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Ⅳ:接待と駆け引き

 奴隷に呼ばれて部屋から出て行った執事が戻ってきた。


「旦那さま、手紙を持ってきた男が返事を催促(さいそく)しています」

「寝起きで支度をしていると言って待たせろ」


 金持ちのローマ貴族なら朝が遅いのはよくあることだ。


「そいつも海賊の一味だ。金が欲しけりゃ待てと伝えろ」


 ガイウスが吐き捨てるように言う。


「たんなる使いぱしりかも知れませんが……。自分はサピエンヌス様の従者だと言っています」

「とにかく会おう。もっと情報が欲しい。海賊の一味なら重畳だよ」


 私は着ていたトガのひだを、奴隷二人がかりできれいに調え直してもらった。ちょうど商人とオリーブの先物取引をした日だったので、ローマ貴族らしく見えるよう正式なトガを着込んでいたのだ。今日の私はいつもよりは威厳がついて見えているはずだ。


「よし、これから私はやつをうまく(だま)して情報を引き出す。皆も私に合わせてくれ。私は金持ちのローマ貴族の世間知らずの箱入り息子で、剣など持ったことはない学者志望の学生だ。いいな?」


 すると、執事のクセノスや家内奴隷二人は、なぜか微妙に納得のいかないような顔つきをしたので私はちょっとムカッとして、「まじめにしてくれ」と言ってしまった。


 私は彼らをお供に引き連れ、自称:サピエンヌスの従者の待つ中央広間へ向かった。


 百人隊長ガイウスと、その呼びかけに集まってくれた十人隊長一〇人、その部下数人は庭から移動してもらい、中央広間を覗ける別の小部屋へ隠れてもらった。


 サピエンヌスの手紙を持ってきた赤毛の小男は、玄関を入って最初の部屋にある水盤の前で、機嫌良く待っていた。従者と名乗ったくせに、海賊に囚われた主人を心配するそぶりすらない。


「ティオと申します。サピエンヌス様から、ここで身代金を受け取ってくるように言いつかりました」


 わたしを見たティオはにやり、顔を歪めた。わたしが、そこそこ背は高いけれど、暴力とは無縁な優男に思えたのだろう。ティオはすぐに生真面目な表情をとりつくろったが、あからさまに相手を見下した嫌な笑い方だった。


「きみ、よく来てくれたね。手紙には海賊に(とら)われたと書いてあったが、サピエンヌスにケガはないのかい? きみも災難だったな、詳しい話を聞かせてくれ」


 私は困惑したふうに、それでいていかにも哀れな召使いをいたわるように、優しく話しかけた。


「海賊達は旦那様を人質にとって、金が届くのを待っています。わたしが金を持ってもどらないと、旦那様が殺されるのです」

 

 ティオは事務的な冷たい声で告げた。サピエンヌスが殺されようと、この男には関係が無いのだ。欲しいのは金だけ。これがこの男とこの男が属する海賊どもの本性なのだ。


 私は一瞬だけブルッと震えた。

 恐ろしい話を聞いていかにも怯えたように。


 するとティオは、眉をひそめてはいるが、冷徹な表情をわずかに崩した。口角をかすかに上げたのだ。私のことを完全に侮れる弱い相手だと認識してくれたようだ。


「しかし、きみは……」


 私はそこでわざと言葉を切った。まるで恐怖で思考がまとまらないように。


「いつものサピエンヌスの従者じゃないね。きみは生粋のギリシャ人だ。……最近、新しく雇われたのかい?」


 本当のサピエンヌスの従者は、手紙には記述が無かった。私はおそらく殺されたと踏んでいる。サピエンヌスは彼と船主だけが生きていると書いていたのだ。


「さすがに五〇タレントもの大金をいますぐは私でも無理だ。もしやきみは……、サピエンヌスを捕虜にした海賊の一味なのか?」


 私はできるだけ怯えを隠しているように見えるよう、さらに、声には隠しきれない情けなさが滲み出すように気をつけた。


 すると、ティオは、急に明るい声で応じた。


「旦那はなかなか鋭い御方ですね。たしかに俺は海賊ですが、こうしてきちんとローマ貴族の旦那方にお会いする礼儀くらいはわきまえているんですよ。ここは我々スキュタロスの海賊の縄張りでしてね。だが、金さえいただければ、約束は守ることでも有名なんでご安心を!」


 なるほど、この男の言葉のなまりはこのロードスの街でよく耳にする街の者と同じである。地元というのは本当なのだろう。


「海賊というと、船乗り崩れの集まりか。観光に来たローマ人を誘拐するなんて、なかなかタチが悪いね」

「こちらも商売でね。それで大切なご友人のお代は払っていただけるんですか?」

「もちろんだ。彼は大事な盟友だ。だが、金は彼の身柄と引き換えなら払うと約束しよう。取引場所を教えろ」

「それはもちろん、払ってもらえると約束していただけましたら、金がとどいたときに、改めてお教えに来ることをお約束しますよ」


 ティオはニヤニヤしている。


 こちらが要求を呑むしかないと確信しているのだ。


 たしかにロードスに駐留している警備隊へ訴えたところで無駄だ。ローマの大貴族や皇帝の覚えめでたい元老院議員でもない、個人的にこれといった肩書きを持たない一民間人である。その救出のためだけに、ローマ海軍が海上での大捕物をするはずがない。


 このやろー……。私は殴りかかりたい衝動を必死で押さえた。

 これは駆け引きの勝負だ。挑発されて怒りを見せたら負けだ。


 生き馬の目を抜くといわれるローマでは、日々の食材の仕入れから奴隷の買い受けまで、交渉術はことに重要な知恵である。

 筋金入りのローマ貴族をなめてもらっては困るというものだ。


 私はひどく困った表情で、しかも非常に焦ったように、さっと右手を上げた。


「待て、今からローマの実家へ手紙を書く。金は用意できるが、取り寄せるには時間が必要だ。我が友は無事なんだろうな。金は彼の身柄と引き換えにしか渡せないぞ」

「もちろんですよ。大切な金づるですから、大事におもてなしをしておりますよ、なにせ、あちらも生粋のローマ貴族の旦那ですからね」

「嫌なやつだ。ちょっと待っててくれたまえ。サピエンヌスに手紙を書くから届けてほしいんだ。それくらいは頼めるか?」

「いいですとも。ごゆっくりどうぞ」


 ニヤニヤ笑うティオを、私は食堂(トリクリウム)へ案内させた。


 そこには大きなテーブルがいくつも並べられ、ガイウス達を歓待するため朝から準備させているご馳走の数々が、所狭しと並べてあった。


 これでもまだ料理は半分しか完成していないのだ。


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