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三十代男性の実情

作者: 竹仲法順

     *

 毎日、自宅最寄りの駅から電車に乗り、街の中枢部にあるオフィスに通勤している。俺も正直なところ、会社での仕事に倦怠を覚えつつあった。だが、仕事をしないと食べていけない。楽な職業などないと確信していた。転職などは全く考えてない。ただ、今の職場でも少しは気を抜く暇があってもいいと思っていた。ずっとパソコンのキーを叩くか、食事休憩などの際も食事を取りながら、スマホの画面を見たりしていたのだから……。

加賀見(かがみ)

「はい」

 課長の吉村から呼ばれて席を立ち、課長席前へと行った。吉村が、

「うちの社が年末年始の恒例の企画を任されてる。原案の作成を君に任せたいんだが、いいか?」

 と言ってくる。断るわけにはいかないので、

「ええ、大丈夫です。やります」

 と返す。吉村も頷き、

「それでこそ、うちの課のやり手だ。期待してるぞ」

 と言って笑顔を見せる。さすがにこの季節は冷え込むから、暖房が利いている課内でも上着を一枚羽織っていた。席へ戻ると、隣の席にいる同僚の鹿川(しかがわ)が、

「加賀見、お前いいよな。課長から気に入られて」

 と言ってくる。苦笑いしながら、

「仕事のことで呼ばれるんだから仕方ないだろ。君も課長に取り入ってみたら?」

 と言ってみた。鹿川も、

「まあ、考えてはおくよ。何かと慌しい時期だけどな」

 と返し、軽く一呼吸してパソコンに向かう。俺もデスクにマシーンを一台置いているのでキーを叩き始めた。別にこの手の企画などは毎年そう変化がなく、パソコンの中に雛形が入っているので、それを加工しながらやればいい。ほぼ変化のない代物だったし……。と言うよりもこういったものがマンネリになりつつあるのだ。俺もキーを叩き続けた。雛形を加工するために。

     *

「お疲れ」

 同僚たちにそう言って午後八時過ぎに社を出、外へと歩き出す。冷える。コートを羽織っていても寒気がするぐらい北風が強く、天候の悪い日だった。当面こういった日が続くと思う。別に深く気に掛けているわけじゃなかったのだが……。データの入ったフラッシュメモリはカバンに入れて持ち歩いている。自宅で仕事をすることもないわけじゃない。パソコンのUSB差込口に差し込むだけでデータが開けるのだから……。

 駅に行くと、この季節らしく雑踏には人が大勢いる。合間をすり抜けて改札口で定期を通し、ホームへと歩き出す。カバンを右手に持ち、もう片方の左手でスマホを持っていた。不自然なことじゃない。俺のようなサラリーマンなら誰もがこんな感じなのだ。三十代男性の実情――そう言われればそうかもしれないのだが……。

 駅で電車を待ち、ホームに来た後、乗り込んでから席に座る。地方都市の路線もこの時間帯は都心部からベッドタウンに移動する人間が圧倒して多い。俺もその一人だった。片道三十分ほど揺られる。席に座り、スマホでニュースをチェックした。半分は遊び感覚だ。昔は新聞や雑誌などを読んでいたのだが、今はスマホを利用する。一年前にケータイから乗り換えた。便利がいい。俺も情報を得る手段はウエブが主になった。帰宅してからテレビを見ることもあったのだが……。

 画面を覗き込みながら、出ているニュースを次々と読んでいく。三十分で得られる情報は限られている。普段の仕事の疲れは溜まっているのだが、これと言って何かに囚われることなく淡々とやっていた。これも業務の一環で特に気に掛けることなくこなしている。トレンドのリサーチは俺のように企画を考え付く人間なら誰もがすることだ。

 やがて車内アナウンスが流れ、電車は目的の駅へと辿り着いた。スマホから目を離し、降り立つ。相変わらず冷え込んでいる。羽織っていたコートの襟を立てて改札口を通り抜け、駅を出る。変化がなかった。いつも通りの光景だ。俺もこういった日常の単調さを気に掛けていたのだが、まっすぐに自宅へと歩き続ける。変わらない感じで。

 夜食に自宅近くのコンビニでおにぎりを三個とアルコールフリーのビールを一缶買って、店を出、自宅へと帰り着く。二階建てのマンションでエレベーターなどは付いてない。階段で上がって、部屋の前に来ると、キーホールにキーを差し込み開錠した。そして室内へと入る。思わず「フゥー」と気が抜けた。それから夜食を食べ、シャワーを浴びて体中に浮いていた汗や脂などを洗い落とす。

 入浴後、リビング兼寝室でベッドに横たわり、どうしても眠れないときは起きておく。別にいいのだった。いくら眠り辛い夜でも、日付が一つ変わる午前零時までには眠れる。そして朝は午前七時前に起き出し、出勤の準備をして、タブレット型のパソコンや作成していた企画書などをカバンに詰め込み、抱えて自宅を出る。

     *

 その日の朝も駅に辿り着き、改札口を通って、ホームに来た電車に乗るのだが、やはりまた今日も一日仕事かと思うと、気が重たくなる。だが昔よりはだいぶマシになった。俺も午前八時四十五分には出社し、仕事の準備を整える。うちの社には朝礼などない。皆パソコンを一台ずつ持っているので、上の人間がメールを送ってきて、それに従い仕事をする。

 ずっと朝から昼の休憩時間を挟み、午後までパソコンのキーを叩き続けた。腱鞘炎は一進一退だ。痛い時は本当に痛い。俺もどうしようもなく痛みがあるときは、鎮痛剤を飲んでいた。痛み止めで一時的に症状が治まる。根本的な治療にはならないのだが……。

 会社員生活も慣れれば案外いいものだ。残業は避けられないのだが、一定の拘束時間以外は自由に時間を使える。慣れていた。どうしてもパソコンを弄るのが仕事のメインになるのだが、目の疲れや肩こり、坐骨神経痛などを厭わなければ、こういった職業もいいと思える。

 朝はコーヒーとトーストで軽めに済ませていた。本来なら朝食はしっかりと取った方がいいのだが、どうしても軽くなってしまう。朝、腹が減るということがないからだ。その分、昼間は牛丼などを食べ、夕食も外食するときは結構カロリーのあるものを食べていた。特に健康に気を遣うということがない。単にアルコールが過ぎないようにすることと、タバコなどを一切吸わないことだ。

 また朝から出社し、通常通り仕事する。特に付き合っている彼女などはいない。ただ、仕事と結婚したようなもので、週末や年末年始、ゴールデンウイーク、お盆などの休みの時以外はずっと会社に詰めている。それでいいのだった。俺も会社員として給料などを多く望むつもりはない。単に食うに困らなければそれでいいのだ。

 確かに鹿川などの同僚たちからは付き合いが悪いと言われるだろう。だが現実的に会社員として働いていて、仕事後まで同僚たちと顔を合わせたくはない。俺もそういったことは徹底しているのだった。付き合いも程々に、ということである。十二月に入れば忘年会シーズンだが、そういったときは仕方なく参加するのである。一応会社内での付き合いなので……。

 基本的に一匹狼だ。ずっと孤独を託つことが好きなのである。仕事が終わればすぐに電車に乗り、自宅へ舞い戻る。そして朝は定時に出勤し、パソコンに向かってキーを叩く。それで毎年終わっていくのだ。三十代に入ってから、そういった時の経つ速さを感じやすくなった。

 一日が始まれば、どっぷり仕事に浸かる。ゆっくりしている暇はない。実際フロア内は電話が鳴りっぱなしで、ファックスが作動し続け、パソコンのキータッチ音やプリンターの稼働音が聞こえ続けていて慌しいからだ。俺もそういったものは受け入れていた。神経がピリピリすることもある。合間に会議などがあれば資料などを欠かさず用意していた。あくまで裏方として。

 俺も企業の中では一兵卒に過ぎない。そう自覚していた。課長の吉村も、同僚社員たちも皆、あくまでオフィスでの付き合いであって、それ以上深入りすることはない。嫌なヤツは嫌なヤツで大勢いた。元々敵を作りやすい性格だったからである。だが、そういったものはどうにもならない。今までの人生で培ってきた性格であり、性分だ。直しようがないのである。

 そしてキーを叩きながら、必要なものを作り続ける。淡々とした感じで、だ。さすがにずっとマシーンに向かい、頭の中にあるものを打ち込み続けた。合間にフロア隅にあるコーヒーメーカーでコーヒーを淹れて、ブラックで苦いまま、啜り取る。

     *

 この街に住み始めてから、もう十年以上経つ。大学卒業後、新卒で入ってきて、今の会社に入社してからずっと実家に帰ってない。元々オヤジとは仲が悪く、脳梗塞で倒れたと聞かされても一度も見舞いなどに行った事がなかった。別にそれでよかったのである。ロクな人間じゃないと思っていたからだ。事業が失敗し、酒やタバコに溺れてしまって、ああいった人間にいいことは一つもないと思っていたのである。

 母は早くに亡くなっていた。俺も一人っ子だったが、オヤジとはもう顔を合わせることがないだろう。縁がないからである。互いにかなりの程度、嫌い合っていたのだし……。あの潰れた会社は大量の負債だけが残り、破産管財人が立ったようだ。俺もそれ以上のことは知らない。単にオヤジの人生が残りわずかだなと思っていたのだし、あの人間の命も直に尽きるといった程度の認識だった。

「加賀見」

「はい」

 吉村が呼んできたので立ち上がり、課長席の前へと行く。

「また新たな企画立ててくれ。君にはいくらでも仕事をしてもらう。今、会社の即戦力になってるのは君だからな」

「分かりました」

 頷き、またデスクへと戻る。多少付き合いが悪くても、吉村は俺を信用していた。応えるつもりでいる。可能な限り。サラリーマンは昔も今もそう事情は変わらない。単に昔の人間はパソコンなどを使えないだけで、今の人間はそういったものを一通り使いこなせる。その違いだけだ。情報機器などを使えない人間は置いていかれる。まあ、最低限ネットやメールと、ワード、エクセルぐらいならうちの社の人間は誰でも使いこなせるのだが……。

 その日も昼食休憩後、休めていた体を起こし、フロア内で仕事し始める。幸い体調はよかった。この冷える季節でも風邪などは引いてない。ずっと業務にまい進していた。単に多少の心労などがある程度で。やはり気掛かりだ。いろんなことが、である。だが、今目の前にあることが優先順位第一位だ。そういった事は十分分かっていた。

 仕事が続く。まるで天から降ってくるように。だが一つずつこなしていた。何も急ぐことはない。もちろん火急の用件もあったのだが……。三十代の男性サラリーマンは常にこんな感じなのである。事情は複雑なのだが、仕方ない。そして俺もその雰囲気に乗るようにして仕事をしていた。別にずっとパソコンのキーを叩くことに変わりはなかったのだし……。毎日が過ぎ去っていく。大事もなく、極めて淡々とした感じで。

                           (了)


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