うっかり、宰相閣下に任務を与えられてしまった
「お父様が既に動いていたなんて!」
部屋を出るとクローディアはそう言って悔しがる。この大事件に自分が関われると考えていたようだ。
「さすが宰相様ですね。我々のような学生が関わる隙もありません」
そうセオドアは言ったが人質救出については、ある程度成功すると踏んでいた。しかし艦隊の方は心配があった。そちらの方はエリカヴィータを送ってはいるものの、彼女一人では心配である。
そんなことを話している2人を追って来る者がいる。宰相付きの侍従である。セオドアだけ再び来るように告げたのだ。
「先ほどはすまなかった。娘の前では話せないことがあってな」
部屋に入るとウィリアム・バーデン公爵は、セオドアにそう言った。
「話せないこととは……」
「君の素性は当然ながら知っている。私は王国の中枢にいる人間だからな。君が教えてくれたとおりに人質救出作戦は、今夜にでも実行するよう手はずは整えた。敵の戦力を高く見積もっても作戦は成功するだろう」
「それはよかったです。デュワノマール将軍の奥様と娘さんには罪はないですから」
「問題は第1艦隊だ。こちらの方は準備が間に合わなくてな。今夜、無事救出ができれば、明日の出航までに手を打つことができるかもしれないが、敵も馬鹿ではない。人質が救出されたことを知れば、計画を変更するだろう」
「……そうですね。宰相閣下は既に第1艦隊にどんな手を打たれているのですか?」
「白兵戦に長けた兵士を10人程、旗艦ドゥラメンテに忍び込ませてある。新規の異動としてな。しかし、それでは心もとない」
ウィリアムの目がきらりと光った。セオドアは嫌な予感しかしないが、何か答えねばと話を合わせた。
「恐らく、敵も同じような理由で工作員を潜り込ませているでしょう。艦内で激しい戦闘が起こるでしょう」
「うむ。それを制するために、君も潜入してもらいたい」
「自分がですか?」
セオドアはあえて確認をした。やはり王国宰相ウィリアム・バーデン公爵は、セオドアをただの大学生とは見ていないようだ。
「ああ。大陸で暗殺に名を馳せた君なら、敵を制圧できるではないか?」
「……自分はもう退役した身です。それに……」
「君の両親のことについては申し訳なかった。敵国に君の情報が漏れるとはとんだ失態であった。今は君に関する情報の痕跡も残さないように消した。それについては安心したまえ」
「ならば、もう危険なことには関わりたくないです。自分にはたった一人の妹がいます。もし、妹が狙われたらと思うと怖いのです」
これはセオドアの本心である。自分のせいで妹のシャルロッテが危険な目に合うのは避けたい
「すまないな。しかし、第1艦隊がもし反乱を起こしたら、ロイッシュとの関係だけではない。他国とのパワーバランスまでもが崩れる。これは我が国にとっては重大な危機になる」
ウィリアムの言葉にセオドアは一応頷いたが、本心は少し違った。ロイッシュとの争いを納めるためには、多少の損害は許容するべきだ。第1艦隊すべてがなくなることは、宰相の言うとおりに他国への威嚇力という点ではマイナスだ。しかし、先の戦争でもエルトラン王国は勝ち過ぎたということもある。
(第1艦隊に多少の被害が出て、今回のロイッシュへの作戦を断念させる。これが一番丸く収まる結末だが……)
自分が第1艦隊に乗り込んだところで、そのように仕向けることは非常に難しいことであった。
ウィリアム・バーデン公爵は、テーブルにあった小さな鐘を手に取ると2回鳴らした。チリンチリンと心地よい音が鳴り終わると、隣の事務室から書記官が小さな封筒を持って現れた。
「宰相閣下、こちらでございます」
書記官はそれを差し出す。それは宰相を経由してセオドアへと渡った。
「戦列艦バビットへの乗船許可証だ」
「旗艦ドゥラメンテではないのですか?」
「君をドゥラメンテに送ると目立ち過ぎるであろう」
「ドゥラメンテ内で反乱が起きた場合、砲142門を擁するあの戦列艦を止めることはできませんよ」
戦列艦バビットの搭載する大砲は72門。およそ倍の砲を備えるドゥラメンテに戦闘を挑んでも勝てるわけがない。これは砲撃をかいくぐって接近し、白兵戦で鎮圧しろということらしい。
セオドアは断りたかったが、バーデン公爵の準備のよさを考えると、自分が断るという選択肢はないのだとため息をついた。これは引き受けるしかない流れである。
「分かりました。微力は尽くします」
セオドアはそう答えた。自分が引き受けた以上は、好きにやらせてもらおうと思ったのだ。それはバーデン公爵が期待する結果ではなく、右斜め上方向に誘導するものである。
「それと……君に最初に忠告しておこう」
2度ほどバーデン公爵は咳ばらいをした。
「この国の危機を救うために危険な任務を行う君には失礼な言い方びなるが、許したまえ。クローディアの傍で家来として仕えるのは認めよう。しかし、娘は次期皇太子妃。ゆくゆくはこの国の王妃となる。くれぐれも邪な考えをもつのではないぞ。君のような血で汚れた手で娘を汚されたくはないのだ」
「……わかっております。宰相閣下。自分はクロア様の下僕です。それ以上でもいかでもありません。妹の社交界デビューに力を貸していただければ、この作戦の後、大学は辞めて領地に引きこもってもかまいません。いや、むしろ、そうしたいというか……」
そもそもセオドアはクローディアの野望に巻き込まれているだけだ。バーデン公爵が言うようなことを望むはずがない。
「なるほど、君はそう思っていたのか。まあ、父親としては少し残念な気持ちもあるが、宰相としては嬉しいことだ。むしろ、娘の方が君に惹かれているのではないかという懸念がある」
「そんなことは絶対にありませんよ。クロア様は王太子妃になるために日々努力をしているのです。自分はその手伝いをさせられているというわけで」
実に正しい意見をセオドアは述べた。実際にそのとおりなのだ。
「うむ。それでは武運を祈ろう」
「はっ。宰相閣下」
セオドアは軍隊式の敬礼をした。そのような敬礼をしなくなって、もう半年以上の月日が流れていた。




