【03】待ちわびました、我らの聖女
「な、な、何? こんな音初めて……!」
丁度イミルは馬車を下り、トル・パティカと呼ばれる町を目指していた。
どこへ行くとも決まっていなかったので、人々に、静かで穏やかで仕事がありそうな場所はないかと聞いたのだ。
それならトル・パティカが良いと教えられた。
森の中にある町で、そこは開拓されたというよりも、樹々と寄り添うように家が建ち人が暮らす、ヴェンガムドとは対極の在り方をしているのだという。
人口が少ないので働き手も何かしらあるだろう。そう聞いて、徒歩にて森の一本道を歩いていた時、イミルは謎の音を聞き、きょろきょろと辺りを見回した。長い余韻を残すその音は、道を外れた繁みの向こうから響いている。
「何言ってるのかわかんない…… 悲鳴みたい」
こういう声を聴く時は、だいたい何か事件が起きている。
動物が罠にかかっていたりだとか、倒れそうな樹があるだとか、増水が激しいであるとか。主に自然のものたちが危機を知らせる為に出している音であると、二十五年の間、聞き続けて来たイミルは分類していた。
何かが助けを求めている。
そして、助けないほど冷血でもない。
多くの人がそうであるように、困っているものを助けるのに理由はいらない。自分の身ひとつでどうにかなるならば手を貸すし、そうでないなら人を呼ぼう。トル・パティカはもう遠くないだろうし、狼煙用の閃光魔法を上げれば誰か来てくれるはずだ。
あらかじめ詠唱を先に口で唱えながら、イミルはがさがさと繁みに分け入っていった。
音が強くなっていく。きりきり頭が痛むほどに。
(うう、すっごい大音量――あ)
――いた。
イミルははっと立ち止まり、すぐに駆け足になった。
人が倒れている。倒木に上半身を寄りかからせて、ぐったりとしている男性が一人。
「! 『光よ散れ』!」
迷わず手を振り上げ、狼煙の閃光魔法を空に向かって打ち上げる。
そのまま男性に駆け寄る。いきなり動かしてはどこかに障るかもと、呼びかけながらまずは目視で確認する。
「大丈夫ですか、意識はありますか!?」
「――」
返事はない。外傷はなし。すん、と鼻を動かすと、独特の匂いがイミルの嗅覚を刺激した。
辺りを見回すとやっぱりあった。青い傘の昏睡茸。衝撃を与えると胞子を拡散し、外敵を眠らせる困った茸だ。ヴェンガムド周辺の森にも生えているが、こんなに大きなものを目にするのは初めてだった。
昏睡茸の胞子は、眠らせる以外にさほど毒性はない。
この男性は茸を蹴るなり何なりしてしまい、それで倒れてしまったのだろう。とはいえ森の中、獣にでも見つかったら大事になりかねない。
狼煙を上げて正解だった。男性の背は高く、イミルではとても運べそうにない。応援が来てくれれば、すぐに安全な場所に運ぶことができるだろう。
彼は雰囲気からして同じ齢、二十代後半くらいの外見をしていた。短い金髪に、ぱっと見聖職者が着るような形の長衣と帽子を被っていた。
(神父さん? でも見たことない色だな、濃紺の修道服なんて。やっぱり大陸が違うと宗教もぜんぜん違うんだな……)
などと考えながら、ふと気が付いた。
あの音が止んでいる。
彼を助けるために、何かが叫んだ警報だったのだろうか。人間を助けるために自然物が働くなんて初めてだ。あたりを改めて見回しても、イミルの目には生命力に漲る森が広がるだけで、とくに変わったものはない。ほかに助けを求めている存在もなさそうだった。
(この人、何者なんだろ)
人が来るのを待ちながら、イミルは男性の顔を覗き込んだ。
「――っ」
ふ、と。
彼の瞳が、うっすら開いた。
「あ、起きた」
ほっとして、イミルは自然と笑っていた。彼の不思議な色の瞳――ふちが青色で、瞳孔のあたりだけ橙色が混ざった、まるで黄昏時のような瞳と目が合う。
そして、その目はすう、と細められた。
まるで眩しいものを見たかのように。
「大丈夫ですか? 意識はしっかりしてます? ご自分の名前とかわかりますか?」
「……ああ」
イミルの問いかけに、男性ははいともいいえとも判断できない嘆息を漏らした。
どっちなんだ。意識混濁が長引くとたまに記憶にも影響するというから、不明だったら大変だ。覚醒の魔法をかけたほうがいいのかどうか考えているうちに、両腕がすっ、と伸びてきて。
抱きしめられた。
ふんわり、まるで綿がで包まれるように柔らかく。
「~~~!? な、何っ……」
驚いたイミルは、勢いよく彼に向けて腕を突っ張った。
何なんですか一体――そう叫ぼうとした時、遠くから人の声と草を分ける音が聞こえた。
狼煙を見て誰かが駆けつけてくれたのだ。
「やった、助けが来ましたよ! とりあえずこれで安心」
抱擁されたことはともかくとして、助けが来るのは喜ばしい。笑ったイミルに彼は視線を注ぎ続け、そして、小さな声で呟いた。
「ロクサーナ」
「は?」
まだどこかぼうっとしているらしい瞳はしかし、こちらをしっかりと見つめている。
イミルの金茶の目を、じっと、逸らさず。
「ロクサーナ、ですね、あなた」
「わ、私そんな名前じゃないです。誰かと間違えてますね、やっぱり意識が」
「いいや、あなたはロクサーナだ。星屑蝶の娘、祝福の子」
じんわりとした歓喜が滲む様子で、彼は笑った。
「待ちわびました、我らの聖女」
彼が言い放つのと、トル・パティカからの救援が到着したのは同時だった。
数人の男たちは彼の言葉を聞き、ばっ、とイミルを凝視した。
「聖女様だって?」
「フェダ神官、では、まさか!」
男たちの問いに、彼はこくりと頷いた。
人々の表情が、みるみるうちに怪訝から歓喜のそれに切り替わる――
「聖女ロクサーナ様だ!!」
わあっと、イミル以外の全てが歓声を上げた。
諸手を上げてあっという間に取り囲まれる。大歓喜の太い歓声に包まれて、イミルだけがぽかんと、その場に座り込んでいた。
「一体、なにが起こってるの……!?」
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