うっかり、暗殺者たちを返り討ちにしてしまった
2時間前に遡る。
晩餐会に向かうクローディアの馬車は、急に道を曲がり脇道へと方向を変えた。脇道なので道幅は狭く、人通りはほとんどない。建物に囲まれて方向も変えられない。
馬車はしばらく走ると前方に障害物が置かれて、それ以上進めなくなっている。やむなく馬車は停止する。
「エルトラン王国の主席秘書官、クローディア・バーデン嬢の馬車だな。降りてきてもらおう」
前方には仮面を付けた黒づくめの男たちが7人。そして後ろには5人。みんな銃を携えている。
御者は恐れおののいて、飛び降りると手を上げて壁に張り付く。黒ずくめの男たちは御者を捕らえると手を後ろ手に縛り、引きずって行く。
「おい、貴族女、ビビらなくてもいい。平和のためにその高貴な身を生け贄に捧げるだけだ。高貴な血とやらは、我々民衆のために流されるというのが革命の本質」
黒づくめの男たちの中でもリーダー格と思われる男が馬車の扉越しにそう話しかける。卑猥な笑みがマスクに覆われていない口元に表れる。
男は馬車の扉に手をかける。鍵はかかっていなかったが、何かワイヤーのようなものが邪魔をしている。
「何か引っかかっているのか。おい、貴族女、無駄な抵抗は止めろ」
勝ちを完全に疑っていなかったリーダーの男は力尽くで扉を開いた。その途端、扉に仕掛けられた罠が作動した。
小さな矢が不意に放たれたのだ。それは慌てて防御した手のひらを射貫く。
さらに馬車全体から煙が出だした。
「な、なんだ……これは……」
矢には神経を麻痺させる毒が塗ってあったらしく、腕がしびれて感覚がなくなっていく。さらに意識が遠のく。
「隊長!」
慌てて他の黒づくめの男たちが駆け寄る。馬車の周辺は白い煙に覆われ、何も見えなくなる。現場はパニックに陥る。
「テディ、お前の言った通りだったな」
クローディアは混乱に陥っている怪しい男たちを警備兵部隊の隊列の後ろから眺めている。馬車は囮だったのだ。
「彼らが動いていたのは分かっていましたから。革命防衛隊とか名乗っていましたが、所詮は素人集団。罠にはめるのは難しくはなかったですね」
セオドアはフランドル代表団の中に、過激な思想を持っている革命防衛隊の幹部がいることを知っていた。
(ジェスト・コーエン大尉。革命軍の暗殺請負のリーダー。彼のおかげでフランドル軍が弱体し、エルトラン王国の勝利につながった)
大国フランドルは革命で王政が倒されてもその軍は強大であった。しかし、革命政権の中でも狂信的な連中は、軍の中核をなす指揮官クラスの将校たちを貴族出身と言うだけで暗殺したり、反逆罪の汚名を被せたりして処刑にしたのだ。ジェスト・コーエンはその急先鋒。
彼はこの戦争の敗北の責任者でもある。そんな男のやることだ。セオドアには彼の行動が楽に読めた。
「この我を暗殺して交渉を有利に進めるとか、馬鹿なことを考えたようだが。我を消したところでどうにかなると思っているのか」
(十分、意味はありますよ)
そうセオドアは心の中でつぶやいた。この暗殺計画をクローディアに話し、ルートを避ける提案をしたのだが、このお姫様、暗殺を逆手に取ってこの交渉を有利に進める方法を考えた。徹底的にフランドルから利権をむしり取る気だ。
「クロア様がそれだけ有能だということですよ」
セオドアはすかさず褒めておく。このお姫様には気分よく仕事をしてもらった方が面倒くさくなくていい。
「テディ、我を褒めても何も出ないぞ」
そう真顔で言ったクローディアだが、表情はまんざらでもなさそうだ。警備部隊が一斉に威嚇射撃をする。黒づくめの男たちは降伏するしか手がない。何しろ、前方も前も警備兵部隊に取り囲まれているのだから。
「隊長殿、彼らには報いを受けてもらいます」
クローディアはそう言って隊長に何やら耳打ちをする。既に騒ぎで周辺の住民たちが大挙していた。
「いや、それはいくらなんでも……」
「奴らは平和条約の外交団を襲ったのだ。もはや全参加国の敵だろう。そういう輩は罰を与えねばな」
クローディアは警備隊長を説得すると、今度はエルトランの警備兵に命じて、男たちを裸にして、町の広場に柱を立てて、2,3時間さらし者にしたのだ。首にはそれぞれの素性を書いた看板をつるした。
市民は喝采を上げてそれを見た。新聞記者たちはこぞって記事に仕立てる。何しろ、平和条約を結びに来た一方が代表団の一員を暗殺しようとしたのだ。しかも殺そうとした相手が可憐な美少女だったこと。そしてその可憐な美少女が、策にはめて暴漢を返り討ちにしたこと。晒された暴漢の一人が有名な革命防衛隊の幹部だったことが話題に火を付けた。
この事件はフランドル代表団にとっては、もはやすべてを失う大失態であった。相変わらず、エルトラン王国の全権大使を務める王太子は二日酔いとかで休んでいたが、代わりを務めた秘書官のクローディアと次席大使のヒュッテ外務大臣が強気に要求を推し進める。
代表団を暗殺を目論んだという負い目と、自国での暴動のニュースがハリスを追い詰めた。もはや、エルトラン王国が示した条件を飲むしかない。
「あら、まさかとは思いますがこれで我々が妥協するとでも……。何しろ、私のようなものを殺めようと画策しておいて、大国フランドルの名誉というものが汚されるというもの。どうでしょうか、ここは大国として誠意を見せましょう」
「しかし、マウス諸島の割譲と港の解放はいいでしょう。賠償金の上乗せはいかがなものかと……」
「1000億エイト。上乗せ分は私への慰謝料。貴国の革命軍隊員の身代金ですよ」
「しかし、シェールズ地方の全割譲や追加で領土の割譲をしているのです。これ以上は本国政府が承知しないでしょう」
ハリスはもう汗が止まらない。目の前の令嬢の要求の恐ろしさに体が震える。可愛い顔してすべてをむしり取る悪魔のような娘である。
「ここからはオフレコです。記録からは削除してください。ハリス大使様。ここは私の言うとおりにしておくことです。考えても見てください。今回の失態はすべてジェスト・コーエン大尉の暴走が原因。ここで大きく失ったすべての責任は彼を代表する革命防衛隊という過激派の責任ですよ。これを使って彼らを排することができれば、あなたは救国の英雄ですよ」
そう小声でクローディアはハリス大使に話した。確かにそうだ。この交渉の失態はすべて過激派の連中の責任だ。これを追求すれば革命政府も正常化が進む。うまく立ち回ればハリス自身も政府内での立場を強くできる。
(それに……)
クローディアに譲歩しておけば、将来、間違いなく自分に恩恵が来るだろうと考えた。
(この娘は将来、王妃になる器だ。あの馬鹿王太子の横に立つかどうかかは分からないが、この娘を敵に回すのは愚の骨頂だ)
ハリスはここは徹底的に譲歩して、クローディアに恩を売っておくことと、譲歩が大きいほどジェストの失態を大きくすることができると考えた。ここにリビングストン条約が締結される。戦争は終わり、エルトラン王国軍遠征軍は帰還。戦争は終わりを告げた。
全権大使であったエルトリンゲン王太子は、この条約の成立の立役者として、帰国後大いにもてはやされたが、徐々に真実が伝わると彼の素行の悪さと相まって、陰で馬鹿王太子と評判を落とした。
それとは正反対に条約締結を主導したクローディアの評判はうなぎ登りとなった。未来の王妃としての地位は大きなものになったのだ。




