うっかり、筆頭秘書官になってしまった
「それでは報告しよう」
事件の数日後にクローディアの屋敷に呼ばれたセオドアは、第1艦隊のクーデター事件についての詳細をクローディアから聞かされた。
屋敷に帰ったクローディアは父のバーデン公爵に事の詳細を報告した。まさか、愛娘が激しい戦闘に飛び込み、解決したとは思ってもみなかったため、話を聞いてこの有能な王国宰相は卒倒した。
そしてその話は包み隠さず国王の耳に入り、極秘のうちにクローディアは国王に呼び出され、事の顛末を聞かされたのであった。
裏で糸を引いていたのはやはりロイッシュ。ロイッシュは密かに工作員を送り込み、第1艦隊司令長官のデュワマール将軍の家族を拉致。それを人質にして第1艦隊に反乱分子を送り込む。
第1艦隊はロイッシュへの圧力のために出撃する予定であったので、これを無効化することが目的であった。
結果的には第1艦隊は本国へ戻ることになり、ロイッシュの目的は達せられた。できれば第1艦隊を内部分裂で撃破する予定であったが、セオドアとエリカヴィータの活躍でそこまでは達成できなかった。つまり、ロイッシュは勝ちすぎることがなく、エルトラン王国は負け過ぎることもない結果であった。
戦争を拡大させないために、各国のバランスを重んじるセオドアにとっては最もよい結果ではあった。
「デュワマール将軍は第1艦隊司令長官の職は更迭された。処罰されるよりはよかったけれど……」
少し残念そうにクローディアは言った。セオドアは頷く。
「ご家族を人質に取られていたとはいえ、王国の象徴である戦艦ドゥラメンテを沈めようとしたのです。反逆罪で処刑されなかっただけマシだと思いますけどね」
セオドアはそう答える。最後は見事な指揮で裏切った戦列艦を撃沈したとはいえ、敵の言いなりになったという事実は消せない。
更迭だけで済んだことは、恐らく、クローディアの口添えがあったのだろうとセオドアは考えている。バーデン家のお姫様は悪人顔でも心根は優しいのだ。
未来の息子の嫁に請われれば、国王もそのような判断をするだろう。現国王ザナックス3世のクローディアに対する評価は絶大なのだ。
「首謀者のミスターKとかいう人物の行方はどうなったのです?」
セオドアは気になってそうクローディアに聞いた。王国に忍び込み、ボニファチウス王立大学でのテロ事件に始まり、この第1艦隊の反乱事件に至るこの騒ぎの元凶は、ミスターKと名乗る恐らくはロイッシュ人が引き起こしていたことが判明している。
「分からない。全力で行方を追っているが、未だに情報が掴めないのだ。恐らく、もうこの国にはいないのではないかと思う」
クローディアの言葉にセオドアも頷くしかない。これだけの事件を短期間で同時に引き起こした人物である。逃げ時を誤ることはないだろう。恐らくはロイッシュの手の者とは思われるミスターKは、今頃、ロイッシュで祝杯を上げていることであろう。
何しろ、脅威となる第1艦隊の派遣を阻止したのだ。軍事的脅威を取り払ったロイッシュは、今度は外交で攻勢をかけて来るだろう。ようやく、休戦に持ち込んだフランドルとの戦争終結に悪影響を与えかねない。
「しかもフランドルとの和平交渉が難航しているらしい」
現在、エルトラン王国とフランドル共和国は休戦中である。戦争はエルトラン王国の有利なうちに進み、大敗したフランドル共和国が講和を打診してきたのだ。今の段階は予備交渉しているところだろう。
(しかし……予備交渉中にこのお姫様の耳に入るって……)
セオドアの懸念を察したように、クローディアは頷いた。これは国家機密であり、いくらクローディアが王国宰相の娘であっても知りえることではない。それを従僕に過ぎないセオドアに話しているのだ。もう機密どころか広範囲に知れ渡っていると公言しているようなものだ。
「クロア様、それはかなりヤバい情報じゃ……」
「そうだ。とんでもない機密情報だ。この情報をなぜ我が知っていると思う?」
「クロア様が父上であられるバーデン公爵から聞いたから……?」
セオドアはあえて思ってもいないことを口にした。現在、フランドルとの予備交渉をしているのは、外務大臣であるが逐一、宰相であるクローディアの父、ウィリアム・バーデン公爵が裏で指揮をしているのは周知の事実である。
しかし、有能な宰相であるバーデン公爵がいくら溺愛しているとはいえ、大学生に過ぎない娘に国家機密を漏らすはずがない。
「殿下だ……」
そうつぶやくクローディアの目は死んでいる。もう絶望しかないという表情である。
クローディアが「殿下」と呼ぶのは一人しかいない。婚約者であるエルトリンゲン王太子である。正確には王太子の恋人であるナターシャ・フォーブルが友人に漏らしたのだ。それが広まってクローディアの耳にまで入って来たのだ。
「しかも殿下はこの度、フランドルとの和平条約の全権大使に任命される予定だ。これも自慢げにナターシャに話したことが漏れて噂になってしまっている」
「……マジですか?」
思わず耳を疑ってしまたセオドア。戦争を有利に進め、フランドルの実質的な降伏という状況に追い込んだ上での和平条約締結である。全権大使が出て来るまでにある程度は予備交渉で決定しているものと思われるけれども、外交の駆け引きに絶対はない。無能な王太子が全てを台無しにする危険がある。
「予備交渉の段階で、外務大臣のヒュッテ侯爵様がある程度は進めているとはいえ……」
「全権大使が王太子殿下では本交渉で巻き返されることは必定。今回の件でフランドル側が強気に出てきて、交渉が難航するに違いない」
「それを分かっていて、なぜエルトリンゲン王太子が前面に立つのです?」
セオドアはある程度察しがついてはいたが、そう敢えてクローディアに聞いてみた。クローディアは苦虫を嚙み潰したような表情をする。
「全部、ナターシャ嬢と結婚するためだ」
(やっぱり……)
セオドアは期待した答え通りの回答で悲しくなった。王太子の私利私欲は国家の行く末を左右しかねない。目の前のクローディアはそれに加えて、婚約者である自分をないがしろにする行為で二重に悲しい。
「王太子殿下は単純に交渉がうまくいくと思い込んでおり、今回の和平条約締結で国民に自分の能力を見せようと全権大使の役を買って出たと思うけど……」
「当初は予備交渉でほぼこちらの要求通りになりそうだったから、国王陛下も何かと問題のある息子に箔をつけようとしたというわけですね」
「そういうことになる。国王陛下はまことに息子思いの方なのだ」
(その思いもロイッシュの横槍で、大変な事態に変わったわけだ……)
クローディアの父であるバーデン公爵もここまで予備交渉をしてきた外務大臣ヒュッテ侯爵も、状況が変わったことを理由に王太子の全権大使任命を取り消すように国王に求めたのだが、一度決まったことを覆すことに納得する王太子ではない。聡明な国王も跡継ぎ息子には甘いところがあり、ここで内定を取り消しては息子の経歴に仇になることを嫌った。
(国王陛下も人の親と言うわけだが……国家の利益を損なう可能性をあの国王が考えないわけがない)
セオドアはそう考えた。そして賢明な国王がバカ息子を任命するにあたって、精いっぱいの保険をかけたことも分かった。
クローディアが国王の呼び出しを受けたのは、事件の報告だけでなく、大変な任務を命ぜられるためであったのだ。
『リビングストン条約全権大使付き筆頭秘書官』
それがクローディアに与えられた官職であった。理由は決まっている。息子に手柄を取らせたい気持ちで、全権大使に任命したが、その任務が予想に反して難しいものになってしまった。それを何とかするために賢いクローディアを息子のアドバイザー役とお目付け役にしたのだ。
婚約者とはいえ、父親から見ても関係が破綻しそうな状況であり、お気に入りのクローディアを息子の嫁にするために画策したといっていい。共に困難を乗り切れば、ヨリを戻すと考えたのであろう。
「国王陛下のお考えは分かりますけどね。クロア様からすれば、沈む船に乗れと言われて共に沈むことになりそうですね」
ちょっと酷い言い方だが、セオドアは端的に今の状況を例えた。クローディアが気の毒であるが、こればかりはどうにもできない。
それを聞いたクローディアはにやりと笑みを浮かべた。セオドアの背筋に冷たいものが走る。
「そこでテディにこの私が頼むのだ。この交渉、王太子殿下に任せられない。テディの力が必要なのだ。我と一緒にオスカーハイゲンに行ってくれないか?」
「え、ええええええええっ!」
「筆頭秘書官は3人の秘書と書記官を束ねる。そのうち、書記官の一人は我自身が任命できるのだ。セオドア・ウォール伯爵」
「は、はい……」
改まって言われるとそう返事して直立不動になるしかない。
「これはウィリアム・バーデン宰相閣下のご裁可でもある。汝をクローディア・バーデン筆頭秘書官付き、書記官に命ず」
(どああああああ~。沈む船に乗せられた~)
セオドアは静かに暮らしたい。その思いで軍を辞めて田舎の領地に引きこもったのだ。それなのにこうやって表舞台に立たされる。
「そんな顔をするな、テディ。我を助けることはそんなに嫌なのか?」
「はあ……。もう今まで散々、クロア様のために働いてきましたが」
「未来の王妃に尽くすのは臣下の務めではないか。それにテディもこの終戦条約が不本意なものに終わってよいと思うか?」
「それは……」
セオドアとしては自分が幼少期から戦争に終止符をうつ和平交渉が、台無しになることは避けたい。知り合いが何人も戦争で亡くなっている。大変な犠牲を払ってようやく終わった戦争である。少しは国にとって有利な終わり方をしなければ、死んでいった者たちに顔向けができない。
書記官としてクローディアと協力して交渉を有利に進めることはできる。エルトリンゲン王太子は無能でも、次席全権大使の外務大臣ヒュッテ侯爵と協力することでそれは可能となる。
「仕方がないですね」
セオドアの答えに(ムッ)としたクローディア。
「仕方がないとは答えがなっていない。主君たる我の誘いなのだ。もっと、言い方があるだろう!」
「はい、クロア様。不肖、この私めがクロア様の下僕として秘書官任務の足しになるよう協力する所存であります……と言えばよいですか?」
「最後が余分だ!」
そう言ったクローディアは何だか嬉しそうだ。顔がどことなくにやけている。
「クロア様、一緒に行くにあたって、エリカヴィータも同行させてよいでしょうか?」
セオドアはそう許可を求めた。純粋にエリカヴィータの能力を期待してのことだ。和平条約の交渉とはいえ、裏ではかなり際どいせめぎ合いが行われるはずである。潜入して相手の動向を探るようなことは頻発するだろう。その攻防にエリカヴィータはうってつけの人物だ。
エリカヴィータの名前を聞いてクローディアはピクピクと瞼が動いた。表情が一転して今度は明らかに不服そうである。
「テディはあの女を傍に置きたいのか?」
「はあ……。一応、彼女は自分のメイドですから」
「メ、メ、メイドだと……まさか、テディ、お前、使用人に手を出してはいないだろうな」
「彼女は昔、一緒に仕事をした仲です。そのような下世話なことはしませんよ。それに彼女はクロア様の任務に役に立つと思いますが?」
エリカヴィータの戦闘力は第1艦隊事件でクローディアも十分に承知しているはずである。
「も、もちろんだとも……。あの女の能力は役に立つだろう」
「では、同行させます」
「い、一応だな……」
「まだ何か?」
「我は秘書官で同行するのだ。地位が高いわけではない。よって宿舎に余裕がない。テディは市内のホテルで宿泊するように。そしてあの女は私の宿舎に同宿させよ」
そうクローディアはセオドアに命じた。ライバルをセオドアと同宿させるほどクローディアは甘くはない。
「よろしいのですか?」
「もちろんだとも。お前と同宿などさせるものか。敵は傍に置いて監視しておかないとな……」
最後の言葉は小さく、セオドアには聞こえていないようであった。




