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うっかり、料理の腕を披露してしまった

 3つの卵を割入れるのに5つ失敗し、そして殻が混じってしまったのをセオドアが取り除いて、やっとボウルに割入れた。


「ここにミルクを入れます」

「こうか?」

「全部入れてどうするのですか!」


 ドバドバとミルクを入れ過ぎて、ミルクセーキの元になってしまったものを取り下げて、もう一度卵を割入れるところからやり直し。


「ミルクは大さじで3杯だけです」

「テディ、最初からそう言え」

「見ていれば分かるでしょう?」

「テディは我のことが分かっておらぬ」


 えへんと両手を腰にあてて威張るクローディア。


(褒めてない!)

「分かりました。クローディア様には言葉で説明しましょう」

「うむ」

「ミルクを入れたらかき混ぜます。泡立て器を使い右回りに20回……あの、クローディア様、泡立て器ですよ」

「なんじゃ、それは?」

「俺の持っている器具のことです。クローディア様のはたわしです」


 たわしをボウルに入れてかき混ぜようとしていたクローディアを止める。泡立て器という単語も知らないので説明しないといけない。


「これが食材を混ぜる時に使う器具です。クリームを泡立てるときにも使います」


 金属の細い棒が曲線を描き、軽くたわむ構造で卵を混ぜたり、卵白でメレンゲを作ったりする時にも使う。


「なるほど」


 カチャカチャとかき混ぜる。動きが恐ろしくぎこちないが、とりあえず失敗はしない。


「次にフライパンを熱します。この時ですが熱し過ぎてはいけません」

「なぜだ?」

「焦げるからです」

「うむ……」


 クローディアはそう頷いたがセオドアは確信している。


(たぶん分かってない)


 セオドアはフライパンにバターをひとかけら放り込む。熱せられたフライパンでそれが溶ける。溶けて泡が立ち、そしてよい香りが立った瞬間に卵液を割入れた。


「このタイミングですよ。ここからすばやく、動かします」


 セオドアはフォークを取り出すと熱で固まり始めた卵をかき回す。そしてフライパンを火から離し温度を下げる。そうしながらトロトロになった卵をフォークで集めて薄黄色い塊にした。ここまで1分とかかっていない。

 見た目がふわふわで中はとろりとしたスクランブルエッグの完成だ。これをコッペパンに挟めば、見るからに美味しそうな卵サンドの完成となる。


「うむ。簡単ではないか」

「それではクローディア様がやって見てください」

「見ておれ!」


 クローディアは熱したフライパンにバターを投入する。

 ジュウ! 破裂音のような音がしてバターが一瞬で溶ける。そして泡になったのは一瞬で煙が立ち始めた。セオドアがやった時は甘い香りが立ったが、クローディアの場合は違う。


(おい、焦げているじゃないか!)


 明らかにフライパンを熱し過ぎている。クローディアはかまわず卵液を投入する。これまたぱちぱちと音を立てて卵が焼ける。


「うおおおおおっ!」


 セオドアと同じくフォークでぐるぐるとかき混ぜる。焦げて黒い物体となったものが混じり、美しい黄色どころか小汚い色あいだ。


(この女……やっぱりガサツだ!)


 誰でも初めての時はうまくいかないものだ。しかしクローディアはそういう次元ではない。不器用さにもほどがある。


(この女、座学は優秀で弁も立つのに……料理がからっきしダメとは……)

「どうだ、テディ。初めてにしてはうまく言ったぞ」


 何とかいびつであるが完成したスクランブルエッグを皿に乗せて、クローディアが自慢げにセオドアに見せてきた。


(この女に比べると言う文字はないのか?)


 自己肯定感がないのは困るが、これだけ自信過剰なのはいけない。普通ならセオドアの作ったもの比べて、できの悪さに恥ずかしくなるものだが、そういう意識がない。

 むしろ、自分の方が上手くできていると思っているかもしれない。クローディアのよいところでもあり、悪いところでもある。


「クローディア様、よく見比べてください」

「見比べておる」

「俺とクローディア様のスクランブルエッグ。俺のは美しいクリーム色」

「我のオムレツは濃い黄色だ」


 えへんと自慢げな公爵令嬢。


「黒い焦げに茶色い焦げがまだらですね」

「よい色ではないか?」

(マジかよ!)


 セオドアはクローディアの作ったスクランブルエッグをフォークでつんつんと突っつく。ばらばらと塊が零れ落ちる。トロリどころか、大小の石が混じった山砂のような感じだ。さらにフォークで真っ二つにしてみる。


「おい、テディ、我の芸術作品に何をするか?」

(芸術作品どころか生ゴミだよね!)


 セオドアは無言で切り口をクローディアに見せる。切り口からどろどろの生の卵があふれる。黄身と白身が混ざってないからさらに汚い見た目である。


「こちらが俺のスクランブルエッグです」


 セオドアは同じように切る。こちらは切ってもドロドロしたものは出てこない。ぷるんと切り口は固形状を保っており、表面よりやわらかなクリーム状に見えるが形を保っている。そして色はわずかに表面より薄いクリーム色だ。


「み、見た目はテディの方がよいかもしれぬが、料理は味だ」


 まだクローディアは認めていない。鉄壁の自己肯定能力である。


「では試食してください」

「うむ。まずはテディの方だ」


 口に入れたクローディアはあまりの美味しさにポッと頬を染めた。ふあふあの食感と舌で溶けていく感覚。そしてバターと焼かれた卵の味。一体化した旨味が口の中を支配する。


「美味しいな」

「どうも」


 次はクローディアのスクランブルエッグもどきだ。口に入れた瞬間にクローディアは変な顔をする。自己肯定感がぼろぼろと崩れていくのが分かった。


「うげっ……」


 クローディアは顔をしかめる。セオドアのスクランブルエッグとの差に愕然としている。


「……まあ、初めてでしたらこんなものですよ」

「な、何が悪かったのだ……。見た目が悪いのは分かるがテディと調理時間は同じだった。我だけこうなるのが解せぬ」


 同じことをしているのに結果が違うことにクローディアは納得できないようだ。セオドアはフライパンを火にかける。口で説明するより見せた方が早いと思ったのだ。


「見てください……」


 フライパンを十分熱した後に卵液を入れる。煙が立ち、ぐつぐつと卵が煮え立つ音がする。そして表面がすぐに焦げた。熱の加え過ぎである。


「このように熱し過ぎると表面はすぐに焦げますが、その時間に比べて中身は生のまま。混ぜれば食感が悪いだけでなく、中は生のままで気持ち悪くなります」

「ではどうしたらよいのだ?」

「熱し過ぎた場合はこうします」


 セオドアは濡れふきんを用意してフライパンを乗せる。湯気が立つ。


「なるほど、こうやって温度を下げるのか……」

「卵料理は火加減が大事です。薪コンロは調整が難しいですが、このレバーを絞って火力を調整します。それでも火が強いので時折フライパンを火から離し、余熱で火を通すのです。スクランブルエッグやオムレツをうまく作るコツはごく弱火で焼くことなのです」


 クローディアは調理時間が同じだと思ったが、セオドアが火加減を調整していたことまで見ていなかった。そして熱したフライパンの底を冷やしたことも。


「むむむ……。疑問があるのだ」


 クローディアはセオドアに質問した。弱火がよいのなら最初から弱火でフライパンを温めればよいのに最初は強火でフライパンを熱した。その手順がなければクローディアも失敗しなかっただろう。


「よい質問です」


 セオドアは言った。偉そうな口ぶりにクローディアは屈辱を感じる。今まで自分にこのような態度を取るものはいなかった。


「偉そうだな、テディ」

「教える立場ですから」

「ムムム……。納得がいかないのだ」

「世の中、どんな立場であっても学ぶことはあります。その時に真摯な態度で教えを乞うこともその人の品格を高めるというものです」


 クローディアは、セオドアの言葉にぱっと目を見開いた。そしてわずかに頷いた。


「……そのとおりだな」


 セオドアの言葉をクローディアは受け入れた。頭を下げて教えを乞う。


「いいでしょう。答えはこうです」


 セオドアは実際にやってみた。フライパンを十分に熱しないで卵液をフライパンに流し込んだ。たちまち、フライパンにくっついてしまう。


「なるほど。鉄は最初に熱しないと食材がくっつくのか」

「よく油をなじませたフライパンでもこうなることがあります。料理とは熱をどう自分のものにするかです。熱を操れない者はよい料理はできません」


 クローディアは考え込む。これまで自分が毎日食べて来た料理。公爵家の料理人が腕によりをかけて作って来た料理には、このような技術や知恵が使われていたのだ。


「……我は何も知らなかったのだな」


 そうクローディアは呟いた。セオドアはその頭を撫でる。


「よく気が付きましたお姫様」

「テディ、お前のそういう馬鹿にするところがむかつく」


 そう怒りながらもクローディアは疑問に思う。料理のことなど身分の高い貴族は気にかけない。ほとんどの貴族は料理をすることも一生しないだろう。だから料理の技術や知識がなくても恥じることはない。


(それはテディも同じことだ。いくら田舎貴族でも貴族は貴族……)


 クローディアの疑問は次に習った出汁巻き卵という料理で確信をもった。今まで食べたことのない異国の料理だったからだ。


(この男……絶対に何かある。プロの料理人でも知らない知識をなぜ知っているのだ)


 出汁巻き卵という料理は甘く、そしてジューシーであった。四角いフライパンで器用に巻かれたそれは切り口も美しく、食べるとまるでケーキのようであった。

 はるか彼方の東国の料理だという。なぜ知っているのだとクローディアは聞いたが笑ってごまかされた。クローディアには教えたくない様子であった。


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