うっかり、悪役令嬢にお仕置きをしてしまった
「出航!」
デュワノマール将軍がそう告げると、ラッパ手によるファンファーレが鳴り響く。第1艦隊の戦列艦に帆が張られ、ゆっくりとその巨体を大海原へと動き出す。
先頭は2隻の3等戦列艦。その後に1等戦列艦が続き、その両側を3等戦列艦が配置される。それが『群』。この群の後ろに旗艦ドゥラメンテがおり、旗艦を守るように両側に2等戦列艦が配置される。そして旗艦の後ろに前と同じ編成の『群』が進む。
(今のところ、動きはないようだな……)
セオドアは海軍中尉の軍服に身を包み、1等戦列艦の艦橋から前を進む旗艦を双眼鏡で観察している。セオドアは外務省付連絡将校の肩書で、この1等戦列艦バビットの艦橋にいる。
立場が異例なだけに、なるべく艦長を中心とする首脳部の士官たちとは距離感がある。義務以外ではセオドアに話しかける者はいなかった。
それはこれからの行動を進める上で有益ではあったが、居心地の悪さはあまり体験したくないものだと思った。
「セオドア君。どうだね、この第1艦隊の陣容は?」
1等戦列艦バビットの艦長、ルイス大佐がそうセオドアに話しかけてきた。艦橋にいる士官がほとんどが無視する中で、このルイス艦長だけはセオドアに話しかける。
これは艦長の責務というより、セオドアを派遣したであろう宰相バーデン公爵に覚えを良くしてもらおうという魂胆だと思われる。
「素晴らしいの一言です。これが我が国の誇る最強艦隊なのですね。帰ったら宰相閣下に第1艦隊の将兵の練度のすばらしさ、艦長をはじめ、士官の方々の優秀さを報告します」
セオドアはそうおべんちゃらを真面目な顔で述べる。これにはルイス艦長も顔をほころばせた。宰相に名前を知ってもらえれば、艦を降りた後に海軍省でポストをもらえるかもしれない。
1等戦列艦バビットは、旗艦ドゥラメンテの後方に位置する第2群の中心に位置する。
(もし、ドゥラメンテが反乱を起こして、周りの戦列艦を攻撃するとなると、一番危険なのは両側にいる2等戦列艦。次に前を行く第1群)
ドゥラメンテが両側に設置された大砲を発射すると、至近距離でその攻撃をまともに受けてしまう。ドゥラメンテの大砲は左右合わせて140門。前と後ろに2門ずつある。
70発の弾が着弾したら、2等戦列艦などひとたまりもないだろう。混乱のうちに前を進む1群も砲撃される。
反撃の時間があるのは、後方に位置する第2群の艦隊である。しかし、1等戦列艦バビットをはじめ、3等戦列艦5隻では、世界最大の攻撃力を誇るドゥラメンテには歯が立たない。
接舷して白兵戦に持ち込むしか勝つ道はない。そうなると、バビットが取る道は2等戦列艦が破壊された後、急進してドゥラメンテの後方に衝突する作戦が考えられる。
(それをこの艦長が決断できるか?)
セオドアはルイス艦長を見る。このことに関してはセオドアは確信していた。海軍の士官の多くは、貴族出身者で占められるが、ルイス艦長はその中でもたたき上げの人物。そのような状況になれば、きっと迷いなくこのバビットをドゥラメンテにぶつけるであろうと思った。
出航してまだ間もない。動きがあるとすれば、ロイッシュに近づいた公海上で起こるはずだ。それまで十分な時間はあるので、セオドアは一度、艦橋から退出して割り当てられた自室へと向かった。
戦列艦バビットの高級士官の個室。狭いスペースであるが、ちゃんと個室が与えられているのはありがたい。
部屋はベッドと机で占められており、大人2人でいっぱいになる。ドアを開けるとベッドの上に大きなカバンが置かれている。
セオドアの鞄であるが、見た瞬間に違和感がある。革製の鞄であるが、全体的に膨らんでパンパンなのだ。
(おいおい、自分はこんなに荷物は入れてないぞ……とすると)
嫌な予感がする。留め金をパチン、パチンと開けると蓋が勝手に空いた。
「ぷふぁあああ~。死ぬかと思った」
中から出てきたのは人間。キュロットにシャツ、首元にスカーフ。一見すると水兵の格好であるが、人物が醸し出す上品な雰囲気で全くそうは見えない。
クローディアが丸まって鞄に収まっていたのだ。セオドアはため息をついた。
「クロア様、お姿が見えなかったので今回はあきらめたと思いましたが、どうやら買いかぶっていました」
「失礼な奴だな。この大事件に我が関わらないことなどあり得ぬ」
「公爵令嬢で未来の王妃たるクロア様が、これから戦闘が起きる戦列艦に乗り込むなど、狂気の沙汰ですよ。そもそもクロア様は泳げるのですか?」
「ああ、もちろんだ。領地の湖にバカンスに行った時に何度か泳いでいる」
自信ありげにクローディアは(えへん)と胸を張った。セオドアは心の中で頭を抱える。
(マジかよ!)
(湖で泳げるから、海も泳げるなんていくら何でも楽観過ぎるだろ!)
「海と湖は違いますよ。それに宰相閣下の許可を受けてきたのですか?」
あの宰相が絶対に許可しないことはわかっていた。それでも敢えて聞く。
クローディアは首を横に振った。
「許可は受けていないが、禁止もされておらぬ。この事件を解決することは未来の王妃として当然だ」
「当然って……。どこの世界に戦場に現れる王妃がいるのですか!」
「いる。ここにいるではないか」
「クロア様は別です。あなたを基準にするとなんでもありになります。それにこんな鞄の中に入るとは、スパイごっこでもしているのですか?」
セオドアはあきれてしまう。貴族令嬢の発想ではない。いくらクローディアが小柄でも、こんな鞄に丸まって入るとは思いもしない。積み込まれてから、もう2時間は経過しているだろう。
「それについては、少し後悔している。背中と足が痛いぞ」
「そりゃそうでしょう。マッサージでもしましょうか?」
「えっ……お前がか?」
「この狭い部屋に自分以外に人がいますか?」
クローディアの顔がみるみる赤くなった。セオドアはここはお灸を据えておくべきだと考えた。これから起こるだろう激しい戦闘にクローディアがしゃしゃり出て来ては、さすがに守り切る自信がない。
「そ、それは遠慮しておく」
「そうですか……」
セオドアはグイっとクローディアに顔を近づける。わざとそうしたのだ。ビクッと体を震わすクローディア。
「ち、近いぞ、テディ」
「クロア様は無防備過ぎます。このように男の部屋に忍び込むのは危険だということを教えてあげましょうか?」
セオドアはベッドにクローディアを押し倒した。クローディアの両手首を右手で掴み、頭の上で押さえつける。そして左手はクローディアの細い腰に回す。
「じょ……冗談だろ、テディ」
「冗談ではありませんよ。男を舐めているクロア様にお仕置きです」
セオドアはクローディアの唇に自分の唇が触れる寸前まで近づく。
「ま、待て、テディ。未来の王妃たる我にこれ以上近づくと……」
「どうなるのですか?」
「ううう……」
クローディアの顔が真っ赤になる。そして耳たぶまで真っ赤になるのを見て、セオドアは笑い出し、クローディアの両手首を掴んだ右手を話した。
そして真っ赤な耳たぶを軽くつまむ。
「ひえっ!」
奇妙な声を上げるクローディア。
「冗談です。いいですか、クロア様。男の力を甘く見てはいけません。無防備ではいつ危険な目に合うか、今ので分かったかと思います」
「……わ、わかった。肝に命じよう。だが、我はテディだから無防備なのだ。お前は安心だ。いつも我を守ってくれるからな。他の男にこんなことはせぬ」
「はいはい、そうですか」
セオドアはクローディアの体から離れ、椅子に座り直した。慌ててクローディアも起き上がる。
「クロア様、これから起きることは戦闘です。クロア様はこの部屋から出ないでください」
「それはできぬ」
「なぜですか?」
「今朝、お父様から聞いたのだ。デュワノマール将軍の家族は無事救出した。それを直接、将軍に伝えれば反乱は事前に防げる。しかし、それを伝えたところで簡単には信じてもらえないだろう」
「宰相閣下の娘であるクロア様なら信用してもらえると」
「そうだ。それに手紙もある。将軍の奥様からのものだ」
クローディアはキュロットのポケットから、2つ折りにされた小さな封筒を取り出した。
「……なるほど」
「だから、なんとかドゥラメンテに乗り込まないと」
(はあ……)
確かに人質救出の件をデュワノマール将軍に伝えれば、状況の打開に大きく貢献できるであろう。しかし、これでますます困難な作戦になる。
ドゥラメンテに接舷し、白兵戦に持ち込む。乱戦の中をクローディアを待降りながら、彼女をデュワノマール将軍のところへ連れて行く。
(ああ~。どんな罰ゲームだよ)
セオドアは頭を抱えたのであった。




