第100話 忍び寄る魔手
魔王軍にも動きが……。
道端に咲いているのは毒花、空は虚しさと不穏を抱かずにいられないような濁った灰色に塗りつぶされていた。
フォーペウロ王国よりも北端に位置する平穏な農村だったであろうその場所は今や見る影もなく荒廃し、建物の残骸からは絶えず不気味な瘴気が立ち上っている。
半ば崩れ落ちた石造りの建物の中で一人の女性は退屈そうに指先を動かしていた。
「ふ~ん……。予想よりもちょっと早かったわね」
ケアが行き届きながらもくすんだ桃色の長髪を指先で弄り、緊張感を抱かせないような声を発しながら黒い羊皮紙を眺めているのは魔王軍の幹部の一人であるメルミネ。
魔族と思わせないような独特な匂いを漂わせ、街で擦れ違えば、誰もが息を呑み、思わず振り返ってしまうような可憐な美少女であり、この腐敗した空気に場違いなほど瑞々しい。
だが、背後に渦巻くその空気は向き合う者の精神を削り取るほどに重苦しい。
「メルミネ様! ご報告申し上げます。尖兵団、予定時刻通り集結いたしました!」
「キメラ軍団も突撃体勢が整いつつあります!」
慌ただしく駆け込んできた二人の部下が跪きながら声を張り上げる。
「オッケ~。キメラの方はちゃんと指示した方角へ行くように誘導しておいてね。でなきゃおかしな方向に進んじゃうからさ」
「「ハッ!」」
メルミネは羊皮紙から目を離さず、気怠そうな物言いで指示を飛ばし、短く応じる部下たちは脱兎のごとく去っていく。
一般に知られるキメラは複数の魔物が偶然に、あるいは自然の変異で混ざり合った不安定な個体だ。
知名度そのものは高いが、魔王軍が持つそれは一線を画している。
それは魔王軍に属する魔族の研究者が人工的に作っている点が従来との決定的な違いだ。
「はぁ……。面倒臭いけど、部下に丸投げするだけじゃ失敗がオチなのよね~。そのために今回の計画はこのあたしがわざわざ駆り出されたわけだしさ」
メルミネは深いため息をつきながら、椅子から立ち上がった。
ぼやきとは裏腹に、その双眸には凍てつくような殺意と為すべきことを完遂せんとする冷徹な意志が宿っている。
魔王軍に属する幹部やそれに類する地位に就いている者には個性や忠誠心に差はあれど、いや、末端を含めて魔王軍に身を置いている者には二つの共通の意志がある
一つは魔王軍の永劫なる繁栄。
魔王がこの世界の真なる支配者として君臨するためには脆弱な人間どもを屈服させ、その生存圏を根こそぎ奪い取る必要がある。
その目下の最大の障害となっているのが四人の聖女を擁するフォーペウロだった。
「あのフォーペウロさえ墜としちゃえば、一気に片が付くからね~」
強固なダムもたった一点の綻びから一気に決壊する。
フォーペウロという名の砦を崩壊させることは人類の精神的な柱を叩き折ることに他ならない。
そのための布石はすでに幾重にも打ち込まれている。
「魔王様に良い報告をするには避けちゃいけないイベントだからね」
そして二つ目は主への……。当代の魔王、リザエラへの絶対的な信頼。
魔王が永き眠りから目覚めて以来、中小規模でしかなかった魔族の領土は数年に渡って確実に広がっていった。
それがどれほど他種族から忌み嫌われようとも、魔族にとってリザエラは暗闇に差し込んだ唯一の光であり、種としての誇りを取り戻してくれた救世主でもあった。
魔族が魔王に従う。それは血に刻まれた歴史よりも重い宿命であることに他ならない。
「まぁ、あっちが上手くやってくれちゃってるなら、あたしが口出しすることもないんだけどね」
メルミネは建物の出口へと歩き出し、ふと足を止めた。
窓に映る視線の先にはまだ平和を謳歌しているであろうフォーペウロがある。
彼女の脳裏には、今まさに内部からその国を蝕もうとしている協力者の顔が浮かんでいた。
「そっちの方はお願いね。新参者さん。あなたがその綺麗な顔で掻き回してくれている間に……あたしがフォーペウロを滅茶苦茶にしてあげるからさ」
下卑ていつつも、どこか魅力的な笑みを浮かべながら、メルミネは建物の外へと出て行った。
◇———
「よしよし……。これでいいわ」
厳かな鐘の音が響く大聖堂の裏手の湿った影が伸びる石壁の隅でジョシュナは満足げに細い指先を這わせた。
表向きの彼女はフォーペウロの宰相ゲータスに影のように付き従う有能な世話係である。
この地位に収まってから一ヶ月にも満たないが、その献身的なまでの働きぶりと淀みのない丁寧な仕事ぶりにより、周囲からの信頼を少しずつ、確実に得ていった。
今や宰相の名を盾にすれば、ある程度自由に動き回ろうと疑いの目を向ける者など一人もいないほどにだ。
「後は、あそこね」
土埃一つない衣服を整え、ジョシュナは人目を避けるように路地裏を歩いていく。
彼女が視線を向けたのは空を突くようにそびえる時計台だった。
美しくも厳かなその塔は住まう者や観光客にとっては景観の一部に過ぎない。
だが、彼女の双眸に映っているのは心が癒されるような景色ではなかった。
「人を刺す準備は念入りに。けれど、仕留めるのはほんの一瞬であるように……」
独り呟くその声は蜜のように甘く、そして氷のように冷たい。
「国が堕ちるのも同じこと。些細な綻びが刹那の間に何もかもを瓦解させるの。ふふふ……想像しただけで私の身体がゾクゾクするわ」
端麗な顔立ちに浮かんだのは見る者を惑わせるほど妖艶でいながら、それでいて吐き気がするほど醜悪な笑みだった。
表で賑わうその喧騒が断末魔の悲鳴に変わる瞬間を夢想しながら、ジョシュナは暗闇へと溶け込んでいった。
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