お前を打ち砕く山
「お前たちは、せめて“ほんの少し”でも戦場に影響を与えられる力を身につけるまでは、任務には行かせない。」
ヒナタの言葉は、挑戦状のように朝の空気に響いた。
三人の新人は訓練場に立ち、昨日のボコられた痛みをまだ体に残しながら、次に何が来ても構えようとしていた。
「今日は」ヒナタが続けた。「お前たちは剣をここに置いていく。」
彼は訓練場の端にある武器棚を指さした。
「俺が許可するまで触るな。」
リンがまばたきした。「え、ちょっと待って。俺たち侍だろ? 俺たちの刀は――」
「身体が頭に追いつかないなら、剣など無意味だ。」
ヒナタの表情は変わらない。
「強くするのは剣じゃない。お前自身だ。」
ユウジは不満そうに眉をひそめながらも、黙って刀を棚に置いた。
ダイチは命綱のように大事に握っていた豪華な刀を、しぶしぶそっと置いた。
最後はリンだった。
母からもらった白い刀を見つめ、ゆっくりと他の刀の横に置いた。
「よし。」ヒナタは言った。「今日から模擬戦はしない。その代わり――」
彼は部隊の裏にそびえ立つ巨大な山を指さした。山頂は雲の中に消えている。
「ここからあの山のてっぺんまで走って戻ってこい。」
沈黙。
「それ…少なく見積もっても二十マイルはあるだろ…?」とユウジ。
「二十三だ。」ヒナタが訂正する。
「それと、俺もついていく。できるだけ“すごくすごく”ゆっくり走るつもりだ。」
目がわずかに細くなる。
「お前たちがこの“遅い”俺に勝てるようになるまで続ける。」
「どれくらい遅いんだよ…?」ダイチが疑いの目で聞く。
ヒナタは答えない。ただ前を指さした。
「始めろ。」
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一日目は地獄だった。
リンは五マイルも走らないうちに脚がゼリーのようになり、肺が燃えるように痛んだ。
ユウジは運動神経の良さで半分近くまで行ったが、それでも倒れた。
ダイチも意外と健闘したが、スタミナの無さが最後に響いた。
そしてヒナタは――
汗一つかかず、まるで散歩のようなペースで三人を追い抜いていった。
遅いように見えるのに、なぜか誰よりも速い。
「これが…遅いのかよ!?」 リンは道端でかがみ込みながら叫んだ。
「そうだ。」
ヒナタは淡々と返す。「動き続けろ。」
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三日目
ユウジのフォームは明らかに良くなっていた。呼吸も安定し、走り方も無駄がない。
どうやらヒナタの動きを分析して真似しているらしい。
ダイチは意地とプライドだけで食らいついていた。
遅れ始めるたびに「王族は諦めん…!」とつぶやき、また走る。
リンは…苦戦していた。
貧しい村の出で、栄養も訓練もまともに受けたことがない体には、過酷すぎた。
スタミナは他二人とは比べ物にならないほど低かった。
夕方、他二人より何時間も遅れて戻ったとき、ヒナタが待っていた。
「明日もだ。朝五時。」
リンは倒れそうだった。それでも頷いた。
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十日目
ユウジがヒナタより三歩先にゴールした。
息を切らしながらも笑みを浮かべている。
「やっ…た…」
ヒナタは一度だけ頷いた。「合格だ。」
ユウジは胸を上下させながら後ろを見る。
ダイチが必死に走ってくる。そしてそのはるか後方――
リンは、点のように小さく見えるだけだった。
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十四日目
ダイチがヒナタの前に滑り込み、雄叫びを上げた。
「ついにいいいいッ!! 勝ったぞおおお!!」
「よくやった。」
ヒナタは淡々。
ダイチは誇らしげな笑みを浮かべる。
二十分後、息も絶え絶えにリンがたどり着くと――
ヒナタは首を横に振った。
「明日もだ。」
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二十日目
リンは速くなっていなかった。
むしろ遅くなっている気がした。
体は限界、頭も回らない。
毎朝、脚が悲鳴を上げる。
毎晩、布団に倒れ込みながら「なんで俺だけ…?」と思った。
ユウジとダイチは別の訓練に進んでいる。
遠くで楽しそうに武器を振るっている声が聞こえる。
自分だけ、ただ走る。ずっと。失敗し続ける。
「やっぱり…みんなの言う通りだったのか。」
リンはつぶやいた。
「グリッチだっただけで、本当は俺なんかがここにいるべきじゃ…」
足が根っこにつまずき、よろめく。
「…もうやめてもいいんじゃないか。」
その言葉は胸に重く沈んだ。
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二十二日目
リンは訓練に来なかった。
部屋で天井を見つめ、失敗の記憶を次々と反芻する。
ユウジのあのニヤけた表情。
マキの哀れむような目。
ヒナタの「明日もだ」という冷たい声。
ドアがノックされた。
「リン?」
マキの声。
「大丈夫? ヒナタが待ってるよ。」
「行かない。」リンは小さく言った。
沈黙。
「話す?」
「…いや。」
また沈黙。
そして小さな声で、
「わかった。でも…必要なら、いつでも来て。」
足音が遠ざかる。
リンは目を閉じた。
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二十三日目
今日も行かなかった。
だが夜、暗闇の中で急に記憶がよみがえる。
母が三つ目の仕事を終えてボロボロなのに、優しい笑顔で白い刀を渡してくれた日のこと。
――「リン、母さんはお前を誇りに思うよ。」
リンはゆっくり起き上がる。
「なんで俺が諦めなきゃいけないんだ。」
「なんで、勝手に終わらせるんだ。」
拳を握りしめる。
「Sランクなんだ。たとえバグだろうが偶然だろうが…ここに来たんだ。証明するまでは帰らない。」
ベッドから立ち上がる。
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二十四日目
リンは朝四時に来た。
ヒナタは少し驚いたように眉を上げた。
「早いな。」
「ああ。それと今日の山は…一回じゃない。」
「ほう?」
「二回走る。」
ヒナタはしばらくリンをじっと見つめ――
初めて、口元がほんのわずかに動いた。
笑ったように見えた。
「行け。」
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リンはそこから止まらなかった。
朝は走る。
休憩中は自重トレ。
夜も走る。
腕立て、スクワット、腹筋。
筋肉が燃え、視界が揺れても止まらない。
もうユウジやダイチと比較しない。
見下されても気にしない。
これはもう、誰かに勝つためじゃない。
自分のためだ。
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二十九日目
リンは最後の丘を駆け上がった。
脚は動く機械のように正確に、心臓は爆発しそうに速く、そして頭の中は澄み渡っていた。
ヒナタは十歩後ろ。
あと少し。あと――
ゴールを踏み越えた。
一歩先に。
リンは立ち止まり、息を荒げながら震えた。
しばらく、何が起きたのかわからなかった。
そして理解した瞬間――
「や…やった…俺…本当に…!」
「やったな。」
ヒナタが少し遅れて到着。
リンはその場に膝をつき、涙が溢れた。
痛みでも疲れでもない。
解放だった。
ヒナタは腕を組み、見下ろす。
「よくやった。この訓練は終わりだ。」
リンは涙の中で笑う。「次は何だ…?」
ヒナタの表情はいつも通りだったが、目の奥に何かがあった。
尊敬か、認めたという色か。
「今日は休め。明日から――」
ヒナタは歩きながら言った。
「徒手格闘に入る。」
リンの笑顔は止まらなかった。
かかってこい。
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訓練場の隅でユウジはその様子を見ていた。
何も言わなかったが、帰り際にほんの少し口角が上がっていた。
近くで刀を磨いていたダイチは鼻を鳴らす。
「ようやくバグ野郎が恥を晒すのをやめたか。」
だが、その顔にもわずかな驚きと認める色があった。
そしてマキは、湯気の立つ茶を持ちながらほほ笑む。
「おかえり、リン。」
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