Ⅰ:ローマの友はいずこ
ローマに居る友から、私が送った近況報告に返信をもらってから早や一ヶ月。
数日後に民間の商船へ便乗させてもらうと書いてあったが、ここはギリシャのロードス島、ローマからは遠い。
友の到着が、郵便で送られる手紙よりも遅いのは仕方がない。
しかし、到着の予定からまるまる一週間遅れているのに、次の連絡も、伝令の奴隷さえ来ないとは、いったいどうしたことか。
道中で何かあったのでは、と心配にもなる。
ローマ帝国内では街道が整備されており、属領でさえ街道が通っていれば、属領と中央のローマ間を、ほぼ一直線で移動できるのだ。
百年前は危険だらけだった地中海も、現在は我らがローマ海軍の監視下にあり、海賊の脅威はすっかりなりを潜めた。
世界は安全になったのだ。
この季節は気候も海も穏やかだ。
友がローマを出立したであろう日から逆算すれば、この三日前後に到着しているはずなのだが……。今日も港にいってみた。
それらしい旅人はいなかった。
気の多いやつだから、あんがい途中でエジプトにでも寄り道をしているのだろうか。
あるいは街道のどこかの駅で好みの女性にでもひっかかり、思いがけない長居をしているのではなかろうか。
それなら心配はしないのだが……。
よもやと思い、港でそれらしい船の記録を港湾官に訊ねたら、友が手紙に書いていたギリシャ商人の貿易船は、二日前に港で荷を下ろしていた。
船主はこの街の人間だったので、店を探して友のことを尋ねた。
我が友は、確かにローマのオスティア港から乗り込んでいた。この船主は我が友の実家とは長い付き合いなので、友のこともよく知っていた。
だが、途中立ち寄ったエジプトで、二日早くロードスへ着く予定だった船に乗り換えたという。その船は船主が交友ある商船であり、信頼できるとのことだった。
その船の行方は知れなくなっている。
だが、――彼は今朝、その船に似た船を見かけたらしい。
ところが、船首に飾られていた自慢の人魚像は無く、船名も瀝青で塗りつぶされていたから、同じタイプの別の船だろうという話をしていた。