【09】今更引き戻すとは身勝手が過ぎる
(じゃあ私も、フェダさんのこと……!?)
何てことだ、無自覚だ、ばかみたいに無自覚だ!
そして今分かってしまった。こうして追い詰められてちっとも嫌ではなくて、それどころか嬉しくて、顔を赤くしているのが何よりの証拠ではないか!
「このままでは誰かに手を引かれてしまうとも限りません。あなた、純粋ですから」
とん、と、フェダの手がイミルの肩の上、壁の上に添えられた。
「捕まえておかないと、どこかへ行ってしまいそうだ。
ですから、わたくしが籠になろうかと」
「か、かご……?」
「蝶を捕まえる、籠に」
なっても宜しいですか――
そう、フェダは甘く、唇を持ち上げた。
甘い笑みに、心臓がさらに高く音を鳴らす。どくどく、どきどき、飛び出してしまいそうだ。イミルがはわわと困惑している間に、もう一つの手が今度は腰のあたりに。完全に、腕の中に閉じ込められた。それこそ檻、籠そのもののように。
「縛りません。閉じ込めません。あなたは自由に羽ばたくべきだ。ですが帰る場所はここに。わたくしの元であって欲しい」
「へ、あ、でも、いや、私そんな、」
「ご安心を。たっぷりと蜜は与えますよ……?」
それこそ蜜のような声だった。ほとんど吐息にかすれて、耳をくすぐる。距離が近い。
(ああだめだこのまま流される! だってちっとも嫌じゃない!)
この後に起こる何か、男と女の間で交わされる情熱的な、しかし具体的には良く分からない未来に、イミルはぎゅっと目を瞑った。
それを了承ととらえたのか、フェダの吐息が、前髪を擽る――
「聖女様、フェダ神官! こちらにおいでですか!?」
触れる前に、ばあんと扉が開かれた。
一息で距離を離したフェダが、鋭くそれでいて忌々しげに声の方を向く。持ち回りで見回りをしている町の衛士が、気色ばんで肩で息をしていた。
彼に重なって、後ろから部屋へと強引に駆け込んでくる一人の男性。
「イミル・エル・サルエルムだな!?」
彼はかつてイミルを捕らえた、ヴェンガムド魔法騎士団の鎧を身に着けていた。
「急ぎ戻ってくれ、このままでは町が、国が……!」
●
「魔法騎士がどうしてここに……」
甘やかな気配が消し飛ぶ、突然の訪問者だった。
呆然とイミルが呟くと、察したフェダはさっと背中にイミルをかくまった。その上で目配せをし、衛士は頷いて階下へと駆けおりてゆく。
「探したぞ、魔女! まったくこんな辺境に隠れているとは!」
騎士は取り乱した様子で一歩二歩と歩みを進めた。大きな声で、裏返った悲鳴じみた訴えをまき散らしながら。
「君が去ってからしばらくして、我が国に謎の疫病が発生した。最初は小規模だったが今はもう、誰もが罹患し伏せっている状態だ。このままでは王城にまで及ぶ。今は一人でも魔法使いの人手が欲しい。研究所でも優秀な成績を収めていた君も当然、手を貸すべきと国は判断した」
人づてにイミルを探し、飛行する魔法の船でもってここまで急ぎやってきた――
と、騎士は唾を飛ばして叫んだ。
「よき働きをすれば、王も再審を許すとの仰せだ。場合によっては恩赦を与えても良いと。これは例を見ない幸運だぞ、さあ早く、船に!」
「随分と都合の良いことを言う」
今まで黙っていたフェダが、ずい、と一歩進み出た。
長身から向けられる圧の強い視線に騎士は怯む。剣の柄に手をかけ、彼はぐっと顎を引いた。
「だ、誰だ貴様は。私は魔女に話しているのだ、退け!」
「誰でも宜しい。追放しておきながら今更引き戻すとは身勝手が過ぎる。ヴェンガムドは恥知らずの騎士を使いに寄越すのか、呆れる話だ」
(フェダさん、怒ってる……)
たまに底が知れないが、基本的には柔和な笑みで誰に対しても敬語で接するフェダである。外部の人間の、そして敵とみなした相手に対してはここまで冷酷な声を出すのか。イミルはごくりと唾を飲んだ。先ほどまで口説いていた人と同一人物とは思えない。
そこまで怒るのは、彼の言う通り――ヴェンガムドの騎士の物言いのせいだ。
イミルを魔女として追放し、都合が悪くなると戻れと言う。魔法使いだらけの国が引き戻しにかかるならば、確かに手の足りていない大事件なのだろう。
(謎の疫病…… 一体何が起きたっていうの?)
多くの人が苦しんでいる。きっと研究所も無事ではない――
「イミルさん、おかしな考えはおよしなさい」
心配を胸に感じたイミルを、さっとフェダは制した。
「あなたは無関係です。聖女はトル・パティカに根を下ろした。他国がどうなろうと関係ありません。どうしてもというのならば他国からの緊急要請として、正式な手続きを踏んだ上で助力を求めるべきです。このような乱雑な方法で連れ戻すなど、到底許せることではありません」
「でもフェダさん、国には、」
「そうだ、魔女よ! ヴェンガムドには家族も居よう、友も婚約者もだ! 恋人を助けたいとは思わないのか!?」
フェダを乗り越えて騎士が叫ぶ。
ひゅ、と、イミルの喉が鳴った。
(家族、ともだち、婚約者―― ディルム)
イミルを搾取対象とし、金の無心ばかりした家族。
魔女の烙印を押し付けた誰か。最後に冷たい言葉を投げた婚約者。
誰一人イミルに手を差し伸べなかった。
祖国の、ヴェンガムドの人々。
だけど――
読んで下さってありがとうございます!!次話、どうするイミルの巻。