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うっかり悪役令嬢を落としてしまいました  作者: 九重七六八
第5章 第1艦隊クーデター事件
80/90

うっかり、赤ちゃんができたと思ってしまった

 戦列艦同士の戦闘は一方的な展開で終息した。

 乗っ取られた戦列艦ハピはドゥラメンテを中心とした第1艦隊の砲撃によって撃沈。首謀者たちは戦死か溺死か逮捕。逮捕された者たちには、取り調べが行われた。そこから事件の全容が明らかになったのであった。

 それと同時にクローディア姫の大きな誤解も明らかにある。海域での戦闘が終わり、ブレスト軍港に到着した時に起こった。

 クローディアを迎えに来たバーデン家の馬車が到着し、そこへクローディアが乗り込む時だ。振り返ったクローディアはセオドアとエリカヴィータが見送っているのを見て、自分に言い聞かせるように大きく頷くと踵を返した。


「テディ!」

「ど、どうしたのですか?」


 セオドアはクローディアの真剣な顔に何だかとっても嫌な気がした。


「お前も来い」

「え、今から宰相閣下に報告に行くのでは?」


 デュワノマール将軍は拘束されて、海軍省へと連行される。一連の事件について責任を取らされるであろう。これからクローディアが父である宰相に報告如何によってその刑が決まる。クローディアとしてはなるべく刑を軽減して欲しい気持ちであるから、一刻も早く父親に報告したいところだ。


「自分が行ってもあまり役には立てないと思いますが……」

「その件ではない」


 クローディアの顔が真っ赤になる。そしてセオドアの隣に立っているエリカヴィータを上目で見ている。その目は小動物が肉食獣に対して精一杯威嚇していると例えていいだろう。


「ど、どういう件ですか?」

「お、お前が我を孕ませた件だ!」

「は、はあ!」


 セオドアはひっくり返りそうになった。横に立っていたエリカヴィータも驚いている。


「ち、ちょっと待ってください。どこがどうなるとクロア様を自分が孕ませたことになるのです」

「お、お前は我を押し倒したことがあるだろう」


 クローディアの言葉に今度はエリカヴィータがきつい目でセオドアをにらんでくる。視線が怖い。


「そ、そんなこと一度もないですよ」

「ある。それで我につわりが来たのだ」

「つ、つわりですか?」


 セオドアはクローディアの顔を見る。ついでにエリカヴィータの顔も見る。エリカヴィータは先ほどの怖い表情がなくなっている。元々、セオドアのことを崇拝しているエリカヴィータは、クローディアの衝撃的な言葉に一瞬だけ、セオドアのことを疑ったが、それはものの1秒ほどであった。今はクローディアの言動の不自然さとセオドアの明快な否定に落ち着きを取り戻している。


「つわりと言うと……」

「そうだ。胃がむかむかして吐いてしまったのだ。これは我が妊娠したに違いない」

「それは船酔いでは……。それにクロア様は妊娠するような行為を他の男とされたのですか?」

「ぶ、無礼な。我がそんな破廉恥なことをするはずがない。我の体に触れた男はテディ、お前だけだ」

「体に触れたって……。ああ、あの船室の時のことですか」

「そうだ。責任を取ってもらうぞ」

「少佐……」


 先ほどまで落ち着いていたエリカヴィータの目がジト目になっている。これはまず男女関係について、まともな認識を持っているエリカヴィータに話した方がいい。セオドアはエリカヴィータに耳打ちをする。


「くくく……」


 セオドアの話を聞いているエリカヴィータは最初は驚きで目を大きくし、その次に笑いをかみ殺した。その2人の様子を見ていて、クローディアはプンプンと怒りだす。


「テディ、その態度はなんだ。我を孕ませておいて、他の女に親し気に話すなど、お前がそんなにクズとは思わなかったぞ」

「クロア様、説明しましょう」

 

 セオドアが話そうとするとエリカヴィータが人差し指でセオドアの口を押えた。


「デリケートな問題ですので、私が話しましょう。公爵令嬢、ちょっとこちらへ……」


 エリカヴィータがクローディアを隅に連れて行く。そして子作りが何たるかを説明した。そもそも行為をして1時間もしないのにつわりなど来ないこと。そもそも行為という名の身体接触のレベルまで事細かに話す。聞いていたクローディアは顔が赤くなり、青くなり、そしてまた赤くなった。

 いかに箱入り娘で男と女の関係について知らなかったとはいえ、とんでもない勘違いである。


「そ、それでは我が妊娠したというのは……」

「はい、全くの勘違いですね。それとも公爵令嬢様は男に肌を許した経験はあるのですか。その体に先ほど説明したような方法で子種を注がれたと」

「ぶ、無礼な。我はそんな恥ずかしいことしたことはない」

「では、誤解ということで。まあ、お姫様の可愛らしい勘違いということにして置いてあげましょう。これは秘密です。未来の王妃様のとんでもない大スキャンダルになるところでしたから」

 

 エリカヴィータはそう言って何だかすっきりした。自分の大好きなセオドアを部下にしていろいろとこき使うこの令嬢にもやもやしていたのだ。しかし、改めてクローディアの顔を見ると何だか残念そうな気持がありそうな雰囲気に気づいた。


(このお姫様……まさか、セオドア様のことを)


 女の勘というのは時に全てを見通す。きっとクローディア自身でさえ、自覚していない気持ちを見抜いた。その瞬間、エリカヴィータは唇をきゅっと噛んだ。


(いじわるをしてやれ……)


 そうエリカヴィータの心に誰かが囁く。


「クローディア様」


 エリカヴィータが改まった口調でクローディアの名前を呼んだ。これまで一度もエリカヴィータはクローディアのことを名前呼びしていない。


「クローディア様はセオドア様のことが好きなのですか?」

「な、何を言っている。我が奴のことを好きだと!」

「はい。好きではないのですか?」

「す、好きなものか。我は王太子の婚約者。他の男に懸想などもってのほかだ」

「私は好きです。セオドア様のことが大好きです。セオドア様のお嫁さんになるのが私の夢なのです」


 エリカヴィータは秘めた思いをクローディアに打ち明けた。それをしたのは最大のライバルを消すため。そしてそれが上手くいかなくても次の手段である第2夫人の座を射止めるための戦略である。


「な、な、な、何と!」


 あまりの衝撃にそれしか言葉に出てこないクローディア。でも、これはある程度は分かっていた。セオドアに付き従うこのメイドの女がセオドアのことを好きということは分かっていた。だから心の中がもやもやしていたのだ。


「ですから、クローディア様。是非、私がセオドア様と結婚できるように応援してくれませんか?」

「お、応援だと?」

「はい。未来の王妃様のお力添えがあれば百人力というものです。私とセオドア様では身分差がありますから」


 そういって勝ち誇ったようにエリカヴィータはクローディアを見る。王太子の婚約者であるクローディアがセオドアとどうにかなるわけがなく、クローディアは頷くしかない。


「わ、わかった……お前とテディを……お、応援……」

「んん?」


 涙目になったクローディアはそこまで口にしたが首を振った。


「ダメだ。テディは我のものだ!」

(あれ?)


 エリカヴィータは予想した展開にならないことに戸惑った。どう考えてもこのお姫様は応援側に回るしかなかった。まさにチェックメイトのはずだ。


「クローディア様は王太子と結婚するのですよね。だったらセオドア様とは結ばれないのですよ。未来の王妃となる者、貞淑であらねば……」

「分からぬ……。もしかしたら、我があいつと結婚する未来もあるかもしれない。だから応援はできぬ」

「あら、このお姫様。堂々の二股宣言ですか。そんな浮ついた気持ちだから、王太子殿下に嫌われるのではないですか?」


 エリカヴィータはそうクローディアの内心をえぐり取るような言葉を囁く。こんな会話をセオドアには聞かせたくはない。


「浮ついてはいない。我のテディへの気持ちは分からないのだ。もしかしたら、彼のことを好きなのかもしれない。王太子殿下には全く相手にされていない我は、意地になっているだけで、もう王太子妃になるつもりはないのかもしれぬ。殿下にはテディに対するような気持ちは一つもない。だが、テディをみていると、なんだか心がチクチクするのだ。テディのことを考えるだけで夜も眠れない。テディの隣にいるだけでワクワクするし、ドキドキもする。エリカさん、これは恋というのだろうか?」

「かはっ!」


 そこまで聞いていたエリカヴィータは、あまりの青酸っぱさに気を失いそうになる。ちょっと押し倒されただけで妊娠したと思い込む幼さもそうだが、このお姫様の純粋さにエリカヴィータは抹消されそうになる。

 クローディアの純粋無垢な存在に、戦争で多くの人を殺して来たエリカヴィータは人間の血で染まった真っ黒な存在である。クローディアの前に立つと自分の存在が消えてしまいそうだ。


(このお姫様は強敵だ。だが憎めない敵だ。そして利用価値は高い)

 エリカヴィータはそう思った。そして自分の想いを果たすためには、この公爵令嬢と協力することがセオドアを射止めることにつながるとも思った。


「……分かりました。でも、負けません。私もセオドア様のことは諦められませんから……」

「我も負けないぞ!」

 

 クローディアは右手を出した。エリカヴィータはその手を握る。ライバルとして戦闘するための儀式だ。


「2人とも話は済んだか?」


 事情を知らないセオドアは、何とかエリカヴィータがクローディアの誤解を解いたのだとしか思っていない。


「セオドア様、話は終わりました。クローディア様はお屋敷にお帰りになります」


 そうエリカヴィータは言った。クローディアはつんと澄まして、迎えの馬車へと向かう。そして乗ろうとした時に振り返った。


「テディ、明日、我の屋敷へ来るように。事の顛末を報告しよう」


 そう言うと馬車に乗り込み去っていたのであった。


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