Ⅲ:友の危機に手紙を読み解く
クセノスから手紙を受け取り、私は残りの文を読んだ。手紙は四枚の蝋板に文字がびっしりと書き込んであった。
クセノスが手紙を朗読するのが聞こえていた召し使いや奴隷は驚愕して固まり、室内は静まりかえっていた。
いちはやく気を取り直したのは、手紙を朗読した当人、このなかで最も年配の執事クセノスであった。
「どうしますか、ぼっちゃん?」
穏やかな初老の男に見えるが、なかなかどうして腹が据わっている。もともとギリシャ人は戦士の民族。この男もヤバい商人に騙されて奴隷に売られかけたり、それなりの修羅場をくぐり抜けてきた半生の持ち主だ。それと年の功だな。
「ぼっちゃんはやめてくれよ、クセノス。こんな事態は初めてだから、ちょっと驚いただけだ」
「この屋敷にある金はぼっちゃんの半年分の生活費だけです。さすがに五十タレントの身代金をすぐには用意できません。かき集めようにも、このロードス島ではどうしょうもありません。ローマのサピエンヌス様のご実家に連絡しても、現金を工面するには親戚縁者を頼って一月はかかるでしょう」
「おい、どうすんだ。あいつ、まだ生きているんだな?」
ガイウスもサピエンヌスの盟友だ。俺たちは同じ部隊で同じ釜のメシを食った仲である。
「海賊は身代金を要求してきた。さすがに死体なら身代金は取れないだろう。この手紙はなかなか綺麗なラテン語で書かれている。つづりも完璧だ。海賊ではここまで書けないさ」
私は蝋板をガイウスへ見せた。
「なるほど。ここへ来る直前に襲われたなら、スキュタロスの海賊だな。スキュタロス島近海を根城にしているやっかいな連中で、属領の代官と裏で繋がってやがるんだ」
「誘拐の常習犯か。人質は、身代金を払えば確実に解放されるんだな?」
誘拐は、ローマ帝国で皇帝が取り締まりに頭を悩ませているありふれた犯罪である。
なにしろ犯人が海賊や奴隷商人とは限らない。大規模農園主などが街を歩いているローマ市民を大量に誘拐し、自分の農園で強制労働させることもあるため、広い土地の持ち主には定期的に抜き打ち調査が行われるほどなのだ。
「俺の伝え聞いた話では、この二年ほどの間で、身元のはっきりした行方不明者のうち、七人は家族が身代金を払って無事に帰ってきたが、あとの五人は戻って来なかった。身代金が期日までに工面できなかったんだ。あくまでも港町の噂だがね」
「戻らなかった人間のその後はわかっているのか?」
「二人は海岸に打ち上げられた。これは噂ではなく偶然その二人の葬儀に出くわしたとき、立ち会っていた親族からこっそり聞かされた話だ。残る三人はどうなったのか不明だ」
なかなか残虐な連中らしい。
「では、サピエンヌスも身代金を払わなければ……」
「まずは海賊との交渉だ。しかし、しょせんは無法者どもの約束だと肝に銘じておけ」
ガイウスの駐在中にも事件は起こっていたが、民間人からの訴えは無く、中央からの正式な討伐命令もくだされなかった。個人的にそういった事件の概要を集めて知っているだけだそうだ。
「つまり、何の保証もないってわけだな」
「そうだ。指名された君が金を用意できなければ、サピエンヌスもあぶないってことさ」
ガイウスはこのロードス島に駐屯している間、海賊とも戦った経験がある。やつらのやり口はよく知っているわけだ。
私はすばやく頭を巡らせた。
「サピエンヌスはこのロードス島にいる。こうなったら我々で救出しよう」
「海賊どもの隠れ家はスキュタロス島じゃないのか。そう思う根拠は何だ?」
ガイウスの疑問に、私は手紙に書かれた内容を説明した。
「サピエンヌスは近くまで来た、と強調して書いている。この島、ロードス島までは来たのだろう。それに船名を塗りつぶされたそっくりな船が港に到着していた。おそらくあの船だ。商船がわざと船のお守りの船首を外し、船名を汚く塗りつぶすなんて、おかしいじゃないか」
それに時間と距離についても、サピエンヌスは書いているのだ。
「あのティオは海賊の連絡役で、私といつでも連絡が取れるようにしている。つまり、この近所に住んでいるということさ。私がやつを呼び出して身代金を払えば、その『一刻後には』、サピエンヌスは私のこの家に来て乾杯できると書いているんだ。おおかた船が入った港の名前と、連れてこられた街の名前はわかったんだろう」
街道の各所には、一ローママイル(1.5キロメートル弱)ごとに石柱が立てられている。それも目にしたのだろう。街道であれを見れば現在地がわかるのだ。
ロードスの警備隊には頼れない。
ローマの実家へ連絡するには時間が掛かりすぎる。
いまの私は五〇タレントどころか、毎月小遣いをやりくりしている生活だ。自由に動かせる私兵もいない。
だが、ガイウスは一個隊を率いる百人体長だ。軍団の最小単位は一隊が八人、それが一〇隊で一ケントゥリア,いわゆるローマ軍団兵八〇人の部隊となる。実戦経験もある強者の集まりだ。
これぞ神々の助けというものだろう。
いまから私兵を集めている時間など無い。
「おい、ガイウス・マルキエス」
「お、心が決まったか」
「君が動く名目はどうする?」
もとより、ローマの軍団兵を民間人の私が勝手にこき使うことは出来ない。
中央に報告する際には、それなりの大義名分が必要だ。
「俺はローマへ帰還する途中、留学している友の家に立ち寄った。そこでたまたま、ローマで高名な元老院議員の子息が誘拐された事件に出くわした。サピエンヌスは俺たちの盟友だ。さらに皇帝の覚えめでたい一族の出身でもある。俺はロードスの駐在期間に、海賊どもが中央への叛逆の疑いが濃厚だという情報も掴んでいた。事態が切迫していたため、緊急で盟友の救出作戦に協力した……ってので、どうだ?」
「上々だ」
ガイウスはさっそく部下の十人隊長の所へ行き「くつろいでいるところをすまないが、いい話がある。酒を飲むのを中断してくれ。皆にもそう言ってくれ」と話してくれた。
集まってくれた十人隊長を前に、私はサピエンヌスの救出計画の概要と、さしあたってやることを説明した。
「さっそくだが、今夜動ける人数を確認して報告してくれ。全員でもかまわない。まず、手紙を持ってきた男を尾行してアジトを突きとめる斥候に一隊、連絡に一隊、交代要員も、ここに残ってくれる者も必要だ。なんであれ協力してくれた者は、私が日給を保証する」
皆、喜んで協力を申し出てくれた。
持つべきものは良き友である、と、私は思った。
あとがき
軍団兵の隊の構成について
一隊が八人で構成される。ローマ軍団の最小単位コントゥベルニウム(ラテン語:Contubernium:テントに同宿することを意味する)である。兵舎では一部屋で八人の兵士が寝泊まりする。野営地では一つのテントを共有する。
一〇個コントゥベルニウムで一個百人隊を構成する。百人隊六個で歩兵大隊一個。十個の歩兵大隊でローマ軍団となる。