第六話 バックストーリー・オブ・鞘織
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
時は現代────
極東の島国JAPANG・首都TOKIYO────
読者諸氏におかれては日本の東京を想像してもらえばイメージし易いだろうか。
都心から少し離れた下町に鞘闇家がある。
鞘闇家は代々、鞘を用いたチャンバラ"鞘閃道"という、由緒正しき武術を後世に伝えるべく道場を構える流派、離刀結鞘流の宗家である。
だがしかしマイナー競技の宿命か門下生は現在ゼロ。
このまま日の目を見ることなく廃れてゆくのは自然の摂理と言える。
道場に隣接した自宅、鞘織の自室────
「……………………」
午前3時50分、早朝────
目を覚まし伸びをしつつ窓際へ向かいカーテンを開けると外はまだ暗い。
窓の上枠から吊り下げられたてるてる坊主を一瞥し、私は今日の天気に思いをめぐらせる。
寝間着のまま道場へ赴くと道着袴に着替え、日課の素振りを始める。
虚弱な体質を少しでも、心身を壮健に……とはいかないまでも、せめて最低限、日常生活に支障をきたさないだけの筋力を維持すべく幼少より続けている。
「こほっ……こほっ……」
時折、咳音をまじえながらも決して集中は切らさず、懸命に型をやりきる。
型と言っても大仰な奥義などではない。
鞘閃道・離刀結鞘流の基本型、横薙ぎの【水平閃】、そのまま返す刀で逆水平、そして突きの【一直閃】と、これら三つの動作を愚直に反復するのみである。
およそ15分ほどの日課を終え、修練用の模造鞘を刀掛台へと立てかけたところで後方から祖母より声がかかった。
「今朝はいつもよりも早いのですね」
鞘闇 絹:大好きなおばあちゃんだ。
「あ、おはようおばあちゃん。そうだよ、今日から修学旅行だからね。始発で出発だし、念のため余裕をもってね」
「とうとう、来てしまったのですね……今日という日が」
おばあちゃんは神妙な面持ちだ。
はじめ修学旅行の話をした時は見聞を広める良い機会だと賛同の意を示してくれたのだが、次いで行き先を伝えてから途端に顔色が変わり猛反対するようになったのだ。
占星術や風水に堪能な祖母が言うに今年の修学旅行先であるIHATEは日時も方角も最低最悪で、あらゆる不吉に加え恐るべき災厄と波乱を煮詰めたような地獄めいた凶兆が渦巻いているのだという。
更にIHATEは漢字表記にすると異界の果てと書いて"異果"と読み、神隠しの伝承も多くあるのだとか…………
病弱故にこれまで多くの学校行事に参加できず仕舞いの私を不憫に思ったからこそ最初は賛同してくれたはずだ。
なのに何故そんな異世界などという突飛で現実味の無い不条理な理屈で手の平を返すのかと、初めて祖母と意見が衝突した。
修学旅行といえば高校生活最大のイベントと言っても過言ではない。こちらにも譲れない理由はある。大分苦労したが、紆余曲折を経てどうにか説得に成功したのだ。
「もう、そんな悲しい顔しないでってば。最近は体調も良いし大丈夫、必ず無事に帰ってくるからさ、おばあちゃんの心配は杞憂に終わるよ」
「祖母として我が孫の身を案じ、老婆心を抱くのは至極当然の事。エンケリンを顧みず、みすみす死地へと送り出すグランマがどこの世界に居りましょうや……何度も申し上げた通り、あなたの体調以上に目的地が問題なのです。はぁ……いえ、分かっています。この期に及んで水を差すような真似はもう致しません。荷物に不備はないか、最終確認をしに参ったのです」
※エンケリンはドイツ語で孫娘の意。
横文字を使いこなす様からそこはかとない知性が垣間見える。先の異世界云々も相まって、なかなかにハイカラな婆さんである。
私は道着から元の寝間着に着替えると、祖母を伴い再び自室へ向かう────
道すがら、祖母との応酬めいたやり取りを回顧する。
真摯に懇願した甲斐あって修学旅行への参加は認めてもらえた……のだが、引き換えに一つの条件を出された。
それは、"祖母の提示した物品は無条件で携行する"というものであった。
おかげで異世界を想定した、とんでもない大荷物になった。
やれ米だ、やれ水だ、やれ味噌だ塩だのなんだのと際限なく……終にはカルバリン砲まで持ち出して……あれほどアグレッシブな祖母の姿は生まれて初めて見た。
無論そのような大荷物、持ち運べるはずもなく────
なるほどなるほど。表面上は了承したと見せかけて、結局のところとどのつまり、行かせる気など毛頭無いのだ。
(そういえば、こんなやり取りもあったっけ────…………)
……………………
………………
…………
……
「意地悪はやめてよ、おばあちゃん!」
「誰が意地悪ばあさんですか!? ……いいですか羽織や、よく聞きなさい。世の中には山小屋へ人力で何十kgもの物資を運搬する歩荷という職業があるのです」
「ボッカ!?!?」
「ええ。百聞は一見に如かず、この動画をご覧なさい────」
言いながらおばあちゃんは袖の下からおもむろにiPadめいたタブレットPCを取り出すと、淀みない操作で歩荷の関連動画を開く。
(コンピューターおばあちゃん…………そして袖の収納力よ…………)
「……………………」
確かに、お世辞にも筋骨隆々とは言えない中肉中背の男性が、冗談めいて巨大な物資を背負って山道を歩いている。
だが動画を見る限り、歩荷という職業は卓越した職人技によって成立しているもので、とても一朝一夕で身につく技術とは思えなかった。
ましてや一介の女子高生。この細腕で真似できるような芸当じゃないのは火を見るよりも明らかだろうに、そこに考えは及ばないのか。
(正直、開幕数秒でツッコミたくなったけれど……)
普段から鷹揚として泰然自若。そんなおばあちゃんに冷静な判断力を失わせるほどの一大事……ということなのだろう。ならばこちらも本腰を入れて説得にあたらねばなるまい────
(おばあちゃんには悪いけど、ちょっと強い言葉も使っちゃうよ……!)
「言いたくないけどおばあちゃん……これを本気でやらせようと思ってるなら……耄碌を疑うレベルなんだけど」
「生憎と至って矍鑠。真剣そのもので────あ! ほら、ご覧なさい! これは"五俵担ぎ"といって、米俵を担ぐ女性の画像です。安い挑発などせず画面に集中なさい」
(か、かくしゃく……?? 駄目だ、話が通じる気がまるでしない……かくなる上は現実を見せつけて情に訴えかけるしか……ないッッ)
「じゃあ分かったよ。実際この巨大な大荷物を背負った孫娘が一体どうなってしまうのか、どんな末路を辿るのか…………しかと刮目せよ!」
迫真の勢いで何段重ねもの巨塊めいたザックに挑みかかる!
「ッッ…………!! …………ッッ!!」
結果は言わずもがな。一歩も動けないどころか、そもそも立ち上がる事すらできない。
「……ほらね。常識的に考えて無理だから。当日までに訓練したとて所詮は付け焼き刃。仮に歩行できるレベルになったとしてもよ? ちょっとでもバランスを崩して転びでもすればたちまちぺしゃんこ、圧死は必至。いいの? 大切な孫娘がそんな最期を遂げてもさ」
「それは……ならば致し方ありません、軽量化を検討しましょう」
(ホッ……分かってくれた……)
「考えてみれば異界の地で運動性の低下は命取り…………」
「うん、それ以前に家を出発できないからね」
絶対に行かせまいと意図的に無理難題を強要したのではなく、徹頭徹尾大真面目だったというのが恐ろしい。
どれほど孫の能力を過信しているのか。本当に目を覚ましてくれて良かった。
……………………
………………
…………
……
「ではこのぐらいで…………」
「まだまだ! もうひと声!」
……………………
………………
…………
……
「こ、これ以上は…………」
「いいかい、おばあちゃん。よく考えてほしいんだ。一人だけ場違いな荷物を持っていたら悪目立ちして、いい晒し者だよ……孫が恥をかいても良いのかい? さんざん揶揄われ泣いて帰ってくる、そんな姿を見たいのかな? 友達も減るかもしれない────」
────などと回想している間に自室に到着した。
「どうかなおばあちゃん────」
セーラー服のスカーフを結び、羽織ったカーディガンに袖を通し身支度を進めながら私は祖母に問いかける。
最終的な荷物はどうなったかというと────
・修学旅行のしおり
・歯ブラシ諸々詰め合わせトラベルセット
・学校指定ジャージ、替えの下着
・持病のおくすり、簡易的な医療キット
・ウェットティッシュ、アルコールスプレー
とまぁここまでは無難な旅支度だが……。
そして以下はおばあちゃんのチョイスだ。
・皿や茶碗含むカトラリーセット
もし何らかの災害に見舞われて避難所生活を余儀なくされた時、熱々の炊き出しを素手で受け取るおつもりですか? やけどしてしまいますよ。箸やスプーンだって、直接口に含むのだから自前の物が安心でしょう。
と熱く説かれ、まぁ、大砲のような非現実的めいて無茶な要求と比較すればまだ許容内だったので納得せざるを得なかった。
これはドア・イン・ザ・フェイスというテクニックで、相手の承諾を引き出しやすくする交渉術らしい。
・特製冊子(味噌や醤油等、様々な調味料の製法と理論、そして異世界でも活用できそうなサバイバル術をネットからプリントアウトし、まとめて綴じたもの)
祖母曰く、異世界の文明レベル次第では調味料だけで無双できる────
これには同意せざるを得ない。現物と違って紙の束ならば負担もそれほど無いし許可しよう。
「あぁ、改めて見ると不安のあまりに眩暈が……せめてゲルリッヒ砲(軽量型)とタングステン芯徹甲弾を…………」
「おばあちゃん」
「えぇ、えぇ。どうやら不備は無さそうですね」
「まったく…………」
「では、最後にこれを────」
そう言うとおばあちゃんは袖の下から簪を取り出し手渡してきた。
それは豪奢で煌びやかな装飾は無いシンプルな鞘の形を模した簪だが、ささやかに梅の花、淡い白梅の組紐があしらわれており、そこはかとない気品を感じる。落ち着いたデザインの簪だ。
「これは離刀結鞘流当主に代々受け継がれてきたもの。きっとあなたをお守りくださるわ」
"当主"という言葉に重圧めいたプレッシャーをひしと感じるが、それでおばあちゃんが納得するのならと思い、快く受け取る。
ちなみに私の母は未婚のシングルマザーで、家には碌に寄り付かない。
おばあちゃんに言わせれば放蕩三昧のドラ娘だそうだ。
最後に会ったのは七年前、お腹を大きくして帰ってきたかと思えばおばあちゃんに産婆を頼み、そのまま自宅分娩で出産した。
私は当時10歳ながらもおばあちゃんに言われるままお湯を沸かしたり、ありったけの清潔なタオルを用意したりと、夢中でお産の手伝いをしたっけ……。
弟を産んで間もなく単身ふらっと姿を消し、それからは現在に至るまで一度も帰ってきていない。
私は体質の件もあり当主になるつもりなどサラサラ無いし家督は長男である弟に押し付け責任から逃れようと考えているのだが……今ここでそんな議論を交わす事で出発前に要らぬ体力の消耗は避けたい。
「ありがとうおばあちゃん」
私は簪を受け取るとその場で装備して見せた。
……そうだ。そのような議論は無事に帰宅して、簪を突き返した後に心ゆくまで繰り広げれば良い。
「まるであつらえたかの様に良くお似合いですよ」
その後、軽めの朝食を済ませ、仏壇の位牌に向かい祖父へも挨拶をする。
そう。祖父の鞘闇 隠玄は既に他界し、鬼籍に入っている。
名前の通り隠密スキルの玄人で、生前は特務機関の諜報員として暗躍し、とある任務の最中に殉職したのだという。
職業柄、写真は一枚たりとも残っておらず、当然遺影も無い。
なので私が知る祖父といえばおばあちゃんから伝え聞いた伝聞のみで、それ以外の情報は一切合切が闇に包まれており、顔も知らず、偲ぶ思い出も無いのでハッキリ言って虚無でしかない。
しかし現状、その祖父の遺した遺産で生活しているのだから決して粗末には扱えない。毎日しっかり感謝を込めて拝んでおります。ハイ。
そんなこんなで全ての支度が整い、いよいよ出発だ。
ザックを背負い、玄関へと向かう。
分かってはいたが、やはり陶磁器がずしりと主張し、圧倒的存在感で肩に重みを伝えてくる。
(ヘルニアになったら恨んでやる…………)
「ぉぁょー……」
弟の鍔佐が、寝ぼけ眼をこすりながら起床してきた。
※ちなみに母の名は柄紗
ちゃんと調べた訳ではないので私の憶測に過ぎないが、前述の母の素行からおそらく父親は別々の異父姉弟なのだろう。
時間的にはまだ早朝だが、どうやら起こしてしまったらしい。
「ぁぇ、もう学校? にっちょく?」
「しゅうがくりょこうだよ。まあ、遠くの学校に行くようなものかな」
歳の離れた弟にも分かり易く説明する。
「……とおくの? いつ帰ってくるの?」
「三泊四日の日程だから、三日後になるかな────」
「ぇ……と……じゃあ…………」
「あしたのあしたのあしたに帰ってくるよ」
「ええええ! じゃあ僕も行く!!」
「いや連れて行けないよ」
「なんで!!」
「なんでも」
「どうして!!!!」
「どうしても」
徐々にヒートアップめいてぐずりだす弟に構っている余裕は無い。
毅然とした態度で突き放し、速やかに退散しよう。
「じゃあおばあちゃん、悪いけどあとは任せるね。いってきまーーす」
帰ったらお土産に何か美味しい銘菓でもあげればきっと機嫌は直るだろう────
後方からの喚き声をBGMに、私は逃げるようにそそくさと家をあとにした。
(この機会に学ぶのだ……泣いたってどうにもならないという事を────)
道場の門を出るとすぐに見知った顔に出会った。
「藤やん」
「はよっすー、ナイスタイミング。丁度いま玄関まで迎えに行くとこだったわ」
山井 藤乃:近所に住む昔からの幼馴染で、進行は遅効性だが難病めいて不治の病に侵されている。
病弱という点で互いに境遇が似ていたこともあり、すぐに意気投合し親友になったのだ。
いや、ただの親友ではない。卒業後は何処かのアパートに隣同士の部屋を借り、阿佐ヶ谷姉妹めいた共同生活をし、支えあって生きましょうと将来を約束するほどの仲良しだ。莫逆の友と言っても過言ではない。
「はは、シンクロニシティかな」
「んん? おいおいお鞘さん、髪型をアレンジしくさって気合入ってんなー。色を知る年齢か!」
挨拶代わりに範馬勇次郎めいた指摘を放つ我が盟友。
信頼関係があるから語り口もくだけたものになる。
「ちーがうって。私の性格上ありえないっしょ。これは旅の御守りにっておばあちゃんから渡されて、失くすと大変だからさ────」
「ま、生涯独身の盟約を結んでいるものな」
「そうそう」
短命めいて早逝するのが濃厚な我々が結婚など、相手を不幸にするだけである。介護の苦労もかけたくない。
「それにしてもよく似合ってんな、お鞘に鞘の簪って洒落がきいてらぁ」
「えへへ、でも帰ったらおばあちゃんに返すつもりだから────」
「そうなん? じゃあさ、自由行動になったらどっかの土産物屋で簪探そうぜ」
「いいねー! せっかくならお互いに選んだものを贈り合おうよ。藤やんにも似合うと思うんだ、藤の花の飾りがついたやつがいいな」
「藤の花言葉や簪を贈る意味をわかってんのかー? お鞘はなかなかのスケコマシだなー」
「知らんけど、変な虫がつかないようにとか?」
「まーそんな感じだ」
「では我々にぴったりだ」
「ははは、違いない」
「ピンポイントなデザインのが見つかるといいな────」
「土産物屋の人に尋ねれば専門店とか教えてくれるべ────」
駅へと歩を進めながら二人の会話は続く────
「それにしても実施が絶望視されていた修学旅行へ行けるなんて、未だに信じられないぜ」
「"クリア禍"の真っ只中だもんね」
そう。現在JAPANGは未知の病原菌"クリアウイルス"によって未曽有のパンデミックに見舞われているのだ────
感染者は失語症めいた言語障害と共に次第に体が透けて行き、最終的には実体もろとも完全に消滅してしまうという恐ろしいウイルスだ。
完全消滅故にボディペイントで存在を主張することも不可能。人生からもクリアするダブルミーニングとなっている。
近年、人口密度の増加が問題視される首都TOKIYOでは皮肉にも問題解消の一因となっている。
待望のワクチンも、無数の変異株によって日々新型クリアウイルスへと進化するためにイタチごっこ状態である。
そのうえワクチンには個人差はあれど、激痛や発熱を伴うといった副作用もあった。ワクチンが死因となる事例も複数あがるほど危険なワクチンであった。
「連日感染者のニュースが報じられて終息の気配もないってのに」
全国で唯一感染者ゼロのIHATEに修学旅行実行委員がダメ元でお願いしたらまさかの承認されたのだ。
「ほんと、受け入れを承認してくれた知事に感謝だよ」
「実際感謝しに行くんだよな────」
しおりによれば、到着後は真っ先に県庁を訪問し、生徒一同で知事へ謝辞を述べる予定になっている。
「ニュースで見たけど若い女性の知事なんだよね」
若者の笑顔を曇らせたくはない、素敵な想い出になれば幸いという旨のコメントも出していた。
「ああ。流石若いだけあって頭のカタい老害政治家とは感性が違うぜ。あたしらは県民じゃないけど支持せざるを得ないな────」
不意に私のザックから、ガッチャンコガッチャンコと陶磁器同士が接触する音が聞こえだす。
どうやら歩行の振動によって、緩衝材の役目を果たしていたジャージがずれてしまったらしい。
ちょっとごめんと一言断りをいれて、私は厳重めいてしっかり目に再びジャージで包み直す。
その様子を見て藤やんは一体何故そんな食器をと当然の疑問を私に投げかける。
「実は、かくかくしかじかでさ────」
事の経緯を語り聞かせた。
「アッハッハッハ! いや、笑っちゃ悪いか、しかしぶっ飛んでんな────お鞘の婆ちゃん。もはやコントじゃんか」
「はは、だよね、参っちゃうよ、ほんと」
「しかしいっぺん見てみたかったぜ。キャリーケースよろしくゲルリッヒ砲をコロコロと引いて登場するお鞘をよ────」
笑い過ぎた涙目をこすりながら楽しそうに言う。
想像したら絵面がシュール過ぎて、私も釣られて笑ってしまうのであった────
駅に近付くにつれ、行動を共にする同じ班の仲間も合流してくる。
「早上好! ヤァヤァ二人とも、いい朝だネ! 絶好の修学旅行日和ヨ────」
李 備明:隣国、香湾(HONGWANG)からの留学生。クリア禍による入国制限が敷かれる前に滑り込みセーフで来日した。
本来のピンイン発音は"べいみん"だが、郷に入っては郷に従えという事で、ここではニックネームめいて音読みの"びんめい"で通している。
自身にとって異国であるJAPANG文化に興味津々で、他にもスピリチュアルめいた神託や超常現象めいたオカルト、都市伝説等に好奇心旺盛なチャイナガールだ。
セーラー服も、袖口など各所に刺繍を入れたりして中華風に着こなしている。
クリアウイルスの正体はウイルスではなく魔王の仕業だという説を唱えている。
日本語に堪能な事もあり、留学当初はクラスの人気者だったが、上記の理由から次第に敬遠され、最終的にクラスカースト上位のギャルグループではなく、地味でぱっとしない我々のグループに落ち着いた。
「オッス備明、朝っぱらから元気ハツラツだな────」
「あたりきしゃりきヨ、フジノは違うのカ?」
「まーテンション上がらね~と言ったら嘘だわな。天気も良さそうだし」
「そうヨ、フッフッフ……どうして今日これほど素晴らしい天候に恵まれたか知りたいカ?」
「そいつは興味深いな。どうしてだい?」
「晴れてほしいとき、JAPANGにはてるてる坊主いう文化がアルネ? 実はワタシ、ゆうべシコタマこしらえて吊り下げまくたヨ────! て~るて~る坊主~てる坊主~あーした天気にしておくれ~~♪ ってネ」
「だっはっは、よくお勉強しているな────完璧だぜ」
「確かに今日天候に恵まれたのは備明ちゃんのおかげに違いないね」
「そうでしょうそうでしょウ、晴れ女と呼びなさイ」
「なあ備明。もうひとつ、下駄占いってのもあるんだぜ」
「ゲタウラナイ?」
目を輝かせながら熱心に概要を教わると備明は、アリガトウ、アリガトウ、謝謝と、大袈裟に謝辞を述べ、その場で実践する流れになった。
我々の一般的なローファーとは異なるカンフーシューズを、備明はアチョーと天高く思い切り蹴り上げた!
固唾を飲んでその行方を追う三人。果たして結果は────
なんと! 表れたのは靴の裏底であった……アンラッキーと言わざるを得ない。
OTLめいて膝から崩れ落ちる備明。
「あああああ! ……あああああ!!」
その後ほんの数秒ほどではあるが、解読不能な母国語で癇癪めいて地面に向かい喚き散らす。
「お、おい……」
落ち着かせるべく肩に置こうとした藤乃の手を払いのける備明。
「フジノの奸計に乗ったばかりに、ワタシの夜なべが台無しヨ────塞翁が馬とはまさにこの事…………返してヨ、ワタシの晴れ女……! 称号……! 栄誉を……! はあぁぁぁぁ…………」
「あ、あたしのせいかよ……」
ザ・外国人というか、ジェットコースターめいて感情の起伏が激しい。
先刻のご機嫌状態から急転直下の豹変ぶりで発狂したかと思えば、今はこの世の終わりめいてさめざめと絶望している。
私は落ちた靴を拾い上げ、精一杯元気づけようと試みる。
「大丈夫だよ、下駄占いは明日の天気を占うものだから。今夜またてるてる坊主を作ろうよ、一緒に」
「ニーハオ…………」
私はニーハオと呼ばれている。なぜなら你好の你は"あなた"という意味で、私はハオリなので、誤用ではなく正しい用法、らしい。
「ニーハオはいつも優しイ…………うん、そうだネ……下駄占いに勝つよワタシ────いや、ワタシ達ネ!」
「復活したか、やれやれ」
「フジノは一つ貸しだかラ、何かの形で返すように」
「はあーなんでだよ!? 転んでもタダでは起きないってか? ……ったく、いい性格してるよお前」
「本当、やれやれでしたね」
「おわ! びっくりした」
「驚いたときIHATEでは、じぇじぇじぇと言うそうですよ」
四人一組である我が班、最後のメンバーが合流した。
「おはよう、ちずれちゃん」
「おはようございます」
多枇杷実 ちずれ:尊敬する偉人は伊能忠敬。趣味はマッピングで、常に方眼紙と野帳を持ち歩いている。ハンチング帽がトレードマークのボクっ娘。
「さきほどから見ていたのですが、儀式はあくまで現場を占うもので、直線距離で約462km離れたIHATEの天候には影響しないのでは?」
「無粋かと思って言わなかったけどよ────そもそも予報じゃ数日晴れマークだったぜ」
ふとIHATEの方角へ視線を向け空を見やる────おばあちゃんの危惧したような暗雲が立ち込めている様子は今のところ無い。快晴である。
「もっとも、ボクは悪天候時の備えも万全ですが」
「んなもん別に、雨降ったら降ったで現地調達すりゃいいだろ────旅ってのは身軽がイチバンさ。なんだってそんなに大荷物なんだ? 雨具だけでそうはなんねーだろ」
「測量に使うアストロラーベ六分儀に象限儀────」
伊能忠敬リスペクトを感じる。彼に倣ってアナログな測量機器である。
「それと撮影用のカメラと三脚ですね」
彼女は今回、卒業アルバム用の写真係も一任されていた。
プロの写真屋も同行はするのだが、それとは別に生徒からも各クラスに一名選出された。
写真は後日、番号とともに張り出され、希望の写真があれば購入できる仕組みらしい。
なので同じ班のメンバーではあるが、単独行動が多くなることは事前に聞かされていた。
だが荷物の内容を見るに、彼女にとって写真は口実で、単独行動のメインは測量なのだろう。
肝心の撮影そっちのけで夢中にならなければ良いのだが……。
「ちょうど四人揃ってますし、出発前の集合写真でもどうですか? とりあえず、一枚でも撮っておけば免罪符にもなりますし────」
こやつ、やはり……後半は小声だったが私は聞き逃さなかった……。
余談だが、私は大荷物仲間ということで彼女にシンパシーを感じ親愛の握手を求めたが、ボクは慢性的な手掌多汗症なのでハンドシェイクは遠慮しておきます。と、やんわり断られてしまった。
何はともあれ四人で仲良くパシャリ
駅に到着すると、集合場所では生徒たちがワイワイガヤガヤと談笑している。
中でもとりわけ女子の黄色い声援を集めているのは────
雨後野 筍也・岡田 有蔵・織田 無造の三名だ。
甘いマスクで女子人気が高く、日常茶飯事めいてお馴染みの光景であった。
彼等のイニシャルからUO2(二酸化ウラン)というユニット名もある。
ここで唐突だが、鞘闇羽織と関わりの薄い女子や、接点が皆無である男子クラスメイトは、僭越ながら地の文で紹介していく────
雲霞 浮塵子:忍の家系で、雲霞流忍術の使い手。大のBL好きで筋金入りの腐女子。
故に周囲の取り巻き女子とは一線を画し、願望めいた妄想混じりのBL目線でUO2を捉えている。
双子の弟、浮塵雄(ノンケ)を半ば強要めいて巻き込む形で原稿を手伝わせ、 浮塵子浮塵雄のペンネームでSFテイストを加えた女性向け同人誌も描いている。
今日も今日とて彼女は得意の霞遁・光学迷彩の術を駆使して息を潜め、通常では考えられない至近距離から気付かれることなく接写めいてUO2の面々をスケッチするのであった。
雲霞 浮塵雄:原稿のアシスタント以外も姉には逆らえず、今回UO2と同じ班に潜り込んだのも薄い本のネタを仕入れなさいと言われたため、男子部屋でのじゃれ合いを盗聴・盗撮要員として潜入。
小川 腕白小僧:両親からとんでもないキラキラネームを名付けられたが、反抗期めいてグレることもなく真っ直ぐに成長した。が、名は体を表すとはよく言ったもので、冒険への憧れめいた衝動は日増しに膨れ上がっている。
自身のルーツを求めてミズーリ州を目指すべく、卒業後はAmericaへ渡り、大陸横断めいた大冒険旅行、STO【ステイツ・トランザム・オガワ】を計画している。
椎名 桔平:俳優ではない、偶然の一致。
薬師丸 夕一:薬局の小倅。おくすりの王者夕一ちゃん。
土嚢丸 和広:ラグビー部の主将を務めるラガーマン。
硬原 致司:ディフェンスに定評のある硬原。
軟野 是志貴:粘り気のある柔軟な筋肉に定評のある軟野。
山縣 岳彦:山岳同好会所属のやまおとこ。
縫畑 疑短:自身こそは第六天魔王信長の生まれ変わりであると豪語して憚らない狂人。クラス全員から腫れ物めいて距離を置かれている。
越智 かづ喜:子、曰く────"対象が生物であれば老若男女を問わず、彼にお近づきになれない者は居まい"とまで言わしめた、超高校級のナンパ師。
泉寿氏 えり子:エリート官僚を父に持つ。厳格な家庭で育った反動か、高校デビューめいてギャル化した。とはいえエリートの血が流れているので要領は良く、そのチャラい見た目に反して上位の成績を維持している。
幼少期は鞘織の道場に通っていた時期もある幼馴染だが、現在は疎遠。
松竹梅:松本・竹内・梅津からなる女子トリオ。泉寿氏えり子の太鼓持ちめいた腰巾着。
過滾 漲:人並外れた新陳代謝とフィジカルの持ち主で、数多の運動部の助っ人に駆り出される超健康優良児。
アスパラドリンク・ポカリ・スプライトを黄金比率でブレンドしたオリジナルドリンク、アポカリスプを愛飲している。
宇美濃 もずく:もずくはそんなに好きじゃない。好きな飲み物はレモネード。
真田 真由:融通が利かない生真面目な、おカタいクラス委員長。
男沢 辰繫:担任。角刈りにジャージといったコテコテの体育教師。体毛も濃く、前を開けたジャージから覗くインナーはステテコシャツに腹巻だ。
首から下げられた御守りには"会心祈願"と刺繍されており、その中には真鍮製のししとうが入っている。
────そして駅構内、通路の一角にて。
「ええ、と────21番線……21番線……」
男子生徒が構内図とにらめっこしていた。
「ふわぁ~~……あふあふ……誠太郎くん、ここはどこぉ────」
隣であくびをする女子生徒は慣れない早起きでまだ眠そうだ。
「うう~ん、弱ったぞ、久凪ちゃん。TOKIYOの駅はまるでダンジョンだ」
殴浄 誠太郎:片田舎から鞘織たちの通う最旬館高校に転入してきた転校生。孤児院育ちのみなしご。
生まれつき霊を認知・干渉できる霊媒体質で、拳に巻いた赤いバンテージ【幽破御赫套】で、悪霊を物理的に殴って浄霊する。
必殺技は誠太郎くんスマッシュ。トドメの決めゼリフは「往生せいや!」
かつて霊障から救ったおじさんがたまたま財閥の大富豪で、以来すっかり気に入られ、今回の転入手続きや学費など、手厚い支援を受けている。
遊佐 久凪:同じく孤児で、誠太郎とは一緒の孤児院で家族同然に育った幼馴染。
その正体は交通事故めいたもらい事故で先代魔王から魔王因子を継承した次期魔王。
※継承後の出涸らし状態だった先代魔王は激昂した誠太郎の誠太郎くんスマッシュによってその場で処された。
物心ついた頃から悪霊を引き寄せやすい体質で、本名は幽鎖 苦難儀。
字面があまりにもイカツイので、転入の際に財閥パワーで改名した。
望まぬ運命に振り回され魔王因子の活性化に抗う日々だが籠鳥雲を恋う。いつか体質が改善し、久遠に続く凪のように平穏な日常を心置きなく遊べるようにと願いを込めて宛てられた漢字だ。
「迷ったら人に聞くのが一番だよ、私いってくるね────あれ? どこに行きたいんだっけ?」
「あっ、僕が聞いてくるよ久凪ちゃん。あの────すみません。21番線へはここからどう行けば…………」
誠太郎は壁に貼られた広告ポスターの人物に道を尋ねる。
「……………………」
「あれ? 聞こえてないのかな、反応がないや。もしもーし」
そのとき、ポスターの顔面部分からぬるりと一匹のぶたが顔を覗かせてきた。
額には白い三角の布を巻き白装束を着ていて肌は青白く、下半身は幽霊めいて先細り、うねうねとカールを巻いている。
「なーーにを朝っぱらから大ボケかましてるンゴか」
「わ、キサラズくん」
「ポスターに話しかけるなんて危ない奴ンゴねぇ」
「うーむ、TOKIYOはポスターも進んでるなぁ、すごい解像度だ」
「キサラちゃん、どこに行ってたの?」
「お前らじゃ一生迷うだろうからワイが道順を調べてきたンゴ。もうみんな集合してるンゴ」
来不去:幽霊豚という種族の浮遊霊ぶた。久凪に引き寄せられ現れた最初の敵だったが、なぜか浄霊されず、なんやかんや行動を共にすることに。いつの間にかマスコットめいたサポートキャラにおさまった。世間知らずで天然気味な二人のツッコミ役を担う。まるっとした体型で、バレーボールくらいのサイズ感。
「ほなとっとと行くンゴ。着いてくるンゴ」
「ありがとう、キサラちゃ────」
そのとき、久凪が突然蹲り苦しみだした!
「久凪ちゃん!!」
へその下あたりの下腹部に、怪しげな光を放つ紋章が浮かび上がる。
消人感紋:久凪の意志による制御は不能で、突発的な発作めいて魔王因子が活性化すると浮かび上がる紋章。
文字通り人間を問答無用で消し去る、まさにクリアウイルスの正体であった。
「だめ……誰も消えちゃだめ……お願い……消えないで……」
「誠太郎! 破魔柔を!」
破魔柔:邪を払うと言われるじゃばらみかんを財閥パワーで品種改良したもの。
魔王因子の発作をやわらげる効能がある。根本的な治療効果は無く、あくまで抑制のみ。
「わかってる! ほら、久凪ちゃん、はまやわらだよ」
誠太郎のザックの中には私物は一切無く、破魔柔だけがぎっっっしりと詰まっていた。
「かぷ………すい、すい、はぁぁぁ~」
紋章から光気が薄れてゆく。どうやら発作は治まったようだ────
「誠太郎がもたついたから、どこかで何人か消えたンゴね」
「ぐ、キサラズくん! チクチク言葉はよくないぞ」
「まーどういうわけかこれから向かうIHATEだけは全国で唯一、誰も消えてないらしいンゴ」
「そう。だからきっと何か解決の糸口が眠っているはずなんだ」
「けどいつものパターンで、あの先代魔王の娘が邪魔に入ってくるだろうから、きっと一筋縄ではいかないンゴねえ」
「アパリション・クラスター・冥子…………」
先代魔王の実の娘だが、魔王適正が無かったために久凪ちゃんが被害を被る要因になった。
現在空席の魔王の座に気を揉んでいて、早く久凪ちゃんを真の魔王へと完全覚醒させて祭り上げるべく、度々絡んできては怪人めいた個性豊かなアンシリーコートを毎度差し向けてくる、実際厄介なひとだ。
「ねえ。アパなんとかクラスターめい子って長くて大変だから、違う呼び名にしない?」
「そうだね、僕も毎回舌を噛みそうだなぁと思っていたんだ。久凪ちゃん、なにかいい案でも?」
「うん。あのね、"アクメ子"はどうかな?」
「!!!!」
(く、久凪ちゃん、アクメの意味をわかっているのか…………?)
「?? どうしたの誠太郎くん」※純心且つ曇りなき眼
「ハハ、いやあ、あのぅ」
(汚れているのは僕の心だ…………! 煩悩退散、煩悩退散…………!!)
「だめだったかな、アクメ……」※上目遣い
ごくりと生唾を飲み込む誠太郎
(さ、誘っているのか久凪ちゃん……?! もし……いや、いやいやいやいやナニを考えているんだやめろやめろ────)
「色即是空、空即是色、羯帝羯帝波羅羯帝────…………六根清浄!!!!喝ァァァァァツッッ!!!!」
「わ、びっくりした……せ、誠太郎くん?」
「ごめんごめん驚かせて、僕は大丈夫。それよりすごくいいねアクメ子! やっぱり久凪ちゃんはセンスがいいな────」
「よかった────」
(フッ…………青いンゴねぇ)
「誠太郎くんの喝のおかげで私までシャキっとしたよ。さぁ、急ごうよ集合場所に」
「そうだったンゴ、乗り遅れたら洒落にならないンゴ」
────21番線ホーム
「いいですかみなさん、最旬館高校の生徒として常に規範意識を持ち────」
点呼をとったあと、真田真由委員長のありがたいお言葉を聞く。
そしてTOKIYO発、IHATE行きの新幹線へと、いよいよ乗車だ────
「秩序を保ち、整然と乗り込めぃ────。オラそこ────押さない、駆けない、喋らない────」
メガホンめいた拡声器で、男沢先生が牧羊犬めいて生徒たちを監視、誘導する。
おかげで一糸乱れずスムーズに、粛々と乗車できた。
発車ベルがホームに木霊して、運命の列車は走り出す────
「こっから約二時間ちょいか────トランプでもやる?」
「まぁまぁフジノ、トランプもイイけど、まずは軽く腹ごしらえしようじゃないカ。腹が減っては戦ができぬ言うコトワザもあるネ」
「確かに、トランプは遊びじゃねえ、真理だな」
備明は荷物の中から馬拉糕と呼ばれる中華蒸しパンを取り出し、班の仲間に振る舞った。
「……美味すぎるだろなんだよこれ! 備明が作ったのか?」
「アタリ前だろう。市販のやつはみんな紛い物ヨ」
「この味わい、脱帽です」
トレードマークのハンチング帽を脱ぐほどちずれも大絶賛だ。
「本当にすごく美味しい────」
全員から大好評を獲得し、満面のえびす顔になる備明
「よかったらレシピが知りたいな」
「モチロン良いよニーハオ! 味の決め手は生地に加える醤油だが────今回、醤油にカナリこだわったんダ────」
……………………
………………
…………
……
「ところで、ボクはご一緒できませんがみなさんは自由行動どこを周る予定なんですか?」
「蘇民祭」
「そみんさい?」
「は? 初耳だぞ。一緒にパワースポットを周る予定だろ?」
「備明ちゃん、それって何かのお祭りかな?」
「そう。IHATEには蘇民祭というトラディショナルな祭典があるのヨ」
気になって端末で概要を検索すると、藤乃は飲んでいた缶コーヒーを吹き出し、調べた事を激しく後悔した。
「げほっ、ごほっ、な、なんだこりゃ~~!? ぅおい備明! 委員長が言ってただろ、公序良俗に反したり、風紀を乱すような行動は慎めって。どうしても行くならお前ひとりで行ってくれよ」
「安心するといいネ。残念ながら今は時期じゃないし、そもそも今年はクリア禍で中止になったヨ」
「ならなんで話題に出したんだよ…………」
どうやら単にJAPANG文化の知識を披露したかっただけらしい。
「くっそー、液晶とスカートが…………あ、サンキューお鞘」
ウェットティッシュとアルコールスプレーが早速役に立った。
「ってなわけで────ワタシたちはIHATEのパワースポット巡りの予定ヨ」
「それは良いですね。ごみごみとしたTOKIYOの喧騒を離れて、きっと空気もおいしいでしょう」
「まったく、うっかり健康になっちまうよ」
「それは願ったり叶ったりじゃないカ。二人が健康になったらワタシもハッピーハッピーネ」
「ありがとう備明ちゃん────」
「そういえばニーハオ、とてもよく似合ってイルネその簪────」
「ああこれは────」
簪の件を備明たちにも説明した。
「ワタシの国でも簪には魔除けの意味があるヨ。その流れで選ぶなら差し詰めワタシはスモモでチズレはビワかナ────」
「え、ボクは別に────」
そのとき、ふと窓から空に目を向けた備明が何かに気付いた。
「じぇじぇじぇ!! みんなあれヲ見ろ! とっくに日の出を過ぎているのにまだ月が残ってイルぞ」
「有明月ってやつだな。やったな備明! あれは晴れの確定演出なんだぜ」
「うおおおおおっ」
激熱めいて興奮気味にガッツポーズをとる備明。
「そういえばボクが好きでよく聴いている歌の歌詞に、こんな一節があります」
""真昼の月を追い越して
昨日とは違う世界へ""
それは完全に下川みくにの楽曲"南風"の歌詞であった。
多枇杷実ちずれは歌詞に"地図"が含まれる歌謡曲を好むが、中でもとりわけ南風をヘビロテしていた。
「異世界といえば、お鞘の婆ちゃんが────」
再放送になるのでおばあちゃんの異世界云々もかくかくしかじかで都合良くスキップだ────
ちなみに割愛と省略は類義語めいて混同されがちだが、明確に違う意味である。
「────つうわけで歌の通りにガチで違う世界に行く前触れだったりしてな、あの残月は」
「曲を聴きながらいつも空想していたんです。もしも本当にそれが叶うならボクは望むところですね。なぜならこの地球は、もう地図が飽和状態なので……」
「ワタシも異世界上等ヨ! 功夫でゴブリンやっつけるネ!」
笑い飛ばした藤乃とは対照的な食いつきで、ちずれも備明も異世界に興味津々であった。
「お前ら…………よっしゃあ! ではただいまより────ゴブリンの撃退方法、及び異世界で生き残る立ち回りを熱くシミュレーションすんぞ」
藤乃は自身の両太ももをピシャリと叩き、よっしゃあと覚悟を決めるのであった────
……………………
………………
…………
……
まだ発車の前、生徒たちが駅に集合し始めたあたりまで時は遡り────
────IHATE県庁────
「……………………」
廊下をツカツカと歩く、きっちりしたスーツのインテリヤクザめいた風貌の男はどこか苛立っている様子だ。
知事室の前に着くと、ノックもせず扉を開けて入室する。
「……………………」
遮光カーテンによって中は暗い。片隅の一角、地べたもとい床べたに視線を送る。
そこに居たのは安っぽいちゃぶ台をPCデスクに、どてらめいてラフな格好でゲームに没頭する女の姿だった。
男の入室に気付く気配もなく操作に集中している。
静まり返った室内にキーマウのカチカチ音だけが響き、彼女の周囲にはエナドリ缶や菓子類が散乱していた。
厳かな雰囲気の知事室で、その一角だけが不調和めいてミスマッチであった。
「……………………」
無慈悲にPCの電源コード引き抜く────
「……………………」
瞬時に予備電源に切り替わったらしく、瞬きほどのタイムラグもなく、何事もなかったかのように状況は変わらない。
「…………チッ」
舌打ちで誤魔化しているが、コードを引き抜いたときの浸り気味な勢いも相まって、ダサいと言わざるを得ない。
「おいテメェ、耽溺も大概にしとけよ」
やつ当たりめいて彼女のヘッドホンを雑にぶん取った!
「じゃじゃじゃ!? いぎなり────っあっあっ、あじゃぱぁ~~……フー……あじゃじゃあにしてぱあでございます、と」
マルチプレイのチームメイトに謝罪のチャットを打ち込みログアウトする。
一体何事かと振り向いた先に仁王立ちの男を見て苦い顔をする。
「げっ、ミヤジ……てことは……うわ、いつの間にか朝じゃん」
ハイハイの体勢で腕を伸ばして遮光カーテンをめくり外からの日差しに目を細める
「お早ようございます、知事」
賢沢 宮治:32歳。賢沢家は陰陽師の家系で、古くからIHATEの有力な大名に仕えてきた。近代では秘書として歴代IHATE県知事を補佐している。
郷土愛が強く、土地を守るためならば危険な術式の使用も厭わず、裏稼業めいた汚れ仕事も平気でこなす。
今度の知事がアホそうだったので、うっかり野心が芽生えてしまった。
傀儡化して裏からIHATEを牛耳り支配すべく、バカのままでいてくれと娯楽を与えた結果ネトゲ廃人になってしまい若干後悔している。
「ぐ、ぐっども~にんぐ」
「まず一個言わせろ。てめぇゲームの腕前だけで機械音痴だったよなぁ? なのに予備電源たぁ一体誰の入れ知恵だよあぁ!? おかげで登場早々恥をかいたじゃあねーーか!!」
「ギルメンのForestさんにね、ママがひどくっていきなり電源抜くんだって相談したら、設置の仕方を分かりやすく教えてくれて────」
「そりゃ悪いお友達だな、直ぐに縁を切れ────俺ぁママを支持するぜ」
「ひんひん」
「泣きたいのは俺の方だ。神聖な知事室を私用に荒らしやがって……テメェが入り浸ってるおかげで困ってたぞ? 掃除のおばちゃんがよ。可哀そうだろ? どこの世界に知事室に住む知事が居るんだよ」
「んだってさ、この部屋────っていうか床? この床、絶妙なふかふか加減で無性に居心地が良いんだ。床で熟睡できちゃうよ。おまけに通勤時間ゼロなんて実に合理的じゃないか? それにミヤジは耽溺と言うけれど遊んでる風に見えて軍事訓練を兼ね────」
「あーもういい。聞きたかねえんだよ、そんなナマケモノの甘ったれた主張はよ」
「わーかってるよぅ。ちゃんとお仕事もやりますよ、メリハリがあった方がよりゲームのありがたみが増すからね」
「……よく分かってるじゃねーか。殊勝な心掛けだな────ぇえ? 飯鳩さんちの初心ちゃんよぉ」
飯鳩 初心:21歳。しがないご当地アイドルが一日市長をやった結果、たまたまミヤジの目に留まり、世界が一変する。
本人に自覚は無いが、身体の内にミヤジが己の目を疑うほどのマナめいたエネルギーを秘めており、土地神に匹敵するレベルのその膨大な潜在エネルギーを買われ、スカウトめいて声をかけられた。
その後、ミヤジの暗躍めいた黒い根回しによって前代未聞、異例の若さで知事選に出馬。前人未到の支持率120%で当確したのだ。
知事用の高級感ある椅子や広くて立派な机は気に入らず、床べたがお気に入り。
IHATE銘菓、グスコーブドリ(通称ブドリ)が大好物。
MMORPG【イサドオンライン】に絶賛ドハマリ中。
自身が創設したギルドのギルドマスターを務める。ギルド名は【イサドを大いに盛り上げるイーハトーブの団】
現在イサドオンラインでは、サービス開始一周年のアニバーサリーイベント【大乱闘ヴァロペックプラトゥーンバーウォッチバトオペリーグオブレジェモンユナイダムエボリューション】通称 乱エボ開催中。
飯鳩初心は使用率下位の不遇武器でトップ帯に君臨すべく、日夜奮闘中なのであった────
「それじゃ……んんーー……! お仕事の話をする前に────」
初心はぐぐーっと伸びをしたのち、どっこらしょっと立ち上がり────
「??」
「ほら、場所を変えるんだよ。かわいそうじゃん? 掃除のおばちゃんがサっ☆」
「……………(イラッ)」
県庁2階カフェテリア────
開庁前のこの時間は無人だ。
「察しはついているよミヤジ、マルバフジマカバだっけ? 生態系被害防止外来種の────たしか毒性があってそれをウシが食べ、その牛乳をヒトが飲むとミルク病に────」
「今日はその件じゃねえ。しかもマルバフジバカマだ、ボケ」
「あーそうそう! マフバルジバカマ!」
「…………頼むからメディアに露出してる時ぁ失言してくれるなよ、おう」
「失敬失敬、でも、その件じゃないって?」
「知事が碌に目も通さずに承認のハンコ押しくさった修学旅行の学生共がわんさと県庁訪問に来る件ですが────」
「おお! そういえば今日だったか、いや楽しみだな────学生たちには私の修学旅行の思い出を語り聞かせるつもりなんだ。TOKIYOで、二日かけてディズニー堪能して周ったんだよな~懐かしい────」
「で、本題ですがね」
「たしか、歓迎セレモニーの演出に大規模な術式を用いるって件だな、ちゃんと覚えてるよ」
「結構。ディズニー顔負けの演出でド肝を抜いてやりますよ」
「そこまでしなくても、都会っ子には逆にこの大いなる自然が何よりのアミューズメントパークだと思うんだよなー」
「そんなもん初日でお腹いっぱいに決まってんだろ。一刻も早く帰りてえと退屈拗らせた挙げ句に低評価撒き散らし、不満抱えて帰っていくのがオチなんだよ、今のガキどもは────」
「それは被害妄想めいた田舎コンプレックスじゃん」
初心の何気ない一言が図星めいてミヤジに深く突き刺さる。
「……………………俺ぁ見栄っ張りなんでね────」
ヤクザはメンツを重んじるのだ。ナメられてはIHATEの沽券に関わる。
「ま、まぁ悪いことじゃないよ、うん、若人たちの素敵な思い出作りだもんね。よし! 電池として一肌脱ごうじゃないか」
県庁地下フロア────
表向きは資料室だが、隠し扉から更に地下へと続き、そこは陰陽の関連施設めいた空間が広がっている。
古くから賢沢家が黒い裏稼業時の術式用に使用していた。その上に県庁が建てられたのだ。
賢沢の一族であるミヤジは当然フリーパスだが、注文の多いセキュリティによって機密保全性は実際高く、一般の職員が迷い込む心配は無い。
MRI検査めいた寝台に横たわる初心。
「徹夜明けだしちょうどいいや、時間まで仮眠をとらせてもらうとしますかね────」
「悪ぃがそうもいかねえ。今回の術式は過去最大級なんでな、バッテリーとして気張ってもらうぜ」
無慈悲に寝台はそのまま充填装置へと送り込まれる────
(まぁいっか────どんな術式か知らないけど喜んでもらえたら嬉しいなあ、あとで映像を見せてもらおう。ふふふ、楽しみだ────それにしても…………あ~、知事室の床が恋しいな────…………)
地下の隠し部屋、ミヤジの私室────
懐から"カンパネッラ"と呼ばれる小さな鐘を取り出しチリリンと鳴らす。すると────
ミヤジの使役している二体の式神(人型)がどこからともなく現れた。
「お呼びですか、我が君」
銀鉄:ミヤジの右腕と言っても過言ではない、有能な式神。
「じゃじゃじゃ!? あっちょ、これはですね……ちがくて……へへへ……ミヤジの若頭、ご機嫌麗しゅう」
笊森:一応仕事はそつなくこなす有能ではあるのだが、真面目一徹な銀鉄に比べ自由意志めいた自我を持ち、なかなかクセが強い式神。ゲームパッドを好むパッド勢。
ゲーミングノートごと召喚され、ミヤジと画面を交互に見つつ体裁を取り繕う。
すぐにゲームを中断し閉じようとした笊森をミヤジは制止した。
「待てや。畳むんじゃねえ────」
表示されていたのはイサドオンラインだ────
笊森のアバター名はForestであった。上には所属ギルド名もしっかり出ていた。
灯台下暗しめいて世間は狭いものである。
初心のログアウト後もギルドに貢献すべく、せっせとイベントを周回していたらしい。
ミヤジは笊森の肩にポンと手を置き────
「ギルメンのForestさん、ね」
笊森と平行に顔を並べ、液晶ディスプレイを見ながらミヤジは続ける。
「俺ぁよ、あのお気楽知事様が余計な教養を身につけねえように苦心しながら一生懸命立ち回ってきたんだよなぁ…………笊森ぃ、てめぇも知ってるよな────?」
「ヘイ! そりゃあもう。知事を白痴の操り人形にして、若頭がIHATEの実権を握るため……スよね」
「そうだ。支持率と好感度を維持するために愛嬌だけは残してな」
「塩梅が重要なん────」
不意に笊森の胸倉を掴んで締め上げる。
「俺に言うことがあるよな。ホウレンソウはどうした?」
「か、若頭の計画にイレギュラーが生じねえようにと、ゲーム内で監視の目を光らせていました……」
「俺のためだったって? だからって連絡も相談も無しで勝手に動かれちゃたまんねえよ。しかもだよ? 発覚してから事後報告ってお前、そりゃないぜ。お前の方がよっぽどイレギュラーじゃねえか」
「…………このケジメは、如何様にも」
笊森の覚悟にミヤジは舌打ちしつつ、懐から笊森の本体である形代を取り出すと呪文を唱える。
「オンキリキリ、ホウレンソウテッテイシロザルモリ、アビラウンケンソワカ」
形代に報連相の刻印が刻まれる。
「こっからは隠し事はナシだぜ。今後はチャットログの提出も欠かすなよ。どうだ、俺は優しいだろ?」
ミヤジがその気になれば大豆の遺伝子組み換えめいて不具合の無い、別の新たな式神(笊森)を作り直すのは実際容易い。
「か、若頭ぁ……ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
「だが念を押させてもらう────」
ミヤジは机上のバインダーから1枚カードを抜くとピッと指で弾き飛ばす。
カードは笊森の前に落ちた。
「!! …………うっ…………!!」
なんと! ご当地アイドル時代の飯鳩初心ブロマイド(ステージ衣装)だ!
「踏み絵は知ってるか? 言っとくが俺ぁ忖度は大嫌いだぜ────」
言うが早いか、笊森は逡巡めいた葛藤を微塵も見せず、陽気に歌いながらブロマイドをけちょんけちょんに踏みにじった!!
「賢沢1番、飯鳩2番♪ 3時のおやつは異果堂~~♪♪」
「馬鹿野郎!!」
理不尽めいてミヤジのヤクザキックが笊森のどてっ腹に綺麗に入った!
踏み絵を所望したはず…………ホワイ!?
悶絶する笊森の背中にドカっと腰掛けるミヤジ。
「おだってんじゃねえぞ笊森。コイツはなぁ、初ライブ記念に会場限定先着18名に配られた、今では入手困難の希少種……そして直筆サイン入りは世界にこの1枚だけだ────」
背中に創造主の重みを感じながら笊森は理解した────どちらにしろ詰んでいたのだと。
と同時に、女に現を抜かし報連相を怠った自らを恥じ、賢沢宮治への忠誠を新たにするのであった。
狗馬之心とはまさにこの事。
※地位が上の者への忠誠心、誠意のこと。「狗馬」は犬と馬のことで、犬や馬のように恩を忘れず主人に仕えて、少しずつでも恩返しをするという意味。君主に対する自分の忠誠を自らを卑下していう言葉。
「ったく、悠長にしてる暇はねえってのに余計な時間くっちまった」
手袋をはめ、新たなスリーブに移し換える。
再びバインダーへと丁重にブロマイドを収納する。
「それで銀鉄────例のゴミムシ共の首尾はどうなってる?」
「はい。予定通り、指定の場所に集合済みです」
「結構。では現場に戻り指揮を執れ。陣の準備をさせろ」
「御意」
銀鉄は霧散して部屋から消えた。
────IHATE最南の県境。
新幹線沿線に、特撮のロケ地めいたお誂え向きの採石場がある。
そこでは暴走族めいた集団が、集会めいて単車を転がし、はしゃぎ回っていた。
「どっどどどどうど どどうど どどう」
「青いくるみも吹きとばせ、すっぱいかりんもふきとばせ」
「どっどどどどうど どどうど どどう」
頭目と思しき男は特に上機嫌で走り回っています。
「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ」
渇夏布 倭郎太:泣く子も黙る暴走族【駆羅夢梵】の総長。
実家の繊維工場は経営不振で破産寸前、風前の灯火だったが、クリア禍によって不織布マスクの需要が高まり、経営状況はV字回復した。
渇夏布マスクは特に速乾性に優れており、実際マスクの内側がびちゃびちゃにならない有用性が人気を呼び、主に寒冷地で爆売れしたのだ。
今回、歓迎セレモニーのメインに大抜擢され、愛車【風の又三号】を駆り、仲間を従えウッキウキで馳せ参じた。
岩壁に向かいチキンレースなど始めた倭郎太の横合いに突如、蹴りモーションで出現した銀鉄はそのまま、先ほどのミヤジのトレースめいたヤクザキックを炸裂させた。
猛スピードで走っていた運動エネルギーも相まって増幅した威力の蹴りを受け、倭郎太は十数メートル吹っ飛んだ。
「ちょいと席を外してる間に悠長に遊びくさりやがって……おだってんじゃねえぞボンクラが────」
「ぎ、銀さん…………お早いお帰りで…………痛ッつつ」
「行儀よく待ってろと言ったはずだが、お前の耳にはどう聞こえたんだ────?」
そのとき、主不在のまま走り続けていた又三号が時間差で岩壁に激突し倒れた。
「ま、又三号ーーーーーーッッ!!!!」
「うるっせえな、あの速度じゃオシャカにゃなってねえだろ、たぶん」
「ひんひん」
「なぁ倭郎太よ────この仕事を成功し見事やり切った暁には知事から感謝状が送られる────ひょっとしたら特別なファンサなんかもあるかもな────」
「ご、ごくり…………」
「気持ち良く花ぁ咲かせるためにもお勤めしっかり果たそうぜ」
「うおおおおお、みなぎってきたじゃーー!!」
駆羅夢梵総員、狂信めいて飯鳩初心の大フアンであった。
「よーしよし。教えた通り、上に登って高架を囲むように場の陣を張るんだ────」
「いいがぁ野郎ども! いぐどぉ!! 倭ぁに続げじゃーー!!!!」
倭郎太の号令に呼応し、鬨の声があがる────
「あんま時間ないから急げよ────おら駆け足だ駆け足」
銀鉄の機転により、駆羅夢梵の士気は最高潮に昂まったのであった────
県庁地下では術式の準備が完了していた。
場至流裏:対象を異世界の場に流れ至らしめる術式。術式起動には対象の足下に"場"と陣を描く必要がある。列車のように巨大なものを対象とするなら当然、陣も巨大にならざるを得ない。その場合は生贄めいて人文字によって陣を表現するしかないのである。
余談だが他に【伏場愛波】という術式で県民をクリアウイルス(消人感紋)から守護している。IHATE全体という広域に展開するため、飯鳩初心のリソースを拝借して発動しているのは言うまでもない。
「あとは向こうの連絡待ちですね」
「ご苦労────」
「でもよかったんですかい? 駆羅夢梵の連中、一応IHATE県民なのに」
「構いやしねえ。あのクズ共は人様に迷惑かけるしか能の無い反社会的集団だ。近隣住民からの苦情も後を絶たねえ社会の敵、言わばパブリックエネミーよ」
ミヤジにもここに至るまでに多少は良心の呵責があったのだろうか、正当化するように言葉を続ける。
「だったら魔王もろともJAPANGから御退場いただいてよ、平和の礎に体張れんなら奴らも本望だろ」
「まあ尤も────真実は知らねえんだがな」
「魔王だの、裏側の事情をカタギに理解求めんのは無茶ってもんでさ。でも知事には言ってもよかったんじゃ────」
「駄目だ。よしんば真実を語ったとして、魔王以外の乗客も巻き添えと知ればあのアマ、言語道断と正義ぶった異論を唱えるのが目に見えるからな」
もしそうなりゃ取り返しがつかないレベルの深い溝が生まれるだろう。
「ウソも方便とは言いますが、しかし歓迎セレモニーだと信じてんのに、あとでなんて説明するんです?」
「んなもんクリアウイルスの仕業で押し通すんだよ」
「悲しむだろうなあ…………」
「知事には慰霊碑の建立を主導するよう進言する────」
「ウン百人もの犠牲者が出るんスもんね……魔王をIHATEに上陸させるわけにはいかねえとはいえ」
「因果応報。俺は地獄に落ちるだろう────」
「ミヤジの若頭…………この笊森、銀鉄共々地獄までお供しますぜ。それに連中も案外、あっちで異世界ライフを満喫するかもしれませんよ────」
そのとき、ミヤジの携帯が着信アリめいて鳴り響いた。
「おう銀鉄────陣は張り終わったか?」
「我が君、それがまだでして、このボンクラどもには場の漢字が難し過ぎたようで…………」
「なんだと!?」
その後、通話口から銀鉄の焦った怒号が聞こえてくる。
「いい加減にしろよてめえら、どいつもこいつもシンナーのやり過ぎでラリってんのか!? 義務教育からやり直せ?!」
丸めた漢字ドリルをモブめいた下っ端構成員の口内にねじ込む。
「若頭! 県境通過予定時刻まであと5分ですぜ!」
ダイヤは 正しく運行されてこそ鉄道なのである。
「……………………バだ」
「「バ??」」
「カタカナのバで人文字を作るんだよ!! それなら単純明快だ、アホでも出来るだろ!!」
「御意!!」
無論それでは不完全な術式となり、結果、誤作動めいて時空間の歪みが生じる。
本来、対象全てが同じ時間軸に転移されるはずのところが、月単位から年単位のバラつき…………中には百年もの開きが出る者もいるだろう。
そして位置座標も狂うので、初手で海の底やマグマの中、石の中など、死にゲーめいてカオスな状況からのスタートを余儀なくされる者もいるだろう。
だが最早そんな心配をしている余裕は無い。魔王の対処こそが喫緊の課題であり、最優先事項なのだから。
「笊森! 映像繋げ。それが終わったらてめえも現場に飛んで誘導を手伝え。急々如律令!」
アイアイサーと現地の定点カメラによるライブ映像を繋いだのち、霧散し部屋から姿を消す笊森。
(俺もヤキが回った────なんざ認めたかねえが、駆羅夢梵のボンクラどもに足を掬われるとは…………チッ)
詰めの甘さを反省しつつ、ミヤジは二人に檄を飛ばす。
「間に合わなかったらどうなるか分かってんな! 可及的速やかにバの列を整え、陣を完成させさせなさせぇぇぇぇーーーー!!!!」
「させさせます!! 銀鉄ッ」
「させていただいてんだろぉ!!」
急げ、急げ、律令の如く……!!
ややあって────
「バの陣、完成しました我が君!」
「列車もそこまで来てますぜ若頭!」
報告を受け、術式発動の呪文を唱える────
「オン、イサド、イーハ、トーヴォ、ソワカ……!」
「!!!!!!!!」
新幹線車内、モブキャラたちの会話────
「おい、なんか外が急に暗くなったぞ」
「あん? トンネルに入ったんだろう」
「ちげぇーよ、誰かが神龍を呼び出したんだぞ」
「ギャハハハハハハ」
その少し前。走行中である列車の屋根の上では誠太郎たちがアクメ子と対峙していた────
現実なら凄まじい向かい風と轟音で会話どころではないのだが、ここでは都合のいい結界めいた力が働き、鮮明に互いの会話が聞こえるものとする────
「こんなところでまで襲ってくるなんて…………!」
「逃がしはしませんよ。苦難儀様、どうか抗うのをおやめ下さい。御自身の宿命を受け入れて下さい」
「私の、宿命…………うっ……く、ぁ……」
「久凪ちゃん!」
「お辛いでしょう……何の罪もない、平穏に暮らす無辜の民をいたずらに消し去るのは…………ならばいっそ全てを受け入れ魔王として覚醒し、意のままに力を制御できた方が良くはありませんか?」
「そうすれば…………だれも…………」
「だめだ久凪ちゃん! 魔王なんて居ない方が良いに決まってるじゃないか、二人で解決するんだよ」
「ワイも居るンゴ」
「誠太郎くん、キサラちゃん…………ありがとう」
久凪は肩で息をしながらアクメ子に問いかける
「……あなたは、どうして……魔王が必要なんですか」
「魔界に風紀という概念はありませんが、それでも秩序は保たれなければなりません。魔王という絶対的な存在によって」
「そんなの、私には無理です、できません」
「覚醒と同時に魔王としての振る舞いや立場は自覚なさるでしょう。そうでなくても私が全力でサポート致しますのでご安心を」
「いや、いやです、自分が自分じゃなくなるのは…………こんな力、私はいらない…………あげますから、どうぞあなたが────」
「生憎とそれは叶いません。この世に二人といない唯一苦難儀様だけの資質。大谷翔平にとっての野球がそうであるように、藤井聡太にとっての将棋がそうであるように、苦難儀様にとっての魔王とは、切っても切れない強い因果で結ばれているのです」
「そんな……………………」
「おい! これ以上 久凪ちゃんをいじめたら僕が承知しないぞ」
「囀るな、間男が。そういえば先ほど"魔王なんて居ない方が良い"などと宣っていましたが、最短の解決策を私が教えて差し上げましょうか? それは苦難儀様を殺すことです。できるでしょう? 経験があるのだから。父上を手にかけた時のように、その拳で、幽破御赫套で! 苦難儀様の心の臓を! ……どうです? 一件落着でしょう?」
「…………そんなこと、できるわけがないだろう」
「失礼、そうでしたね、お前にはできない。だが考えたことはあるか? お前のその下心めいた怠慢がこれまで数千もの人間を無慈悲に消し去ってきたのだ。そしてそれは今後も増え続ける……最早お前こそが人類の敵と言えよう」
「うるさい!! 例え何人犠牲にしようとも、僕は久凪ちゃんとの…………いや、久凪ちゃんの未来を諦めない!!」
「見下げ果てた男。所詮お前は意馬心猿、性欲に塗れた俗物に過ぎない────」
何か攻撃を仕掛けるつもりか、アクメ子が宙空へ浮かび上がったそのとき、暗転とともにバ至流裏の術式が発動した────
「!? これは一体────」
バの陣が強く発光し直上の空から重なるように、至、流、裏、と次々に波状攻撃めいて巨大な印字が降り注ぐ────
全ての文字が重なり陣が完成すると、上空にブラックホールめいた特異点が出現し、見た目通りの吸引力を発揮する。
一番距離の近かったアクメ子は為す術なく飲み込まれていった。
(あの特異点の歪みはマズいンゴ! なんとお粗末な術式……術者は相当な未熟者か粗忽者か、このままでは二人は散り散りになってしまうンゴ……ワイが頑張るしかないンゴね……!)
「二人とも! ワイに捕まるンゴ! 絶対に離すなンゴ……!」
(ぐぅぅぅ……! 誠太郎の幽破御赫套が霊体に染みるンゴォォ……!)
しかしそれを言えば誠太郎は気遣って手を離してしまうだろう。
漢キサラズ、じっと耐える。
(せめて二人は同じ場所に……久凪……誠太郎……今まで楽しかったンゴ。ワイが居なくても、二人ならどんな苦難も難儀も、きっと乗り越えられるンゴ……)
アクメ子に続いて二人と一匹も飲み込まれていった。
続いて車両も軽々と吸引してゆく。
車内の乗客は突如、エレベーターの上昇中に感じるGめいた浮遊感に見舞われ、異変に気付く。
「うわあああああああ」
「なんだってんだよーーーー」
「列車がキャトられてんぞ」
「宇宙人!?」
「おいおいおいおいやばいやばいやばいやばい」
「この高さから落下して、一番生存率が高いのはどの位置だ!?」
「死にたくないよおおおお────」
「パパ…………! ママ…………!」
阿鼻叫喚の様相を呈していた。
そんな周囲とは対照的に、落ち着き払う一角があった────
「はは、まいったね。お鞘の婆ちゃん、大正解ってか」
「そうですね。有意義な会話をしていたおかげかボクは落ち着いています」
「ワタシもワクワクが止まらないヨ!」
「私は怖いんだけど……まあ、思ったよりは落ち着いてる、のかな」
「大丈夫だよお鞘、アトラクション感覚くらいの心持ちでドーンと構えていようぜ」
「う、うん……」
「それじゃあ諸君、このあとどんな世界が待ち受けているのか皆目見当もつかないが、もし向こうで会うことがあったら、そんときはまたよろしくってことで!」
「ええ。縁があったらまたお会いしましょう」
「ウズウズウズワクワクワク────」
「わ、わた、私はまだ心の準備が────」
そしてとうとう全車両が飲み込まれた。
……………………
………………
…………
……
「────といった感じで、そのあとは備限様も知っての通りです」
起きたことを端的に話せば3行で済む話なのに長らく語ってしまった。
だけど備限様もネリネちゃんもコンテさんも、興味深そうに私の話をじっと聞いてくれた。
それが嬉しかったり、食事でお腹が満たされて人心地ついたとか、ここに来てからの必死な状況から解放された安堵とか、みんなの安否とか、とにかく色んな感情が混ぜ合わさって、私は涙を零した。
「うお、なんだ、まだどっか痛いのか?」
「ちがうでしょ! 災難だったわね────この的外れ男は無視していいわ」
──── to be continued
[戒晃こそこそ噂話]
神田周辺から東京駅までの歩行距離 徒歩20分前後
藤の花言葉は「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」
組紐の梅結びは、5枚の花びらが固く結ばれたように見えるため、人と人の絆や縁を意味しています。
そして梅の花は、厳しい冬を乗り越え、春に先駆けて咲く花であることから、「運命向上」の意味を持っています。