うっかり、伝染病の問題に関わってしまった
講和条約の成立とそれにともなう戦争の終結。敗戦で国内が再び混乱に陥ったフランドル共和国とは対照的に、エルトラン王国には平穏な日々が訪れていた。
陰の立て役者となったクローディアとそれを支えたセオドア。2人とも大学生に戻った。また、フランドル共和国で煽動工作をしていたエリカヴィータも帰国し、セオドアの屋敷で使用人として働いている。
セオドアが切望する平和で平凡な日が来たはずだったのに、季節が冬に入るとまた事件が起きる。
エルトラン王国の冬は、積雪はさほどではないが、寒風が吹きすさぶ厳しい日が続く。そして乾燥した空気のおかげで呼吸器系の病が流行することがある。
後に『セルディア熱』と呼ばれる新しい病気が流行しだしたのは、大陸の南。アリディア海に面した貿易の国セルディアであった。
それは多数の死者を出して一挙に大陸中に広まった。大陸の北に位置する島国エルトラン王国にも貿易船を通じて伝播するのは時間がかからなかった。
セルディア熱は高熱と呼吸器疾患の症状で患者の命を奪う。肺が冒されて肺炎となり、呼吸困難で死亡するのだ。特に栄養状態が悪い下層市民の死亡率は高かった。
病気の流行とともに、ボニファティウス王立大学は1か月の臨時休校となり、セオドアも屋敷に籠って1週間が経過していた。新聞によるとセルディア熱に罹った貴族も何人か死亡したという。
「テディ、この伝染病の流行を収める知恵はないか?」
クローディアがテーブルを叩いてセオドアに詰め寄っている。なぜ、セオドアの屋敷にクローディアがいるのかは、彼女の言動が全てを物語っている。要するに、将来この国の王妃になることを切望し、そして根っからの国民を想う気持ちがそうさせたのだ。今頃、バーデン公爵家では、大騒ぎになっているだろう。
何しろ、国王が出した緊急事態で不要不急の外出は禁じられた中での外出である。昼間は食料や生活必需品の調達のために、外出は認められるが夕方5時からは禁止である。
夕方5時以降は、特別に許可された者以外は、警備隊に貴族といえども逮捕されてしまうくらい厳しいものであった。夕方5時までにはオドアの屋敷から帰るとは思うが、外出が病気の感染につながるリスクは排除できない。
(毎度の事ながら、困ったお姫様だ……)
クローディアにそう助言を求められても、セオドアにもいい知恵はない。医学方面のことを聞かれても、素人では対処のしようがない。
「これといったものはないです。それにクロア様の御父上がいろいろな方策をとっておられるのでは?」
セオドアはまたまたクローディアが一介の学生の立場をわきまえず、また首を突っ込むのだろうと思っていた。戦争の講和条約の立役者となって以来、一介の大学生と言うのはおこがましいのではあるが。
疫病の流行のような国家の存亡にかかわる問題は高度な政治の仕事である。宰相の娘とはいえ、今はただの学生。講和条約の時のように、役割があたえられていない今の立場では、何かできるとか考える問題ではない。
「そんなことは分かっている。お父様は病院のベッド数を増やし、栄養のある食べ物を確保。病気になりやすい貧民に分け与えている。病に罹った者の隔離も行っている」
国王の出した外出禁止令も宰相の発案であろう。セルディア熱は患者の咳から空気感染すると思われていたから、この施策は有効であった。
「完璧じゃないですか。さすがは国王陛下の右腕と呼ばれる宰相閣下ですね。となると我々学生は指示に従って、大人しく家で勉強をすることしかできませんね」
そうセオドアはクローディアの父親を褒めたたえると同時に、この件に関しては大人しくするのがよいと暗に伝えた。父親を褒められてクローディアも悪い気はしないようであるが、それでも真顔で後半部分に対してセオドアに反論をしてくる。
「ボニファティウス王立大学の学生は、国の中枢でこの国をリードする人材だ。それがこの危機に何もしないのはどうかと思う」
(そうだよね~。このお姫様が大人しくしているはずがない)
セオドアは改めて、クローディアの良い面と悪い面をみる。良い面はこうやって常に国の事を考えていることだ。高貴な身分と裕福な立場に甘んじず、それを貧しい者、弱い者への貢献に使う。それは自らを将来の王妃。国母としての責任を果たすという信念に基づくものである。
「しかしクロア様。下手に町に出て活動すると病気に罹ってしまいますよ」
悪い面は自分の安全を顧みないという点である。セルディア熱は空気感染する。咳やくしゃみをする患者と同じ部屋にいると次々と感染していく。よって患者は隔離するしかない。看病する者は口と鼻にマスク。手洗いを頻繁にして接するが、看護する者もり患は避けられない。
放っておくと自ら看護師のようなことをしかねないクローディアをセオドアはそうやって釘を差した。
セオドアに言わせれば、こうやって民衆の苦しみを知って何とかしなければと考えているだけでクローディアは合格だ。
こんな状態にも関わらず、将来の王になるエルトリンゲン王太子は、離宮で遊び仲間を集めて毎日宴会をしているという。王都の状態がどうなっているか知らぬはずがないが、相変わらず恋人のナターシャを片時も離さない。
王太子のそういう生活は、伝染病で苦しむ民衆から恨みを買っている。王家に不満がぶつけられないのは、献身的に民衆の保護のために次々と政策を打ち出す王と王妃の姿のためである。
(もしかしたら、クロアも同じかもしれない)
婚約者の王太子の評判を少しでも上げたいために、このようなことを言い出したかと思うと、その報われぬ愛情に思わず涙が出てしまいそうになる。
そう考えたセオドアは、クローディアにできることはないか思案した。学生でもできることはある。
「クロア様の御父上の政策は大半の貧しい民衆を救うことにつながっていますが、そこから漏れている人たちがいないわけではありません」
「そんな人間がいるのか?」
「クロア様が知らないのは無理もありません。彼らはエルトラン王国の市民権をもっていません。また、持っていても人には言えない職業につかざるを得ない身分の人たちです」
セオドアの説明にクローディアは(ムムム……)と考えている。そして答え半分、疑問半分と言った表情でセオドアに質問した。
「前半の人間は我が国に滞在している不法滞在外国人のことだな?」
「そうです。大陸各地から貧しい生活に耐えかねた人々が、景気の良いこの国に移住を望んで来ています。この王都にも相当数の不法滞在外国人がいるでしょう」
「うむ。彼らはエルトラン王国の民ではない。出るところに出れば、不法滞在者ということで強制送還される身だ」
口ではそう厳しいことを言ったクローディアであったが、話しはそんなに単純ではないことをしっかりと理解していた。彼らは確かに違法にこのエルトラン王国に住み着いている。それでも相当数になっても逮捕しないのは、もはや彼らの労働力なしにはエルトラン王国の経済が回って行かないことに起因する。
彼らはエルトラン人がやりたがらない掃除や洗濯、土木作業といった肉体労働や飲食店の接客業務などに欠かせない人材となっている。
ところがセルディア熱の流行で、飲食店は営業ができなくなり、多くの不法外国人たちは職を失っていたのだ。そして正式なエルトラン人ではない彼らに国の援助は届かない。
「彼らは不法滞在とはいっても、これまでわが国で働いて社会を維持してきた存在です。ここで見殺しするのは王国の信義ではないでしょう」
「……そうだな。そしてお父様たちは表立って彼らには援助を差し向けられない。そうなると我ら民間の出番となるわけだ」
政府が堂々と不法滞在者に援助するわけにはいかない。かといって、彼らを見捨てることは死につながる。治安の悪化への影響も大きいし、病気のまん延の温床になることで、収束が遅れることにもなる。
「分かった。ボニファティウス王立大学キャビネットが主体となった支援団体を設立し、彼らに支援の手を差し伸べよう」
セオドアにヒントを与えられたクローディアはうきうきとした表情になった。ヒントさえあれば、クローディアの優秀な頭脳はフル回転し、すぐに驚くようなアイデアで解決案を創り出すであろう。
「それでテディ。もう一つの支援先についでだが……。人には言えない仕事とはなんだ。そんな仕事があるとは思えないが?」
(ああ……やっぱりそうだよな)
先ほどのクローディアの疑問半分という表情の原因がこれだ。「人には言えない仕事」である。
それは風俗業のことだ。女性が男性に性的なサービスを含む接客業である。エルトラン王国に限らず、どの国にもそういう仕事は様々な形で存在する。
人との接触で伝染するセルディア熱は、この類の仕事を駆逐していた。人間は快楽よりも死ぬ方が怖い。そしてそういう仕事に従事する女性も感染が怖いから仕事ができない。
それでも多くの女性が生きていけないために身を売るしかない。こういう職業の者を公爵令嬢という身分で超箱入り娘のクローディアが知らないのは当たり前である。




