【11】私が持っているのは耳だけだもの
(悪い魔法がかけられたなら、私だって魔法使いだもの、すぐに分かる。でもそんな気配は全くないし、あの人が言っていた通り疫病なら、私たちに影響がないのは何故? 潜伏期間があるってこと……?)
そう頭を働かせていると、フェダはじっと目を凝らし、呟いた。
「精霊の怒りにふれましたね」
「怒り? でも、そんな声はちっとも」
「出所はここではないのでしょう。ですがわたくしの目には見えておりますよ。光――というより、怒り。呪いのような、激しい恨みが」
黄昏色の瞳を細め、フェダはぐうるり、あたりを見回した。
「精霊を怒らせたのであれば、必ず原因があるはずです。何か聞いていらっしゃいませんか」
「道すがら、この半年近くで起きたことを話してもらったけど…… あっ」
道中、手がかりにならないかとあの不愉快な騎士に事情聴取を行っていたイミルである。彼の恩着せがましい物言いを省いて記憶を巡らせると、思い当たる節があった。
それはヴェンガムドではごく当たり前の行いだが、トル・パティカで聖女として学んだイミルには分かる。ひょっとして――
「このあたりに、かろうじて残ってる森があるの。町の拡大の為に大規模な開拓を計画したって」
「それですね。何とも愚かな」
と、フェダは呆れた溜息をついた。
「必要以上に樹々を切り倒し、水を汚せば精霊は怒ります。近辺を守護する強い精霊、主と我らは呼びますが、その怒りがヴェンガムドを襲った。そんなところでしょう」
「でも、私が研究員やってた時にも伐採はあったよ」
「あなたが出て行ってから、より強く推し進められのでは。或いは――」
と、フェダはいったん言葉を切った。口の中で単語を選びながら、続ける。
「あなたがいたからこそ、主は伐採を許容していたのかもしれません。精霊に愛される星屑蝶の娘、聖女が住まう地であればと」
「なら、私が原因で……」
「などとは思われぬように。あくまで可能性です」
イミルが打ちひしがれる前に、フェダは厳しく言葉の終わりを遮った。
「イミルさんに咎など一つもありません。自ら罪を背負い込むような真似はおやめください」
「……うん、そうだね。自己犠牲しないのが良い所って、フェダさんも言ってくれたもんね」
ふるふる、首を振って、イミルは無理に笑って見せた。
(そうだよ、ただお世話になった人を助けたいってだけ。出来ることがあるなら精一杯やろうって決めたんだ)
強い意志で前を向くと、気持ちも幾分か晴れて来た。
まずは魔法でもって解決の糸口を探すつもりだったが、どうやらその方法は試す価値もなさそうだ。精霊が原因であるなら、この正装のとおり、聖女として――ロクサーナとして赴いたことにも意味がある。
白い長衣をひるがえして、イミルはフェダを見上げた。
大丈夫、頼れる黄昏色の瞳がついている。
「行こう、フェダさん。北の暗い森。そこにきっと主がいる」
「行って、どのようになさるおつもりで? 無策は推奨いたしかねますよ」
「策も何も、私が持っているのは耳だけだもの」
へら、と、イミルは苦笑する。
「主の話を聞くよ。聞いて、喋って、説得する」
●
昼間でもなお影の濃い、鬱蒼とした北の森。
だからこそ暗い森と呼称されていたのだが、その名前でもう呼ばれることはないのだろう。イミルが思うのも無理はなく、樹々はすっかり切り株となり、豊かな川は泥に濁り、あちこちに斧や魔法がかかった運搬用の布が捨て置かれていた。
深く入るにつれ被害は減っていたが、代わりに底冷えするような深い怨嗟の呻き声がイミルの耳を襲い、フェダも目を開けていることすら辛いという。どんよりとした瘴気の量が町の比ではないと、頬に汗を垂らして彼は言った。
「ここまでの怒り、とは。わたくしも初めて目にしました」
「うん、私もこんな声は初めて。おなかに響くし、聞いてるだけでつらい……」
それに、なんだか、語りようもなく悲しい気持ちが込み上げてくる。
胸を押さえながら森へと分け入り、ほどなくして、イミルは辛さの原因を目の当たりにした。
二人がかりで引く巨大な鋸を入れられたまま、どっしりと根を下ろした巨木――
「これが、このあたりの精霊の主……?」
トル・パティカの聖樹よりもずっと小さいが、自然の少ないヴェンガムドであれば大層な大木だ。
その立派なニレの木から、呪いの声は湧き出ていた。
「なんてひどい……」
愕然としたイミルの隣で、フェダがぎり、と奥歯を噛む音が漏れる。
見上げれば、彼の瞳は怒りに燃えていた。精霊を敬い生きるトル・パティカの民にとって、この光景はまるで、刃を深々と突き刺されたまま放っておかれた同族のようにすら感じるのだろう。激しい憤りが拳を震わせ、しかし理性で耐えている。
イミルもまた、聖女として暮らすうちに、草木や樹木、水に対して、人に近い感覚で接するようになっていた。
まるで凄惨な殺害現場だ。こんな風に痛みを与えて放っておくなんて、ヴェンガムドの人々はどういうつもりなんだろうか。
「……鋸を抜くよ。倒れるほど深くない。フェダさんは下がって」
イミルは前に進み出て、両手をかざして引き寄せの魔法を唱えた。ものをこちらに引き寄せる初歩的な魔法だ。自分の筋力では太刀打ちできないものでも操ることができる。
「『急き来よ、わがもとに』」
低く強く呟くと――
鋸はまるで、巨大な手に掴まれたかのようにずるりと引き抜かれ、イミルの前で静止した。
指で示したままに、鋸が地面にがらんと大きな音を立てて落ちる。その音と共に、ひときわ大きな唸り声が、イミルの鼓膜を揺さぶった。
「っ……! ニレの木、の、精霊! 話を聞いて!」
『――聞かぬ』
それははっきりとした声として、イミルの耳に届いた。
びくりと震える。精霊の声とは人語ではなく、もっと感覚的なものだ。なんとなく意味を察することができるのが聖女の祝福された力、そう思っていたが、主ほどになるとこんなにはっきりと、言葉として認識できる。強い力に身体が震えた。その気になればイミルをどうとでも出来るのでは、簡単に押しつぶせるのではと恐怖するほどの圧力だった。
「ロクサーナ!」
あえて、だろう。フェダがイミルを聖女として呼び、背中を支える。
その声でなんとか踏ん張れた。前を向いて、イミルは声を張り上げた。
「あなたが怒っているのは知っています、ひどい仕打ちだということも!
でもどうか、怒りを収めてもらえませんか。ヴェンガムドの人たちを許してあげて、皆何も知らないの、あなたたちが存在していることさえ!」
『知らぬ訳があるまい。我らはかつて共にあった。
我が子に刃を打たれる悲しみをそなたは知らぬや』
地響きすら伴って、主は嘆く。
おおお、と、天に向かって吼えるように。
読んで下さってありがとうございます!! 次話、ニレの精霊との対決です!




