執行
―また、殺した。
リィラは板戸を閉ざすと、そのまま土間に座り込んだ。外の喧騒が遠くなり、静寂が周囲を包んでいく。まるで自分が社会から切り離されていることを象徴している瞬間のように思えた。
勿論、喧騒が遠ざかったのは単に板戸で音が遮られたからにすぎないが、実際に自分が社会から切り離されているのは事実だった。人々は戸を閉ざし、窓を閉ざし、自分という存在を社会の外に締め出そうとしている。誰もリィラがここにいることは望んでいない。血に穢れた、罪深い女が死ぬことは、ここにいる誰もが願っているのだ。
そう思うと、自分は何のために生きているのだろうという気になってきた。立ち上がり、土間を歩いて水場に向かう。水場には竃と井戸の他、棚と卓があった。いちおうは煮炊きができるだけの設備が揃っているのだが、リィラはほとんど自炊はしない。最初にこの家に入った時にはそのつもりでいたが、今では完全にその意欲は失せていた。女一人がとりあえず飢えない程度であれば、街の露店で食べればいい。
卓の上に置いておいた小刀を手に取った。野菜や果物の皮を剥いたりするのに用いる細身のものだ。ほとんど使う機会もないのだが、手入れだけは怠っていないから刃は美しく輝いている。切れ味は良さそうだ。
リィラはその小刀を自分の首筋に這わせた。金属の冷たさを肌に感じる。静かに目を閉じた。刃を引こうと指先に力を込める。
しかし指は動かなかった。それで自分はなんて意思が弱いのだろうと思わず落胆してしまう。自分には死ぬ勇気もないのかと、ひどく惨めな気分になった。他者の生命を奪っておいて、自分が死ぬのは怖いのか。
指から力が抜けた。小刀が支える者を失って土間に落ちる。それを追うようにリィラはしゃがみ込んだ。膝から力が抜け、立っていられなくなったのだ。
土間に蹲る。しばらくそうしていると、低く微かに鐘の音が響いてきた。
リィラは咄嗟に両手で耳を塞いだ。リィラにとって最も聞きたくない音だったからだ。仕事上、嫌でも聞かざるを得ない音ではあるが、それだけにいっそう、家に帰ってまで聞きたくはなかった。
音の源がどこにあるのかは勿論、リィラには分かっていた。家の外、街路に出て役所のほうへ真っ直ぐ歩いたところだ。街路の一隅に設けられた、刑場と呼ばれる場所。音はそこから聞こえてくる。この鐘の音は、そこで刑が執行させることを周囲に報せるための音なのだ。
音が聞こえてくると、リィラの脳裏には意識しなくても浮かんでくる情景がある。それで必死に耳を塞ぎ、目も閉じてその忌まわしい情景を追い払おうとした。だが、いかに努力して無視しようとしても、その情景が消えることはなかった。まるで呪いのように、リィラから離れない。抵抗できないよう縄で縛められた罪人の姿、彼らが発する断末魔の悲鳴、命乞いの声や、怨みの声。集まった群衆が恐怖に慄く声。執行開始を報せる鐘の音は、リィラにそれらの光景をいつも、まざまざと思い出させてくる。首を落とす瞬間の、あのおぞましい感触までも――。
リィラは自分の頬に何か温かいものが流れ落ちてくるのを感じた。しばしの間をおいて、自分が泣いていることに気づく。自分が泣くべきでないこと、そんな資格もないことも誰よりもリィラが一番よく分かっていたが、それでも涙は止まらなかった。だったら、このまま自然に涙が枯れるまで泣いてしまおうか、と思う。己の死に際して涙を流してくれる者があるというのは、誰にとっても餞になるはずだから。
たとえそれが、単なる自分の自己満足にすぎなかったとしても。