【15】お望みならばお教えしますとも
「まさかここで返事を頂戴できるとは……」
「早かった? 帰ってからって言ってたもんね」
「頂けるならいくらでも早く。ああ、あなたは全ての約束を果たして下さった。感無量です。いますぐ抱きしめても?」
いいよ、の返事を待たず、フェダは大きく腕を広げた。
あんまりその顔が嬉しそうで、イミルはもう、自分から迷わず飛び込んだ。人目があるが気にならない。なんだかもうどうでも良くて、自分はロクサーナだと名乗った瞬間に、ヴェンガムドでのすべてのしがらみを脱ぎ捨てた気持ちになれた。
(もう、魔女なんて呼ばれた私はどこにもいない)
ここにいるのは、自分の本当の居場所を見つけた、幸せな女がひとり。
何も怖くないし、恥ずかしくすらなかった。どんなことがあっても抱き止めてくれる腕が、確かにここにあるのだから。
「フェダさん、ありがとう。私もあなたの目、すごく綺麗だと思ったよ」
胸に頬を押し付けて、イミルはうっとり目を閉じる。ごつごつした不穏な短刀の感触があったが、それには気が付かないことにした。
「あの時、ほんとはすごく嬉しかったんだ」
「それは至上の喜びです――ならばわたくしも答えましょう。いかにも、あなたは我が妻。そしてわたくしは夫にして籠。永久にあなたの帰る場所」
降ってくる声は喜びに満ちていた。イミルもまた、ひたひたに頭の芯まで染みるような幸福感に酔いしれる。
「な――なんだよ、それ……」
取り残されたディルムだけが、ぽかんとその場に立ち尽くしていた。
それを横目で睨んだフェダが、片手でしっ、と払う動きをする。
「いつまで見ている、見世物ではないのだぞ。さっさとあなたの王とやらに、事の次第を伝えたらどうだ」
「何だと!? 貴様、この僕の婚約者を奪おうと……!」
「その耳は飾りか? 彼女はわたくしの妻と言ったろう。聖女を娶る資格が自分にあると思っているのなら大間違いだ。消えて失せろ、でないと」
と、フェダは抱きしめる腕を緩め、その大きな手でもって、イミルの腹をそっと撫ぜた。
「ここに居る、あなたがたを恐怖させたものが黙っていないぞ」
「ひっ!?」
(うわ、ひどい脅しするなあ)
下腹を撫で上げられるという衝撃に驚きながらも、イミルは何も言わないでおいた。フェダのやろうとしていることが何となくわかったからだ。
この人は結構意地が悪い。イミルの敵には容赦がない。それでもこの程度で済ませるのは、彼なりの温情なのかもしれないけれども。
「は、腹って、まさか」
じりじり、とディルムが後ずさる。表情は青ざめ、恐ろしいものを見る目でイミルを見つめる。
「き、君、まさか、食べたのか? 呪いを食べるなんてそんな、それこそ魔女じゃないか!」
表情は強張り、まるで化け物を見るかのようだった。
自分がしたことを理解している顔でもあった。イミルが追放された時に何をしたか。言葉の石つぶてを投げつけ、ろくに話を聞きもしなかった後ろ暗さが彼をおびえさせているのが分かる。
「僕にそれをけしかけるつもりか?」
今にも泣きだしそうな声でディルムは問う。
その情けない姿を見て、イミルは何と言うか、毛ほども傷つきはしないのだが呆れに呆れを重ねていた。
一歩前に進み出てみる。それだけで、ひい、と悲鳴を上げてディルムはしりもちをついた。
「やめろぉ! やめてくれ、悪かった、謝るから! あの時はごめん! でも君みだって疑われるようなことをしたんだろ!? 僕のせいじゃない、僕は悪くないじゃないか!!」
(うーん、こういう時に本性が出るんだな。でもこれなら)
ちょっとくらい仕返ししてもいいのではなかろうか。
イミルはちょっと考えてから、突然ウッ、と唸って腹を抱えてみせた。
「あんまり刺激しないでくれる? そうしないと、ううっ、また呪いが」
「ひいいっ! す、すみませんでした魔女様! 助けてくれ、呪わないでくれえええっ!!」
甲高い悲鳴を上げるなり、ディルムは足をからげながら逃げ去っていった。
冷たい目でそれを見つめるフェダである。その足音が、悲鳴が、わずかでも聞こえなくなるまで睨みつけてから――そうしてようやく、ふ、と顔を緩める。
イミルもまた下手な演技を止めて、軽く腹を撫でた。脅しに使ってごめんなさいの意図が通じたのか、ニレの精は何も文句を言わなかった。一安心である。
「魔女だって。懲りないね、あの人も」
「最後まで腹立たしい。本当に呪えたらと思ってやみません」
「やめようよ、どんなやり方でももう関わりたくない。それより今度こそ帰ろう。船旅になるかもだけどさ」
イミルは肩をすくめて苦笑した。ここへ来る時はヴェンガムドの魔法の船を使えたが、あの様子のディルムがここでの出来事を吹聴したなら、きっと貸してはもらえないだろう。国を離れた時と同じように、船を乗り継いで、乗合馬車で、ゆっくりと帰ることになりそうだ。
(でも、ちっとも苦じゃないや)
何でか、なんて、考えるまでもない。
フェダが一緒だからだ。
好きだと言ってくれた人が、守ると誓ってくれた人が、一緒ならば何も憂いなどしない。むしろ楽しい旅になる。きっと退屈しないだろう。
「ねえフェダさん。帰ったら色々教えてね。私、トル・パティカでの結婚ってどんな感じなのか知らないんだ」
「では道中語りましょうか。これから向かう土地の話であれば、精霊もきっと楽しんで下さるでしょう」
「うん、そうだね。
……あと、すごく興味のある質問もあるんだけど。それは帰ってからにする」
「? 如何様にも、問われましたら即答致しますが」
さっそく歩みを進めながら、フェダは首を傾げた。
聖女の、そして愛しい妻の願いならば何でも答えますと顔に描いてある。そんな風ににこにこされるとイミルも黙ってはいられなくて、ああでもどうしようかな、今聞いたら気まずくならないかな、と迷う。
だが、その迷いも数秒。
いいや言っちゃえ。相愛に浮かれているのは、どうやらイミルも同じだった。
「……あなたが言ってた、蜜はたっぷりくれるって、あれ。どういう意味?」
というか。
そういう意味で受け取って良いのか――
上目遣いに見つめて問うと、フェダはにんまり、微笑んだ。
気持ちの良い幸福な笑みというより、まるで蜘蛛のような、少しだけ意地が悪くそれでいて魅力的な、愛欲を感じさせる表情であったけれども。
「お望みならばお教えしますとも。朝までかけて、たっぷりと」
ああ、やっぱりそういう意味であってるんだ。
照れくさくて恥ずかしくて、だけど悪い気は全然しない。
頭から羞恥の煙をぷすぷす出して、イミルは両頬を押さえた。その額に、フェダが軽く口づける。
笑みの形に持ち上がった薄い唇は、やっぱり、蜜を含んで甘かった。
帰路の間じゅう、きっとこの甘さが続くのだろう。
そう思うと、告白に応えるのはやっぱり早すぎたかも、帰ってからの方が良かったかも――なんて思うけれど。
世界一の幸せ者だという顔をしているフェダを見上げたら、くるりと掌を返してしまう。
彼が嬉しいなら自分も嬉しい。まさしく相思相愛だった。
(なんだか夢みたい。こんなに幸せでいいのかな)
自問自答に代わりに応えたのは、腹の内側で明滅するかすかなぬくもり。
『それでいいのだ。人の子よ』
そう言ってもらえたようで、イミルはうん、と笑顔で頷いた。
●
こうして。
かつて魔女と呼ばれた聖女は、新しい土地に根を下ろした。
二人の結婚式には新しいニレの苗が植えられ、大いなる祝福がトル・パティカにもたらされた。
光と緑の満ちる地で、聖女は精霊の囁きを聞き、人々に伝え、よく食べ、よく笑い。
一方で趣味の魔法をささやかに愛しながら、日々を穏やか過ごした。
愛情深い夫はその傍らで、生涯、聖女を見守った。
彼の腕は開かれた籠として聖女を包み、常に帰る場所であり続け、そして、
ごくたまにその檻を閉じて、二人きりで、深く深く愛し合ったという。
最後まで読んで下さってありがとうございました!
えん罪で追放の憂き目にあったものの、紆余曲折経て居場所を見つけ、良い旦那にも巡り合えた聖女のお話でした。
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