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10冊目 幸福の手押し車

「シンデレラ」そう表紙に掛かれた本を図書館の本棚に入れたのは、あの弾き語り屋がダーゲンヘルムに来てから半年ほどたったときでした。シンデレラのほかに、白雪姫、蛙の王様、ガチョウ番の女、ヘンゼルとグレーテル、いばら姫、など、カンナ様の語られた物語は悉く民衆からの支持を受け、書籍化、舞台化がなされています。もとは子供向けのお伽噺だったようですが、元のお話以外にそれぞれの物語のその後のお話や脇役や悪役にスポットを当てたような二次創作も多く流布しています。

表紙の端に掛かれた「作:カンナ・ラクスボルン」という文字に何とも言えない気持ちになりました。これらの物語は彼女が作ったものだったのでしょうか。カンナ様は一度もわたくしに自身が作ったお話しだとは言いませんでした。彼女はいつも語るだけで、いうなればわたくしが陛下にシンデレラを語ったときのような、物語を辿り語るようでした。自尊心の強い彼女であれば、最初から自分が作った話だと言っていそうなものですが。ただもうわたくしがそれを確かめる術はございません。何よりこれらの物語、誰が作ったか、そんなことは些細なことなのです。ただその物語が生まれ、読まれる。それだけなのです。物語は物語として、相変わらず素晴らしい光を放っています。


正午を回ってしばらく、お昼休憩のために司書室の裏の休憩室に入りますと一人の同僚がすでに昼食を取っているところでした。



「シルフお疲れさまー。」

「お疲れ様ですアイリーンさん。……今日は何を読んでらっしゃるんですか?」



朝作ったサンドイッチを出し、彼女の隣に座ります。彼女はパニーニを片手に一冊の本を読んでいました。わたくしよりも先にこの図書館に勤めていたアイリーンさんは器用で、お昼休憩はいつも本を読みながらご飯を食べています。曰く、ご飯を食べてる間本が読めないのがもったいない、とのことです。



「今日はシンデレラのスピンオフ、『負け組、下剋上の夢』よ。」

「へ、へえ……それはどういったお話ですか?」

「シンデレラの最後のシーン、誰も死人が出なかったバージョンの後日談で、意地悪な二人の義姉が必死に結婚相手を探し回る話よ。愛あり笑いあり流血ありでものすごくシュールだし、わけのわからないトンデモ展開もあるけど面白いわ。ついつい続きを読みたくなるの。少なくとも今まで読んだシンデレラの二次創作の中では一番秀逸ね。」

「聞く限り、ちょっと読んでみたいです。」

「読み終わったら貸すわよ。」



彼女はもともと悪役好き、敵好きな読者です。勇者と魔王の物語を読めば一番好きなキャラクターは魔王、戦争ものを読めば敵国の軍師に熱を上げます。特に以前流行った女の子が誘拐されそれを助けに向かう青年の冒険物語においては「普通犯人とくっつくでしょ!?」と言いながら泣き崩れておりました。ちなみに誘拐犯は青年に追い詰められた末、女の子により崖から突き落とされました。

そんな悪役好きな彼女からするとカンナ様が話したような「悪役は必ず死ぬ」物語は好みに合わないかと思いましたが、生き残るバージョンの二次創作でそれなりに楽しんでいるようです。



「シルフは王道が好きそうよね。」

「王道、ですか?」

「そう、もともとのお話みたいに、主人公が幸せになる話。あなた自身お姫様みたいだし。」



一瞬ぎくり、といたしましたが誤魔化すためにサンドイッチに齧り付きます。もうすっかり一般人のつもりですが、今でも時々身分が高そうとか実は貴族なんじゃないかと言われることがあります。最善の努力はしているつもりなので、あとはもう慣れるしかないのでしょう。



「どうでしょうか……そんなに好きでもないかもしれません。」

「あれ、そう?じゃあどんなのか好き?」



かつてのわたくしであれば何の疑いもなく物語を聞き、主人公が幸せになってよかった、と思うだけだったでしょう。しかしいざわたくし自身が悪役となってヒロインのために死ぬという稀有な経験をいたしますと、どうしても物語で読む悪役にも何か事情があったのではないかと考えてしまうのです。


白雪姫の王女、実は白雪姫を殺そうとする者がいて、その者から逃がすために森にやって、心配で魔女の姿に身を窶して様子を見に行き、林檎をあげたら姫が勝手に喉に林檎を詰まらせたのかもしれません。

シンデレラの継母と義姉たち、実は王子がとんでもなく性格が悪く、シンデレラが結婚したら幸せになれるわけもなかったために、何としてでも結婚を阻止しようとした過保護だったのかもしれません。

物語は、書いてあることが全てです。しかし彼らの生きる世界はそれだけではないでしょう。



「……主人公も悪役も、みんな最後には仲良くしてくれる。それが一番好きかもしれません。」

「あー……それは確かにあなたらしいわ。みんな幸せに、って他人の不幸を喜ばないタイプ。」



少し嫌味のようにも聞こえる言葉ですが、彼女にそのような意図がないことはわかっています。ただ思ったままに話しているだけでしょう。



「なにも、死んでしまわなくてもいいと思うんです。仲良くしてくれるのが一番ですが、それが無理ならお互い会うことのない場所、遠く離れた地でそれぞれ相手のことなんて思い出さないくらい幸せになればいいんです。」



今のわたくしのように。死んだと思われていていいのです。国に帰れなくても、家族に会えなくてもいいのです。わたくしは以前持っていた人とのつながりも、姓も、世界も何もかも失った状態で、楽しく暮らしています。わたくしの物語はバッドエンドでしたが、物語が終わっても、それぞれの人生は続いていくのです。

他の悪役たちも、どうか誰にも知られない静かな場所で、自分なりに幸せに暮らしていてほしいと、思わないではいられないのです。



「まあ、悪役びいきの私からしたらそれが最善ね。……それにしてもシルフは本当、清らか健やかって感じよね。」

「そんなこと、ありませんよ。」

「えー?シルフって生まれてこの方怒ったことってある?」



怒る、心の中で反芻し、情報としての怒るということを記憶から引っ張り出します。怒ったことくらいある、と言いたいところですが、少なくとも怒り狂う、感情のままに相手を罵る、カッとなる、イライラするという経験はありません。



「怒ったことは、ないかもしれません……。」

「ほらやっぱり。」

「でも、清らかではありません。あまりよくないことも、考えてしまうことがあります。」



つい数年前まで、わたくしはきっと邪な感情を持ったことがなかったと記憶しています。喜びも悲しみも怒りも、どの感情もことごとく諦念に飲み込まれておりました。感情はほとんどなく、むしろ感情を持たない方が楽だと思っていました。記憶にあることと言えば、本を読んでいる最中の喜びや楽しみ、友人であったカンナ様との語らいくらいでしょう。


しかし、裏切られ、ファーベル陛下に拾われダーゲンヘルムに来てからそれは変わりました。

この国に来てから、わたくしはひたすらに幸せです。自分のしたいことが認められ、それをのびのびとできる。同僚や友人がいてくれて、陛下は目を掛けてくださる。今のわたくしは何もかもに恵まれた状態です。きっと物質的には公爵令嬢であったときの方が豊かでしょう。

 ラクスボルンにいたならば、わたくしは水で薄められたワインやシードルなど飲むことは生涯ありませんでした。しかし現在と過去とを比較して、わたくしはもうあのころにはとても戻れない、そう強く思うのです。


 学ぶことは好きで、妃のための教育は家のため、自分のため、国のためを思えば苦でもありませんでした。時間を見つけては図書館で物語に溺れながら現実を忘れ、時間が来れば公爵令嬢に相応しい人間として振る舞う。ラクスボルンにいたシルフ・ビーベルはまるで陸に上げられた魚のようでした。呼吸のできない地上で徒に口を開閉させ、自由に生きられるのは図書館という物語の海の中だけ。

 ラクスボルンと違いダーゲンヘルムはとても、息がしやすい場所でした。わたくしの望むことが、許されました。豪奢なドレスに身を包んでいるわけでも、豪華な食事をとるわけでもありません。ですがわたくしがわたくしらしくいられる、生きやすく生きられるのです。



「わたくしはこの国に来てからとても恵まれた生活を送ることができています。しかし恵まれていると、欲張りになってしまうのです。」



自由に生きられると、様々な感情が現れてきました。喜ぶこと、楽しいと思うこと、悲しむこと。それ以外にも、期待すること、何かをしてほしいと思うこと、がっかりすること、疑うこと、何かしたいと駆られる衝動。諦念に蓋をされていたもの達は恵まれ、自由になってから容易く湧き上がってまいりました。誰にでもある感情のようですが、わたくしはこれらを酷く持て余しています。その感情をどう受け止めるのか、どう処理するのか、それがわかりません。



「欲しすぎること、願いすぎることは、過度な期待や落胆を生みます。それは、あまりよくないことでしょう?」

「良くない、というかなんというか。安定の聖人君子ぶりね。それくらい誰だって思うわよ。」



読んでいたシンデレラのスピンオフ作品を閉じたアイリーンさんに気づき、邪魔をしてしまったと焦りますが、すっかりお話しする態勢になった彼女はおそらくもう読まないでしょう。本を読んでいる最中に話すのはここにきて彼女と昼を共にするようになってからは慣れていましたが、本を読んでいる最中にああだ、こうだと話しかけられるのはきっと鬱陶しかったでしょう。申し訳なく思いながらも、わたくしも彼女と向き合うように身体の向きを変えました。



「もともとね、欲望って言うのは手押し車なのよ。一つ願いがかなえば次、もう一つ叶えても次、どれだけ幸せになっても次、もっと、より良いを求めちゃうもんなの。足ることを知る、なんていうけどそれも俗世を生きてる人間には無理よ。実際はそれを言い聞かせて欲を抑えてるだけで、欲がなくなっているわけじゃないんだから。」



手押し車、と言われピンときました。ラクスボルンにいるころは、手押し車に触れることすらありませんでした。欲も何も、欲することが許されませんでした。欲することは多大なリスクを伴いました。しかし、ダーゲンヘルムに来てすぐ、わたくしは手押し車を陛下からすぐに渡されました。欲の手押し車を渡され、さあ押してみろ、と。そしてわたくしはおそらく現在進行形で手押し車を押す姿を彼に観察されているのでしょう。



「まあシルフはあんまり欲とかとなさそうだから、わかりやすく言うと、素晴らしい本を読んだ。ものすごく面白かったしかなり幸せな気分になった。この時点で読む前と比べてものすごく幸せよね。でも読み終わって数分後には続きが読みたいとか、続編が出てほしいとか思うでしょ。そういうこと。」

「ああ、ふふふ、それはわかりますね。とてもわかりやすいです。」



幸福の手押し車は、小さな欲も大きな欲も平等に乗せて前に進むようです。

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