フィレーラ
フィレーラは闇のなかに風が流れてくるのを感じた。風のなかには複数の人の気配が含まれている。混ざり合った気配は、集団がフィレーラを訪ねていることを伝えていた。気配にはどことなく懐かしい感じが含まれている。フィレーラには覚えのある気配だった。思わず笑みがこぼれる。彼らは無事だったのだ。安堵の思いで、フィレーラの心は満たされた。
フィレーラは気配を感じるほうに顔を向けた。フィレーラは目が見えない。だからそちらを見ても闇しかなかった。けど、確かにそこに彼らがいると分かる。
「久しぶりね、リィラ、ディルア、それにヒュレイリュ。私は貴方たちと再会できて、とても嬉しいわ」
名乗ってもいないうちからフィレーラが自分の来訪を察したことを、いつもながらリィラは驚きに感じていた。フィレーラは全盲のはずなのに、時として周りが見えているのではないかと疑ってしまうくらい、常に周囲の状況を正確に理解している。それでリィラはいつも、彼女を盲人として扱ってはならないと感じていた。フィレーラのことは常人と同じとみなし、その地位にふさわしく如何なる時でも最上級の礼節をもって接しなければならないと思っている。それで意識もしないままに自然に膝をつき、深く頭を下げていた。ここは宮廷ではないが、そうしなければリィラは落ち着かない。
「有り難いお言葉を頂けまして、私も嬉しゅうございます、フィレーラさま。私はフィレーラさまの御身をずっと案じておりました。再びフィレーラさまの御尊顔を拝謁でき、お言葉を賜れる日が訪れ、私は幸福の極み、望外の喜びを感じております」
リィラが正式な拝礼の作法に則って、フィレーラの言葉に対する謝辞を述べていると、頭上から彼女が微笑む気配が伝わってきた。
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。ここは祭祀の場ではありませんからね。顔をお上げなさい。貴女は王女であられるのですし、ここは異国の地です。私に対しての礼儀など、軽く会釈するだけで充分なはずですよ」
リィラはフィレーラの求めに応じて顔を上げ、立ち上がったが、言葉に同意することはできかねた。首を振る。
「王女であったとしても、天仕には最上級の敬意をもって接する、それが我が国の慣例でございます。その天仕であられるフィレーラさまに対して、そのように無礼に振る舞うことなどできません。それに、私はもう王女ではございません。心情としても現実の立場としても、王籍に名を連ねるような身分には属しておりませんから、どうぞ、フィレーラさまは私の出自などお気になさらず、私のことは平民同様の存在として扱ってください。そうしてくだされば、私にとっても幸いでございます」
フィレーラはこの国の隣国、天主神国において、天仕という至高の地位に就いている存在だ。天仕とは文字通り天の神々に仕えて神々からの託宣を聴き、それを下々に伝えて祭祀を司ることを務めとしている。天仕の地位は国主と同位で、天主神国の国主は天仕の言葉なしに政治を采配することができない。リィラはかつて天主神国の王女であったが、フィレーラのほうがそもそもリィラよりも地位が高いのだから、リィラがフィレーラに礼節を尽くすのは当然のことだ。王族には膝をつかねばならない義務こそなかったものの、リィラはもう王族ではない。フィレーラがリィラに気を遣わねばならない理由はない。
ヒュレイリュがリィラの言葉に眉を顰めた。
「平民は言い過ぎだろう。お前は今も昔も立派な我が天主神国国防軍の副将軍だ。平民ではない。軍人の地位を不当に貶めるな」
リィラはヒュレイリュを振り返った。彼に苦笑してみせる。
「今の私はその軍人ですらないわよ。国を追われて逃げてきた単なる難民。なかなか仕事が見つからないから止むを得ず咎消し人に志願した、ただの女。それ以上でもそれ以下でもないわ」
リィラ。ヒュレイリュが咎めるような声を発した。
「―お前、そういう言い方を・・」
その通りね、とふいにフィレーラの声が聞こえてきた。ヒュレイリュは言いかけた言葉を呑み込む。リィラもフィレーラに向き直った。
「リィラの言う通りね。いちど国を出て異国に逃げるという決断をした以上は、元の地位がどれほどに高かったとしても、単なる難民にすぎない。リィラは確かに、もう王女ではないわ。それは同時に、私がすでに天仕でもないということね。リィラは王女だなんて言ってごめんなさい。今は私たちもただの人同士、もっと気楽に話しましょう」
それは違う、と反論しそうになってリィラは危うく言葉を呑み込んだ。平民同様の存在になったのは、あくまでも自分たちであってフィレーラさまが我が国の天仕であることに変わりはないのだと、リィラはフィレーラにそう訴えたかったのだが、これもフィレーラの気遣いだと、リィラは気づいたからだ。フィレーラはリィラが自分を難民と主張したから、リィラの言葉を尊重するためにわざと軽い口調で自分の立場をも貶めてみせたにすぎない。
「貴方たちは、この国で無事に暮らせているの?難民としての暮らしは、いろいろと大変でしょう?」
大変です。ヒュレイリュが正直に答えた。
「単に暮らしていくだけでも様々に難儀がございます。しかしそれについては特に問題はございません。ですが今回、暮らしではなく別のことで、非常に重大な問題が出来いたしました」
ヒュレイリュはフィレーラに、ディルアに身に起きたことを語った。簡潔に、しかし具体的に。
フィレーラの表情は話が進むにつれて険しさを帯びていった。
「・・それは、給仕の女性が、嘘の証言をしたということでしょうか?」
わかりません、ヒュレイリュは首を振った。
「ですが、ディルアは給仕の姿を見ていないそうですから、給仕が事実を語ったわけではないことだけは確かでしょう。給仕は犯人を知っていたのかもしれません。そしてその犯人を庇う目的で偽りの証言をしたと考えられます。さもなければ、給仕はそもそも何の証言もしておらず、何者かがディルアを犯人に仕立て上げるために証言そのものを捏造したのかもしれません。そしてその捏造した証言のほうを事実として公表し、給仕にもそれを事実として受け入れるよう強要した。役所が組織ぐるみで動けば、それぐらいのことはできますから、私としては、そのことも考慮しておかねばなりません」
「この国の役所が、実際にはいもしない目撃者を作り上げ、ディルアの罪が確固としたものになるように仕組んだ恐れもあると、ヒュレイリュは言いたいのですか?」
「そうです。その可能性は低いと、私としては思っていたいところですが、充分に考えられることでしょう。もしもあの逆賊どもが、ディルアがこの国に逃げ延びていることに気づいたとしたら、ありえることですからね。連中があの街の領主か、そうでなくても役所で上層にいる高官に働きかけてディルアを排除しようとしたのかもしれません。連中は自分たちの身の安全を守るためにも、王族だけは何としてでも一掃しておこうとするでしょうから。そしてそういうことがあったのなら、地方領主程度の者では、おそらく連中の要求を呑んだはずです。自分の領地内に他国の王族が潜伏していれば、それも逆賊に追われていることが明白である我が天主神国の王族を、正式な亡命ではなく難民として密入国させる形で潜伏させていたのであれば、そのことが公になると誰に何を疑われるか分かりませんからね。領地の管理が不適切と、国王に咎められるだけならまだしも、最悪の場合はそのために自分たちが他国に対して開戦する意思をもっていると、国にみなされてしまう危険も想定されます。本人たちにその気がなかったとしても、領地内に他国の王族が潜伏しているという事実だけを見れば、そう考える誰かがいても特に不思議なことはありませんからね。国を追われた王族を密かに保護して開戦の準備を整え、彼らの祖国と戦って逆賊を追放し、王族の復位を助けた後、その大恩でもって新王の下、その国の要職となり、ゆくゆくは新王を傀儡にして自分が実権を握ることを目論んでいる。私がこの国の重臣だったとしても、そう考えるかもしれません。そうなればいずれ必ず国にとって脅威となるのだから、ならば先んじて謀反か何か、適当な罪を被せて処刑しておいたほうがいいだろうとね。そこまで考えられるのですから、役所が酒場の店主が殺されたのを好機として、連中の言いなりにディルアを処分しようとしたとしてもおかしくはないでしょう。何もかもが発覚する前に当の王族を抹殺してしまえば、全てなかったことになるのですから」
それを計画してきた本人がまるで他人事のように語っているというのはどうなのだろうと、リィラはフィレーラに事情を説明しているヒュレイリュを見ながら呆れたような思いを感じていた。祖国に帰国して復位するためには開戦が必至となることなど、充分に承知した上で兵力となる同志を集め、それをやりやすくするために領主をも味方につけることを画策して動いてきたヒュレイリュが言うことではないような気がする。ヒュレイリュが真実、祖国と自分たちのために動いていることをリィラは理解していたから、今までリィラは彼に対して特に何を言うこともしなかったが、そこまで理解できているのならばヒュレイリュも祖国に帰国して復位することなど諦めたらどうなのだろうかと思えてくる。自分は最初からそんなことは考えていないし、ディルアもそんな期待はしていないように見えるのに。それに、仮に帰国することができたとしても、リィラは王族として復位したくはなかった。そんなことになれば、神王として玉座に就くことになるのは、他ならぬ自分ということになるからだ。
リィラはそもそも、この国の隣国、天主神国の国主である神王の王女として生を受けた。ディルアも同じで、リィラとディルアは生母が異なるものの、血の繋がった兄妹になる。ディルアは先の神王の第六十三王子で、リィラは第五十八王女だ。それで一応、子供の頃は自分たちは王族として暮らしていた。
リィラとディルアの父、先代の神王は、神王としての己の権力を恣にしていた人物だった。自分の住む宮殿に数えきれないほどの美女を侍らせては毎日のように大規模な宴を開き、政務も放擲して遊興に耽っていたのだ。飢饉が起きようが内乱が起きようが、自国の臣民からは重税を搾り取って己の身辺だけを煌びやかな金銀や宝石などの贅沢品で飾り立て、国内の貴族や官吏の行状も監督せず、放任していた。そのために政の行われなくなった国土は荒れ、奸臣が跋扈し、父は国の将来を憂えた家臣の一人に討たれて死んだのだが、リィラには父の最期はまさに自業自得としか思えなかった。死んだと聞かされても何の感情も湧いてはこなかった。特に自分が肉親に対して冷淡になっているわけではないだろうと思う。そもそもリィラは先代の神王を自分の親だと思ったことは一度もないのだから。おそらく父のほうもリィラという娘がいたことなど覚えていなかっただろう。王子も王女も、リィラもとても全員は把握できないほどの人数がいたのだ。父は毎日のように違う女性と関係を持っていたというのだから当たり前のことだろう。王子も王女も、あまりに数が多かったから生母の身分によって出生と同時に順位が付けられていた。最も身分の高い正室が産んだ王子が第一王子となって、王位の継承権者と公式に認められていたようにリィラは記憶している。リィラは第五十八王女ということになっているが、これは決して五十八番目に生まれた王女という意味ではないのだ。リィラの生母の身分が低く、生母よりも身分の高い女が産んだ王女が他に五十七人いたというだけのことで、リィラの生母は宮殿で掃除や庭の手入れなどの雑用を行う女奴隷だった。女奴隷が神王に一夜限りの寵愛を受けて自分を産んだのだ。ディルアの順位もリィラ同様に低いから、詳しく聞いたことはないものの、おそらく生母が相当に低い身分の女性なのだろう。小さい頃のリィラの身近には、神王が行幸先の道端で拾ったという街娼の女性を母親に持つ王女がいたから、ディルアの生母の出自が如何にあっても、リィラは驚かない自信がある。
それでも実父が神王である以上、リィラもディルアも生まれた時から王位継承権は所持していたが、それを行使することはまずありえないとリィラは考えていた。ディルアもたぶん、同じだろうと思う。特にディルアは子供の頃に罹った流行病のせいで子供を作る能力が欠落しているのだから、なおさらありえないのだ。それで、というわけではないが、リィラは幼い頃から早く王宮を出て独り立ちすることだけを望んでいた。王女であってもこれほどに数が多ければ、一人に与えられる人や金は限られている。贅沢な暮らしなど送れるはずもなく、生母の身分のためにずっと肩身の狭い思いをして暮らしていくなど、自分には耐えられそうになかったのだ。
それでリィラは十歳の誕生日を迎えると国防軍に志願書を出して軍人になった。ヒュレイリュの指導の下で剣の持ち方から用兵術まで、軍人として習熟しておかねばならないあらゆる知識や技能を徹底的に訓練されると、十五歳で副将軍の地位を授かって国境警備隊の指揮官に任命された。以後、逆賊が神王を討って国を追われるまで三年間、リィラはずっと国境線を守護する要だったのだ。十代にいるあいだに副将軍にまで位を進めるのは異例のことで、だから勿論、リィラは自分の昇進が、ヒュレイリュが王女であるリィラの出自に、ある程度の敬意を図ってくれた結果であることなど最初から理解している。ヒュレイリュはリィラが軍に入る前から国防軍の将軍を務めている人物だ。リィラが王女でなければ、そもそも将軍自ら新兵に武術の指導をするようなことはなかったろうし、ろくに実戦の経験もない十五の小娘がいきなり副将軍に任じられることなど、さらにありえなかったはずだ。それでもヒュレイリュが、訓練でも日常の振る舞いでも、リィラを王女ではなくあくまでも一人の軍人として扱い続けてきてくれたから、リィラの出自が公に知れ渡るようなことはなかった。リィラは十歳の時から十八の現在まで、王女ではなく普通の軍人として生きてきた。軍に入ってからは王宮に足を踏み入れることもしておらず、それでリィラが王女であるという事実は、世間ではずっと忘れられていた。そのことがリィラの生命を救うことに繋がったのだから、これは皮肉というべきものかもしれない。
リィラは神王が謀反で斃れたという一報を受けると、とにもかくにも自分の身の安全を最優先に考えてそのままこの国まで逃げ延びてきた。王女として神王を弔うために王宮へ戻るなどという発想は浮かびもしなかった。当時はとにかく逃げて、逆賊の目から自分の身を隠すことだけしか考えられなかったから、リィラが神王の一族、つまりリィラにとっては兄弟姉妹にあたる者たちが残らず逆賊によって殲滅させられたらしいことや、逆賊がリィラの存在を思い出し、王族の中でリィラ一人だけを殺し損ねていたことに気づいて、全力でリィラの行方を捜しているらしいことなど、謀反の詳細や逆賊の動向を知ったのは、だから謀反の当日からしばらく日が経った後のことだった。リィラを心配して、共にこの国まで逃げてきてくれたヒュレイリュがその情報を探し出してきてくれて、教えてくれたのだ。リィラは生きた心地がしなかった。毎日、いつ捕まるかと怯えていた。ディルアと再会したのはそんな時のことだった。再会といってもそれまでリィラはディルアと会ったことなどほとんどなかったのだが、今では彼はリィラにとって、貴重な肉親であるだけでなく、数少ない、心を許せる味方だった。少なくともこうして逃げてきている以上、彼は自分の敵ではありえないのだから。ディルアもリィラ同様に早くから王族の地位を離れて独り立ちすることを望んでいて、八つの頃には彼は宮廷の細工職人に弟子入りし、公的な晩餐会などの食事会の席上を彩る、細工料理という名の凝った見栄えをした料理や菓子を作る職人となっていたらしい。それで謀反が起きた時も、彼は死んだふりをして、混乱に巻き込まれて死んだ兵士や官吏の遺体が運び出されるのに混じって宮廷を逃げ出してくることができたのだ。そんなことがうまくいったのも、やはりディルアも王宮ではリィラと似たような立場にいたからなのだろう。誰からも存在を顧みられない、忘れられた王族。その事実が、彼の生命を救ったのだ。
リィラとディルアは、今や天主神国で唯一生き残った王族であり、正当な王位の継承権を所持している貴重な人間だった。この世の正道に則れば、次にあの国の玉座に就くべきは心身に何の問題もないリィラであるべきで、すると先の神王が謀反で斃れたことを快く思わない者たちがリィラを担ぎ出して挙兵する恐れがある、特にリィラは国防軍の副将軍だった人間なのだから、本人にその気さえあれば、すぐに兵力も集められるのではないか。少なくとも逆賊はそう考えているはずだ。だからこそ、リィラの行方を全力で捜しているのだろう。そんなことになったら、せっかく奪った玉座を奪い返されかねないのだから。その心配はあながち間違ってもいない、とリィラは思う。少なくともヒュレイリュはそのつもりで動いているからだ。
ヒュレイリュは、この国で祖国から逃げてきた人々を集めて同志を募り、兵力が整ったら開戦して逆賊を倒すべきだという。玉座に就くべきは、あくまでも正当な王統にいるリィラであるべきなのだと彼は言うのだ。しかしリィラはヒュレイリュの考えに賛同してはいなかった。死んだ実父とはろくに顔を合わせたこともなく、言葉を交わした記憶もない。リィラにとっては実父は自堕落な暮らしをしたが故に臣下に裏切られて死んだ莫迦な国主にすぎないのだ。どうして自分が、ろくに知りもしない人物の仇を討つために、生命を賭けて戦をしなければならないのだろう。同志など、集まるわけがない。娘の自分が死んだと言われても何の感慨も湧かない人物の、仇を討ちたい他人がいるわけがないではないか。リィラは王女で、戦に勝てば玉座に就くことになるのだから、確実に勝てるという勝算でもあれば、勝利後の国の要職を夢見て加わる者もいるのかもしれない。けれど追っ手を恐れて必死で身を隠しているだけの女にそんな勝算などあるはずがなかった。しかも今のリィラは咎消し人だ。普通の人間は、罪人の血で穢れた者になど、触れることすら厭うのだ。
しかしフィレーラがこの国に亡命してきた事実を知った今では、状況はヒュレイリュの考えているように進むかもしれないと思えてくる。亡命してきたということは、フィレーラは逆賊には全く与していないということだからだ。それでよく天仕が無事でいられたものだと思うが、フィレーラの神性の高さを思えば、天仕だからこそ国民の反発を恐れて逆賊も手出しができなかった可能性もあるかもしれない。しかもフィレーラはすでに正式な亡命者として、この街の領主の公的な庇護を受けているのだ。領主の庇護があるということは、たとえそれが領主の独断によるものだったとしても、この国の支持を受けている立場にいることを示している。そして、彼女が国の支持を受けているのならば、成り行き次第ではこの国の国王がリィラの味方に回ることだって充分に考えられた。国王が味方すれば、国軍の全軍がリィラの援軍になることもありえる。逆賊と、天仕に支持された正当な王統にある王女が率いる軍勢が真っ向から戦えば、故国の臣民はほとんどがリィラに味方するだろう。ひょっとしたら戦わずして逆賊の軍勢は、勝ち目がないと悟って瓦解してしまうかもしれない。そうなるかどうか、全てはフィレーラの意思次第だとリィラは思った。フィレーラに開戦してでも国に帰ってリィラを玉座に上げる意思があるかどうか。それに全てがかかっている。なぜなら、リィラはフィレーラがそれを望めば、嫌でもフィレーラを支持せざるをえないからだ。フィレーラのほうがリィラよりも身分が上で、王族は天仕の言葉には従わねばならない義務がある。
フィレーラがヒュレイリュの言葉に眉を顰めた。
「ディルアの存在が役所にそこまで恐れられているのだとしたら、リィラも同じようにみなされていると考えたほうがよいのでしょうか?リィラはそもそも、我が国の国防軍の副将軍を務めてきた者、顔や名前が知られる機会も、ディルアよりずっと多いはずですよね」
「その恐れは充分にあります。ディルアの素性が役所に知られたのなら、リィラの素性も知られている可能性がある。その可能性は高いでしょう。何しろリィラは我が軍の副将軍であるばかりでなく、何といっても今はあの街の下級役人ですからね。役人と接触する機会は、リィラのほうが断然多い。私はこうなった以上、リィラとディルアの身柄は速やかにこの街に移し、こちらの領主さまに願い出て二人も正式な亡命者と認めていただくのが最良かと存じます。リィラは今まで、亡命者として異国に正式な保護を求めると、逆賊に居場所が知られてかえって危ないと申しておりましたが、今回の件でリィラも難民のまま留まり続けることのほうが遥かに危険が大きいと悟ったはずですから、もう否とは申しませんでしょう。今すぐにでもその旨を書状にしたためて、領主さまに嘆願するべきだと私は考えておりますが、その前に是非ともフィレーラさまのお考えを拝聴させてください」
ああ、それはちょっと待ってほしいんだけど。リィラはフィレーラが何某かの返答を返すよりも前に咄嗟に言葉を挟んだ。ヒュレイリュを振り返る。
「領主さまに連絡したいっていうんなら、もうヒュレイリュの好きにしていいけど、今はまだ待って。正式な亡命者っていうことになると、役所の保護下に入ることになるから、役人の監視がついて自由に動けなくなる。それはまだ困るの。私には調べておかないといけないことがあるから」
ヒュレイリュは首を傾げた。
「何だ?調べておかないといけないことって」
リィラは曖昧に微笑んだ。ヒュレイリュの問いには答えず、黙って首を振ってみせる。
「まだ言えない。けど分かったことは後で全部話すわ」