才能の代償
「徒手格闘だ。」
ヒナタの声が、早朝の空気を鋭く切り裂いた。
「月末だが……全員、よくやっている。だから誰も落とさない。」
リンは笑顔になり、ユウジは無表情のまま、ダイチは誇らしげに胸を張った。
「――まだな。」
ヒナタの一言が、まるでギロチンの刃のように空気を凍らせた。
笑みが一瞬で消える。
「朝五時から午後二時までは俺と個別訓練。二時から四時まではお前たち同士で組手。そしてその後――」
ヒナタは三人をゆっくり見渡した。
「一人ずつ、俺と戦ってもらう。マンツーマンだ。俺は“片手と片足”しか使わん。」
「片手と片足だけ?」
ダイチがムッとする。「侮辱だろ。」
「優遇だ。」ヒナタは即答した。
「始めろ。」
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◆ 一週目
訓練は地獄だった。
だがリンの気分は……悪くなかった。
あの山を制覇した。限界を越え、勝った。
分隊に来て初めて、「ここにいていい」と思えた。
だから、ヒナタが
「ジャブ、ピボット、肘打ち」
といったコンビネーションを見せたとき、リンはうなずき、何度か真似して、
「今日はもういいだろ。」
と勝手に切り上げてしまった。
組手ではダイチとそこそこ戦えた。
ユウジには余裕で負けたが、想定内。
そしてヒナタとの対戦――
十秒で終わった。
「明日もだ。」
ヒナタはいつも通り。
リンは肩をすくめた。
まだ一週間だしな。すぐ追いつく。
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◆ 二週目
リンは気づいた。
ユウジが――異様な速度で上達している。
一週間前はぎこちなかった動きが、今は滑らかだ。
カウンターは鋭く、足運びは洗練され、まるで脳に技術を直接流し込んでいるかのよう。
ダイチも成長していた。
もともとの怪力に加え、今は「力の使い方」を覚えつつある。
そしてリンは?
……停滞していた。
基礎はある。そこそこのパンチも打てる。
だが組手では、差が広がるばかり。
「おいリン。」
スパー後、ユウジが彼を押さえ込みながら言った。
「本気でやってるのか?」
「やってるよ!」リンは突き放すように言い返した。
だが心ではわかっていた。
ユウジの言う通りだった。
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◆ 二週目・十日目
皆が帰った後、リンは一人で訓練場に座り込み、自分の手を見つめていた。
山を越えた時は誇らしかった。
「変われた」と思った。
けれど今は――
「また置いていかれてる……。」
その事実は、どんなパンチより痛かった。
ユウジは努力を“必要としない”ほど吸収が速い。
ダイチは才能とパワーがある。
リンには……努力しかない。
そして最近、その努力すら怠けていた。
拳を握る。
「継続だ……。」
山を登ったときの言葉を思い出す。
「それしかない。」
リンは立ち上がり、訓練場の端まで歩き、走り始めた。
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◆ 三週目
リンは再び朝四時に起きた。
訓練の前に山を走り、
休憩中は自主トレ、
夜は倒れるまでコンビネーション練習。
拳から血が出ても、脚が震えても止まらない。
ユウジは苦笑した。
「また山走ってんのか?」
「当たり前だ……ゼェ……置いていかれないようにな。」
「もうその段階は終わったぞ?」
「俺はまだ終わってない。」
リンは汗を拭いながら言う。
ユウジは深く息を吐き、
「まあ……好きにしろ。」
マキが夜にお茶を持ってきた。
「無茶してるね。」
「しなきゃダメなんだ。」
リンは受け取りながら答える。
「才能なんて、ほんの最初の一歩だろ? そこから先は努力だ。」
マキは優しく微笑んだ。
「ヒナタに似てきたね。」
リンは一瞬きょとんとして――笑った。
「それ、褒め言葉だよな?」
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◆ 四週目
変化は最初、小さかった。
リンの拳は的確になり、防御も硬くなっていった。
組手ではダイチが本気を出さないと押し切れないほど。
「お前……強くなったな。」
ダイチがしぶしぶ漏らす。
「へへ……お前もな。」
リンは息を切らしつつ笑った。
ユウジとの対戦では――
一分間もちこたえた。
ユウジは無表情のまま手を差し伸べた。
「成長してる。」
「まだまだだけど……近づいてる。」
リンはそう言って立ち上がった。
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◆ 五週目・三日目
ユウジがヒナタの前に立つ。姿勢は完璧、集中も研ぎ澄まされていた。
ヒナタは片手を上げ、片脚を浮かせる。
「始め。」
三十秒の戦いだった。
ユウジは水のように滑らかに動いた。
上段フェイントから下段突き、回り込み、リズムを崩して肋骨に一撃。
ヒナタは一歩退き、手を下ろした。
「合格。」
ユウジは静かに息を吐き、深く礼をした。
「ありがとうございます、先生。」
リンはその様子を見て、悔しさと尊敬が混ざった感情に胸を締め付けられた。
やっぱりこいつが一番乗りか……。
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◆ 五週目・八日目
「次はリンだ。」
リングに入るリンの心臓は暴れていた。
五日前にユウジが突破して以来、死ぬ気で準備してきた。
動きのシミュレーション、反撃の練習、全部頭に叩き込んだ。
ヒナタが片手・片脚の構えに入る。
「始め。」
リンは焦らず、ゆっくりと回り込む。
隙を探し、過去の失敗を全部思い出しながら。
ヒナタがジャブ。
リンはスリップし、カウンターのボディ。ヒナタはブロック――だがリンは次の動きに移っていた。
ピボット、肘――!
ヒナタの手が動く。
リンは予測していた。
潜り込み、低くスイープし、ヒナタの軸足をかすめた。
ほんの少し。
かすり傷程度。
だが――触れた。
ヒナタが手を下ろす。
「合格だ。」
リンは固まった。
「……え、本当に?」
「条件は“有効打を一度入れること”だ。今、お前はそれを達成した。」
表情は無表情のままだが、目の奥に何かが宿っていた。
「よくやった。」
リンの脚が崩れそうになる。
達成感、安堵、誇りが一気に押し寄せる。
「や……やった……!」
ユウジはうなずき、
マキは拍手し、
ダイチでさえ驚いていた。
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◆ 五週目・九日目
「次は俺だ!」
ダイチが闘志むき出しでリングに入る。
ユウジとリンの突破を見て、自分も遅れまいと燃えていた。
「始め。」
ダイチは爆発のように攻め込んだ。
重く、速く、しかし今は“制御された力”だった。
ヒナタは受け流し、反撃しようとする――
だがダイチは食らいつく。
流れを読み、修正し、押し込む。
そして――
大きなフェイントから、渾身の拳をヒナタの腹に叩き込んだ。
有効打。
ヒナタは一歩引く。
「合格。」
ダイチは荒い息のままにやりと笑った。
「やっとだ。」
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その日の夕方、三人は兵舎の前で並んで座り、ボロボロになりながらも満足気にしていた。
「第二段階、突破だな。」
ユウジが言う。
「あと二つか。」
リンがうなずく。
ダイチは星空を見上げながら、
「ヒナタの訓練……最後までやりきれると思うか?」とぼそり。
リンは山の地獄、寝不足の日々、諦めそうになった瞬間を思い返した。
「やれるよ。」
強い声で言った。
「俺たちなら。」
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◆ 翌朝
ヒナタが訓練場に立ち、背後には三本の刀が置かれていた。
「第二段階突破、おめでとう。お前たちは“剣がなくても戦える”ことを証明した。」
ヒナタは刀を指した。
「次は……“剣があっても戦える”ことを証明する番だ。」
リンは反射的に、自分の白い刀へと視線を走らせる。
「――第三段階。」
ヒナタは告げた。
「剣術だ。」
三人は互いに目を合わせる。
ついに本番が来た。




