【05】魔女呼ばわりされたよそ者でも良いなら
「魔法が…… 好きなんですよねえ……」
なんだかもう、しみじみとした声になってしまった。
今でも研究を続けたいと強く思っている。やりかけだった新しい魔法の開発を進めたい。
石と鉄と生成された金属で整えられたヴェンガムドに自然は少なく、だからこそイミルは森や土が好きだった。
おもに植物の育成や疑似太陽の構築、召喚生物による土壌管理などの、生活生産に直結する魔法を得意としていた。もしかしたらこの耳が役に立つかもと、ひそかに思って進めていた研究でもあった。
もちろん、まだ諦めていない。だから。
「いつか居心地の良さそうな場所を見つけて、また魔法の研究ができればそれで幸せです」
と、フェダに苦笑を見せて、やんわり手を放そうとした。
だが、彼は全く手を放してくれない。それどころかさらに力は強くなり、指と指が交互に絡まり合った、がっしりした握手のようにすらなってしまっていた。
「えっと、だから、手……」
「成程、安住の地を探して旅をしていたというわけですね」
どうしたものかと困っているうちに、フェダは手を繋いだまま立ち上がった。え、え、と戸惑うイミルに、こちらへ、と導く。
何を突然、と思いながらも、イミルは従った。今のところは彼についていくしかやれることがないからだ。
フェダは聖堂のさらに奥へと進み、いくつかの階段を無言で昇って行った。
材質はヴェンガムドでは見られない木製で、そもそもこの聖堂自体が巨大な、巨大すぎる大木と一体化する形で建設されている。螺旋階段の支柱となっているのもこの巨木だ。幹に組み込まれた階段を昇ると、太い枝を足場にして離れ小屋にたどり着いた。聖堂と同じ素材で、開放感のあるつくりになっている。
「どうぞ、お入り下さい」
いざなわれて入った室内は、質素であるが広く、とても樹上とは思えない。思わず感嘆を漏らしたイミルだったが、さらに進んで、驚いた。
手すりのついた露台から、満点の星空と、トル・パティカの町と森が一望できた。
正面に満月が煌々と輝き、遥か下に見下ろす樹々の隙間から人が暮らす灯りがぽつぽつ覗く。まるで上と下にそれぞれ夜空があるかのようだ。
風が吹くとあちこちで風見板がからから鳴り、遠くの川の流れの音までもがかすかに聞こえてくる。
「すごい綺麗…… 空気が澄んでる!」
こんな豊かな空気を吸ったのは初めてだ。
胸いっぱいに吸い込む、葉と水の匂いにイミルは感動した。
「フェダさん、すごいですね! こんなに綺麗な景色、私初めて見ました!」
「お気に召したようで何よりです」
胸に手を当て、フェダは軽く一礼した。
「イミルさんは、心地よく暮らせる場所をお探しの様子。ゆえに案内させていただいた次第です」
「へ?」
「すべてを見通せる聖樹の腕の中こそが、聖女の住まいに相応しい」
ここは聖女の為に用意された部屋なのですよ、と。
フェダは目を細めて、イミルを見つめた。
「ああ、精霊の光が集まっている。あなたの歓喜を我がことのように喜んでいるのでしょう。森は聖女の再来を歓迎しています。もちろんわたくしも同様に」
「え、それは、つまり……」
「はい。ここにお住まいになられてはと、ご提案させて頂きました」
「こんないい場所に!? いや私お金ないんで!」
ぱっと露台の手すりから手を放して、その手をイミルはぶんぶん振った。路銀が乏しい時は馬小屋や軒下を借りる時期さえあった旅である。こんな一等地に住まう金など持ち合わせていない。
しかしフェダは眉をひそめ、聖女に金銭など、と心外そうに答えた。
「ここはあなたの為の場所、いわばあなたの家なのです。好きにお使い下さい。もう二度とお辛い思いはさせません。わたくしが――」
と、言いかけて、フェダは首を振った。
「いいえ、我々がさせません。あなたを守らせてください」
「でも…… その、聖女なんて」
真摯な視線に、イミルは目を逸らした。
「私、何も知らないんです。ただ聞こえるだけで、あなたがたにお返しできることがない。あ、魔法で働くことなら出来るかもしれませんが!」
これ以上の親切を受け取るなら、返さなくてはならない。望まれている在り方も分からないのにふんぞり返って迎えられるなどとてもできなくて、だからこそイミルは困る。
(貰えるだけ貰って、なんて、まるで実家みたいで嫌だよ)
せめて働きで返したいと訴えると、フェダは幾度も頷いて静かに手を祈りの形にした。
「あなたの誠実さを美しく思います。
ですが我々は、聖女に勤労の義務を課すことは出来ません。魔法についても、存在は認識しておりますが使用する者もおりません」
「じゃあやっぱりお世話には」
「お願いしたいことは一つだけです。精霊の声をわたくし達にお伝えください。それが聖女の唯一にして絶対の、あなたにしかできない仕事なのです」
フェダは乞うような声で、そう言った。
「『ただ聞こえるだけ』。それで良いのです。
我々には聞きたくとも聞けぬ声。精霊たちが何を望み、何を求め、何を喜び悲しむのか、知り叶え、共に生きることこそが望み。
先代の聖女が亡くなられて随分経ちます。このままでは祭儀もままならぬと歯がゆい思いを抱えた日々を、あなただけが救えるのです」
「そ、そんなにすごいことなんですか……?」
「ええ、とても」
嘘をついているようには――見えなかった。
熱っぽいフェダの視線にイミルは俯く。
望まれている、役に立てる。
(それなら、私、ここでなら……)
厄介だと、疎ましいと思っていたこの耳が、多くの人の助けになるのなら――
「……魔女呼ばわりされたよそ者でも、いいと言ってくれるなら」
あと、時間を見つけて魔法の研究をしても許されるなら、も付け加えて。
自信のない声で、イミルは小さく、答えた。
「ちゃんと役に立てるように頑張ります。だから色々教えて頂けますか、フェダさん」
イミルが心に決めた時、フェダは心から嬉しそうに頷いた。
「敬語は不要です。敬称も。わたくしはあなたのしもべ」
そうして膝をつく。彼の背中で、星がひとつ流れていくのをイミルは見た。
黄昏を宿した瞳が、夢見るようにイミルを見上げる。そっと手を取り、甲に額を押しあてる。
「そして、僭越ながら、導く役目を頂戴いたします。あなたが善き暮らしを得られるよう、聖女として迷いなく進めるよう、先導の灯となりましょう。
……ですから、どうか笑顔で。ロクサーナ、いえ、イミルさん」
言って、にこりとあの笑顔。
つられてイミルも苦笑いした。
「じゃあ、よろしく。フェダ、さん。
……ごめんなさい、やっぱ呼び方はこのままで」
男性を呼び捨てになんてしたことがない。照れくさくて付け加えた言葉に、フェダは仕方ないという顔で頷いて見せた。
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