うっかり、旗艦に魔女を送り込んでしまった
「おや、エリカヴィータ中尉。この船は大陸には行きませんぜ」
「極秘任務だ。行先はお前たちも知っているだろう」
「おお、今度はロイッシュでご活躍ですか」
船員の軽口にエリカヴィータは笑顔で右手を上げた。普通なら女性のかわいらしい仕草であるが、セイレーンの魔女と呼ばれた彼女の肩書は、見る者に恐怖のバイアスを生じさせる。
(今度はロイッシュ兵を狩りまくる!)
そう内心で思っていそうな感じで受け取られる。聞いていた乗組員たちは背筋の冷たいものが走った。
しかし実際のエリカヴィータは、この任務を浮ついた気持ちで考えていた。
(少佐から直接命令を下されたのはこの私。やはり、私は少佐にとってかけがえのない人間だわ。あのお姫様とは違う)
(この任務が成功すれば、少佐は私の有能さに改めて惚れて、きっと求愛してくださるに違いない)
(どうしよう……。すぐにプロポーズされたら。いや、だめよ。まだ結婚するのは早い。少佐の妻の立場もいいけど、恋人の時間も欲しいし)
(伯爵夫人としての教養を身に付ける時間もないと……)
エリカヴィータはそんなことを妄想している。端正な顔立ちであるが、表情があまりなく、クールビューティの一部の兵士に言われている。それが(にへら~)と口元を緩めてよだれがたれているという誰も見たこともない表情。
セイレーンの魔女らしからぬ顔を目撃した乗り組員たちは、逆に殺しを楽しむ性格破綻者だと誤解した。
「あれは快楽で人を殺す人間だぞ」
「どうやって殺すか考えているに違いない」
「目を付けられると俺たちも殺されるぞ……」
みんな愛想笑いを浮かべて、エリカヴィータを迎える。少しでも不快な思いをさせたら、きっと闇討ちされるに違いないとみんな思っている。
戦列艦ドゥラメンテに乗り込み、乗組員たちから、過剰な誤解を受けたエリカヴィータは、陸軍士官の制服に身を包み、右手には自分の相棒であるライフル銃。左手にはカバンを下げている。
1か月前にこの姿で大陸から帰還した。その時に乗組員たちとも顔見知りなので、みんなエリカヴィータが再び乗船してきたことに違和感を持っていない。
もちろん、乗船許可証は持っている。正規のものではないから、調べられると困ることになるが、顔見知りのエリカヴィータの許可証が偽装されたものだと誰も思わないであろう。
エリカヴィータは、セオドアの命令でこの船に乗り込んだ。少し前に首都で起きたボニファティウス王立大学で起きたテロ事件。あれは目くらましではないかという推測の元、調査を進めてきたのだ。
「恐らく、第1艦隊を巻き込んだ陰謀が計画されていると考えた方がいい」
セオドアはそう断言した。セオドアは大学浪人オズワルドが引き起こした事件を裏で操っていたのは、隣国ロイッシュと考えた。
そして第1艦隊はそのロイッシュに軍事的圧力をかけようとしているのだ。ロイッシュの本当の目的は第1艦隊であることも推測できる。
「ロイッシュの目的はエルトラン王国第1艦隊の無力化でしょうか?」
「いや、自分なら第1艦隊を壊滅させるね」
「壊滅ですか?」
エリカヴィータは驚いたものの、その意見には賛成できる。隣国ロイッシュにとっては、第1艦隊を壊滅させた方が時間を稼ぐことができる。また、その方が各国への支援を獲得できることにつながるであろう。
エルトラン王国の第1艦隊はそれだけの武力を誇り、各国からすれば脅威であるのだ。
「エリカ、君は旗艦に潜り込んで、工作員の行動を阻止してくれ」
「セオドア様は?」
「僕はこの情報をクロア様に話す。彼女の力を借りて事態を解決する準備をするよ」
「あのお姫様にですか……」
嫉妬の炎がめらめらと燃え上がるエリカヴィータであったが、自分は自分でセオドアの役に立てばいいと考え直した。セオドアに迷惑をかける元凶に直接鉄槌を下せるのは自分だけである。クローディアは配下の人間に命令するしかないのだ。
そんな複雑な気持ちを抱えたエリカヴィータに命令を伝えたセオドアは、自分がまたしても面倒なことに巻き込まれてしまったことを後悔した。これまではクローディアに振り回されてしまい、不本意ながらいろいろなことを手伝うはめになった。
大学のテロ事件に至っては、クローディアの救出に犯人の排除までしてしまた。セオドアがやらなければ、大勢の大学生が死んでいただろうし、クローディアも手籠めにされてしまったであろう。
本音は領地の島に帰り、のんびりとスローライフを楽しむ。妹を社交界でデビューさせ、有能な青年を婿に迎えて、自分は若くして楽隠居をするという希望が崩れてしまった。
第1艦隊がどうなろうとセオドアには直接関係ないのではあるが、ここでロイッシュが先手を取るとまた戦乱になってしまう危険もある。
(やっと大陸での戦争が終わり、平和が訪れるのにここでパワーバランスを乱すわけにはいかない)
パワーバランスの面で行けば、エルトラン王国がロイッシュを懲らしめるのは、勝ちすぎ感があり、あまりよい結果にはならない。とはいえ、第1艦隊消失はロイッシュの勝ち過ぎとなる。
第1艦隊を失わず、ロイッシュの面子も潰さずに和平交渉をするのが、もっともよいシナリオであった。
(そのためにクロア様を利用する)
彼女を使うのは実家であるバーデン公爵家の私兵を利用するためである。王都警備隊に言えば、事が公になってしまう。ロイッシュの面目も保ちつつ、その企みを潰すには秘密裏に動いた方がいい。
その方が懸案であったロイッシュとの領土問題を解決することにつながるだろう。
一介の大学生に過ぎないクローディアではあるが、未来の王妃であるし、現王国宰相の娘である。それにクローディア自身はこういう問題にやたら首を突っ込む性格だ。相談すれば間違いなく動くであろう。
(ただ、このまま、こちらの思い通りにいくとは思えないな)
そんなことも頭を過った。ただ、それならそれで展開はもっと早く動くであろう。セオドアの頭の中はありとあらゆる状況に対して、シミュレーションがされていた。




