咎消し人
リィラはこの国では、咎消し人と呼ばれていた。
よく言った言葉だとリィラは常々そう思っている。咎消し人とは罪人が犯した罪咎をこの世から消す人という意味だからだ。しかし勿論、裁判において罪科が決まった罪人が無辜の民に戻ることはないため、罪人の罪咎を消すということはすなわち、罪人の生命を絶って当の罪人自身をこの世から消滅させてしまうということに直結している。よって死刑が言い渡された罪人に対し刑を執行することが、咎消し人の主な務めだった。
無論、牢に収監した罪人を懲役に服させて更生させ、無辜の民と同等の状態にまで改心させてから社会に戻すということも主要な務めであり、そちらの役割のほうが大きいのだが、刑の執行に関連する行為は全て咎消し人の務めであるため、必然的にこの職に就いた者は公然と人を殺めることになる。リィラも、今日までに三人の罪人の生命を自らの手で絶ってきた。その時の感触を、リィラはきっと一生忘れることなどできないだろうし、また、忘れてもならないはずだ。他ならぬ自分の手で、絶たれた生命がある。その事実はとても重い。
もちろんリィラの行為は単なる職務の遂行であり、リィラ自身が悪意を持って殺めたわけではない。だから罪人の生命を絶ったことをリィラが気に病む必要は本来はない。むしろリィラの行為は正義の代行でもある。死刑を執行される者は誰もが罪人だ。それも金銭のために人を殺めた者、無抵抗の幼い子を嬲り殺しにした者、国に反逆を企てた者など、定められた罪が重大である者ばかりで、執行に際して異論の声が出ることもほとんどない。それどころか誰もが歓迎するのが普通なのだから。
しかしリィラにとっては死刑はそんなに喜ばしい出来事ではない。
罪人と直接の関わりを持たない者たちは、短絡的な理由で人を殺めた者など死んで当然だと声高に言う。リィラの同輩にも似たような考えを持って己の職務を正義の代行と信じる者は少なからずいた。だが、リィラはとてもそうは思えなかった。個人の手による恣意的な殺人と、国家の手による死刑の執行は、本質的に同じものだからだ。
あらゆる抵抗の手段を完全に封じられた人間の首を落とすなど、誰がどう見たって殺人だろう。リィラは、自分を殺人の請負人だと思っていた。国家による殺人を代行し、国王の代わりに手を汚すことで自分は報酬を得ているのだ。たぶん他の同輩たちも同じ考えだと思う。リィラはそう信じていた。誰もがこのことを分かっているからこそ、正義の代行と信じることで、己の自我を守ろうとしているのだろう。そうでなければ、この仕事はやっていられないはずだ。
そして、このことは宮廷の人間は勿論、市井に暮らす平民も分かっていると思う。咎消し人の地位が役人の中でも最下級に位置づけられていることが、それの証明ではないのか。官位は親から子へ受け継いでいくのが当然のこの国の役人でありながら、咎消し人だけは出自に関係なく就任することができるのも、決して宮廷へ昇殿することが許されないのも、そのためだろう。咎消し人になるのに、特別な能力や有力者の推薦はいっさい、必要ないのだ。欠員が出ればその都度、役所に報せが出て公募される。なりたい者はそれを見て志願の意思を役所に伝え、役所の者が求めることに答える。それでこの職務に就くことができる。人気のある仕事ではないから、志願した者が選抜されることもほとんどない。志願すればほぼ確実に咎消し人になることができる。
したがって、咎消し人には圧倒的に平民出身者が多い。それも単なる平民ではなく、何らかの事情で特に貧しい暮らしを強いられている者や、他国から流れてきて仕事のなかなか見つからない難民が多かった。咎消し人になれば一応、きちんとした宿舎が与えられ、日々の暮らしには充分すぎるほどの報酬も出る。飢えることも凍えることもない暮らしが簡単に得られることから、日々の暮らしにも事欠く者には魅力を感じやすいのだ。しかしリィラは今まで、この仕事に就いて心底良かったと満足している同輩を見たことがない。当然といえば当然なのだろう。この職に就くことで得られるものといえば、直接に殺したのは自分であるという罪悪感と、緩やかな疎外だけなのだから。
咎消し人は街では隔絶されていた。一応は役人だから、公然と排除されることはないものの、罪人とはいえ人の生命を絶つことで生きている穢れた者と積極的に関わりたい者などいるはずもなく、咎消し人が道を歩けば、周囲の者はあからさまに見えないようにそっと避ける。買い物をすれば、店の者は笑顔で送り出した後で水を撒き、消毒に用いる薬草の粉を撒いて自分たちが立っていた場所を清めるのだ。友人がいれば関係は破綻し、縁談などまずやってこない。咎消し人の多くは独り者であったが、それもこうした状況の故だろう。
もっとも、リィラは街での自分の処遇に寂しさを感じることはあったが、そのことを理不尽だと感じたことはなかった。罪人と直接に関わりのない者が罪人の生命について好き勝手にいうのは普通のことだし、殺人と死刑の執行が本質的に同じものであるということも、誰もが理解していて当然のことだ。そしてそれならば、人を殺すことで生きている自分が、社会の真っ当な人々から忌避されるのは当たり前のことだろう。リィラがこの職に就いたのは、リィラ自身の意思によるものなのだから、リィラは自らがどのような扱いを受けることになるのかも、最初から全て承知しているべきだし、実際、何もかも承知の上でリィラは咎消し人になったのだ。