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うっかり悪役令嬢を落としてしまいました  作者: 九重七六八
第6章 終戦条約締結 編
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うっかり、バカ息子の行動を見誤ってしまった

 クローディアから内示をもらってから1週間後。セオドアはクローディア筆頭秘書官付き臨時書記官を正式に拝命した。 

 そして今、オスカーハイゲン王国の都市リビングストンに来ている。オスカーハイゲン王国は大陸の西端に位置する大国。かつては大陸を支配していた老大国である。歴史と伝統はあるが現在は農業国で経済活動は低調。国はフランドルと国境を接し、島国であるエルトラン王国と隣国であるフランドル共和国とは共に友好国。今回の戦争では中立を保っていた。


 今回の和平交渉はオスカーハイゲン王国が仲裁に入り執り行われることになった。交渉は景観地で有名なリビングストン。ここは温泉地で名高い。

 かつてのオスカーハイゲン王国の首都でもあり、交渉に仕える宮殿や王所有の別荘などの建物があった。

 この地で様々な思惑が交錯する交渉が行われようとしていた。エルトラン王国は全権大使としてエルトリンゲン王太子。次席大使としてヒュッテ外務大臣。フランドル共和国はハリス国務大臣が全権大使として交渉に臨んでいる。

 クローディアはエルトラン王国代表団の筆頭秘書官として同行している。筆頭秘書官は、交渉テーブルに付くことはできないが、交渉が行われる部屋で待機し、状況を見守ることができた。そして時には本国からの指示や調査結果を全権大使に耳打ちすることができた。


 クローディアの役割はまさにここに尽きる。交渉中に耳打ちで助言できるのだ。これによって暴走するかもしれない王太子を制御できる。これは不詳の息子を憂いえた国王の苦肉の策であったが、同時にこの難局を共に乗り越えることで、息子とクローディアの仲を取り持とうとしている。

 しかしながら、クローディアにとっては二重に困難を抱えているといってよい。エルトリンゲン王太子は無能ではないが、意固地で独善的過ぎる面がある。自分がこれと決めた人物の言葉は信じるが、そうでない場合は検討すらしない。

 恐らく、クローディアの助言を真剣には受け入れないだろう。そして婚約者としての面でもクローディアは徹底的に嫌われているのだ。


 そんな窮地に追い込まれたクローディアをサポートするのがセオドアの役割である。クローディアに頼まれたこともあるが、彼女に父であるバーデン公爵がセオドアを正式に娘の部下として任命したのだ。

以前、バーデン公爵はセオドアにクローディアに近づくなと言われたことがあった。今回の任命はその言葉と正反対になる。バーデン宰相の思惑がどうなのかセオドアは疑問に思う。


(これはどう考えても厳しい結果になるだろう……。交渉の失敗は全権大使である王太子の責任だが、クローディアもその責任を問われるだろう)


 セオドアはそう考えている。どう考えても、エルトリンゲン王太子にこの難しい交渉を指揮する能力はないのだ。

 そんな周辺の心配も全く我関せずのエルトリンゲン王太子は、秘書官に任命されたクローディアを無視して自分のパートナーとしてナターシャ嬢を同伴させたのだ。これはもはや婚約者たるクローディアに対する裏切り行為と言ってよい。父の想いを全く分かっていない。

 交渉は夕方から連夜行われるレセプションやダンスパーティーを伴う。社交界の常として、女性の同伴者は必要ではあるが、王太子は婚約者のクローディアは秘書官として扱い、ダンスパーティーのパートナーはナターシャ嬢としたのだ。

 エルトラン国王の思惑は完全に裏目に出てしまった。国王はお気に入りのクローディアと共に困難な仕事をこなすことで、仲を深めさせようと思ったのだ。 


 しかし、不肖の息子はそれを逆手に取った。エルトリンゲンとしては、公の場でナターシャをお披露目させ、将来の自分の伴侶として各国の有力者に示したいと考えたのだろう。この和平条約の全権大使になりたかったのも、ナターシャのお披露目をしたい一心だったとしか思えない。

 これは国のために命を失った多くの英霊たちにとっては、あまりにも失礼な態度であり、王族としての義務に反する行いである。


「それにしてもよくクロア様は耐えていらっしゃいます」


 巻き込まれてとてつもない重責を背負わされた挙句、屈辱的な立場を享受しないといけないクローディアをセオドアはそう慰めた。が、当のクローディアは王太子と平民娘の浮気には全く動じていなさそうであった。それより、難航する交渉に全てを賭けていると言った風情で疲れ切っている。


「昼の交渉で我は疲れ切っているのだ。夜のパーティーで殿下のお相手は無理だ。ナターシャ嬢にその職務は譲る……」


 そうクローディアは答えた。実際、毎日タフな交渉でクローディアの神経は削られていた。これは全権副大使を務めるヒュッテ外務大臣も同様である。疲れすぎて、夜の晩さん会に出席を辞退することが多かった。


「今の交渉はどうなっています?」

「うむ。まずは我が国の要求を突きつけ、それに対してのフランドルの回答を待っているところだ」

「まずは相手の妥協点を探る段階ですかね」


 セオドアはそう言って、今回の条約で戦勝国であるエルトラン王国が要求している項目が書かれたメモに目を落とした。


(1)シェルズエール地方の割譲

(2)クアロ・ポルテ公国の承認

(3)賠償金5000万エディトの支払い

(4)北ロイルランドのエルトラン王国領有の承認

(5)カレー港の自由使用権


 この5つが重要なエルトラン王国にとって、最重要な要求であった。シェルズエール地方は、今回の戦争の発端となった領土である。元々はエルトラン王国の領地である。50年前の戦争で失い、今回は取り返したことになる。

 大陸に保有する飛び地であるがその位置は重要で、島国であるエルトラン王国にとっては、大陸進出の足掛かりとなる場所にあった。

 そして4つ目の承認は今回の条件の中で、最も難航しそうなものである。北ロイルランドを巡ってはロイッシュ共和国との領有権争いをしており、この項目を承認するということは、エルトラン王国側に立つということになる。

 フランドルからすれば、ロイッシュに恨まれるというデメリットでしかない。また、今後の巻き返しを図る時にロイッシュとの関係を良好に保つ必要がある。

 それを見越してのエルトラン王国による踏み絵と言ってよかった。また、賠償金の支払いも難関である。エルトラン王国軍はフランドル共和国軍の主力部隊を撃破したものの、首都に侵攻してこれを占領したわけではない。

 補給に支障をきたしたエルトラン軍は、これ以上進めないという事情もあった。賠償金を支払うということは、完全に負けを認めることであり、フランドルとしては認めたくはない。戦争で経済が疲弊しているところで、賠償金となったら、民衆が政府を倒そうと立ち上がる恐れすらあった。


「条件のうち、2つ目までは問題ないだろう。シェルエール地方は歴史的にも我が国の領土であった。今も実効支配している。クアロ・ポルテ公国は我が国への協力を考えれば、絶対に認めさせる必要があろう」


 クローディアはそう考えている。クアロ・ポルテ公爵は元々フランドルの貴族。共和国制になったフランドルから分離した。その独立戦争にエルトラン王国が加勢したことでこの戦争は始まったのだ。そういった意味では、この承認は譲れないものだ。


「外交交渉は、油断すれば食われるくらいの壮絶な戦いでもあります。クロア様も今日はよく寝て明日の交渉に備えてください」


 セオドアはそう言ってクローディアに休むように促した。クローディアは頷いて宿舎へと戻る。入れ替わりにエリカヴィータがやって来た。


「セオドア様、ご命令どおり、フランドル軍の内偵を進める体制が整いました」

「で、今の主力軍は?」

「敗走した軍を再編成して、反撃する準備をしていますが、とてもそれができる体制ではありません。前線では弾薬もなく、大砲も数をそろえていません。ただ、人数だけはそろえて陣を張っているようです」

「交渉用の張り子の虎と言うわけか……」

「ただ、北方戦線にいた2個師団が移動中という情報もあります。この軍が到着するにはどんなに早くても2週間というところでしょうか」

「……それが到着するとフランドルが強気に出るかもしれない。こうなると第1艦隊が出撃できないのが痛い」


 セオドアは先日の第1艦隊の反乱事件がここでも影を落とすことに気が付いた。あの艦隊が動き、フランドルの港に接近するだけでもかなりの抑止力になったはずだ。


「エリカ、北方戦線のフランドル軍の動きの情報は手に入るか?」


 エリカヴィータは頷く。この有能な元特殊部隊のスナイパーは、工作員としても有能で、この地に着任してから情報網の構築を瞬く間に行っている。フランドルに分散している諜報員の情報は、逐次、セオドアが詰める作戦会議室にもたらされる。


「セオドア様、フランドル国内の動きもですが、このリビングストンでも動きがあります。特にフランドル、オスカーハイゲン、クアロ・ポルテの各陣営がこちらに秘密裏に交渉を持ち掛けているようです」


(はあ~)セオドアはため息をついた。エリカヴィータは直接言わないが、その秘密裡交渉のターゲットは、王太子エルトリンゲンであることは明白だ。彼があらゆる誘惑にさらされ、それにより、交渉がエルトラン王国に不利になることにつながる恐れがあった。


「王太子殿下はクローディア様が制御すると思うけど……」


 セオドアの懸念は当たった。翌日の交渉でエルトリンゲンが不用意な発言をしたからだ。


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