うっかり、お嫁さんになる妄想をしてしまった
セオドアの屋敷から去ったエリカヴィータは、泊っている安宿へと帰った。今日は邪魔が入ったので退散することにしたが、エリカヴィータには明確な目標があった。
「中尉さん、泊りは1週間だったね」
宿屋のおばちゃんがエリカヴィータの顔を見るなりそう声をかけた。大陸から帰還した軍人が都に泊まることはよくあることで、今回も故郷に帰る前に都の見物でもするのかと思っているようだ。
「1週間よりも早くなりそう……」
そうエリカヴィータは答えた。前金は1週間分で払ってあるので、それより早く出るのは損をするのだが、エリカヴィータは気にしていない。
これまで稼いだ給料は全部銀行に貯金してあり、贅沢をしなければ2,3年は普通に暮らせるだけの貯えがある。
今は休暇をもらっているだけであるから、給料も手に入る。しかし、エリカヴィータは密かに決めていた自分の目的のために軍を辞めるつもりでいる。
(そう……私は……少佐のことを……す……好き!)
両手で自分の体を抱えて目を閉じると自分の借りた安宿のベッドに飛び込んだ。
クッションのよいベッドだったので、体ごと大きく弾む。バウンドが収まるとベッドを左右に転げ回る。
「スキ、スキ、大好き、少佐~」
「いや、今はセオドア・ウォール伯爵だから、セオドア様……いやいや、そういえば、あのお姫様はテディと愛称で呼んでいた。私もテディと……」
「テ、テディ、この私とけ……けっ……ううん~これ以上言えない!」
(んんん……)とくぐもった声を上げて自分で自分をぎゅうっと抱きしめる。10秒ほどでエリカヴィータの妄想が終わり、現実へと引き戻す。
(そう言えば……あのお姫様)
ここでエリカヴィータはクローディアのことを思い出した。
(あの女……あんなに親し気に少佐……いやセオドア様……いや、私のテディに話しかけていた……許せぬ。私の方がずっとテディのことを愛しているのに!)
(しかもあの女、セオドア様を下僕などと失礼なことを言っていた。許せぬ!)
エリカヴィータ・ドーレス。セイレーンの魔女と敵国から恐れられ、冷酷な狙撃者として恐れられている彼女の夢は決まっている。
それは『セオドアのお嫁さんになる』ことなのだ。
フランドルとの休戦協定締結で戦争は終わっている。恐らく、この休戦は和平条約へと発展し、しばらく戦争は起きないだろう。
大陸派遣軍も随時帰国して解散。兵の多くは故郷へ帰る。職業軍人は軍にとどまるが、中には予備役に編入して軍から身を引く。
エリカヴィータは軍から身を引くことを選んだ。目的はセオドアのお嫁さんになることであるが、計算高い彼女はすんなりその目標が達成できるとは思っていない。
(そもそも私と少佐は身分が違い過ぎる……)
セオドア・ウォールはラット島の領主。元はこの島を領土とする王の末裔である。今はエルトラン王国の伯爵位にいる貴族である。平民出身のエリカヴィータには、手の届かない男である。
(それでも1つ1つ障害を取り除いて行けば……)
平民と貴族が結婚した例がないわけではない。お互いに愛し合っていれば、神様も祝福してくれるのだ。自分がセオドアを好きなことは間違いない。しかし、セオドアは
エリカvヴィータのことを女性として見ていないことは承知していた。自分はセオドアに取って部下に過ぎない。
(部下は部下でも可愛い部下だけど!)
(私の可愛さを気づかせるには、まず長く私と一緒にいないといけない。そのためには……)
軍にいる時は一緒に過ごす時間が多かったが、セオドアが軍を辞めてしまって帰国してしまったので、今はその時間もない。今は少しでもセオドアと過ごす時間を多くしたい。
エリカヴィータはセオドアを訪ねる前に十分な時間をかけてウォール家のことを知らべていた。調べた結果、作戦を立てた。それがウォール家の侍女になることである。しかし、貧乏伯爵家のウォール家に侍女の空きはない。
それにウォール家本屋敷はラット島にあるので、そちらで採用されても意味がない。セオドアが大学に通うための拠点としている借家付きの侍女にならねばならない。
借家とはいってもそれなりに広い家であるし、たまに妹のシャルロッテが学生寮から帰って来るとはいえ、普段はセオドアの1人暮らし。掃除や洗濯、食事作り等、家の中の管理も必要なので、使用人を2人雇っている。1人は庭師の男で屋敷のメンテナンスをしている。これは借家の管理人を兼ねているので、セオドアが雇っているわけではない。
もう一人は内向きの仕事をしているメイド。これは老女でかなり年を取っている。この老女はウォール家が雇っているのだが、急遽であったし、待遇もあまりよいわけではないので、あくまでも臨時で雇っているという感じだ。
(入れ替わるならこの女だな……)
エリカヴィータはそう考えた。実際、老女は後釜が見つかったら即辞めるということを突き止めた。それならエリカヴィータが入り込む余地はある。
問題はセオドアががエリカヴィータを雇ってくれるかであるが、そこに関しては秘策があった。それにセオドアは基本的に優しい。自分を追い返すようなことはしないと確信している。
「まずは行動だな……」
エリカヴィータは明日もセオドアの家を訪ねる決心をした。まずはセオドアがいない時間。老女を説得して辞めてもらい、エリカヴィータがその後釜に座るのだ。




