ちょっと切ない冬休み
中学三年生、房生舞衣の恋愛エピソード。
高校入試目前の12月、父が突然難病で倒れ、学校では以前から好きだった男子に告白される。舞衣の恋の行方は…
『ちょっと熱い夏休み』『ちょっと雨降る文化祭』の続編的な独立短編です。
「舞衣、勉強の方は順調か?」
居間のちゃぶ台へ夕食のおかずを運んでいる私に、父がネクタイを緩めながら言った。
「うーん、順調、かなぁ?」
珍しく早い帰宅が判っていた父のために、気合いを入れて手作りハンバーグに挑戦した私は、一緒に食事できる時くらい勉強は忘れさせて欲しいな、と内心思った。
だが、無理も無い。
私は中学三年生で、もう二学期も大詰めの12月なのだ。
「料理、ありがたいけどな、今は勉強を頑張って欲しいな。」
ああ、もお。
少しは娘心を分かって欲しい…。
母は私が6歳の時に病気で亡くなっている。
父は、同居している祖母の介護をしながら、男手一つで娘の私を育ててきた。
だからだろうか、私は友達から「男っぽい」とか「男勝り」とか「男らしい」とか、よく言われる。
女の私に「男らしい」ってのは、ちょっとどうかな、とも思うけど。
「でも美味そうだな。」
「うん!お婆ちゃん呼んでくるね。」
私は一通り夕食を並べ終えると、祖母の部屋に行った。
今年で78歳になる祖母は右半身が不自由で、杖を2本使えばなんとか一人で歩けるのだが、もっぱら車椅子で移動し、座椅子に腰を下ろすのも一苦労である。
でも、食事はちゃぶ台で食べる方が落ち着くようで、テーブルに椅子という食事は嫌がるのだった。
祖母の車椅子を押していると、ドサッ!という音が居間の方から聞こえた。
急いで居間へ行くと、父が倒れていた。
「お父さん!」
「貴之…」
祖母は車椅子の上でおろおろし、私は父に駆け寄った。
呼吸はしているものの、ぐったりとして目を閉じている。
「お父さん?お父さん!?」
返事が無い。
聞こえていないようだ。
こんな時どうしたら…
私は父を仰向けにし、水で湿らせたタオルを父の額に乗せると、救急車を呼んだ。
祖母を自宅に残し、私は父に同行し救急車に乗った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「房生さん、房生貴之さんのご家族さん。」
病院の廊下で待っていた私は、看護婦の呼ぶ声に返事し、診察室へ入った。
急患を診てくれた医師は、脳外科医だった。
「脳出血です。これから精密検査を行っていきます。」
「脳、出血…?」
恐ろしげな病名に、私は心臓が凍りつきそうだった。
「はい、しかも重症の部類です。昏睡状態にあります。」
父が、昏睡状態、医療ドラマみたいな、脳の出血、え?…うそ、これ、現実?
「脳の血管が破れ、出血で脳を圧迫し、様々な神経系障害が…」
医師の説明はほとんど耳に入ってこなかった。
「…でしたよね、…は?」
「え?」
「娘さんでしたよね?お母様は?」
「あ、はい、娘の房生舞衣です。母はいません。亡くなっています。」
「そうですか、お嬢さん、お父様は検査で状態をお調べした後に最善の治療を検討しますので、今日は一旦ご帰宅下さい。」
「いえ、あの、看病します。」
「お気持ちはわかりますが、今日のところは病院に任せて下さい。学校もあるでしょう?」
「でも…」
「24時間体制でお父様を観させて頂きますので、お任せ下さい。」
「…はい。」
私はナースステーションで自宅と通学先、それから自分の携帯番号を用紙に記入すると、タクシーを呼んでもらい、帰宅した。
冷めた夕食の並ぶ居間で、祖母は祈るような表情で私を待っていた。
脳出血であることを伝え、病院は検査と治療に入り連絡を待つことになった、と話すと、祖母は一度固く目を閉じてから、ゆっくりと開き、私に言った。
「舞衣ちゃん、ありがとうね、ご苦労様。貴之に何があっても、気をしっかり持ちなさい。」
祖母の毅然とした言葉に、困惑していた私の意識は、目の前の霧がゆっくりと消えていくように、現実に戻ってくることが出来た。
「お婆ちゃん、脳出血って、治るの?」
祖母は少し考えてから、優しい表情で言った。
「貴之は、あなたのお父さんは、頑張り屋さんね。本当に良く頑張った。もし…」
優しい表情のまま、祖母の目は潤み出す。
「もし、帰ってこなかったとしても、舞衣ちゃん、貴之は役目を果たし終えたってことなのよ。」
「どういう、こと?」
私が聞いているのは、治るのかどうか…お婆ちゃん、怖い話しないで…
「舞衣ちゃん、明日も学校でしょ。食べなさい、ご飯。」
「うん…。」
私は冷めたハンバーグを一切れ口に運んだ。
スパイスが上手く効いて、冷めていても味は美味しかった。
それはそうよ。
お父さんの為に本を見ながら作ったんだから。
時間も手間も掛かってるんだから。
一切れ目を飲み込むと、それ以上は食べることが出来なかった…。
その夜、私は久し振りに母の夢を見た。
夢の中の私は6歳、小学校一年生だ。
『まだ自分の名前、ちゃんと言えないのね。』
『言えるもん!』
『言ってごらん。』
『ふちゃおまい』
『ふふ。ふ、さ、お、ま、い、よ。』
『ぅちゃーまい』
あれ…
夢の中の私は、どんどん舌が回らなくなる。
お母さんの横で、お父さんが笑っていた…。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝。
市立第七中学校。
三年三組の教室はいつもと変わりなく、ほとんどのクラスメートは受験勉強の話でざわめいている。
教室はまだ暖まっておらず、吐く息が白い。
少し赤く腫れた目をこすりながら、私は自分の席に着いた。
「おは。」
私の肩をつつき声を掛けてきたのはクラスメートの福元実嶺だ。
「あれ?目、どした、舞衣。男に振られて泣きはらした?」
「ん?ううん、ちょっと寝不足なだけ。」
「はは、勉強、似合わないし。」
「はは…。」
いつもの調子で話しかけてくれる実嶺に日常の空気を感じ、どこかホッとする。
「舞衣さん、おはよう。…え?」
小林京子だ。
いつも挨拶の後真っ直ぐ自分の席につきほとんど動かない京子が、私の横で突然立ち止まった。
「おはよう、京子。そんなにヒドイ顔してる?」
「え、ううん、ごめんなさい…。」
別に謝らなくても。
ま、京子もいつもの京子だ。
これはこれでホッとする。
私は父への心配をなるべく抑えるようにし、勉強に集中するよう努めた。
だって、やばいんだもの、受験。
進路希望では3校志望校を決めているのだが、前回の全国模試では合格率65%、55%、45%だった。
普通あるでしょ誰だって、75%とかその辺のが…皆んなこんなものなのかなぁ。
県立の方がいいんだろうな、学費とか、お父さん大変だし…
お父さん…
駄目だ。どうしても父のことが頭から離れない。
昼休み、私は担任の先生に、父が倒れて入院したことを伝えた。
「そうか…。大変だと思うが、なるべく勉強に集中するんだぞ。困った時はいつでも相談してくれな。」
ありきたりの言葉。
別に先生には何も期待はしていないが…。
教室に戻ると、京子と実嶺が口論をしていた。
小林京子と福元実嶺は、二人とも書道部に所属している。
実嶺は一度退部しているが、三年の11月から復帰したらしい。
運動部は推薦入学が決まっている生徒を除き、ほとんどの三年は引退しているが、文化部は卒業まで引退する生徒はいない。
もちろん、受験があるため、出欠は生徒が自由に決めて良いことになってはいるが。
二人の言い争いは、どうやら冬休みの市内書道コンクールのことらしかった。
「だってさ、京子、仮にもコンクールなんだから、いくらなんでも草書はよしなよ。」
「いいの。判る人だけ判れば。」
「狙わないの?」
「狙うとかじゃない。書きたいものを書くだけ。」
「だって悔しいじゃない、また四中の高岡さんとかに持ってかれるのさぁ。」
「じゃ、福元さんが狙えばいいでしょ。」
「私は行書でいくよ。審査員に読めなきゃ意味ないし。」
「私、今回は絶対に草書。」
「相変わらず頑固ねー、京子。」
「いいの。」
うらやましい、と私は思う。
京子と実嶺は、生涯変わらないライバルでいるんだろうな。
バスケ、したいな…。
女子バスケ部に所属していた私は、10月いっぱいで引退し、時々こっそり後輩の練習を見に行くことはあるけど、試合や1オン1は一ヶ月以上やっていなかった。
いやいやいや、今は第三志望校をせめて85%にしないと…。
ああ、泣きたい。
やっぱり、先生の事務的な相談顏より、友達の方が現実に引き戻してくれるな。
そんなことを考えていると、私を呼ぶ声がした。男子の声だ。
「おーい、房生。」
声の方を向くと、畑中直倫というクラスメートだ。
彼は校内試験でカンニングの常習犯だが、全国模試や高校入試ではどうなのだろう?
カンニングで受験を突破したら、ある意味尊敬しちゃうわ。
「なにー?」
「香坂が呼んでる、一組の。」
うあ、香坂?
何だろう?
彼は男子バスケ部だったのでそこそこ交流がある。
そして…実は…私は香坂が好きだったりする。
もっとも、向こうは私を嫌っているようだが。
だって、それとなくアプローチっぽいことをしてきたけど、冷たいし意地悪だし…。
私は廊下へ出た。
「あ、なに?」
香坂誠太、身長177cm、石鹸の匂い、低い姿勢の鋭いドリブルからのジャンプシュートは芸術のような美しさ、あと、声が良い…
「いや、房生、なんかあったのか?」
え…
「なんで?」
「下向いて歩いてるお前、初めて見たから、さ。」
えええ…
「え、私、下なんか向いてた?」
「うん、すげぇマイナスのオーラ全開だった、朝。」
「あ、ああ、あーっと、勉強、疲れ、か、な…」
「違うな。なんかおかしかったぞ、お前。」
「いやー、はは、気のせいよ。」
私は必死に取り繕った。
父の心配事なんか話しても、またきっと冷たく「知るかよ。」とか言われるだけだし。
「判るんだよ。ずっとお前のこと見てるから。」
えええええええええ…
なに?なにこれ?
「あのさ、今日じゃなくてもいいんだけど、1オン1、付き合ってくれよ。」
きゃー…
「い、いいよ。いつでも。」
「んじゃ、明日の昼休みにでも。」
「うん!」
「じゃな。なんか嫌なことがあったなら、話せよ。」
ちょっと待ってよ、あなた、私に意地悪いじゃない…
「あ、ね、香坂、」
「ん?」
「なに、急に。私のこと、嫌いなくせに。」
「俺がいつ房生を嫌いっつった?」
「え、だって、冷たいじゃん、いつも。」
「…」
香坂はそれっきり黙って一組へ戻ってしまった。
もしかして、もしかすると…いや、甘い期待はよそう。
どうせまた突き落とされるわ。ドスンと。
でも、明日の昼休み、香坂と1オン1、楽しみ。
勉強とか試験順位とかばっかりで、こんな明るい気持ちになったの、体育祭以来かな。
「うふ、ふふ。」
私は楽しかった体育祭を思い出し、独りにやけてしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
自宅に着いたのは午後4時半頃だった。
お風呂にお湯を張りながら、夕食の支度を始めようとした時、自宅の電話が鳴った。
「はい、房生です。」
「県立病院です。舞衣さんですか?」
「はい。」
「貴之さんの容体が良くありません。病院に来ることは出来ますか?」
「はい、わかりました、これから行きます。」
私はお風呂のお湯を止めると、祖母を連れ、タクシーで病院へ向かった。
病院に着くと、祖母と私は主治医の脳外科医に父の病状の説明を受けた。
「出血した動脈とは別の部分に、脳梗塞も起こしています。貴之さんは一度目を開けたのですが、再び昏睡状態に陥りました。脳の状態を見た限りでは、命が助かっても寝たきりになってしまう可能性が…」
主治医の説明は恐ろしいものだった。
父はもう今まで通りの生活には戻れない、と言い渡された。
「どうやっても治らないんですか?進学のお金を全部使ってもいいんです!」
私は必死に食い下がった。
「脳梗塞というのは、脳細胞が死ぬ病気です。死んだ脳細胞は二度と再生しません。貴之さんの場合、失った脳の部位が…」
なに駄目な理由ばっかり並べ立てているのよ!
それでも医者なの!?
「今の状態ですと、万が一の場合もあり得ます。今夜、病院に泊まれますか?」
「万が一って…」
主治医は深刻な表情をよりいっそう深め、
「覚悟は、しておいて頂いた方がいいです…。」
と言った。
「なんですかそれ!任せて下さいって言ってたじゃないですか!覚悟って何よ!ちゃんと治してよ!」
「舞衣ちゃん!」
祖母が、車椅子から身を乗り出して私の肩を抑えた。
「だってお婆ちゃん!言ったのよ、最善の治療をするって!ひどいじゃない!」
「舞衣ちゃん、落ち着きなさい。」
私の肩を抑える祖母の手に、一段と力が入り、私は椅子に座り直した。
祖母が主治医に話す。
「先生、お話は解りました。今夜は貴之の側にいさせて頂きます。」
私と祖母は、集中治療室でいくつもの管に繋がれた父を、交代で仮眠を取りながら見守った。
午前5時過ぎ…父は目を覚まさないまま、帰らぬ人となった。
私は頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなっていた。
葬儀の手配は、祖母の兄妹の息子、父貴之の従兄弟に当たる方が、わざわざ地方から駆けつけてくれて、執り行ってくれたようだ。
かろうじて参列はしたが、私の頭には父の最後の言葉、『美味そうだな』というセリフが延々と回っていた。
後で知ったことだが、祖母は私よりショックが大きかったようで、しばらく寝込んで起き上がれなかったとのことだった。
よく考えれば無理も無い。自分の息子が、自分より先にいってしまったのだから…。
今思うと、病名を初めて伝えた時に言っていた「貴之はよく頑張った」というのは、お婆ちゃんが自分に言い聞かせていたのかも知れない…。
私は葬儀の後も一週間学校を休んだ。
身の回りのことを考えられるようになったのは、日曜の朝のことだった。
「あ、香坂、1オン1…。」
駄目だ私。
一週間以上も香坂との約束を忘れていた。
まぁいいか。
どうせもともと嫌われているし。
『ずっとお前のこと見てるから』
どういう意味だろう?
少しは気に掛けてくれていた、のかな…
私は携帯の電話帳を開いた。
何度見ても、香坂の番号もメアドも無い。
着信履歴には、20件くらいの未読メールが溜まっていた。
バスケ部の典子や亮子をはじめ、親しい友人からのメール。
「あ。」
珍しい通話着信があった。
小林京子である。
京子はメールもしないし、彼女から電話を掛けてくることもほとんど無い。
私は反射的に折り返した。
「もしもし、京子?電話くれてたね。」
「うん。平気?」
「うん、明日から学校に行く。」
「よかった。」
「心配してくれてありがとう。」
「電話、迷惑かなって思ったけど…。」
京子、相変わらずだな。
不器用で、人付き合いが苦手で、いつも独りで塞ぎこんでて、でも書道には熱くて、頼みごとをすると一生懸命になってくれて…
なんだか、あなたの電話が一番嬉しいんだけど。
「メールとかね、いっぱい溜まってたんだけど、一番最初に京子にかけた。」
「あ、ごめんなさい。早く他の人に…」
「いいの。もう少し話させて。」
「え、うん。」
明日、普通に登校できそうだ。
ありがとう、京子。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
居間の仏壇に手を合わせ、父と母の遺影に「行ってきます。」と挨拶する。
仏壇の下辺りに、父の仕事のカバンが置きっ放しになっているのが、ふと目に止まった。
口の開いたカバンから、雑誌が覗いている。
「あれ?」
見覚えのあるファッション雑誌…て言うか、私のじゃん、これ。
黄色い小さな付箋紙が付いている。
そのページを開くと、冬用のコートを特集したページだった。
「ああ、あの時…。」
私は男物っぽいブルゾンしか持っていなかった為、「こんなのとか、いいなぁ。」と、父に見せていたページだった。
赤いロングコート。7万8千円。
「高校受かったら、お婆ちゃんに相談しよっと。」
私は制服の上にブルゾンを羽織ると、学校へ向かった。
昼休み、私は恐る恐る三年一組の教室を覗いた。
いる。
香坂。
「あのぉ、香坂く〜ん…。」
「あ?」
面倒臭そうに振り向く香坂に、チョイチョイと手招きし、廊下に呼んだ。
「えっと、ごめんね、ずっと休んじゃって。」
「別に。」
「約束、1オン1、その、出来なかったね。」
「いつでも出来るだろ。今から行くか。」
おお…
「うん!」
職員室でバスケ部顧問から体育準備室の鍵を借り、香坂と私は体育館へ向かった。
「スカートのままで俺を抜けるのか?」
「着替えるの面倒だし、このままで。」
香坂との1オン1。
体がかなり鈍っている。
ヒザが言うこと効かない。
香坂は本気を出している。少しも手を抜かない。
攻守をそれぞれ3本づつやったが…0対6。
私はかなり息が上がっていた。
香坂は両手でバスケットボールをクルクルと回しながら言った。
「まだいけるか?」
「うん、1本取るまでやる!」
「それじゃ終わらなそうだな。」
香坂からボールを受け取ると私は、レイアップと見せかけてペースダウンからフェイダウェイのクイックシュートを頭にイメージした。
ダンダンダン…キュッ…ダンダン!
あ、読まれてる…
私はドリブルを止めず、香坂に背を向けてボールをキープし、右へのフェイントを一瞬入れてから左へ切り返した。
キュッ…ダンダン…キュッ…ドスッ!
「あー!それファウル…」
ジャンプシュート体制に入った私に、ブロックが遅れた香坂は横っ飛びに手を出し、勢い余って私に体当たり…となってしまった。
私は尻もちをつき、香坂はよろよろと体制を崩し、横向きに転んだ。
「う、ごめ、平気か?」
「大丈夫だけど、今の、私、取れてた気がする!」
「悪い…。」
転がっていくボールを拾おうと起き上がりかけた私に、上半身を起こした香坂が座ったまま言った。
「男の中でも、多分、房生に勝てるヤツ、あんまりいねぇよ。やっぱセンスあるな、お前。」
「でもまだ1本も取ってないし…。」
私も座ったまま、ムクれた顔をして見せた。
「あれ、お父さん、気の毒、だったな。」
「あ、うん、知ってるんだ。」
「ああ、休んでる理由、お父さんが亡くなったって、ホームルームで聞いた。」
「そっか。」
香坂は自分の頭をクシャクシャっとかき乱し、か細い声で言った。
「その、あれ、冷たくしてた訳じゃなくて…」
「へ?」
「ごめん。意地悪く思われてんだろうなって、判ってたんだけど…」
「うん。」
「俺、あの、まぁ、房生は俺のこと嫌いだろうけど…」
「…」
「その、あれ、俺…」
「…」
「房生のこと、好きなんだ。」
顔が熱くなっていく。
心臓の鼓動が早くなっていく。
頭がカーっとなり、視界がぼやけていく。
手が、足が、震えてくる。
私はポカンと口を開けたまま、動けなくなっていた。
午後の授業は全く頭に入らなかった。
熱でもあるのではないかと思う程、頭がボーッとして、何を見ても目に入らず、何を聞いても耳に残らない。
香坂が、私を好き。
私は、香坂が好き。
「はぁ…。」
ため息ばかり出る。
放課後、机で下を向きボーッとしている私のところへ、友達が心配して集まってきていた。
クラスメートだけでなく、別のクラスからも来ていた。
「舞衣、平気?」
「顔赤いよ。風邪でもひいたんじゃないの?」
「お父さんのこと、大変だったね。」
「もう少し休んでたん方がいいんじゃない?」
「ノート、貸すよ。」
「勉強、遅れてたら付き合うから。」
「こんな舞衣、初めて見るよ、大丈夫なの?」
「無理しないでね。」
ほとんど耳に入っていなかった私は、ゆっくりと席を立つと、
「帰る。」
と言って、教室の出入り口の方へ歩き出した。
足元がおぼつかない。
典子が私の腕を掴んで言った。隣のクラスで同じ女子バスケ部だった向川典子である。
「ちゃむ、一緒に帰ろ。なんか危なっかしいよ。」
「私も途中まで、ね、舞衣。」
同じくバスケ部だった川村亮子も駆け寄ってきた。
「うん、ありがと。」
私達は三人で帰ることにした。
「もう入試まで2ヶ月ないのに、大変だったね、舞衣。」
亮子が心配そうに言った。
外の冷たい空気にさらされ、やっと『香坂熱』から冷めてきた私は、参考書消化の遅れを思い出した。
「ああ、そうだった、英語と世界史、すごい遅れてるの…。」
「遅れてるって、具体的に、どんな?」
「先生に、『最低ここまでは覚えろ』って言われた参考書があってね、もう12月半ばなのに、予定より10日分くらい遅れてるかな。」
「ちょっと見せて、その参考書。」
「うん。」
亮子はパラパラと参考書を見て、言った。
「舞衣、第1志望、どこ?」
「県立緑瀬北高校。」
「…第2志望は?」
「私立の城下桜南高校。」
「ふむ…。舞衣、数学得意よね?偏差値どう?」
「数学は68。他が…50無い…。」
「県立は必ず5教科あるから…この参考書、結構ポイント抑えられてるからやった方がいいわね。しばらく、放課後、一緒に勉強しよっか。」
「うん、ありがとう。お願いします!」
典子も参考書を覗き込みながら言った。
「私も一緒に。」
「うん、ありがと!」
「せっかくだからさ、24日のクリスマスを一区切りにして、パーティーしない?亮子も。」
典子は大勢で騒ぐことが好きな子で、遊びの予定を組むのが得意である。
「いいね、うん。」
「うん、クリスマスまで頑張ろう。」
「言っとくけど、クリスマスの翌日からは、更にハードよ。」
「解ってるって。」
私達は放課後の『勉強チーム』を即席で作り、クリスマスパーティーも行う約束をした。
翌日から、学校に午後6時まで残り、私達三人は暗記物の詰め込みを中心に勉強を進めた。
問題を出し合い、覚え方をアドバイスし合い、思いの外、勉強は捗っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あっという間に12月24日、クリスマスイブの朝がやってきた。
私はいつものように仏壇に手を合わせた。
家を出ようとすると、祖母が呼ぶ声がした。
「なーにー?もう出るよー。」
「ちょっとおいで、舞衣ちゃん。」
私は祖母の部屋へ行ってみた。
すると、祖母は長細い包みを私に差し出した。
「これね、昨日の昼間届いたの。送り状にね、12月24日開封お願いします、ってメモがあったのよ。」
「ふぅん。」
「舞衣ちゃん、あなたによ。」
1mくらいの長細い包みだ。
何だろうと思い開けてみると…赤いロングコートであった。
クリスマスカードが付いている。
『メリークリスマス 暖かい冬を舞衣へ。受験の時にでも着て下さい。父 貴之』
「お父さん…」
目頭が熱くなり、涙が溢れてきた。
父が亡くなった日も、葬儀の時も、舞衣は涙が出なかった。
「ありがとう、お父さん…。」
一緒にファッション雑誌を見ていた時、父は「学生には派手だな。」と言っていた。
まさか、買ってくれていたなんて。
私は幸せだ、父に愛されている、今でも…そう強く感じた。
給食が終わり、昼休みになると、私は京子、実嶺と一緒に三年二組の教室へ行った。
今日のクリスマスパーティーの打ち合せである。
打ち合せと言っても、会場は典子の家に決まっており、時間や途中で買ってくる物を確認するだけであった。
典子の机に集まり話し合っていると、同じ二組の富沢という男子が話に加わってきた。
京子や実嶺と同じ書道部に所属する、関西弁の男の子である。
「楽しそうやな。俺も行ってええか?」
典子が反論する。
「女子会だもん。」
富沢は気後れせず平然と言葉を返した。
「そしたら、女装して行くわ。」
実嶺が大笑いする。
「あっははは!それいい!トミーの女装!」
「そいでな、せっかくやし、部長の長瀬も呼ばんか?書道部でパーティーすることなんて永遠にないしな。」
「これ、書道部のパーティーじゃ無いんだけどなー…ま、いっか。」
典子が口を尖らせたが、特に反対する者もなく、富沢と長瀬、二名の男子も参加することとなった。
「ちょっと一組行って、長瀬に声掛けてくる。」
富沢が立ち上がりかけた時、私は思い切って言った。
「あのさ、男子来るなら、バスケ部も呼ばない?一組に行くなら、香坂とか…。」
「あんまり大人数になっても、ねぇ…。」
亮子が不満そうな声を漏らしたが、典子が何かを察したように言った。
「いいね、この機会に、あのカッコつけの香坂をイジメようよ。ね、ちゃむ!」
私は典子の目配せを見てギクリとした。
バレてるわこりゃ…典子に隠し事は出来ないなぁ、小学校からの付き合いだしな。
「そ、そうね。」
「香坂も呼ぶんやな?」
富沢が一組に二人を呼びに行った。
しばらくして、長瀬と香坂を連れて、富沢が戻ってきた。
長瀬は書道部の部長をしており、これで4名の書道部三年全員が揃ったことになる。
長瀬が頭をかきながら言った。
「やあ、お誘いありがとう。書道部がこういう集まりをすることないし、女子バスケ部スタメンの皆さんとパーティーなんて、緊張するなぁ。」
香坂はポケットに手を突っ込み、横を向きながらボソッと言う。
「うちのキャプテンは呼ばねーの?」
私は焦って答えた。
「あ、そうだよね、細川君も呼んでくるね。」
男子バスケ部キャプテンの細川を呼びに行こうとした私に、香坂が言った。
「声かけてないなら、別にいいんじゃね?あいつ、多分、塾あるだろうし。」
「そうなの?そっか、どうしよ…か?」
私は救いを求めて典子を見た。
典子は携帯電話を取り出し、電話を掛けた。
「…あ、もしもし、細川君?今日の夜、暇?…そっか、うん、うん、じゃねー。」
典子は電話を切り、
「忙しいって。」
と言い、私にニッと笑って見せた。
典子は「パーティーをやる」とか「香坂も参加」とか一言も情報を伝えていない。
「暇?」と聞いただけだった。受験生が12月、暇なわけがない。断らせること前提の振りだ。
こういうところ、典子は狡猾だな、と私は思う。
参加者は、房生舞衣、川村亮子、向川典子、小林京子、福元実嶺、長瀬和大、富沢健之、香坂誠太、8人と決まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私は一度帰宅し、今朝受け取った父からの贈り物、赤いロングコートを着てみた。
全身が映る姿見の鏡は無いので、父の洋服タンスを開き上半身が映る鏡を見る。
「う…似合わない…。」
文字通り、子供が大人服を背伸びして着ているようにしか見えない。
ショートカットの髪はいつも左裾がハネており、手で何回か抑えつけてみたが、直らない。
私は悩んだ。
着ていくべきか、やめるべきか…。
困った時のお婆ちゃん頼み。
「どうかなぁ…。」
「まぁ素敵。すごく似合ってるわよ、舞衣ちゃん。」
「本当?」
「舞衣ちゃんは背も高いし、腰紐も襟の形も素敵なコートねぇ。」
「腰紐…ベルトね。私もこれかっこいいなって思って。」
「舞衣ちゃんは貴之に似ていると思っていたけど、こうして見ると、晴美さんにも似ているのね。」
「お母さんに?」
私は母に似ていると言われ、急に嬉しくなった。
「女の子になったのねぇ、舞衣ちゃん。」
…もともと女の子ですけど。
「ありがと、お婆ちゃん、友達の家に行ってくるね。」
「いってらっしゃい。」
私は赤いロングコートを着ていくことにした。
役割分担になっていた炭酸飲料を途中で買い、典子の家へ向かう。
ガラス張りの建物を通る度に、自分の全身を映して見る。大人になったようで気分が良かった。ハネた髪を除けば…。
ロングコートって全身が温かいんだな。
典子の家にはもう皆集まっていた。
女子は各々私服に着替えてきていたが、男子は制服のままであった。
「あれ、ちゃむ、そんなコート持ってたんだ?」
「うん、買ってもらって、今日初めて着たの。」
「ほぉ、房生が女子に見えるな。」
「もともと女子だってば!」
「似合わん。」
「えー…うう。」
男子の反応、それは全て建前であった。
長瀬も富沢も香坂も、房生舞衣の魅力的な瞳や笑顔、女の子らしい気配りの良さに、多くの男子生徒から好意を持たれていることを知っている。
三人とも、赤いロングコートの舞衣に刹那、見惚れた。
向川宅のリビングは12畳くらいの広さで、中学生8人が入ると狭く感じる。
だが、皆が近い距離に座らざるを得ないことが、良くも悪くも会話を弾ませた。
「その『草書』って何?」
「んと、手紙とか、走り書きみたいに、崩した字。」
「市内コンクールでしょ?崩し書きとか、ありなの?」
「それはだね、一応模範となる草書体というのがあって、文字の輪郭にもルールのようなものが…」
「難しいことわかりませーん。」
「決まった省略の仕方がある。適当ではあかん。」
「難しそうね。」
「何回書いても納得いかない。」
「チャレンジャーだな、小林さん。」
「京子は超努力家だからね。」
福元実嶺が京子を褒めた。
京子が下を向いてボソッと言う。
「書道部はみんな努力家。福元さんの『行書』すごい。」
「富沢の楷書も神。」
富沢が自分で言った。笑いが起こる。
「努力家って言えばさ、典子の低いドリブル、抜く時とか床すれすれ、あれ真似できない。」
「ああ、向川はすげぇドライブかますよな。」
「ふふ。まあねー。」
「亮子は背中にも目がついてるよね。ここって時に最高のパスが来る。」
「やだ、背中に目なんかないわよ。」
「すごいのは香坂のシュートフォームだね。もう録画して教材にしなさいってくらい。」
「そうでもねーけど。」
京子がキョロキョロと視線を動かし、おどおどと割って入ってきた。
「あの、夏休みの大会、女子の、ずっと見てて、舞衣さんがすごいと思った。」
香坂が付け加える。
「房生は化け物だな。女のくせにどんだけ武器持ってんだ。」
それを聞いた典子が、眉間にしわを寄せて言った。
「女のくせにって、化け物とか、もっと言い方あるでしょ。」
私はフォローした。
「化け物って褒め言葉じゃん、ね、嬉しいわ。」
典子が言葉を強める。
「そういう問題じゃないの。女のくせにとか、言われた方がどう思うの?少しは相手の気持ち考えて言いなよ、香坂。」
「いいって、典子、私は…」
「ちゃむはね、こういう性格だから平気に見えるだろうけど、あなたはずっと誤解されてるよ、伝わってないよ、香坂!」
「…じゃ、どう言えばいいんだよ。」
「変な風に例えるのやめて、そのまま言えばいいのよ、思ったこと。判断力がすごいとか、チームで一番の運動量とか、手首の操作が正確とか、なによ化け物って。
ちゃむはあなたのプレーを見てすごい練習してきたのよ?知ってる?知らないでしょ?
女は男子と筋肉のつき方全然違うのに、香坂のきれいなフォームを身に付けたいって、筋トレだって研究してたんだから。ちゃむのこと、もっと真剣に見てみなよ!」
空気が重くなり、一瞬静まり返った後、香坂が口を開いた。
「…知ってるよ。」
そして、小さく息を吐くと、頬を赤くしながら続けた。
「房生の、努力とか、すげぇプレーとか、俺、言い始めたら止まらないくらい知ってる。言い方、悪かったよ。」
亮子がジュースを一口飲み、コップを置くと、穏やかに言った。
「香坂君は、ほんと、不器用だよね、小学生の頃から。女はね、言われた言葉、そのまま受け取っちゃうのよね。」
香坂が立ち上がり、
「俺、そろそろ帰るわ。」
と言い、出て行った。
典子は私の方を見て『ごめん、やっちゃた…』という表情をした。
私は苦笑しつつ、『いいよいいよ』と目配を返した。
香坂が出て行ってからすぐに、典子の携帯にメールが入った。
『お前、いいやつだな。ありがとう。香坂』
だーかーらー、ちゃむにメールしなさいよ!と典子は内心思った。
典子は、舞衣と香坂がお互いにメアド交換していないことを知らない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二学期最後の日。
私は持ち帰る荷物の多さに自分の無計画さを悔いながら、昇降口で外履きの靴に履き替え、上履きをどこに詰め込むか悩んでいると、声を掛けられた。
香坂だ。
「房生、冬休み、ずっと補習か?」
「あ、うん、ずっとじゃないけど。」
「大晦日、夜、初詣、行かないか?」
「んーと、特に約束ないし、いいよ。」
平静を装いながら答えたが、私の心臓はすでにバクバク…。
「んじゃ、近くの神社に。鳥居のところで。」
「あ、時間とか、その、ほら…」
私は思い切って言った。
「遅れたり、何かあったらあれだし、電話、携帯、番号…」
「夜11時半で。待ってるから。」
香坂は行ってしまった。
どうして番号やメアド交換してくれないんだろう…
あれ?
「そもそも、他は誰が来るんだろ?まさか…」
二人っきりじゃないよね!?
肩からバッグが滑り落ち、左手から紙袋が一つ落ちた。
頭がボーッとしてきた。視界がぼやけていく。
『香坂熱』発熱…。
大晦日。
私は待ち合わせの鳥居に夜11時に着いた。
除夜の鐘がつき始められている。確か、108回だっけ。
まだ誰も来ていない。
ブルゾンは下が寒いな、などと考えながら待っていると、香坂が現れた。
心拍数上昇…。
「よお。」
「ども。あとは誰が来るの?」
「俺だけだけど。」
ひええ…
「房生、あのコートは?この前の。」
「あ、だって、香坂、似合わん、て言ってたから。」
「冗談なのになぁ…。」
冗談て、もお、わかんないわよ…
私は、心臓静まれ!と思いながら、何か話題を探した。
「あ、そだ、香坂はどこ受けるの?高校。」
「どこでもいいだろ。」
むー、冷たいな。
おかげで心臓が落ち着いてきたわよ…
「行こうぜ、神社。」
そう言うと香坂は、私の手首を掴み、鳥居から続く石段を登り始めた。
手を引っ張られる私の心拍数は、再び急上昇する。
石段を登る間、香坂は無言だった。
私も言葉が見つからず、ただ手を引かれて黙って登っていた。
大晦日の冷たい空気と、電灯のまばらな暗い石段。
この世界で、私は今、香坂とたった二人繋がっている…そんな錯覚に陥る。
でも、
手は繋がっていても、
香坂の考えていることがよく見えない。
たった一つの灯火のように、
『房生のこと、好きなんだ。』
という香坂の言葉が、ゆらゆらと揺れていた。
「私も。」
思わず声に出てしまった私の言葉に、香坂は一瞬振り返ったが、よく聞こえなかったようで、そのまま石段を登り続けた。
聞こえていたとしても、何が『ワタシモ』なのか、意味が判らなかっただろう。
石段を登りきると、社の前には人だかりが出来ていた。
午後11時40分を回っている。
香坂と私は自販機で缶コーヒーを買い、藤棚の下のベンチに座った。
「なぁ、房生。」
「ん?」
「向川とか、なんで『ちゃむ』って呼んでるんだ?」
「ああ、はは。あのね、私、小学校に上がりたての頃、『ふさおまい』って名前、言えなくて、私の発音が『ちゃーまい』って聞こえるらしくて、最初ちゃーまいって呼ばれてて、それが短くなって『ちゃむ』。」
「へぇ。『ひさこ』とかが『ちゃこ』ってあだ名になるのと同じようなもんか。」
「そうだね。小さい頃は『房生』っていう名字が嫌だったな。言いにくいし、下の名前だと思う人もいたし。」
「ふぅん。」
「房生ってね、もう私の家系しか無いらしいの。もしかしたら、日本で唯一の名字。」
「珍しいもんな。」
「私、女だから、もう無くなっちゃうね、房生の姓。」
「結婚しても妻の姓を名乗る夫婦、いるじゃん。」
結婚…!
「香坂は、私と結婚したら、『房生』になってくれる?」
「やめろよ、おい…。」
香坂の横顔をチラッと盗み見ると、真っ赤であった。
男の子って、こういう話、苦手なのかな?
私は、ほんの少し、香坂がかわいいと思った。
「こんな風に話してくれるの、初めてだね。」
「そうか、な。」
「あのさ、私のこと好きって言ってくれたよね…からかってるの?」
「違う。」
香坂は自分の頭をクシャクシャっと触った。
「一年の時、初めて男子と女子とで練習試合した時、可愛い子だなって、一目惚れ。」
一目惚れ…
私はリアクションに困り、言葉が出ない。
「…一目惚れ、だったんだ、最初は。二年の時、覚えてないだろうけど、他校との練習試合で、俺が脱水症状で倒れた時…」
「あ、覚えてるよ。」
「うん、房生、缶のスポーツドリンク、どっかから買ってきてくれて、10本くらい。」
「そうそう、私、ジャージのお腹のとこ丸めて抱えてたんだけど持ちきれてなくて…」
「香坂君買ってきたよ!って聞こえたから見たら…」
「全部落としちゃったんだよね、床に…。」
「ははは。あっちこっちにコロコロ転がっていくのが見えた。」
「ううう〜。」
「あとさ、汗で絞れるくらいになってたタオル、時々替えてくれたよな。」
「ああ、そんなこと…。」
「あんなことされたらさ、やられるよ、男は。」
「…それで、好きになってくれたの?」
「もっとあるよ。」
香坂は、私がお節介と思いつつもやってきた『香坂へのアプローチ』を全て覚えていた。
通じていたなら、もっと早く…
「あとな、一年の冬、これも男女練習試合の時。」
「うん。」
「房生のジャンプシュートを俺がブロックにいった時、あれ、ビビったよ。」
「え?どれ?」
「お前、一瞬消えたんだ。」
「へ?」
「ただのフェイントだったけど、房生の目や動きは完全に打つ動きだったのに、飛んだ俺の視界から消えた。」
「ああ、香坂、背高いからまともに打ったらダメだと思ったんだ。」
「て言うかさ、あのプレイ、腰や膝の瞬発力、フェイントを読ませない挙動、すげぇインパクトで、今でも目を閉じるとはっきり見えるんだ。」
「そんな大したものじゃ…」
「俺のジャンプシュート、フォームとかよく褒められるけど、あの房生のプレイ見てから改良したんだ。」
「ええ?そうなの?」
「俺の中学時代のバスケは、ずっと房生の影とともにあった。」
えええー、マジですか?
「だからさ、そんなこんな全部ひっくるめて、房生を好きになったんだ。」
ひああああ…
「あの、さ、私…」
私も香坂が好きだ、と言おうとした時、香坂の携帯のアラームが鳴った。
「あ、午前0時だ。いくか、参拝。」
「あ、うん。」
私達は参拝者の列に並び、初詣をした。
『お父さんが天国でお母さんと逢えますように』
『お婆ちゃんが今年も元気で過ごせますように』
『入試合格』
『七中女子バスケ部が今年は県大会に行けますように』
『香坂と上手くいきますように』
よくばりだったかなぁ…お賽銭500円でお願い5個。
香坂は何をお祈りしているんだろう?
参拝を済ませると、私は『強引にいくぞ』と心に決め、香坂に言った。
「あのね!メアドと電話番号教えてくださいっ!」
香坂は下を向き、
「ありがとうな。いろいろ、嫌な思いさせてごめん。入試がんばれよ。じゃあな。」
と言って歩き出した。
「ちょっと待って、私のメアドは無理に登録しなくていいの。香坂の教えて!うるさくメールとか絶対しないから!」
私は香坂を追いかけた。
香坂は立ち止まって振り向き、言った。
「俺、親父の会社が潰れて、実家のある北海道へ引っ越すんだ。」
え…
「もう会えないし、付き合うことも出来ないし、気持ちだけ伝えたかっただけだから。」
そんな…
「だったら、ほら、電話番号知らないと、もう香坂の…」
そんな…
「香坂の大好きな声が聞けないじゃない…」
「房生、モテるだろうし、忘れてくれよ、俺のことなんか。」
…
「え、さ、さっきから、勝手なことばっかり、だって、私、好きって言われた私は、なんでそんな、ずるいよ、私、どうすればいいのよ!」
私の言葉は、半ば悲鳴になりかけていた。
どうしてみんないなくなるの?
北海道?そんなの飛行機ですぐでしょ?
メールだって届くでしょ?
どうして、どうして…
「忘れられるわけないでしょ!」
私は泣き出していた。
いなくなるなら、好きだなんて言わないでよ!
ひどい…
「ごめん。ありがとな。」
香坂が石段を降りていくのが見える。
それは涙で歪み、二度と会えない異世界へ消えていくような後ろ姿に見えた。
私は立ち尽くし、神社で独り、泣き続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1月10日。
三学期始業式が済み、ホームルームで、三年一組の香坂誠太の転校について連絡があった。
北海道の中学校への転入は1月12日、引っ越していったのは1月7日とのことだった。
北海道の高校を受験する都合もあり、気候的には大雪に見舞われる良くない時期ではあったが、ご実家の酪農を手伝う都合もあってのことだそうだ。
ホームルームが終わると、補習や自主学習で残る生徒を残し、下校となる。
私は、最悪の元旦から立ち直るために、勉強で気を紛らわそうとひたすら暗記物と向かい合っていた。
教室に残り、自分の机で英単語と意味を呪文のように唱えていると、小林京子に声を掛けられた。
「舞衣さん。」
「なに?」
「元気ないみたい。」
自分は自閉モード全開なくせに、よくお気付きですこと…
「平気よ。どうしたの?」
「んと、福元さんが、冬休みのコンクールで銀賞とったの。」
「おお、それってスゴイんじゃなかった?」
「うん。また四中の高岡さんに金賞とられたって悔しがってたけど、審査、高岡さんひいきされてるから。本当は福元さんが一等賞かも。」
「すごいね!後で実嶺に『おめでとう体当り』しとく。」
「おめでとう体当り?」
「うん。おめでとーって言いながら、背中からアタックするの。」
「うあ、乱暴はやめて…。」
「ふふ。京子はどうだった?ソウショだったっけ?」
「うん。だめ。入選もしなかった。」
「あらら。」
「私はいいの。どうせ審査の人、草書なんか解らないし。」
「なんか、あんたもスゴイよね、審査員も突き抜けたレベルって言うか。」
「そうじゃないけど…。」
「でも、私もね、書道ってどういうものなのか、京子のおかげで少し解った気がする。」
「どんな?」
「書く人の魂。魂が共鳴した人がわかる感動。なんてね。」
「ふふ。」
「ふふふ。」
「あ、それとね、舞衣さん。」
京子はなにやら紙をごそごそと広げた。
前回の模試の判定のようだ。
「なになに?」
覗き込むと、驚いたことに、志望校が全て私と同じだった。
「うお、三校とも私も受けるよ。」
「合格率、見て。」
第一志望の県立緑瀬北高校…50%
第二志望の私立城下桜南高校…60%
「ね、50%超えたの。受かる確率が高いってことだよね。」
ニコニコしながら見せる京子に私は言い放った。
「京子!いかーん!あなたも私たちの勉強チームに入りなさい!入試本番まであと1ヶ月だよ!」
「え、これじゃまだだめ?」
「ダメったらダメぇ!!」
ちょっと切ない冬休み
【完】
舞衣ちゃん、悲しいことが立て続けに起こったこの冬も、いつか『ちょっと切ない思い出』に変わる日が来ますよ。
京子ちゃん、入試、油断し過ぎです。ああ、心配で夜も眠れません…。