うっかり、薬を口移しで飲ませてしまった
普通の貴族のお姫様なら、この状況になったらおとなしく屋敷で悔し涙に暮れるものだ。いや、お姫様ならそもそも民衆のために何かをするという発想はしない。
しかしながらクローディアは、将来の王妃を目指す人物だ。反対勢力の妨害で、食料配布ができなくなることも彼女の予想の範囲内であった。彼女は民衆のためにまだ手を打っていたのだ。
「テディ、備蓄庫の食料を活用する案は諦めよう。殿下が平等に民衆に配布すればそれでいい。我々は次のプランBを早急に進めないとな」
プランBとはセオドアが得たとある情報を元に、準備を進めていた計画だ。実施できる見通しが立ったところで、セオドアはクローディアに伝えていた。それはセルディア熱を治療する薬の開発と投与方法に関する計画である。それを聞いたときのクローディアの判断は早かった。
すぐにプランBを極秘に研究している施設に向った。この施設は郊外にある空き家。バーデン公爵家の持ち家で、使用人の宿舎として使っていたが、老朽化で立て直す予定であった建物だ。
クローディアとセオドアが到着すると、エリカヴィータが待っていた。セオドアが研究施設の守備として、彼女を派遣していたのだ。極秘とはいえ、研究内容が他に漏れると大変な事態になることを警戒してのことであった。
かなり有効と思われる治療方法であるが、研究途上で中途半端に漏れた場合、それを悪用する者や効果のない状態で広がってしまう可能性もある。
ただでさえパンデミックで人々が混乱し、パニックになっているから、そのようなことになれば収拾がつかない。
「セオドア様、研究は予定以上に進んでいるそうです」
エリカヴィータはそう報告した。詳しくは実際に研究している科学者から聞くことになるが、プランBとはセルディア熱に効果のある薬の開発のことであった。
セルディア熱に効果のある薬の存在をセオドアが知ったのは偶然であった。当初その噂は、南部のペルラヤ地区の小さな村から流れた。無論、そのようなガセネタは王国各地にあってそのほとんどが根拠のない民間療法や効果が疑わしいものであった。しかし南部のペルラヤ地区の噂はかなり真実味のある噂であった。
セオドアの領地ラット島の数少ない特産品に香草があるが、それを出荷しているのがこのペルラヤ地方であった。香草を扱う商人がペルラヤ地区のある村はセルディア熱患者が一人も出ていないというのである。
しかもセルディア熱の症状が出た村外の者がこの村に行くとなんと2日で完治したというのだ。
セオドアはこの話に興味をもち、詳しく調べた結果、この村の住人は毎朝、この村特産のキノコが入ったスープを飲んでいる事が分かった。そのキノコは『雫茸』と呼ばれるもので、この村で生産されている特産品であった。このキノコが入ったスープを飲むと熱が下がり、喉の腫れは収まり、2日ほど眠ると全快するというのだ。
これは大変なニュースになるはずであるが、国中に同様の偽情報があふれかえっていることもあって、同様のガセネタと思われていた。そうでなければ、人々が殺到して村がパニックになってしまうところであった。
これはセルディア熱に聞く特効薬のヒントになるのではと考えたセオドアは、このことをクローディアに話したのだ。クローディアはこの話を聞いてすぐに宰相の父に話し、都から医師団の派遣を要請した。
派遣された医師団は、現地調査を丹念に行い、各家庭で出されているスープの成分を調査。いくつかのサンプルを使って、実際に患者にスープを飲ませたところ、その効果についていくつかの事実が判明した。
それは雫茸だけがセルディア熱に対して効能があるわけでなく、一緒に入れた香草との相乗効果であることが分かってきたのだ。
その香草というのが、これまた南部にしか生息しない『キジューネ』という植物で、これとキノコを一緒に煮たスープに効果があることが判明した。セオドアの治めるラット島の特産物であり、ペルラヤ地方へ出荷していた香草である。
「雫茸は南部地方に広く生息する茸で、市場で調達することは可能。しかも茸は乾燥させたものも効果があることが分かっている。乾燥させた雫茸は南部地方の特産品でもある。そしてキジューネという薬草は・・・・・・」
クローディアはにやにやしながらセオドアを見る。セオドアは頭をかいた。運命というのはこういうときに味方をする。生産地の領主だから、香草の量を確保するのは簡単である。
しかし、スープが効くからと言ってこれを広げるにはリスクがあった。スープに効果はあるが、あくまでも食べ物でしかない。作り手のやり方によって薬効成分が台無しになることもあるだろうし、量によってもっとも病に効き方が変わってくる。
「研究は最終段階となり、実際に使用できる段階まで来ています。まずはキジューネを乾燥させます。乾燥したものを砕いて、雫茸の煮出したスープと調合をします。調合の割合で効果は変わってきますが、動物実験ではある調合割合で98%の被検体に劇的な効果がみられました」
研究者はそう報告した。これは予想以上の効果が期待できそうだ。
「問題は人間に対する治験だな……」
動物実験は失敗が許されるが、人間相手だと危険が伴う。普通ならセルディア熱で命が危ない患者に投与してその効果を確かめればよいのだが、心優しいクローディアは躊躇していた。
「ゴホッ……」
突然、クローディアが咳をした。顔が蒼白になっている。
「クロア!」
「ダメだ、近寄るな!」
セオドアがクローディアに近づこうとしたが、クローディアは片手を突き出してそれを拒んだ。
「クロア、感染させない配慮なら無駄だよ。どれだけ君と一緒にいたと思っているんだ」
セオドアは突き出したクローディアの手を握って、今にも崩れそうな彼女の体を抱きかかえた、
「ベッドはどこだ?」
「と、隣の部屋に……」
驚く研究員たちを落ち着かせ、セオドアはぐったりとしたクローディアをベッドへと運ぶ。先ほどまで元気そうに見えたクローディアであったが、額に手を当てるとかなりの熱を感じた。
急激な体調の悪化。激しい咳と高熱。セルディア熱の典型的な初期症状であった。クローディアはここ数日、不眠不休で民衆たちに食料を配布する仕事や、薬に関する仕事をしていた。その間に町に出て恵まれない子供の世話までしていた。感染してもおかしくない。
「テディ……だめだ。おまえまで感染してしまう」
「クロア、これは神様の天啓だと考えよう。できた薬を使おう。君も飲むし、僕も飲む。これで君が治って僕も発症しなければこの薬の効果が分かる」
「……そうだな。我の体で確認できる。薬を飲まなければ我は死ぬかもしれない。使うのは必然だ」
「それではそうしよう」
「うむ。動物実験で98%の効果の薬だ。村人たちが飲んでいたスープは実際に効果があった……ゴホッ」
「分かった。すぐに用意してもらう」
セオドアは研究員に薬を用意してもらう。キジューネと雫茸の乾燥粉末を調合したものをお湯で溶いたものだ。
「クロア、薬だ。飲めるか?」
クローディアはぐったりして返事をしない。セルディア熱の初期症状で稀に激変して急激な意識混濁を伴う症状がある。こういう場合は薬が飲めない。
「セオドア様、どうしますか?」
心配そうに顔をのぞき込むエリカヴィータ。セオドアも困惑する。薬の効果は期待できる。しかし、これは口から摂取しないと効果が期待できない。
「仕方がない」
セオドアはコップに入った薬を口に含んだ。そしてぐったりしていたクローディアに口づけをする。口
移しで飲ませたのだ。
「グッ……ゴホッ」
少しむせたが薬液はクローディアの喉を通過していく。
「やむを得ないとはいえ、うらやまし過ぎます。それにそのやり方ではセオドア様にも確実に感染してしまいます」
エリカヴィータはクローディアの額に水に浸して冷たくしタオルを似せながら、少し怒ったような口調でそう言った。
「もし僕が同じ状況になったら、君も同じことをしただろう?」
「もちろんです」
食い気味にエリカヴィータは答える。セオドアは笑いながら、研究員に指示する。
「薬の効果が確かならば2、3時間後にはクロアの熱が下がるはず。それが確認できたら、君たちも薬を飲みなさい。予防効果もあるはず。その結果をもってこの薬の大量生産を行う」
セオドアはそう決断した。




