うっかり、食料を奪われてしまった
「何だと、クローディアが?」
離宮で友人たちと遊び倒していたエルトリンゲン王太子は、大学の取り巻きの一人からクローディアが町で炊き出しを計画していることを聞いた。
「また、あの目立ちたがりの女が人気取りに動き出しやがった」
エルトリンゲンは忌々しそうにそう言って、酒の入ったグラスを一気に飲み干した。取り巻きったちと連続連夜遊んでいるので、その目は疲れで濁っている。しかし、クローディアの話になると黒い気持ちが彼の頭脳を活性化させる。
「殿下、備蓄庫の食料は王家のもの。ここはアイデアごと奪い取って、いっそのこと殿下の手柄にしてはどうでしょうか」
エルトリンゲンの傍らにいつもいるナターシャがそう進言した。ナターシャにぞっこんの王太子は、その言葉に頷く。その進言は忌々しいクローディアに一泡吹かせると同時に、自分の評判を高めることができる。
「さすが、我が愛しの花、ナターシャだ」
「さすがは殿下。決断が早いですわ」
「当たり前だ。この手柄をもってお前を王太子妃にするよう父上を説得する」
「それだけでは足りませんわ。あのお姫様をこの際、徹底して貶めないと……」
ナターシャはエルトリンゲンの耳元で何かを囁いた。エルトリンゲンの目が輝く。国の備蓄庫へのアクセスは、公爵令嬢の立場でしかないクローディアよりも王国王太子の自分の方が優先して関われる。
そしてナターシャの提案を実行すれば、クローディアの評判は地に落ちるだろう。そうなればクローディア推しの父や母も折れるに違いない。
「よし、クローディアのアイデアをそのまま奪い取ってやれ。そしてあの女との婚約を破棄する」
エルトリンゲン王太子はすぐに動き出した。まずは国の備蓄庫への干渉。クローディアが父の宰相に働きかけて、備蓄庫の食料の無料開放をする手続きしていたのを王太子命令で凍結させる。
そしてその食料を無料で配布させる準備をしたのだ。そしてクローディアがこのパンデミックの中、動き回っているのを「男漁りをしている」と噂を流したのだ。悪いことにクローディアは人々への炊き出しの準備をするために、公爵家から外出して動き回っていたから、この噂は真実味を帯びてしまった。
伝染病で苦しむ民衆は、贅沢な生活を続ける貴族への怒りを高めていたが、その象徴が公爵令嬢クローディアに向けられたのだ。
*
「備蓄庫の食料が政府によって差し押さえられただと?」
クローディアは報告を受けて絶望した。当初はクローディアが主催する民間団体が無償でもらい受け、それを炊き出しにして配布する予定であった。
炊き出しに使う大鍋の調達に戸惑っていたが、海軍のフリゲート艦に装備されている金属製の大きな弾よけの盾が鍋に使えそうだと分かり、廃艦予定であったフリゲート艦から調達できる算段をしている途中であった。
また市内の数十カ所で炊き出しを行うことで、密集の緩和を図る計画立案ができたばかりであった。うまくいけばセルディア熱の感染期間1週間を上回る1ヶ月間の定期的な炊き出しが実行されるはずであった。
食料備蓄庫の管轄は農業省であったから、農業大臣の許可を得ていたのだが、エルトリンゲンは国家安全局の『国家安全法の緊急案件』としてその許可を無効としたのであった。そして陸軍の守備隊を派遣して備蓄庫を強引に自分のものにしたのだ。
「これはまずいですね。王太子殿下はクロア様のアイデアを盗んだようですが、炊き出しまで考えが至っていないのが残念ですね」
セオドアもクローディアから状況を聞いてため息をついた。王太子は国の備蓄庫のアイデアは盗用したが、面倒な準備がいる炊き出しについては無視したようだ。彼のやることは食料の無料配布だろう。
しかし、それだと効果は限定的となる。病気の人は配布会場にはいけないし、調理もできないからだ。
「殿下の命令だというが、せめて無料配布先を病院や施設にしてくれればよいのだが・・・・・・」
今までの努力が無駄になったクローディアもエルトリンゲン王太子が国民のために最善を尽くすことを祈った。彼の周りの人間も無能ばかりではないはずだ。クローディアが危惧したことくらいは気がついて、王太子に進言するはずである。
エルトリンゲンがクローディアから横取りした食料してから3日後。クローディアの願いは簡単に打ち砕かれた。多くの支持を集めたいエルトリンゲンは、スピードを重視して町の中で備蓄庫の食料を無料で配布したのだ。
当然ながら人々が殺到し、配布会場は大混乱に陥る。そしてセルディア熱の感染も広がることになる。また、配布された食料は一部の者に大量に流れ、のちにそれが法外な値段で闇市に売られるということになってしまった。
完全な失政である。本当に食料が必要な人々には行き渡らず、力の強い者、権力がある者が食料を独占する事態は、配布の準備がいい加減であったことが原因である。
ただ、食料を無料で配ったという功績は、エルトリンゲン王太子の評判を上げた。効果検証が行われた後日には失政とされる失態であるが、当初は歓迎されたのであった。
「……こうなることはわかっていたのに」
クローディアは町の各所に派遣した従者から、食料に群がる住民の混乱ぶりを聞いて落ち込んでいた。こういう事態を防ぎたいが為に入念に準備していたことがすべて泡となってしまったことに落胆していたのだ。
「食料を横取りされたのは仕方がありません。少なくともこの無料配布で助かった人もいるでしょうから」
そう言ってセオドアはクローディアを慰めた。これまでセオドアの屋敷で作戦を練っていたが、今日はセオドアがクローディアの屋敷に来ている。これまでは、国の食料庫の配布をエルトリンゲン王太子にバレないためにセオドアの屋敷で極秘に準備をしていたが、どこからか漏れてしまったのだ。クローディアの悪評も流されているために、今は外出を自重しなくてはいけない。




