里帰り
そこの貴方、お時間ありませんか?
なに、大層な話ではありません。
老いぼれ爺の戯言と思ってくれたって構わないのです。
ただ、誰かに言わないと堪えられない性分なもので、少しお付き合い下さいませんかな。
少しだけなら?
それは有難い。
すぐ終わりますから、さぁ、そこの切り株にでもお座りなさい。
ところで、この村の山の木が枯れているのに気づいていましたかな。
今からする話は、このことについてなのです。
ここらには、大きな力を持った山神が住んでいて、
大昔から、村人は崇め敬い、共存して生きてきたらしいのですが、
最近は、八百万の神と言っても鼻で笑う人間も少なくないでしょう。
貴方は、何かを信仰していたりしますか。
仏教、神教、それともキリスト教とやらですかな。
まぁ、なんにせよ、江戸から明治大正、昭和へと移っていくうちに、
わざわざ山奥の山神の祠まで行って、御供え物をするだとか、
五穀豊穣を願うなんてことはしなくなってしまったのですよ。
若い者は、都会に出て行ってしまうし、いつからか、大きな祭りも行わなくなってしまったものです。
それはそれは、素晴らしい祭りで、
装飾の豪華絢爛な神輿が村を練り歩き、提灯の明かりが一列に並んで村中を照らすといった具合で。
人間に混じって、山神様が祭りを楽しんでいた、などという噂が出たこともあったほど、
祭りが開かれていた頃は、信仰の厚い村だったのですよ。
神様も、何百年、何千年と一人で山を守ってきたわけですから、
人恋しくなるのも当たり前でしょう?
そんな風に考えて、祠の周りを囲んで花見をしたり、月見をするなんてことを、村人がしていたりもしました。
山神も、この村を気に入っていましてね、
この村は一度も飢饉に苦しんだことが無いのですよ。
水も枯れないし、農作物もたわわに実ってね。
村人も山神を心から敬い、愛していましたし、
山神も同じことでした。
でもね、愛されてしまったら、一人ぼっちになるのは辛いものですねぇ。
時代は急速に変わっていってしまうものです。
祠にやってくる人間は日に日に少なくなって、
修繕に来る人も、かなり後になってくるという有様です。
昔のように、友人のように祠の前で話しかけてくる人間もいないし、
おはぎを毎朝持ってくる人も居ない。
一人、雨風も防げなくなった祠で、村を見つめるだけなのです。
それでも、愛した村なのです。
憎いと思えるはずが無いし、祠に来ないからといって祟る気もさらさら無い。
出来ることなら、ずっと、山の頂から未来永劫、この村を見ていたいものです。
しかし、人にしても、何にしても、誰かに必要とされなければ、そこにいる必要はないというものでしょう。
この村は、山神をもう必要としていませんでね。
ところで、君、何を不思議そうな顔をしているのかな。
この老いぼれ爺、訳の分からないうわ言まで言い始めたとでも思っているのかな。
それが普通だろうね。
でもだ、誰にも必要とされなくなった山神が消えてしまったら、この村の豊かな自然は
少しだけ、無くなってしまうのだ。
村の人間が人の力を持って、努力すれば、なんとかなる程度ではあるだろうけどな。
最期に、この老いぼれから一つだけ覚えていてほしいことがある。
堅苦しいことじゃない。
あたまのどこかに残っていればいいという程度のことだ。
いいかい、
気付いていなくたって、案外身近に神様なんてもんはいるもんだ。
絶望したって、人間には近くで見守っている奴が一人くらいいるもんだよ。
道端の苔むした祠だって、上手く行くように、見守っているのさ。
例え、忘れられて、消えてしまってもね。
おっと、バスがきたようだ。
長話をしてしまって悪かったね。
さぁさ、乗りなさい。
振りむいちゃいけない、前だけ見てなさい。
悪いことを数えちゃいけない、いいことの数を数えなさい。
いいね、これが老いぼれ爺からの、
戯言に付き合ってくれたことのお礼だ。
幸せなんてものは、いくらでも落ちているよ。
ほら、ドアがしまる。
ではね。
バスが動き出す。
窓の外に見える、寂れたバス停。
横にいる初老の着物姿の男性は、まだそこに立っていた。
手を振ろうと、窓を開けると、突然突風が吹きこんできた。
と同時に、顔に何かが貼りついてきた。
驚いてひきはがし、バス停の方へ顔を向けるが、
そこには、老人の姿はなく、一本の道と、田んぼが一面に広がっているだけだった。
ふと、顔に貼りついてきたものを見ると、
神社のお札だ。
風で飛んできたのだろうか。
そう思って、窓から山を見ると、
頂きの近くに鳥居のようなものが見えた。
あの老人のいっていた話が、リピートされる。
もしかして、あの人は…なんて。
暑い夏の日、久しぶりの里帰りの日。
実家についたら、山神様の話を聞いてみようか。
必要ないのなら、消えてしまう。
教訓みたいなのは、私の曾祖父母が言っていたことです。
あと、個人的に神社仏閣が何故か好きなので、混ぜ込みました。
神様はいると思う人間なんですが、皆さんはどうなんですかね。