メダマとミドリ
その村には、山神様を祀ったほこらがあった。
お江戸の町には将軍様がおわしまし、神様や妖怪が人々のそばにいた、そんな時代。
* * *
「なあ、あの山神様のほこらのむこうに行ってみようぜ」
そこらで拾った木の枝を振り回しながら、ミドリが言った。
ミドリは、すり切れそうなみじかい着物を着て、髪の毛を頭のてっぺんでひとくくりにした、山奥の村の男の子だ。
山間の田んぼはもう収穫も済んで、稲の切り口だけが並んでいる。
朝の手伝いを終えたら村の子どもたちはみんなで集まって、鬼ごっこやかくれんぼなどして遊ぶ。
今日はおさむらい様ごっこをしようと言ってたけど、ミドリは急に冒険しようって言い出した。
「ええー……」
「ほこらのむこうは行っちゃだめだってかあちゃんが言ってた」
「村長様に怒られるよ」
村の子どもたちはみんな叱られるのがいやで、尻込みをする。
「いやいや、聞けよ、あのほこらのむこうのまんまるの山は、神山といって、きれいな女の人だけが住んでる村があるんだって」
「ええー……」
「ウソだぁ」
「女の人だけじゃ、畑仕事がたいへんだろう?」
みんながワイワイと言ってくる。ミドリは、首を振って、秘密を打ち明けるように声をひそめる。
「それが、大丈夫らしい。いつでもきれいな花が咲いて、おいしい木の実が実っているって」
「木の実ならそこらになってるじゃん」
ひとりが不満げに言う。
「それは、いまは秋だからだろ、真冬の寒い中でも、おいしい果物がたーっくさんなってるんだって!」
ええーっ、とみんなが声を揃えて驚いた。
「いいなあ、冬にイモ以外が食えるのか」
「たーっくさんあるならおれたちにも分けてくれるかな」
「冬になったらお願いに行ってみようよ」
「バカだなあ、冬に山に入ったら、迷子になって寒くて死んじまうぞ」
「じゃあ、だめじゃん……」
「だからさ」
ミドリはにやりと笑う。
「今のうちに山に入って、道にしるしをつけておくんだよ。木の枝の高いとこにぼろきれとかでしるしをつけておけば、雪で道が埋まっちゃってもわかるだろ」
「なるほど!」
小さい子どもたちはそれでもまだ尻込みしていたけれど、大きい男の子たち数人が賛成した。
結局、ほかの子どもたちにしっかり口止めをしてから、男の子たち数人でこっそりと山神様のほこらにむかった。
* * *
山神様のほこらの裏は、だれも入らないので、木や草がうっそうと生えていた。
「草すげえー」
「前がぜんぜん見えないよ」
「足もとに気をつけろよ、急に崖になってるかもしれないぞ」
誰もいないのに、なんとなく小声になって、ヒソヒソと話しながらそっと山を登っていく。
「なあ、ミドリ、誰からその話聞いたの? その、山に女の人だけの村があるって」
「ああ、行商の人」
「えっ! 行商の人来てたの!」
行商人とは、薬とか塩とか、いろんなものを持ってきて売ってくれる人のことだ。
一日中歩いて山を下りたら町があって、そこにはお店があったりするけど、この村にはお店はない。
だから、たまに行商の人がいろいろ売りに来てくれる。
珍しいおもちゃとかを見せてくれることもあって、子どもたちはみんな行商の人が来るのを楽しみにしている。
「いいや、下の道を通り過ぎて行った。休んでたとこでちょっと話をしてくれただけ」
「なんだぁー」
「村によってってくれればいいのに」
「オレたちとあんまり変わんないくらいの男の子だったよ、親方とはぐれて追いかけてたのかも。でっかいくすり箱を背負っててさ、少し休んだら急いで行っちゃった」
「うわあ……それは、村によるどころじゃないね……」
「あんまり怒られないといいね……」
大きなおとなに怒られているその子を想像して、みんなで、はあ、とため息をつく。
そんなふうにおしゃべりをしながら、ところどころで、木の上にのぼって布のしるしを結んで歩いていると、うっすらと霧が出てきた。
「おい、霧が出てきたぞ、はぐれないように気をつけろ」
言いながらミドリがふりかえると、もうそこには誰もいなかった。
「あれ? おい、おまえたち、どこに行った?」
キョロキョロとあたりを見回したが、木の枝につけてきた布きれのしるしが見えない。それどころか、だんだんと濃くなった霧の白い色以外何も見えなくなってしまった。
耳を澄ませたが、草を踏む音どころか、鳥の声もしないほど静まりかえっている。
「……おい……」
だんだんと不安になってきたミドリは、霧の中に踏み出すのも恐ろしく、その場に立ちすくんだまま大声をあげる。
「おーい!! 誰か!! 誰かいないか!!」
「なあに?」
突然に、耳もとで返事があった。
「わあああぁぁ!」
ミドリは心臓が飛び出しそうなほどおどろいて、飛び上がって尻もちをついた。
「呼んでたからメダマ来たよ? なあに?」
落ち着いて見れば、ミドリより小さな女の子だった。
自分のおどろきぶりが恥ずかしくなって、ミドリはあわてて立ち上がってから、
「おまえ、村の子じゃないな!」
ってえらそうにふんぞり返って言ってみた。
「メダマ、村の子じゃない?」
女の子はきょとんと首をかしげる。
「目玉ってなんだよ……、気持ち悪いな」
「メダマはメダマだよ?」
女の子は自分を指さす。
「メダマって、お前の名前!?」
女の子は、うん、とうなずく。
「変な名前!!」
ミドリは思わず大声で言う。メダマはびっくりして、見開いた目に涙をいっぱいにためる。
「メダマ……、変な名前?」
「うわあごめんごめん、大丈夫、変じゃない!」
いつもだったら、やーいやーい変な名前ー! とか言っちゃうはずのミドリは、なぜかめちゃくちゃ慌てた気持ちになって、メダマをなぐさめる。
「変なのは……、オレだな?」
なんだろう、このもやっとした気持ち。村の女の子を泣かせたときも、うるさっ、とか、オレが叱られるじゃん、とかしか思わなかったのに。
「あんた、変?」
メダマが言う。
「いや、オレも変じゃない! ていうか、あんたじゃない、オレはミドリだ」
「ミドリ?」
「そう、ミドリ」
「ミドリ!」
メダマがうれしそうに笑う。ブワッとほっぺに血が上がってくる感じがして、ミドリはあわててメダマから顔をそらした。
そして、あれ、と言った。
「霧がうすくなってきた……?」
「あ、山神様見えるよ」
「山神様!?」
ミドリはギョッとして、メダマの指さす方を見た。
うすくなってきた霧の中、少し離れた丘の上に、見上げるほど大きなものがぼんやりと浮かんできた。
「ひぃっ、でっ、でか……?」
あせったミドリの目に、だんだんはっきりと見えてきたのは、巨大なゴツゴツした岩だった。
「……岩じゃねえか!」
「岩じゃないよ? 山神様だよ? メダマたちの母様だよ?」
「母様? 岩から人は生まれねえよ!」
だまされてビビらされた、と思って、ミドリが怒っても、メダマは首をかしげるばかり。
ひょうしぬけしたミドリも、一緒に首をかしげて考えた。
「……そういえば、お地蔵さまも石だし、山神様も岩でもおかしくないのかな……?」
岩を見ながら、うーん、と考える。
「母様ってことは、メダマは『神様の子』ってこと……? 巫女さんってことかな? あ、女の人しか住んでないのって、巫女さんの村だからなのかな?」
ミドリは、メダマを振り返って聞く。
「お前、どこに住んでるんだ?」
「姉様と、みんなと、住んでる」
「姉様?」
「うん。あ、姉様そこにいるよ?」
「えっ?」
ミドリが目を上げると、岩の上にチラッと人かげが見えた。
(あれ、あの行商の子……?)
と、なぜか思ったが、霧の中のかげにしか見えなかったのに、わかるわけがない。気のせいか、とすぐに忘れた。
その時、ザッと風が吹いて、一瞬にして霧が晴れた。
霧の晴れたむこうには、一面の花畑と、丘の上の大きな岩、その下に広がる小さな村がくっきりと見えた。
「えっ……、さっきまで草ぼうぼうだったのに……」
ミドリがキョロキョロしていると、メダマが
「姉様ー!! 人がきたー!」
と大声で呼んだ。
岩の上には、もう誰もいなかった。
「あれー? 姉様ー?」
メダマが首をかしげて、村の方に目をやる。
村は、藁葺き屋根がいくつか集まり、その間に小さな畑がポツポツとある。それぞれの家の木には、色とりどりの果物が実っていた。
その村のほうから、女の人が三人、こちらに向かって歩いてくる。
(うわ……、すっげぇ美人。美人すぎてみんな同じ顔に見える)
ミドリはぽかんと三人を見つめる。
三人は、優しそうにメダマに笑いかけ、ちらりとミドリを見た。
「ふもとの村の子?」
「あっ、はい!」
ミドリは思わず背筋を伸ばして答える。その答えを聞いて、三人はメダマの頭をなでた。
「メダマ、友だちになったの?」
「友だち?」
メダマが首をかしげる。
三人がうふふふ、と笑い、ミドリの方へ向き直る。
「メダマは生まれたばかりだから」
「この村はメダマしか子どもがいないの」
「よかったら、友だちになってあげてくれる?」
「あ、は、はい!」
ミドリはあわてて返事をする。
返事をしてから、
(生まれたばかり?)
と、ちょっと不思議に思った。
五歳くらいには、なってるよなあ?
三人は、うふふ、うふふふ、と笑い合う。
「ありがとう」
「また遊びに来てね」
「村に来れるようにしておくから」
女の人のひとりが、赤くて丸い、小さい木の実をたもとから取り出して、白くて細い指でつまんで、ミドリの口にツンと押し当てた。
「はい、あーん」
「えっ」
驚いて開いた口の中に、ポンと木の実が押し込まれた。
「んぐっ!?」
「じゃあ、また今度ね」
「ほかの子には内緒よ」
ざあっ、と風か吹いたと思ったら、気がついたら山神様のほこらの裏手にいた。
「あれ? なんで? メダマ? メダマー!」
呼んでも返事はない。
口の中には、さっきの木の実の、甘酸っぱくて、少し渋い味が残っていた。
* * *
「ここにいたぁぁ! ミドリぃぃ」
「心配したようー!」
ほこらの裏から顔を出すと、そこにいた子どもたちにすごい勢いで抱きつかれた。
「おれたち、グルっと回って歩いてたらしくて、気がついたらほこらに戻っちゃってたんだ」
「なんだあ、って笑いながら見たら、ミドリがいなくて」
「もうちょっとさがしてもいなかったら、おとなを呼びに行こうと思ってたんだ」
「よかったようー、おとなに言ったらぜったい怒られるもん」
子どもたちが口々に言う。
「なんだおまえら、オレの心配じゃなくて叱られることを心配してたのかよ」
みどりは少しむくれて見せたが、心のなかでは、みんなにナイショのすごい場所を見つけたことを、ひそかにうれしく思っていた。
* * *
「ミドリー! 今日は何して遊ぶ?」
「あ、ごめん、オレちょっと行くとこがある!」
最近、ミドリはいつもこの調子だ。
ほこら裏の冒険以来、ぜんぜん村の子と一緒に遊ばない。
こんな山奥の村なんて、行くとこなんてそんなにない。
最初は、ミドリのかあちゃんにたのまれて、隣村にでもお使いに行ってんのかな、とみんなで話してたが、こんなに毎日お使いに行く用があるわけない。
何回か、みんなでこっそりあとを付けてみたけど、いつの間にか見失ってしまって、行き先はわからなかった。
季節はもう、冬にさしかかり、まだ雪は降っていないが、今朝は霜が白く降りていた。
「ミドリ! あんた近ごろいつもどこに行ってんのよ!」
「うわっ、アカネ……」
川ぞいの道を、霜を踏んで山のほうへ、駆けていこうとしたミドリの前に、どん、と腕を組んで立ちふさがったのは、ミドリと同い年の村の女の子、アカネだ。
「なんだよ、関係ねーだろ」
「関係なくないわよ!」
「なんでだよ!」
「なっ……、なんでもよ!」
アカネはいつもよくわからない理由でミドリにからんでくる。
ミドリは面倒くさくなって、自分の身長より高い土手を一気にかけ上がって、ぴょいと川原の草むらに飛び込んだ。
「あっ! 逃げるんじゃないわよ!」
ミドリが走る後ろで、ガサガサとアカネが川原の枯れた草を踏む音がするが、その気配がだんだん遠ざかる。
フフン。オレの足についてこれるわけないじゃん。
ミドリはアカネをかるがると振り切り、ぐるっと方向転換して神山の方へと走って行った。
* * *
「ミドリ!」
神山に入ってしばらく歩くと、いつものように霧が出て、それが晴れると、花畑に出る。そして、笑顔のメダマが迎えてくれる。
帰りには、いつもあの赤い実をひとつぶ、もらう。
聞いた話のとおりに、冬になっても、花は枯れないし、木の実も実っている。さっきまで冷たかった風も、ほんのりと暖かい。
「ミドリ、待ってたよ! ねえねえ、今日は何して遊ぶ?」
メダマは、最初のころとくらべて、しゃべるのが上手になってきてる。
「遅くなってごめん、今日はちょっと、村の子につかまっちゃって」
「そうなんだ」
「アカネって言ってさ、いつもからんでくるんだ」
「そっかぁ」
メダマは少し考えたあと、
「お友だちがたくさんいていいなあ」
とぽつりと言った。
ミドリはちょっと考えた。
(オレだけ特別なのがよかったんだけどな)
でも、メダマを友だちに紹介できるのは、それはそれでうれしい。
「なあ、ふもとまでおりてくる? 友だちに紹介するよ」
「えっ? でも……」
メダマは目を伏せた。
「……メダマは人のところに行かないほうがいいと思う」
「え、どういう意味?」
「わかんない……、わかんないけど、よくない気がする……。メダマはミドリが好きだから、よくないことが起こるのはイヤだな……」
好き。
ミドリは、ブワッと顔が真っ赤になるのが自分でわかった。
いや、絶対そんなに深い意味はない。
友だちがオレしかいないから。
そういうことだ。
自分に言い聞かせながらも、ミドリは顔のほてりがおさえられなかった。
「い、いや、悪いことなんて起こらないよ。起こっても、オレが守ってやるから」
ちょっとカッコつけすぎかな、と恥ずかしくなったが、メダマはうれしそうに目をかがやかせた。
「ほんと? ほんとに悪いこと起こらない?」
「うん、あ、でも、村のみんなにはナイショだったっけ? メダマ、怒られちゃう?」
「わかんない! みんなに聞いてくる!」
メダマは走って村までもどり、すぐにうれしそうに走って帰ってきた。
「姉様が、ミドリはもうナカマだから大丈夫だから、下まで降りていいって!」
「ナカマ?」
よくわからないけど、信用してもらえたってことかな。
ミドリとメダマは、ワクワクしながら、すぐにふもとの村まで降りた。
* * *
「かわいいー! 何この子、ミドリの親せきの子?」
「この子の面倒を見てたから、最近一緒に遊べなかったのかぁ」
村の子たちはすぐにメダマとなかよくなった。
メダマはたくさんの子どもたちに囲まれて、最初はオロオロしていたけど、すぐにみんなと一緒に遊び始めた。
みんながメダマを、かわいい、かわいい、と言ってかまっているのに、なんでかアカネは、ひとりで不機嫌になっていたけど。
みんなで遊んでいたら、あっという間に夕方になり、ミドリはメダマを送ってほこらの裏へ行く。
「明日も村に来るか?」
「うん! 姉様がいいって言ったらね」
「じゃあ、また明日、むかえにくるな」
ミドリはそこでメダマと別れて、明日を楽しみに家に帰った。
* * *
その夜、ミドリは怖い夢を見た。
大きな岩の山神様のまわりに、あの村のきれいな女の人たちが、うふふ、うふふ、と笑いながら立っている。
「みつけたわ」
「みつけたわね」
「つながったわ」
「つながったわね」
夜の星と、細い三日月がすごくきれいで、女の人たちもすごくきれいで。
でも、なぜかすごく怖かった。
* * *
次の日。
怖い夢を見て、ミドリはなんだか、調子が悪かった。
それでも、家のお手伝いをちゃんとして、それから山へ向かった。
今日も、メダマを村へ連れてきて、みんなと遊んだ。メダマはとても楽しそうで、ミドリがよかったなって言うと、メダマはうん、と笑った。
今日は川原で、魚を取ったり、鬼ごっこをして遊んだ。
「水、冷めてぇー!」
なんて言いながらバシャバシャ川に入ったり、川原を駆け回ったりしていた。
とても天気がよかったのに、しばらくしたら急に曇って、雨が降ってきた。
「うわっ、やべー!」
「家まで走れー!」
みんなが土手へむかって走る中、小さいメダマは追いつかなくて、がんばって走っているけど、一番うしろに離れていってしまう。
もう少しで土手だというところで、急に川が濁り、水が増えはじめた。
「鉄砲水だ!」
誰かが叫ぶ。
山の下でぜんぜん雨が降っていなくても、山の上ではすごく降ってる時がある。上で水がたまってしまって、それがいっぺんに流れ落ちてくることを鉄砲水と言う。
みんながあわてて土手に駆け上がったところで、大量の水が大きな音とともに押し寄せてきた。
「メダマ!!」
やっと土手半分くらいまで登ったメダマに、ミドリが土手上から手をのばす。
メダマがその手につかまって、ミドリは力いっぱい引き上げようとする。
大量の水は一気に川原にまで乗り上げて暴れまわり、土手のふもとをたたいて、もう今にもメダマを飲み込みそうだ。
「メダマちゃん!」
「ミドリ!」
気が付いた子どもたちもあわてて戻ってきて、ミドリとメダマをつかんで引っぱる。
アカネもまっ先に駆けてきて、いちばん前でメダマをつかんで、一所懸命ひっぱっている。
「よいしょぉっ!」
みんなにひっぱられて、メダマはやっと土手の上までズルズルっとあがってきた。
ミドリはドスンとしりもちをついて、土手のへりに座り込む。メダマはそのそばで四つんばいで、ハアハア息を切らせている。
川の水は、土手の半分の高さまで来ていて、ごうごうと恐ろしい音を立てている。
「そんな端っこにいたら危ないわ、ミドリ、メダマ、早くこっちへ来なさいよ」
「ああ、うん」
メダマとミドリが立ち上がったとき、足もとの土手がふいに崩れた。
「ミドリ!」
アカネが伸ばしてきた手に向かって、ミドリはとっさにメダマを突き飛ばす。
アカネがメダマをがっちり抱きとめたのを見ながら、ミドリはあお向けに土手から落ちる。
「ミドリ!!」
「ミドリー!」
みんなの声がひびく中、ミドリは激しい川の流れにのみこまれていった。
* * *
川の中で、冷たい水の流れにもみくちゃにされているのに、ミドリはなぜか苦しくならなかった。
まわりに、メダマの村の女の人たちがたくさんいるような気がして、不思議に思ったが、強い流れの中、目を開けることもできない。だが、どういうわけか、声だけは聞こえてきていた。
「ミドリ。メダマを助けてくれたのね」
「メダマが助かってよかったわ、メダマは特別だから」
「メダマは山神様の目玉だから、壊れてしまっては困るの」
「山神様のごはんが見つけられなくなってしまうの」
「線を越えて、人を見つけることが出来るのはメダマだけだから」
(線? 線ってなんだ。ごはんを見つける……? 人を見つける……?)
ミドリは水流に翻弄されながら考えるが、目が回ってしまって考えがまとまらない。
「もうすぐ百年目の新月だから、山神様にたくさんのごはんを用意しなくてはならないのに」
「村は、人がたくさんいて、ちょうどよかったのに」
「でも、ミドリには恩ができたわ、村の子たちにも」
「しかたがないわ、ごはんはほかでさがしましょう」
「恩に報いましょう」
「恩に報いなければ」
どういうことだろう、と思いながら、ぐるぐるうずまく水の中で、ミドリは気を失った。
* * *
「……ミドリ!!」
その呼び声に、ミドリはハッと目を覚ました。
「ミドリ、よかった……!」
ミドリのとうちゃんとかあちゃんが、ミドリを抱きしめた。
ぼんやりと見回せば、ミドリのまわりには、村のみんな、村長様も、じいさまばあさまにいたるまで、全員が集まっていた。
村人みんなでミドリのことを探してくれたらしい。
「だいぶ川下まで流されたが、岸に引っかかって止まってて良かった」
「水もあまり飲んでない。運がいいな、ミドリ」
村のおとなたちが、ミドリの肩をポンポンとたたく。
村の子どもたちはわあわあと泣いていて、悪いことをしたなあとミドリは思った。
「ありがとうな、みんな。心配かけてごめんな」
「……ミドリのバカっ!」
「……うん、アカネ、ごめんな」
一番泣いているアカネに、なんだか一番申しわけなくて、ミドリはアカネに、何度もあやまった。
ミドリは綿入れのはんてんでぐるぐる巻きにされていたけど、それでも寒くて、両親の腕の中で、ブルッと震えた。
「おお、寒そうだなミドリ。……さて、暗くなる前に、急いで帰ろう。風呂にでも入って、身体を温めないと、みんなも風邪を引くぞ」
村長様が言って、ミドリのとうちゃんがミドリを抱き上げたとき、足もとから妙なゆれが伝わってきた。
「地震……?」
みんなが足を止めて様子をみていると、だんだんゆれは大きくなり、立っていられないほどになった。その時、不意に、村の方から、恐ろしく大きな音がひびいてきた。
「……山崩れだ!」
「逃げろ!」
村人たちは高いところへかけ上って、みんなで身を寄せ合う。
村人は全員、奇跡的に無事だった。
* * *
あれから、ミドリはメダマに会っていない。
あの日、メダマはいつの間にかいなくなっていた。
山神様のほこらは、崩れた神山の土砂に埋まって、もうどこにあったかもよくわからない。
村は半分、土砂に埋まってしまい、掘り出すのが大変だったけど、みんな無事だったからなんとかなる、とおとなたちは笑っていた。
あのほこらは、神様の領域と人の領域を分けるためのしるしだったと、あとで聞いた。
でももう、神山もなくなってしまったし、越えてはいけない線を、引かなくてもいいだろう、ということになった。
ミドリは知っている。
線は、神様の領域を守るためじゃない。
村を神様から隠すためのものだったんだ。
* * *
ミドリは、あの日から熱を出して半月も寝込んだ。
ミドリの家はつぶれてしまったけど、村はずれの空き家が無事だったので、ミドリはそこに寝かされて、ばあさまたちが交代で面倒を見てくれた。
村の一番長生きのばあさまが、ミドリのおでこに当てた濡れた手ぬぐいをとりかえながら、ミドリのおかげで村のみんなが助かったねえ、と言った。
でも、自分のせいで村が山神様に見つかっちゃったのかもしれない、と、ミドリは、熱に浮かされながら、ここまでの出来事をポツポツと話した。
ばあさまは、やさしい顔で、うん、うん、と聞き終えると、
「昔からね、あのほこらのあたりで行方不明になる人が、たまぁにいてねえ。神様の世界に行っちゃったんだね、って言われてたんだ。
ミドリは無事に帰ってこれて、えらいねえ」
と、言った。
そして、ミドリの掛け布団をポン、ポン、と叩きながら、友だちに親切にして悪いことなんてないよ、と言ってくれた。
ミドリがやさしくて勇気があったから、村が助かったんだねえ、と。
そうなのかなあ。
そうだといいなあ。
* * *
その夜、ミドリはまた夢を見た。
あの花畑の奥の、丘の上の山神様の岩。
それが、ゴソ、と動いた。
バキバキと岩がわれたと思うと、そこにたくさんの虫のような脚が現れた。
丘のように見えていたところは、ぜんぶ山神様の体で、周りの土をガラガラと崩しながら、山神様はダンゴムシのように開き、転がり、地面に這った。
見れば、山神様が抜けたところから、神山が崩れはじめている。
山神様は、山のように大きな背中に、あの村の女の人をたくさん乗せて、山を崩しながら、進んでいく。
先頭には、あの行商の子がすわって、楽しそうに笑っている。
くずれた神山は土砂になって村をおそったが、山神様も行商の子も女の人たちも、振り向きもせずずんずん山奥へと入っていく。
うふふ、うふふ、という笑い声が、どんどん遠ざかる。
行き先には霧が立ちこめている。
(メダマ!)
夢の中で、ミドリは思わずさけんだ。
笑い声がやんで、女の人たちがみんなでこっちを見た。
ああ、なんで怖いのかわかった。
みんな同じ顔、同じ表情なんだ。
やがて、その中から、すっとメダマが前に出た。
メダマだけは違う。
小さいから、だけじゃない、みんなと顔は似てるけど、表情が違うんだ。
メダマはミドリを見てパッと笑顔になったが、すぐに悲しそうな顔になる。
そして、なにかをひとこと、口にした。
そのままふいと前を向いて、もう二度と振り返らず、山神様とともに霧の中へ消えていく。
(メダマ! メダマ!!)
夢の中で、ミドリは何度もメダマを呼んだ。
その声は霧に吸い込まれて、なんの答えも返してこなかった。
* * *
「メダマ!」
叫びながら、ミドリは布団からガバッと起き上がった。
自分が泣いているのに気がついて、ミドリはあわてて手で顔をぬぐった。そうしながら、もう二度とメダマには会えないんだなと、ぼんやりと思った。
夢の中で、メダマがなんと言ったか思い出せない。
ありがとう、か、ごめんね、か、さようなら、か。
またね、だったらいいなと思いながら、ミドリは顔をぬぐい続ける。
何度ぬぐっても、なぜかほっぺたはいつまでも濡れたままだった。
― 終わり ―
ここまでお読みいただいてありがとうございます!
小説家になろうの公式企画に参加したくて、童話とは……、と悩みながら書きました。
ジャンル違いだったらすみません。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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