のこと。ラクスボルン含め、周囲の国で『ダーゲンヘルムの怪物』を知らないところはきっとないでしょう。恐ろしい怪物の住む国、ダーゲンヘルム。



「そう、怪物は乙女を食べるって言われてるわ。それで、ダーゲンヘルムの怪物は本当に髪一本残さず食べたって。」

「……ええ、とわたくしはそのように聞いておりましたが?」

「ああ、そっか。シルフは確か移民だったわね。怪物の正体はファーベル陛下自身なの。」



それは重々承知でしたが、彼女が何を言いたいのか、その真意がわからないのでわたくしはとりあえず神妙な顔で相槌を打ちました。『ダーゲンヘルムの怪物』のお話は周辺国なら誰でも知っていますが、その正体は自国民以外にはバレてはいません。そう言いふらすことでもありませんので、知っている国民も限られると陛下はおっしゃっていました。



「黒い髪に赤い目、ダーゲンヘルムに住み、統治する人。陛下のお顔を見たことはある?」

「あ、あります。」

「ならわかると思うけど、『ダーゲンヘルムの怪物』は怪物なんかじゃない、普通の人間ってのもわかるわよね。」

「はい、怪物などという方ではありません。」



陛下は大変変わっているお方ですが、怪物などではございません。頭からバリバリと娘を食べる爪も牙もありません。



「つまり『ダーゲンヘルムの怪物』は架空のもの、乙女を食べる怪物なんてどこにもいないわ。」

「陛下が『ダーゲンヘルムの怪物』ならば、そうですね。」

「でもラクスボルンではこんな話がされてるの。」



内緒話をするように声を低めそっと顔を寄せた彼女に思わずどきりと致しました。



「ラクスボルンの令嬢がダーゲンヘルムの怪物に食べられた、って。」

「……っ、」



間髪入れず、アイリーンさんが何のことを言っているかを理解しました。彼女の話す、ダーゲンヘルムの怪物に喰われたラクスボルンの令嬢は、わたくしのことです。

バクバクと飛び出しそうになる心臓を飲み込んで、動揺が伝わっていないか彼女を伺いますが、話に夢中な彼女が気づく気配はございません。



「それは、どういうことでしょうか?」

「ダーゲンヘルムの森付近にいた令嬢が行方不明になったの。国のどこを探しても見つからない。聡明で博識な令嬢で、まさか家出をするようなお転婆でもない。そうなると、きっとダーゲンヘルムの怪物に食べられてしまったのだ。ってな具合でね。」



わたくしのことなのでしょうが、まるでわたくしのことではございません。

そもそもその話自体不自然なものです。なぜ令嬢はダーゲンヘルムの森付近にいたのでしょう。語りからして御付はいなさそうです。国のどこを探しても見つからない、となると探すのに動いたのはその令嬢の家の者だけではないことが分かります。


不自然、その言葉に尽きました。

きっとラクスボルンから追放された悪役令嬢であるわたくしの話など、きっと国民の大概が知っているでしょう。あれほど派手に断罪され、婚約者の座から引きずり降ろされ、揚句『ダーゲンヘルムの怪物』に喰い殺されたことになっているのです。わたくしにあったことを知っている者であれば、この話はわたくしともとからあった『ダーゲンヘルムの怪物』の話を掛け合わせたものだと言うことは一目瞭然でしょう。

あれからすでに1年以上たっています。今更このような何番煎じかもしれないような話が流行るとはとても思えません。



「……それは、わたくしの知っている『ダーゲンヘルムの怪物』のお話と大差ないように思えます。食べられてしまった乙女に多少脚色が付いたくらいで。」

「シルフみたいに今の話をお伽噺として扱うなら何の問題もないの。」

「お伽噺ではないのですか?」

「ラクスボルンでは今の話は実際にあったこととして語られてるのよ。」



ありもしないお伽噺が、実際にあったことのように語られ、独り歩きしている。そしてそれはこのダーゲンヘルムまで音が届くほどに。



「『ダーゲンヘルムの怪物』は他国の牽制に良かったでしょう。どこの誰とも知れない被害者の話は程よい恐怖と教訓を教えるわ。でも実際に国民が殺されたとなると話は別。もう怖いから近づかない、っていう理屈は通じなくなるわ。」



恐ろしい魔物の住む魔王城がある。恐ろしいから誰も近づかなかった。だがある日姫が攫われる。当然見てみぬふりをするわけもなく、国は勇者を魔王退治に向かわせた。

自然な流れでしょう。王道の王道。使い古され擦り切れそうな物語の展開です。



「まさか、ラクスボルンはダーゲンヘルムに……!」

「まあ嗅ぎまわるなり戦争を仕掛けるなりするでしょうね。ダーゲンヘルムが負けるなんてことはないでしょうけど。」

「なぜそこまで……?」

「まあ『髪一本、血の一滴も残さず』怪物に喰われたっていうのを信じるよりも、怪物にさらわれたって方が納得できるからじゃない?戦って、令嬢を奪還しようとしてるんじゃないかしら。そんなの聞いたこともないから、どこまでがラクスボルンのお上の方々が企みをもって流した話か分からないけどね。」



なぜ、というアイリーンさんは彼女の答えたことではございませんでした。

食べられた、もしくは攫われた令嬢はおそらくわたくしのことだと目星が付くでしょう。なのになぜ、わたくしを国から追放しておいて今更わたくしを探そうとしているのでしょうか。

確実に死んだか確かめるため、これはおそらくないでしょう。死んだかどうかを確かめるには遅すぎますし、ダーゲンヘルムと敵対するにはあまりにハイリスク・ローリターンです。


王子、ミハイル・ラクスボルン様と婚約した男爵令嬢、カンナ・コピエーネ様を虐げあまつさえ殺そうとした悪女、シルフ・ビーベル。悪役令嬢シルフ・ビーベルは『ダーゲンヘルムの怪物』に食べられ、死にました。

それが、ラクスボルンにおけるわたくし、シルフ・ビーベルです。


それなのに、なぜ今更犯したとされてきた罪が語られず、その罪人の最期のみが独り歩きし、揚句強国であり情報の少ないダーゲンヘルムに敵対する、という非現実的と言わざるを得ない事態になっているのでしょう。わたくしの中のどこか冷静な部分が、もし彼女のいうことが本当であれば、ラクスボルンはもう終わりだろう、と呟きました。乱心、その言葉以外に表現のしようがありません。

わたくしのいない間、ラクスボルンはどう状況が変わったのでしょうか。



「貴女はなぜ今そのお話を?」

「もう国の中にラクスボルンの間者が紛れ込んでるかもしれないし、もし本当に被害者がいるならダーゲンヘルムの中に陛下じゃない本物の怪物がいることになるでしょ。危ないから気を付けなさいってことよ。貴女はなんだかおっとりしてるし、こういう事件に巻き込まれそうで不安になるの。うっかり戸締りし忘れないこと、知らない人にはついていかないこと、夜に独りで出歩かないこといいわね?」

「ふふふ、わかってますよそれくらい。小さな子供じゃないのですから。」



まるで幼子を心配するような母親や姉のように口を酸っぱくして言い聞かせる先輩に笑ってみせますと、深いため息を吐かれました。



「貴女はその辺の子どもなんかよりずっと危機感が薄く見えるのよ。見てて不安になると言うか、保護者がいないととんでもないことになりそうというか……、本当に大丈夫?わかってる?家まで送っていきましょうか?」

「いっ、いえそこまでしていただかなくても大丈夫です!家は王城の近くですし、大通りの明るい道を通って帰れますから!」



突然出た送っていく発言に思わずどもってしまいました。彼女を含め、わたくしの知り合いは誰もわたくしがどこに住んでいるか知りません。どういういきさつで国へ来たのかも、後見人が誰なのかも。あまり深い意図はありませんが、単純にあまりラクスボルンであったことについて聞かれたくなかったため極力不必要な情報は伏せるようにしています。そうでなくとも、送っていってもらった先が王城付近、というよりも敷地内の塔に住んでいると知ったらきっと彼女は卒倒してしまうでしょう。



心配する彼女をなんとか拙い言い訳で言いくるめ、帰路につきました。王城に着いたころにはあたりは薄暗く、多くの部屋がすでに明かりを付けていました。



そしてそれはわたくしの住んでいる塔もまた例外ではございませんでした。誰もいないはずなのに明かりがついている、というのは不安と不信感を煽るものですが、わたくしの住む塔へ堂々と訪れ我が物顔で居座れる方はただ一人です。

鍵の開いたままの扉を開きますと、温かい光の中陛下がじ、と一冊の本を読んでらしていました。



「おお、帰ったかシルフ。」

「ただいま戻りました。今晩はお早いのですね。」



すぐに気が付いて掛けられた言葉に返すと満足そうに彼は笑われました。思えば「おかえり」「ただいま」と言う類の挨拶をするのは初めてだったかもしれません。どこかくすぐったく思いながらもわたくしは扉をしめました。

戸締りの確認も大事かもしれませんが、わたくしの住むこの塔のセキュリティはこの国の中でも一二を争うほどの高レベルだと言うことを、アイリーンさんは知らないのです。

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