小説読み師ミカミカ
私は“小説読み師”という仕事をしている。ミカミカという名前を使って。
お金をもらい、お客さんが書いた小説の原稿を読んであげるのだ。
「おかしな話だ」と思うかもしれない。
普通、小説といえば、読む側がお金を払うものだ。それを、私はお金をもらって読んであげているのだから。これでは、全くの逆。天地がひっくり返ってしまっている。完全なアベコベ。
でも、世界っていうのはそうものなのよ。ある日、突然、世界の常識はひっくり返ってしまう。そうして、その状態は長い間、変わらない。次の変革期を待つしかない。
ま、そこまでおおげさなものではないかも。
それでも、それなりの金額を支払って「どうか、オレの読んだ小説を読んでください!」「私の小説を読んで、感想をちょうだい!」なんていう人は意外と多いものだ。
おかげで私の生活は成り立っているというわけなのだけど。
この仕事を始めて、もう3年。
元々は、エッチなサービスとセットでやっていたのだけど、そっちの方はもうやめてしまった。私の方も能力が上がって、読んでいくらかの指摘をするだけでお金がかせげるようになったのだ。
ミカミカは、その頃使っていたニックネーム。お客さんからの評判もいいので、今でも使い続けているの。
おっと。
また、仕事に依頼ね。さっそく、飛んで行かなきゃ!
*
今回の依頼人は、結構なご高齢の方だった。
髪の毛もおヒゲも真っ白のおじいちゃん。それまでは、商社マンとしてバリバリと働いていたのだけど、引退して、ようやく若い頃の夢だった小説家を目指せるようになったらしい。
「この年から小説家を目指すだなんて、おかしな話。そんなの無理だろう!」ですって?
いえいえ、そんなコトはありません。
誰にだって小説を書く権利はあるし、小説家になれる可能性もあるのです。要は、やる気と能力の問題。能力は別としても、やる気の方は大変にあるのです。このおじいちゃんは。
それに、能力の方は書いている内に、ある程度までついてくるしね。そこから先は、人によるけど。
え?「能力が伸び続ける人と、途中で止まってしまう人の違いを教えてくれ」って?
わかったわ。じゃあ、ちょっとこのおじいちゃんの原稿を見ながら説明していきましょう。
原稿用紙100枚ほどの小説を読み終えて、私はこう話し始める。
「え~っと…そうですね。全体的には、シッカリ書けていると思いますよ。基本的な文章力は身につけていらっしゃるし。誤字脱字も、ほとんどないし」
「おもしろさは?おもしろさは、どうかね?」
「え?おもしろさですか?」
「そう。ワシの書いた小説は、おもしろいかね?」
「ウ、ウ~ン…そうですね。正直、そんなには…」
「つまらないかね?」
「おもしろいか、つまらないかといわれれば、まあ…そうなりますね」
「やっぱり…」
おじいちゃんは、私の言葉を聞いてガックリとうなだれてしまった。
「でも、そんなにショックを受けないでください。小説なんてものは、人それぞれなんです。自分で書いていて『おもしろいな~』って思える小説のタイプも様々だし、読んでいて『おもしろい!』と思える小説もいろいろあるものなんです。だから、これは、あくまで私の感想です」
私は、そうフォローする。けど、ちょっと苦しいか。どう読んでも、この人の書いた小説はつまらない。それは純然たる事実。その事実はくつがえらない。
「でも、つまんかったんだろう?」
「え?ま、まあ…」
「ほれみろ」
ハァ…と大きなため息をつくおじいちゃん。
小説には、いろいろなタイプがある。小説を書いている人にも様々いる。
それは、ジャンルの問題だけじゃない。ファンタジーだとか、ミステリーだとか、ホラーだとか、SFだとか。そういう違いだけじゃない。むしろ、それは小さな問題。自分が書きたいならば、自分が書きたい小説を書けばいい。無理をして、書きたくもないジャンルに合わせる必要はない。
じゃあ、どこが問題かって?
それは、こういうコト。
このおじいちゃんは、典型的な理論派タイプ。
「小説をうまく書こう!文章を統一しよう!間違いをなくそう!」
そこにばかり気がいってしまっている。それはちゃんとできている。でも、その代わりに失ってしまっているモノがある。それも、とてもとても大きなモノを。
ここが小説の難しいところ。
どんなに完璧に書かれた小説も、それだけでおもしろいとは限らない。むしろ、それとは全く逆のことも多い。1分のすきもない緻密な文章。それが、逆に読者を息苦しくさせてしまう。そういうのは、よくあることなのだ。
小説というのは、本来、もっと適当なものなのだ。いい加減でいい。
技術は未熟、文章は適当。でも、熱い思いが込められている!そういう小説こそが、人の心を打つのだから。
私は、そのコトをおじいちゃんに伝えた。
「もっと自由に書いてみてはいかがですか?」
「え?」
「自由に書くんです。まるで子供の頃に描いたラクガキみたいに」
「子供…ラクガキ…」
ここで私は1歩切り込んでみる。少々プライベートに入り込むことになってしまうけれども、仕方がない。ここは勝負を書ける場所。そう感じて、剣を構え、足を1歩踏み出し、突進する。もちろん、頭の中のイメージの話だ。
「失礼ですけど、お孫さんいらっしゃいます?」
「あ、ああ。おるよ。男の子が1人と、女の子が2人。それが、何か?」
「その子たちが書いた小説を読んであげてください。もしも、文字が書けないならば、絵でも構いません。絵が描けないならば、歌でも構いません。何か、こう…自作の作品に触れてみてください。きっと、そこに何かしら感じるモノがあるはずです」
「孫の書いた小説?」
「そうです。なんだったら、お孫さんでなくてもいい。近所の子供たちでも誰でもいい。とにかく、何も知らない子供たちの作品に触れてください。きっと、それは今のあなたでは到底到達できないレベルの作品でしょう。おそらく、このままだとあなたは一生それを超えることができない」
「まさか…」
「いえ、本当です。子供は誰しも天才なのです。ただ、大人になるにつれて、その才能を削られていく。世間の常識だとか、しがらみだとか、様々な要因に従って、せっかく神から与えられた才能を失っていく」
「フム…」
「今のあなたに必要なのは、それですよ。元々持っていた才能。ただ、ひたすらに“何かを生み出したい!”と思っていた純粋な気持ち。必要なのは、それなんです」
「なるほど。1つやってみるかな…」
「言葉でいうほど簡単じゃありませんよ。頭で考えていても、決して取り戻せはしない。何もかもを捨てて、常識という名の服や下着を全部脱ぎ去って、初めて取り戻せるものなのですから」
「ありがとう!なんだか、勇気が湧いてきたよ!次の作品を書こうという情熱も湧き上がってきた!本当にありがとう!」
どうやら、おじいちゃんは私の言葉を受け入れてくれたようだった。この後どうなるかはわからないけれど。少なくとも、今は。
こういう人は伸びる可能性が高い。素直に相手の言葉を受け入れられる人。逆に、かたくなに自分のやり方を押し通し、何も変えようとしない。何も変革しようとはしない。そういう人は、頭打ち。そこで成長は止まり、残りの人生は似たような作品しか生み出せなくなってしまう。
もちろん、それは時と場合にもよる。素直に受け入れてはならない言葉もあるし、絶対に自分の意志を貫き通さなければならない時だってある。
どの言葉を受け入れ、どのやり方を押し通すのか?
それが自分でちゃんと判断できる人が、成長していき、いい小説が書けるようになってゆく。
*
こうして、また1つの仕事が終わった。
今回は、細かい技術指導はなし。それよりも、もっと大切なモノがあったのだから。それなくしては、小説は書けない。人の心を打つ素晴らしい小説は書けない。それを伝えることができただろうか?
私はミカミカ。小説読み師ミカミカ。
この世界に「自分の書いた小説を読んで欲しい!」と思う人がいる限り、私の戦いは続く。




