Ⅱ:昼食メニューと待ちかねたローマの友からの手紙
やあ、親愛なるメルクリス!
近くまで来たんだが、残念ながらスキュタロスの海賊に囚われている。僕の乗り込んだ貿易船は大型だったが、海賊は強く、中型の船二隻とこちらよりも少ない人数で貿易船に乗り込んできた。護衛は全員殺され、船は乗っ取られた。
船主と僕は生きている。身代金を払えば解放してくれるそうだ。
そこで僕は偉大なるカエサルの故事に倣い、身代金を彼らの提示した二〇タレントから五〇タレントに引き上げさせた。軍団兵を一万人近く養えるほどの大金だが、私と君にとっては払えない額じゃない。
約束は守る奴らだと書いておく。なにせ、何度も成功して身代金と引き換えに解放された人がいるそうだからね。彼らはローマ貴族のように寛容だ。おかげで僕も豪勢な屋敷で丁重な扱いをされている。一歩も外へ出られないのは致し方ないが、普通のパンとワインは出されるし、立派なローマ風の風呂にも入れてもらえる。だが、ローマ風の料理には非常に餓えている。
もう一度言うが、一刻も早く金を届けに来て欲しい。
君の財力ならうちの家よりも早く現金を用意できるだろう。海賊から連絡する者が派遣される。この手紙を持って行く男だ。金が用意できたらすぐその者に連絡して渡してほしい。そうすれば、その一刻後には、私は君の家で、ロドスワインで乾杯できることだろう。
海の神ポセイドーンには見放された。近くに居る君へお願いするしかない。
君のローマの友サピエンヌスより
ソクラテスの哲学書を読んでいたら、執事のクセノスが来た。
「さて、メルクリス様、昼食のメニューはいかがされますか。試作品の料理はいろいろできあがっておりますが」
「やはり昼は軽くすませて、夜を豪華な宴会にしよう。せっかくガイウス達がいるんだ。サピエンヌスの歓迎会にもちょうどいい予行演習だろう」
私は机に書物を開けたまま、上に水晶の文鎮を置いた。エジプトのアレキサンドリアで作られた上等な紙の書物である。巻物は巻いてしまうとまた開けるのが面倒なので、私はよくこうしている。
「では、とっておきのワインを出しますか」
執事は声をはずませた。その気持ちは私もわかる。豪勢なご馳走に、最高のワイン。この季候の良いロードス島に来て良かったと思うことはいろいろあるが、最高峰はこの二つにつきる。もちろん、弁護士になる勉強ができることも、忘れてはいないが。
「そうしよう。こんなときのためにとっておいたんだからね」
私自ら島の奥まで足を伸ばし、製造元のワイン農家と直接交渉して手に入れた最高のロドス・ワインだ。特別な宴会で飲まなければ意味が無いというものである。
「よお、あいも変わらず君は食い道楽だな」
ガイウス・マルキエスが、風呂上がりのさっぱりした顔でやってきた。私が任期明け祝いに贈った新しいリネンの服を着ている。
「部下達も泊めてもらってありがたい。それで今夜はご馳走してくれるって?」
ガイウス・マルキエスはロードスの駐屯地で警備に就いていた百人隊長だ。彼の率いる部隊は任期を終え、交替の部隊と入れ替わりでこれからローマへ帰還する。
さすがにその部下全員、すなわちローマ軍団兵の百人隊八〇名を街中の屋敷内へ泊めるのは無理なので、半数は気の毒だが屋敷裏から少し離れた広い野原に野営してもらった。
軍団兵だからテントでの野営は慣れたものだ。さきほど豚や食料を届けさせたから、いまごろは豚をつぶして野菜と煮込み、新鮮な魚と貝を焼いて、めったに飲めない上等なワインで乾杯しているだろう。
「君がロードスへ留学してくるとは聞いていたが、真面目に勉強していたからなあ。遊びの誘いもろくに出来なかったのは非常に残念だ。それでも食い道楽だけは捨てきれなかったとみえるね。おかげでご相伴にあずかれてありがたいよ。でも、俺が来るのは知らなかったのに、豪勢な宴会の準備をしてくれているのか?」
「じつは、ローマからそろそろ我らが盟友サピエンヌスが到着する予定なんだ。うちの料理人が新しい料理を試したいというもんだから、いろいろ材料を買い込んで、宴会の予行演習をしようとしていたのさ。今日買ってきた新鮮な魚や貝はそれとは別に、純粋に君たちへの歓迎の気持ちだよ」
「そりゃうれしいね。それで今夜のメニューはなにが出てくるんだい?」
「まずゆで卵だろ。それからバターで焼いたオムレツと……」
私はメニューを順番に言った。
若いブドウ果汁から作った酢のドレッシングをかけた新鮮なレタス、ゆでたサトウニンジンと二十日大根とアーモンドのサラダ。
三種の豆のポタージュスープに、生ハムといっしょに食べるメロン。
根菜とベーコンのシチュー、蒸したヒラメにガムルのソースをかけたもの。
燻製ハム、燻製のソーセージ。コンロで焼きながら食べる貝。
バーベキュー用の長めのソーセージ・ルガネガも用意した。
デザートの果物は新鮮なイチジク、赤いリンゴと青いリンゴに、熟したスモモに黒いブドウ。
マルメロの蜂蜜漬けは、もちろんギリシャ特産のもの。
牛のチーズ、羊のチーズ、山羊のチーズ!
「今夜のパンは数が足りないが、明日の朝は近所のパン屋からまとまった数の焼きたてを買えるよう、話をつけてあるよ」
「あいかわらず徹底しているな。ご相伴にあずかる身としてはありがたいがね」
私とガイウスが今夜の宴会料理に思いを馳せていると、執事が呼びに来た。
「メルクリス様、サピエンヌス様からの手紙を持ってきた男がいます」
まぜだか困惑気味に顔をしかめている。
私も驚いた。友の実家へ消息を訊ねる手紙を書いて郵便に託したのは、今日の昼だったが……?
「いくらなんでも返信が早すぎないか?」
「なんだい、約束した本人は来なくて手紙だけきたのか」
ガイウスは笑った。
私は今夜皆に振る舞う予定のロドスワインを、試飲用に持ってこさせた。
「いいよ、読んでくれ。ワインでも飲みながら、皆で聞こう。きっとまだローマを出発していなかったんだろう。それか、ギリシャで食べたい料理のリクエストでも書いてあるのかな」
「趣味があうご友人でなによりですな」
執事も苦笑しながら、板状の蝋板を綴じた手紙を広げた。
おや、蝋板だと?
妙だな。
蝋板は木の板に蝋を塗ったものだ。書いた文字を消して再利用できて便利だが、内容は消えてしまう。蝋板に書いた手紙はとっておけない。だから私もサピエンヌスも、大事な手紙はエジプト製の紙に書く。私たちは紙を好きなだけ買って使える金持ちだからだ。
「親愛なるメルクリス――……」
で、始まった手紙は、クセノスが最初の三行を読んだ時点で、私とガイウスがワインを吹き出したのでいったん止まった。
海賊に囚われたから、身代金を五〇タレント払ってくれだと!?
我が友は正気なのだろうか?
注釈
※※※ローマ神話の海の神はネプトゥーヌス。ギリシャ神話の海神ポセイドーンのこと。後の時代に同一化。