「そんな男は殺していない」
俺は人を殺した。俺は逮捕された。――俺の名前を憶えている人もまだ結構いるかもしれない。
最初は違う人間が捕まったらしい。聞いた話では、大きな事故とか病気もなく、普通に生きてきた人だ。
もしこの本を手にとって、このページをその冤罪をかけられた人が読んでるなら、すみませんでした。いや、許してくれないのはわかっている。
怒鳴られて当然の俺ですら、気が狂うほど怒鳴り散らされたんだ。無関係の人が「全部わかってんだよ」とか「いい加減白状したらどうだ」とか頭ごなしに言われるのは苦痛だったと思う。
ただ、俺にはその人に謝る資格もない。俺がその事件のニュースを街で見かけた時に「もしかしたら、時効まで逃げられるかも」と思ってしまったからだ。今思えば、自分でやっておいて、自分に害がないかもしれないと思うなんて最低な話だ。
何回言っても許してもらえないことも分かっている。それが当たり前だと思う。でも、ごめんなさい。俺にはこれしか言えません。ごめんなさい。
「……ふうん。怒鳴られて苦痛だった、か……。本当さ、何時間も怒鳴られ続けて」
そうだ。僕は冤罪をかけられた。身に覚えのない犯行、残してもいない証拠。そして、僕が殺したらしい知らない男の写真。テレビドラマで観た怒鳴られ続ける容疑者そのものだった。俺は何回も言い続けた。
本に書いてある通りだ。「僕はそんな男知らない。俺はそんな男を殺していない!」と、こちらも気が狂うほど否定し続けたさ。話の通じない奴と会話をすることが、俺にとって一番の苦痛だ。
男を殺していない。男は殺していない。しかし、彼らはこうは考えなかったのだろうか。「男は殺していない」と。今更ながら、ずっと並行して進まなかった取り調べを思い出して、思わず笑いが込み上げてくる。本棚の隅に入れているノートを一冊広げる。
東京の女性の通り魔事件。何回も言ったはずだ。「そんな男は―」と。女性も含まれる表現の「人間は」とは言っていないのに、誰も気づかない。
それにしても、この前の子はかわいかったな。せっかくの顔がグチャグチャになって泣いているんだ。いつもは色んな人に庇ってもらって、助けられていたのだろう。僕相手に。男相手に女の子だけじゃ、どうすることも出来ないだろう。死に際に自分の「無力さ」というやつを痛感したのだろう。
僕は疑問に思うんだ。「殺人」という言葉に隠れた言葉を。「人が殺す」から「殺人」というのか。それとも「人が殺される」から「殺人」というのか。
つまり、やられる側かやる側か。「殺人」という言葉はどちらの目線に立って作られたのだろう。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
ちなみに、皆さんは「殺人」という言葉に隠れた言葉はどちらだと思いますか?