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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

元第6王子の嫁入り

作者: ハル



 鮮明な深紅の髪を波打たせ、くるりくるりとたおやかな指で弄ぶ。髪色と揃いの真っ赤な爪が目にまぶしい。

 ぽってりとしたセクシーな唇、耳を彩るルビーの耳飾り、身体のラインに沿ったマーメイドドレス。

 そのどれもが女公爵、エスメラルダのために誂えたものであり、彼女を象徴する赤で形作られていた。


「貴方って子は、本当に変なものに好かれるわねぇ」


「そうなのかい?」


「ええ、そうよ。男の癖にあたくしに好かれている時点でいろいろと変なものに好かれるのは間違いないわね」


「君に好かれているのなら、それはこの上なく幸せなことだよ」


 にこりと笑って言うと、豪華絢爛が服を着て歩いているようなエスメラルダが魅惑的に苦笑した。


 大陸で最も権威あるアカデミーにおいて、その教員として務めることはあらゆる学問の徒にとって尊敬を集めることでもあった。

 そのような教職に着きながら、かねてより没頭していた植物学を研究していられるのは、妻であるエスメラルダの協力があったからである。

 王族とはいえ第6王子というなんともしょっぱい産まれのノアベルトは、13歳の時にエスメラルダと婚姻した。

 当時28歳であったエスメラルダは男嫌いが長じて結婚から逃げに逃げていたらしいが、ノアベルトがあまりにも中性的でかわいらしい見た目をしていたことから婚姻を決めたという。

 性的対象が女であるエスメラルダにも子はもうけなければならない、ということで白羽の矢が当たったノアベルトは、エスメラルダとエスメラルダの愛人女性に囲われて日々を過ごした。

 閨事などわからぬノアベルトを導き、三人の子をもうけた褒美とばかりに、研究の支援は現在も滞りなく続けられている。

 ノアベルトもまた、気高い狼のような彼女が嫌いでは無かった。

 種馬扱いをされて悔しくないのかと彼女に言われたことがあるが、エスメラルダは尊敬できる素晴らしい女性であり、ノアベルトの大事にしている研究も認めてくれる。社交界ではなにかと不調法なノアベルトをさりげなくサポートしてくれるし、こんなに素晴らしい人はいないのではないかとすら思っていた。

 彼女のことに不満があるとすれば、寝室で毎日のように乗っかって来て絞りとられることくらいだが、子供が三人出来たことでそれも控えられて来ているため、マイナスなことなどない。

 エスメラルダの好む紅茶をノアベルトもチビリチビリと飲み、焼き菓子に手をつける。美味しい。


「……悔しいわ」


「ん?」


「貴方を手放すなんて、オリオンの名が泣くわね」


 深紅の唇を噛み締めて苦々しく吐き捨てたエスメラルダに、話しについていけないノアベルトは困惑した。

 そんなノアベルトを眺め、口惜しげに緩慢な動きで一枚の書類を手渡した。できるだけ時間をかけたのは、エスメラルダの手放しがたいという気持ちから来ていた。

 エスメラルダとノアベルトの夫婦関係は、恋ではないが確かに愛情があったのだ。


「離婚届け……、離婚!?」


「ええ、そうよ。サインしてちょうだい」


「え、え?」


「戸惑う気持ちも分かるわ。本当に。でも仕方ないの」


 忌々しげに眉を寄せたエスメラルダは事の次第を話し始めた。




***



 エスメラルダはシドー国の女公爵であり、ノアベルトはエスメラルダ公爵の夫君としてある程度の社交と仕事をする立場にある。

 魔術師、錬金術師、精霊師はもちろん、獣人、エルフ、竜人も各地域に存在する世界にあって、シドー国はあらゆる人種、種族の混在する国である。

 そのためシドー国には在住するあらゆる種族のみならず、旅行や貿易、外交にこれまた多種多様な種族が訪れるのだった。

 そのようなシドー国であっても、竜人の王族が訪問すると聞いては国を挙げてのもてなしをしなければならない。

 あらゆる種族の頂点に立つといわれるほどに絶大な支持と力を持つ竜人は、1人が千人馬力だ。

 空を飛び、竜に変化し、魔力が桁違いで、精霊に愛され、寿命も長いとあっては一般的な種族と比べられるわけもない。

 彼ら竜人はイレウス島という土地に住み、滅多なことでは出てこないのだが、稀にこのようにふらりと現れ、我々も目にすることがある。

 その理由も経緯も不明であり、彼らの望みもわからぬが、とにかくシドー国に来るということでシドー国の王公貴族たちは慌てふためいて歓迎の準備をしたのだった。

 普段はアカデミーで研究漬けのノアベルトも例外なく呼び戻され、エスメラルダの夫君として様々な準備を整えたものだった。

 数人の護衛と部下たちを従えた竜人を出迎え、ノアベルトたちはもてなしたのだが、どうやらその竜人にノアベルトは見初められたらしい。


「私は、君と結婚しているのだけれど……」


「……ええ。だから離婚して、王族として相手方に嫁げと言われたわ。まったく、舐められたものだわ!」


「え……?」


 現在、ノアベルトは27歳。

 確かに離婚し、再婚するにしても歳が行きすぎていると言われることはないが、それにしてもわざわざ離婚させるほどの事とは思えなかった。

 それに、例の竜人たちの中に女性は見当たらなかったように思えたのだが。


「貴方の相手は竜人族首領・ルチアーノ様の第二子アレッサンドロ様よ」


「男性だった気がするのだけれど」


「竜人は相手の性別を問わないらしいわ」


「そ、そうなんだね」


 なんか、キラキラしていた記憶があるが、もともと他人に興味がないノアベルトにとってアレッサンドロとかいう竜人はその程度の記憶しかない。

 なにか話した覚えもあるのだが、どうせノアベルトが生きている間に再び会うことはないだろうと思っていたため、失礼のない程度に会話しただけだった。

 そんなノアベルトのどこを気に入ったのか皆目検討がつかないが、竜人がノアベルトを望んだということはすでにどうしようもないほど事態が進行しているのだろう。

 そうでなければ、気が強く、孤高の彼女が離婚を提示しないからだ。

 ノアベルトの拒絶は竜人との対立に直結し、それはすなわちシドー国にとって莫大な損失に他ならない。

 ノアベルトが言えるのは「イエス」の一言のみだ。


「…………そう、仕方ないね」


 様々なものを飲み込んで、困ったように眉を下げたノアベルトが呟くと、エスメラルダは悔しげに唇を噛んだ。


「……オリオン公爵家は、貴方の婚姻に際し、あらゆる助力を惜しまないと約束するわ」


「うん、ありがとう。子供たちをよろしくね」


「ええ……」


 ノアベルトとエスメラルダの婚姻は、たった一枚の紙によって簡単にたち消えた。




***



 ノアベルトとアレッサンドロの結婚ということで、様々な事態が加速度的に進行した。

 アカデミーは退職し、研究室は同業者に任せて荷物を纏め、引っ越しの準備が目まぐるしく執り行われた。

 一番大変だったのは子供たちで、一番下の子は毎日火が着いたように泣きじゃくり、この世の終わりかと思うくらいに暴れまわることになった。

 宥めすかして慰めて、母であるエスメラルダを恨まないようフォローもいれつつ、家族で仲良くするようにと言い含めるのは大変な苦労であった。

 揃いも揃ってオリオン公爵家らしい真っ赤な子供たちはエスメラルダに似て、それぞれが自立心と豪胆さを兼ね備えているから、一度喧嘩したら相手を叩き潰すまでやる苛烈さがあった。

 そこを気をつけてやってね、とエスメラルダの愛人女性たちに言い含めてやり、子供たちに揉みくしゃにされて、ノアベルトはオリオン公爵家を出た。


「シドー国、ノアベルトです。召還に応じ、馳せ参じました」


 ーー青い。

 どこもかしこも真っ赤なオリオン公爵家と正反対だとノアベルトは呑気にそんな感想を抱いた。

 目が覚めるような青い髪に、紺碧の瞳をしたアレッサンドロを見上げてやっぱり綺羅まぶしい人だと思う。

 男らしい眉に切れ長な瞳、整った鼻梁、精悍な輪郭、逞しい肉体など、ひろょろガリのノアベルトとは比べ物にならない男らしさにちょっぴり悲しくなる。


「……ノアベルト、待っていた」


「え、あ、はい」


 ナチュラルに手をとられ、ノアベルトは少々面食らった。公爵家でありったけ着飾られたノアベルトであるが、そのまま八時間にも及ぶ移動に少々ふらついていたせいか、容易くアレッサンドロの胸に飛び込む羽目になって気まずい。

 申し訳ございません、と謝罪しつつ離れようとするが、胸にあてた手で押し退けようとするも、ビクともしなかった。強い。

 それどころか腰に手を回され、顔に手を添えられ、吐息を貪るような熱烈なキスをされてしまう。

 内心悲鳴をあげるノアベルトだが、拒絶が許される身の上でもない。

 ねっちょりしっかり貪られたノアベルトはそのままアレッサンドロの所有する城に連れていかれ、美味しく食べられた。


 どうやら結婚式などという概念は竜人にはないらしく、夫婦関係になったら閨を共にして魔力の共有をすることが婚姻の証となるらしい。

 竜人と閨を共にし、うなじを噛まれることでそこに印が刻まれるのだとか。人であるノアベルトにはよく分からないが、とにかくそういうことらしいとぐちゃぐちゃのドロッドロにされた後で聞かされた。

 なんかものすごかった。


「いた、いたた……」


 腰をおさえて呻く。

 ギシギシと軋む身体をなんとか動かして、濡らした布で身体を清める。

 夫となったアレッサンドロは朝食を取りに行くと言って出ていったので、今のうちに身体を清めて服を着てしまいたいところだ。

 昨日は初夜だというのに一度や二度で済まされず大変な目にあった。

 彼はいわゆる絶倫というものなんだろう。性的欲求が少ないノアベルトとは真逆である。

 というのも、ノアベルトは精通してほどなくエスメラルダの夫となり、毎日彼女と彼女の愛人女性たちに囲まれて絞りとられる日々を送っていたため、性的に焦がれた事がない。

 なんて贅沢な、と言われるかもしれないが、そういうことなのでわざわざ性行為を進んでしたいと思わないし、自慰行為でさえ仕方なくする有り様である。

 性的欲求が極めて希薄なノアベルトにとって、昨夜の度重なる行為は苦痛でしかなかった。

 確かに気持ちよさはあるが、一度で良いと思ってしまうのだ。

 だというのに、アレッサンドロはノアベルトが何をしていても押し倒してくるし、こちらに構うことなく欲情するので今のうちに衣服を着こんで出来るだけ防御力を上げておきたかったのだ。


「ふぅ」


 簡単に身体を拭き取り、脱ぎ散らかした服を拾い集めて着る。公爵家から持ってきた衣服は箱詰めされているが、それが荷解きされているのかもわからないし、こんな身体で使用人を呼ぶのも躊躇われた。

 拭いても拭いても尻からどんどん垂れる精液はもうあきらめた。キリがない。

 一体、どれだけ出したらこんなことになるというのだろう。

 溜め息交じりに窓の外を見る。

 ぼんやりと眼下の森林を見下ろすと、ずいぶん珍しい植物が多く散見され、好奇心がむくむくと大きくなる。

 きょろりと寝室を見渡し、デスクを見つけて迷わず足を進めた。

 紙とインクを手にして、手頃な本を引っこ抜いて部屋を出た。

 ふん、ふん、と鼻歌まじりに外に出て、見覚えのない植物を眺めては写生する。

 この子はどんな性質をもっているんだろうか、と考えるだけでワクワクした。

 しゃがんで書くと夫との閨のせいで腰が痛いので、草むらに寝転がってペンをインクに浸す。

 ガリガリと書き込み始めると周りの音が無くなり、目の前の事にしか興味がなくなる。この瞬間がなによりも素晴らしい。


「ノアベルト!」


「っ、うわ」


 ガッと肩を掴まれ、耳元で物凄い勢いで怒鳴られた。

 びっくりしてペンが止まる。目がパチパチと瞬き、目の前の資料から思考が急激に浮上する。文字だらけの資料の世界から色鮮やかな現実に戻り、ノアベルトはぽかんと口を開けた。

 声の主はアレッサンドロで、なんだか凄く怒った顔をしていた。

 この顔を、ノアベルトはアカデミーでも公爵家でも良く目にしていた。


「どうしてこんなところにいるんだ!」


「あ、あの……」


「寝室から居なくなって、匂いを頼りに探してみれば……。地面に倒れているのを見かけたときは呼吸が止まるかと思った!」


「すみません」


「私との番契約がそこまで不満か!」


「や、あの、その」


 すみません、としょぼくれて呟くと、目を三角にしていたアレッサンドロはノアベルトの持っていたペンから紙に視線を移し、その内容をざっと目にした。

 じっと見ている気配を感じて、そろりと口を開いた。


「……昔から植物学の研究をしていまして、この土地に見たことがない植生を発見したので、つい時間を忘れて書き込んでおりました」


「…………」


「大陸ではこのような植物は珍しくて……、アレッサンドロ様、この植物の名前をご存じですか?」


「…………」


「…………すみません」


 沈黙に堪えきれず謝罪すると、アレッサンドロは大きな溜め息をついてその場に座り込んだ。

 これを見に来たのか、と植物を指され、ブンブン首を振る。また溜め息。

 頼むから誰かに言ってから出掛けてくれ、と言われた。アカデミーでも公爵家でも腐るほど言われたことだが、どうにも興味が出てしまうとそれらをポカンと忘れてしまうのがノアベルトだった。



***



 食事中、テーブルに飾られている植物に目が行ってカトラリーが止まり、廊下を歩いていると花瓶に目が行って立ち止まり、窓の外にある大きな木に足が止まる。

 そんな有り様なので、ノアベルトの言っていたことが嘘ではないとわかったアレッサンドロは、逃げ出したのではないことを悟って安堵しつつも困り果てた。

 竜人同士で番になるか、あるいは番とわかる種族ならまだしも、人間は番がわからぬ生き物である。

 人の心は変化しやすく、脆く、どうにも染まりきらぬと言われていたため、アレッサンドロはこの番を迎えるに当たって結構な気を遣っていた。

 ましてや、アレッサンドロがノアベルトと会ったときには、彼は妻と子供がいた。

それらを押し退け、強引に婚姻を結んだため、恨まれているやも、と危惧していたのだ。

 いや、実際には恨んでいるのかも知れない。きっと言葉に出さないだけだ。

 とはいえ、やっと見つけた番を他の者に預けたまま見ているだけなんて、そんな苦しみはない。

 子も伴侶もいるのだからと焼けつくような嫉妬と身を切るような苦しみに苦悶しつつ見守っていたアレッサンドロが、とうとう堪えきれずにシドー国に乗り込んだのには、数ヶ月前、他ならぬノアベルト本人がフィールドワーク中に行方不明になったからだ。

 しかも、屋敷の者も、アカデミーの同業者もノアベルトが居ないことに2日も気がつかなかったというのだからアレッサンドロは卒倒しそうになった。

 仕事で島に戻っていた間にふらりとフィールドワークに行き、ふらりと行方不明になり、アレッサンドロが噂話を聞いて泡を食っている間にふらりと帰って来たため、アレッサンドロは番になるべきだ!ほっといてはコイツは死ぬ!と心底思ったのだった。

 恨まれること覚悟で伴侶と子供と決別させ、島に連れて帰り、閨を共にした翌朝には居なくなっているのだから、アレッサンドロは目眩がしたものだった。


「アレッサンドロ様、紙とインクを」


「アレッサンドロ様、この植物の名前は」


「アレッサンドロ様、この子を植えたいのですが」


 なんというか、ノアベルトは植物学バカであった。


 猫のように柔らかな黒髪はオリエンタルで、肌は搾ればミルクが滴りそうな乳白色をしていた。黒曜石の瞳は理知的な穏やかさを湛え、長い睫がゆったりと揺れては頬に影を作る。女性と見紛うことはないが、女性よりも色気がある、と称されるのも当然な美しさと艶めかしさがあるノアベルトである。

 そんな彼がふらふらとどこかに行けば、島ならまだしも大陸では取って食ってポイされるか売られるかのどれかだ。

 実際、彼は何度か危ない目に遭遇し、その度に公爵家の人間や周囲の者がせっせとガードしてきたらしい。なんということだ。


 ノアベルト取り扱い説明書、なるものをめくり、一字一句洩らさぬように読み込む。

 オリオン・エスメラルダ公爵から手渡されたこの説明書を、当初は目も向けなかったアレッサンドロである。元妻からノアベルトはこうなの、ああなの、なんて書かれた書物を読むなど腸が煮えくり返りそうになるからだ。

 しかし、どうにもこうにもノアベルトが糸の切れた風船であるらしいと気づいてからはエスメラルダのこの書物はアレッサンドロのバイブルに変わっていた。

 奇妙キテレツ摩訶不思議生物。男とは思えぬほど色欲希薄。植物の研究に没頭。食事を忘れる。目的を忘れる。道に迷う。他人に興味がない。驚くほど人を覚えない。趣味がない。味覚がないのでは、と危惧していたが、植物の味は確かめるようなのであるらしい。1人でどこかに行く。どこに行くのか本人も決まっていないことがある。怒って叱っても無駄であるため、こちらが注意するしかない。使用人は常に三人用意し、周囲に配置するか縛って繋いで置くのが吉。研究を取り上げると突飛な行動を起こして飛び出すので、コンスタントに研究はさせるべし。

 エスメラルダの書いた取り扱い説明書が嘘でも、誇張でもないことは、ノアベルトと共に暮らし始めてすぐに理解させられた。

 このような取り扱い説明書を元妻に用意されるだけあって、ノアベルトは研究一辺倒だった。

 旅人を惑わす美貌のセイレーンにも似た危うげな美しさを持っていながら、早くに結婚したことでその美しさをまったく使うことなく生きてきたせいであまりにも呑気な生き物に育った。

研究、研究、たまに食事、たまに風呂、研究、研究、フィールドワーク、研究という生活を長年のびのび行っていたノアベルトにとって、寝室から出られないのはとんでもないストレスでもあった。

 アレッサンドロは番であるノアベルトを大層溺愛しており、竜人らしくせっせと囲いこむことで自らの飢餓を満たしていた。

 それが竜人という種族であり、番という関係のあるべき姿であるからだ。

 ところがフィールドワークも研究も出来ず、朝から晩までベッドの上で貪られ、ぐっちょんぐちょんのデロデロにされて動く元気もないほどに乱されること1ヶ月。

 とうとう我慢の限界に達したノアベルトは家出した。


 寝ているアレッサンドロの腕から細心の注意を払って抜け出し、ドロッドロな身体を拭いた布を複数もって二枚は窓の外に投げ捨てた。

 風にのってピラビラ飛んで行く布を見送ってから服を着て、紙とペン、インク瓶を持って寝室を出る。手元に残しているドロドロな一枚は階段の下に落とし、自分は一階の部屋に滑り込んだ。

 その瞬間、ガタンゴトン、バタバタバタバタ、という物凄い足音がした。

 どうやらアレッサンドロが起きたらしい。

 あらかじめ一階の部屋に置いていた香枦に香木を入れ、火を焚くとふわりと細い煙が立ち上ってくる。

 人間にはわからぬ匂いではあるが、この香木は特殊な香りで鼻につくらしい。このように密室空間で焚けば、番の匂いもわからなくなるという珍しいものということで、公爵家を出るときにエスメラルダがくれたものだった。

 隣室の扉に認識阻害の魔方陣を設置、カーテンにも認識阻害の魔方陣を設置、風呂は、いらないな、と考えて、トイレを考える。

 この部屋が一階にあるため、外に出れば大自然が広がっている。用をたすのならそれで良かろう。

 ノアベルトは植物学者である。食事もまたその辺の木の実を食べれば良いと考えていた。


「ああ、久しぶりの研究だ……」


 ぽぽぽっと頬を染め、うっとりと紙を撫でる。

 外に出て認識阻害の魔方陣を心行くまで敷き、香枦や匂い消しの植物を大量に植えた。こうして出来上がった限定的な隔絶空間で、ノアベルトは悠々自適に研究を始めたのであった。

 ちなみに認識阻害魔方陣は一番上の子供がくれたものだ。オリオン公爵家はただでやられなるタマじゃないことがこの事からも窺える。子供たちはノアベルトが居なくとも元気に、そして邪魔な他者を薙ぎ倒したり踏み潰したりしてでも邁進して行くことだろう。良いことである。

 なんだか扉の向こうが騒がしかったり煩かったり天候が荒れて落雷がすごかったりしたが、ノアベルトには関係無いことだったのでスルーした。

 叫び声やすすり泣きが酷くて幽霊でもいるのかなぁとボンヤリ思っていたが、これまた関係のないことなのでスルーした。

 認識阻害をかけた扉が呆気なく開かれ、ノアベルトの視界に鮮烈な赤が舞い込んできたのは、ノアベルトが自己生産出来ない紙とインクが底をつきかけていたある日のことだった。


「可愛い坊や、そろそろ食事の時間よ」


「エスメラルダ?」


「ええ、そうよ」


「ごはん、ごはんかー。うん。そうか、うん」


「父上、それを置いてください」


「うん、ありがとう」


「父上、それはまた後で書けますから」


「うん、そうだね」


 エスメラルダと子供たち三人は真っ赤な髪と真っ赤な瞳、真っ赤な衣装でころころと部屋に入り込み、ノアベルトが散らかした書類をてきぱきと片付け、浄化魔方をかけて汚れを洗い流し、ノアベルトの手を引いて書類から引き剥がした。慣れたもので、まだ紙に執着しているノアベルトを一刀両断してサクサクと部屋から出してしまう。


「ノア……ッ!ノアベルト!!!」


「わあ」


 扉を出た辺りで青い者に掴まれ、抱きつかれて、ノアベルトはなんだっけこの人、とまじまじと見つめた。


「父上の新しい夫ですよ」


「竜人らしいですよ」


「へえ、そうなんだねぇ。みんなは物知りだねぇ」


 不思議そうな顔をしていたら子供たちに教えてもらい、ノアベルトは新しい夫?と首をかしげながらエスメラルダを見ると、エスメラルダも頷いたので、そうなのかと納得した。エスメラルダが言うのなら間違いないのだろう。

 一方、存在そのものを忘れられていたアレッサンドロといえば隕石が激突したかの如く衝撃を受けていた。

 日夜蜜月を繰り広げ、めくるめくぐっちょんぐちょんの日々を重ねていたのに、存在そのものを無かったことにされたのでハートブレイクも甚だしかった。


「失礼ながら、取り扱い説明書に記入しておりましたでしょう?研究を取り上げると突飛な行動を起こして飛び出すので、コンスタントに研究はさせるべし、と」


「父上から研究を取り上げるなんて、見る目のないことを」


「父上の生き甲斐なのに、それをあげないなら忘れられて当然だわ!あたくしたちから父上を取り上げたのに大切にしないなんてあり得ないわ!」


「……いや、父上がおかしいんだって」


 エスメラルダが大袈裟に溜め息をつき、下の子供二人がピイピイと喚き立てて夫らしい青い人を責め、上の子供がうんざりと嘆息する。

 子供たちは全員エスメラルダに似ているが、上の子だけが息子なので一人立ちが早かったのかもしれない。とりわけしっかりしているので、ノアベルトは上の子にしょっちゅう叱られていた。

 ごめんね、と言うと、俺じゃなくて竜人の旦那に謝っておいてくれと言われた。

 なんと、ノアベルトの夫は竜人であるらしい。なんでそうなったんだろうか。


「……父上は、才能の一点集中特化形の人ですので、研究以外はどうにも欠けているのです。申し訳ない」


「そこが可愛いんじゃないの」


「そうよ。父上は天才なのだから、凡人と違うのよ」


 下の子の二人の娘に庇われて、ノアベルトは困ったなあと眉を下げた。

 なんだか大事になっているようだ。


「温室と研究室を与えて週に3日ぶちこんでおけば勝手に居着きますよ」


 息子のあんまりな物言いに、しかしノアベルトはそれは嬉しいことだとニコニコと笑った。

 卒倒しそうな顔をしたアレッサンドロは青い顔で頷き、ノアベルトの腰に紐をくくりつけた。


「ところで、この植物なんだけれど……」


「坊や、食事を先にしましょう。どうせ木の実ばっかり食べてたんでしょう。嵩が減ってるわ」


「おお、エスメラルダは凄いね。なんでもわかるのだから天才だ」


「……貴方って子は、もう」


 額をおさえたエスメラルダと新しい夫にぐいぐい引っ張られ、ノアベルトは数ヶ月ぶりに肉を食べ、風呂に入り、寝台で寝た。

 翌日にはオリオン公爵家の人間は居なくなっていたが、ノアベルトは気にせず日々を過ごしている。


「すまないね。ところで、君はどこの誰だったかなあ?」


 番の研究を手伝いながらせっせとと世話を焼いていた夫、アレッサンドロは喉が枯れるような大声で「君の夫だ!!!!」と叫んだ。

ノアベルトに認識されるまで、およそ三年の月日を要したという。





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