第三話 コンテ
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「それで────何を買ったんだ?」
「誰かさんが旺盛によく食べるから定期おトク便のお米と────日用の消耗品とそれから────」
ネリネには不可能なので備限が購入物を仕分けしていく。
「この書籍は……」
「ふっふっふ……そいつが今回の目玉、あんたへ誕生日プレゼントよ!」
「吸魂鬼解体新書…………」
「驚いたでしょう? あたしも見つけた時は目を疑ったわ」
「待て、混乱させるな。一体どこのどいつが書いたんだこれは────」
"備冥書房"という出版社から刊行された事以外、どこにも著者の記載が見当たらなかった。
「檻の外に漏れていて、二年の間に解体新書なんて出版されるレベルで既に吸魂鬼は研究され尽くしていた。なんて、寝耳に水よね……」
「なん……だと…………あかん、頭がクラクラしてきたぞ。なんてこった、悪い夢でも見ているのか俺は」
備限の白髪が増えた。
「分かるわ……あたしだっ……て……、ぷっ……あっははははは! もうダメ! 真に受けちゃって可っ笑しいの! amunzenの試し読みで冒頭の数ページ読んだら齟齬も多くて全くの別物だってすぐに分かるわよ。まぁ、あたしの名付けたネーミングと当て字部分まで完全に一致してた点には驚いたけどね────」
言われて軽く流し読んでみれば確かに、吸魂鬼に接吻された者は絶命する事も、新たな吸魂鬼になる事もなく、抜け殻めいて鬱になるらしい。
その鬱状態もチョコレートを摂取すれば回復するようだ。
「ただの愛されマスコットキャラではないか」
「愛らしいかはさておき、脅威レベルは可愛いもんよね」
「────別物と知っていながらわざわざ俺に買い与えるとは、やってくれたな」
「いやん、冒頭部分で判断を下すのは早計というものよ備限くん。ひょっとしたら新たな発見があるかも……それにさ────気分転換に読書ってのも乙なもんよ」
「調子いい事言って本命は俺のリアクションだろうが、おだづもっこめ」
※おだづもっことは陸奥言葉で、悪ふざけする人の意
例:おだってんじゃねえぞ 意味:悪ふざけはやめてください。
「悪いと思いつつも本能には抗えないんだなあ。ゴブリンだもの────ねりね」
反省の色なく相田みつをめいたポエムを詠むネリネをチベットスナギツネめいたジト目で非難する。
「……ごめんってば! マンネリ解消のサプライズじゃない。良い刺激になったっしょ────お祝いの気持ちは正真正銘本物。誤解されるなんて悲しいわ……それにあたしだって割とショック大きいのよ。何しろ吸魂鬼は会心の命名だったんだから!」
そう、ディメンターの名はもう使えない。
「かつて保険にと名付けておいた俺の案がここで活きるのだ」
「────と思ったが、絶滅寸前秒読み段階の奴だしな最早…………もう、名前のない怪物でいいか」
「あの────備限さん、お誕生日だったんですか? 去年はしませんでしたよね、何も────」
カエラがおずおずと尋ねてきた。
「ま────落ち着いてゆとりができたのってここ半年ぐらいだし。特に去年の今ら辺は絶賛、一意専心ストイックモード真っ最中だったからね────弱体化も相まって来る日も来る日も鬼気迫る感じでとても水差せる空気じゃなかったっしょ」
弱体化は余計じゃ! と口を挟む間もなくネリネが続ける。
「大体、それを言ったらあんた達の誕生日だって祝った記憶ないわよ」
「私たちはだって、もう年とらないみたいなんで、必要ないかなって」
「俺は誕生日を喜ぶような年齢じゃない────だがお前達は違うだろ────」
「そうよ、我慢とか遠慮とかして、あたし達に気を遣って言ってんじゃあないの?」
「いえ、本当にそういうのじゃなくて……不思議と全然」
ヌヒトも同意めいて頷いている。
怨滅私という苗字から、滅私奉公めいた気質が先天的に備わっているのだろうか……それとも────
「誕生日と聞いて思い浮かべるのってケーキやご馳走だし、食事を楽しめない身体じゃ感情が死ぬ気持ちも分かるわ────これも霊化の悲しい副作用ってやつかしら────せめて生涯残るような何かとびっきり楽しい思い出を作ってあげたいわね────」
気の毒めいて憐憫の情を禁じ得ない。
「よし、こうしよう────俺が代わりにご馳走を食う。お前ら姉弟は腕によりをかけて俺様にご馳走を振る舞うのだ」
「あんたね……真面目に────」
「ネリネさん待ってください、妙案ですよ備限さんの……! 見てください、弟の闘志に火が付きました」
メラメラと闘志を燃やすヌヒト
「それに私も……かつてないほどに高揚してます……弟と協力して必ず作り上げて見せますよ、"スペシャリテ"を!」
「ふっ、威勢がいいな……だが猶予はそう長くはないぞ、精々励むことだ。俺の舌を唸らせる絶品を期待している」
「「ハイッッ!!」」
「ちょっと! あたしを置き去りに盛り上がらないでよ────」
カエラもヌヒトも直感的に察したのだ…………万全に復調した今、備限たちはもう明日にも此処を発つかもしれないこと────共に過ごせる時間は残り僅かである事を────
翌朝────
「おはよ────久しぶりに読書したせいかぐっすり眠れたわね────」
巻末まで読破したが特に有益な情報は得られなかった。
「えくすぺくと…………」
「ぱとろーなむ! って、何やらせんのよ」
朝食を摂りつつ他愛のない会話をする。
ゆうべから姉弟二人とも籠って研究に没頭しているので朝食はネリネが用意した。
無糖ヨーグルトにハチミツ、カットフルーツ、ナッツ類といった、ゴブリン女子定番メニューだ。
「そういえば、山積みのローブって取り返しに来たりはしないのかしらね────もしこのタイミングで根こそぎ盗られて、ふり出しに戻ったりしたら……」
「んなもん、流石の俺も闇堕ちするぞ。当然セキュリティは万全に決まってるだろ」
「それもそっか────」
「裏山の始末もそろそろ考えんといかんな…………」
「量が量だものね」
「で、今日はどうするの?」
「ボスの出現フラグといえば雑魚の殲滅だ。万全になった知覚過備を駆使して全域の残党を狩り尽くす」
活魂刀を腰に携え、カバンを背負い、靴紐をしっかりと結んで一つ一つ入念に身支度を整えながら備限は答える。
「いよいよ佳境って感じね────……ん? 全域ってそれじゃ────」
「ああ。オマエに一切配慮しない高速移動で効率よく掃討していく────留守番しとけ」
「は? ついていくに決まってるでしょ。ポッケにでも収まっておくわよ」
ネリネは顔だけ覗かせてポッケに収まった。
「……好きにしろ────」
靴の具合を確認するようにつま先で床をトントンしつつ、出発しようとしたその時────
「備限さん! よかった、間に合って────これ、お弁当です。お昼に召し上がってください」
息せき切って登場したカエラが備限の肩辺りまで浮遊すると、持ってきた弁当の包みを備限の返答を待たずに背負ったままのカバンの中へと詰め込んでゆく。
「ありがとうね、カエラちゃん」
「こりゃあ昼が楽しみだ────では行ってくる」
「はい、お気をつけて! いってらっしゃいませ」
姿が見えなくなるまで二人を見送ると、すぐさまカエラは厨房へと戻っていった────
……………………
………………
…………
……
「あっという間に片付いちゃったわね────」
「ちんたら時間をかけていたら討ち漏らす可能性があるからな────ここはもう庭みたいなもんだし、最速且つ完璧なルート取りで最高効率じゃ、がはは」
「ジェットコースターみたいであたしも楽しかったけど────あの運動量で汗ひとつかいてないなんてどうなってんのよ……涼しい顔しくさってからに」
「久しぶりに目一杯身体を動かしたおかげで良い発散になったわ」
備限は上機嫌だ。
「しかしボスは出現せず────か」
「これで完全に残すは本命のみってわけね。この後はどうするの────?」
「かくなる上は……マタタビ作戦しかあるまい。不本意だが」
「奥義が完成した暁にはカッコイイ名前でも付けてあげたら良いじゃない。備限流に恥じないようなさ────」
「そもそも完成形のイメージがまるで湧かないぞ…………」
攻撃や防御といった単純なものではないし、相手のグルメ的嗜好も不明だ。
「料理に於いて最も重要なのは食材の下拵えよ────とりあえず塩コショウでもふりかけてみる? けどその前に腹拵えかしらね、お昼ご飯にしましょう────」
超特急で裏山へ戦利品を積み上げると、お気に入りのロケーションである湖畔へ赴き、出掛けに詰められた弁当をピクニックめいて広げた。
「握り飯か────こういうのでいいんだよこういうので」
備限は躊躇なく口を開け大きくかぶりついた!
「昨日のぶー山を見ておいてよくノータイムでいけるわね」
「杞憂だぜネリスケ────人はふとした切っ掛けから一瞬で成長することもあるのだ。昨日のアイツらの目を見ただろう? 俺はハナっから何も心配しちゃいない」
「例を挙げると昨日までハイハイしていた赤ん坊が突然立ち上がり、ヨチヨチと歩き出すようなそんな変化ね」
「左様。意を決してとか腹を括って覚悟決めて食うなんざ、アイツらへの侮辱よ」
気になる具は、程よいサイズに刻んだ沢庵に包丁で叩いた梅肉を和えたものだ。
沢庵のポリポリ食感が、噛み締める毎に小気味よい音色を奏でる。
具と米の塩加減もベストな塩梅だ。
もう一つの具は殿堂入りの美味さである昆布だ。しかし────
「カエラの奴め、梅や昆布といった定番の具にひと味アレンジを加えてきたな」
「梅には沢庵で────昆布の方には何が混ぜてあったの?」
「"なめたけ"だ。正直言ってこっちはいまいちと言わざるを得ない────えのきがやたら歯に挟まるし、それぞれ塩気の濃さに差があるせいで昆布の味が薄まってしまっている…………これでは昆布単体の方が美味いな」
えのきをもう少し小さくカットし、しょっぱさの均一化が課題かと思案しつつ、それでも備限はぺろりと平らげた。
「昆布は残念な結果だったとはいえ────あんたのあのふざけた提案が切っ掛けでド偉い覚醒を果たしたものね────なんか燃えてたし。あれからずっと厨房に籠って試行錯誤してたみたいよ────」
「いつだって俺は大真面目だ────しかし良い傾向だな。アイツらには超長期的な暇つぶしを与える必要があるからな────目的を失うと後が心配だ」
備限はポットから注いだ茶を啜りながら言う。
暇を持て余した結果、人に害なす衝動に駆られる可能性は否定できない。
「悠久の時を過ごす事になるわけだもんね……」
「体質を活かし四六時中無休で面倒見れるという点で家庭菜園と漬け物の相性は悪くない────」
「ぬか床って定期的にかき混ぜる必要があるらしいものね────」
「しかしイチオシは何と言っても怨滅私果樹園の誇るこいつ等よ」
備限はぎっしり詰められたフルーツ盛りの容器へと手を伸ばす。
さくらんぼによく似た果実"深血実"
その実は文字通り深い血のように紅く輝きを放っている。
マスカットによく似た果実"マサカッド"
これはマサカッド界のシャインマスカット。タイラントマサカッドだ。
そして"スーパートロピカルクヮーサー"
名前が長いので頭文字をとってストクと略称される。
以上三種が怨滅私果樹園特産の三大果実だ。
どれも皮ごとそのまま食べられる為、弁当のデザートとして最適である。
「決して他所では食すこと叶わぬこの三大果実だけは未来永劫絶やす事無く永々脈々と栽培し続けて貰わねばならん」
「確かに味は格別だけど、唯一の難点は怨毒の除去があんたにしか出来ない事ね」
特級呪果とも言えるこれらを耐性を持たぬ者が食せばたちまち呪われ死に至る。
霊障を受けず安心安全に食すには呪詛めいた毒素の処理が不可欠である。
「カエラはともかく、俺の注ぎ込んだチカラを使いこなしつつある小僧は何れ可能になるだろうが、昨日のぶー山の有り様から未だ習得には至らんようだな────」
備限はサッと浄化処理を済ませタイラントマサカッドを摘まみ上げると、房から実をもぎ取ってネリネへと渡す。
「ありがと────」
ネリネが齧るとマサカッドは"シチセー"と恍惚めいて鳴く。解呪済の証だ。
ちなみに呪詛が残っていれば"キキョー"と怨めしく鳴くのだ。
「んん~~♪ この暴君の如き荒々しい果汁の奔流! 果肉がシャッキリポンと舌の上で踊るわ! ほんと抜群の美味しさね────」
「キノコとかフグとか、毒のあるものほど実際うまい説あるからな────」
備限も負けじと次々頬張っていく。
勢いのまま最後に控えていた深血実を果柄ごと、備限は一度に二つ食べた!
「あぁーーーー!! 最後の楽しみにしてたのに! 一粒は残しときなさいよバカー!」
「ククク……油断大敵よ。……まぁ見ていろ、詫び代わりに面白いものをご覧いれよう────」
備限は口内に残った果柄をむぐむぐと結び始めた。
「つまらなかったら承知しないわよ────」
(大方、蝶々結びにでもしてキステクを誇ってくるに違いないわ……生憎その程度じゃこのネリネちゃん様は驚きはしないんだから────)
程なくして作業を完了した備限が自身の手の平へとそれをまろび出す。
「…………」
なんと! 姫路城めいて絢爛な御城のミニチュアが築城されているではないか!
「いやいやいやいや、色んな法則無視してるでしょ! あたしは専門家じゃないから物理学とか相対性理論だの詳しくないけど、明らかに質量が増してるじゃない!」
どう見ても二つ分の果柄で賄いきれる代物ではない。
「落ち着け。別に大したことではない────"ビアンキ"という、倍の長さに延長する技術があるのだ」
初めて耳にする単語にネリネはコンソールを展開し、裏取りをする。
「はえ~。腸管延長手術の医療用語で、食材に切れ込みを入れてアコーディオンみたいに伸ばしたり料理にも応用されているのね。勉強になったわ────って、それでも全然まったく理解不能だけどね!? 凄いを通り越して最早キモいわよ」
一体どんな舌の動きをしているのか、想像したくもなかった。
「以前動画サイトで────米粒にびっっしりとナノピコレベルの写経を書くやつを見たことあるが、そっちのがよっぽど凄いだろ────あれは流石の俺でも真似出来ん」
言いつつ備限は元の容器へと自信作の姫路城を忍ばせる。
のちにカエラが驚いたのは言うまでもない────
「どっちもどっちの人外魔境だっての。人の心構えを超えてこないでよまったく……」
「相手は生粋のキス魔だ。いざという時はこの超絶舌技で昇天させてやるのだ」
(やっぱりキステクを誇ってきたわね────)
食事を終えた二人────
「午後からは奥義の開発に取り掛かるのね────」
「うーむ…………」
備限は神妙な面持ちで活魂刀を水平に構え、すらりと九分ほど抜くと再び納刀した。
「むぅ…………」
何かを確認するようにその動作を二度三度と繰り返している。
「きっと漲る活力とか強い生命エネルギーとかが好物なんだろうし、単純にオーラを極限まで練り上げてみたらどう────?」
「いや、ネリスケよ────実は活魂刀について一つ悩みがあるのだ」
「え、どんな?」
「刀身の長さがな────間違いなく伸びている」
「ま~世間一般の刀みたいな無機物と違って活魂刀っていうぐらいだし、出涸らしからの回復に伴って成長したのかしらね。筋トレ後の超回復みたいに────」
言いながらネリネは気付きを得て言葉を続ける。
「ああなるほど、悩みというのはつまり刀身が伸びた事によって抜刀が難儀になったのね」
「左様────難儀になったとはいえ今はまだ然程問題ないが、このまま伸びてゆけば何れ抜けなくなるは必定」
無理が祟れば高校球児めいて肩を故障しかねない。
「何か良い案はないか? 先に言っておくが鞘をぶん投げて抜刀するってのは言語道断で却下だぞ。なんせ母上なのだからな」
「言われなくてもそんな乱暴な提案しないわよ! 心外ね────」
ネリネはぷぅと頬を膨らませたあと何か閃いた様子で
「こういうのはどう? やっぱりちょっと乱暴かもだけど、ストラップを付けてさ、襷掛けにした活魂刀をデスメタルバンドのギタリストみたいに肩から斜めにギュインと一回転させながら抜刀するのよ! 鞘歌さんも体から離れず定位置に戻ってくるわよ」
「…………。流しの弾き語りめいた芸人のパフォーマンスのようではないか」
「気に入らなかった? なんなら服も着流しに着替えてさ、差し詰め令晴のギター侍の出来上がりよ。あ、今はもう戒晃だったっけ」
「ばかもの、より芸人に寄せてどうする。俺という唯一性が失われるではないか、却下だ却下」
「んもーわがままなんだから。そもそもあんた普段から色々と規格外なんだから、自分でどうとでもやりようあるんじゃないの? サイコキネシスめいた念力で~、とか磁場を操って電動で抜刀~だとかさ」
「お前は俺をなんだと…………できないから悩んでるんだろうが、アカデミー時代もなんだかんだフィジカルで乗り越えてきたからな────しかし念力や磁場を操れたらさぞ楽しかろうな。備限流発展のためにいずれは会得したいものだ」
仮に会得できたとして、それらは往々にして速度はお察しであろう。
刹那の神速が肝である居合や抜刀術の使用に支障をきたすのは明白だ。
(やはり自らの手で柄を握らねばな……人馬一体をもじって……人刃一体。ふふふ)←定期で浸る男
「いっその事、冒険者ギルドから太刀持ち専任の側仕えでも雇ってパーティにお迎えする?」
「論外だな。気難しい奴が来てみろ、めんどくさいわ空気悪くなるわリスクしかないぞ」
「そうとは限らないんじy────」
食い気味に被せる備限
「いーや、決まっている。なにしろ三年目にして未だ何の実績もない新米冒険者だからな、無論ツテもコネも皆無。となれば必然、ムサくて劣悪な輩を宛がわれるに違いない。おまけに足元を見られて相場のウン倍もの支払いを要求されるのだ」
「非戦闘員の荷物持ちならそこまでかからないだろうけど、なんにせよ事前に適正な相場は把握しときたいわね────」
極めて冷静なネリネとは対照的に
「俺は無償で尽くしてくれるカワイ子ちゃんしか認めないっ」
「それじゃ奴隷よ…………」
「うがーーーーーっ」
駄々っ子めいてフラストレーションを開放した備限は猛烈な勢いで活魂刀を抜き差しした!
ジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンッッ…………
その速度たるや相当なもので、速すぎて逆にゆっくりに見える"ストロボ効果"という視覚現象を発生させる程であった。
その光景を見ながらネリネはとある事実に…………とんでもない真実に気づいてしまった。
賢明な読者諸氏もこのネリネ同様に気付いたであろうか────?
そう。物言えぬ無機物へと成り果てた備限の父、真備ハヤゾメは抜き差しの度にその刀身をムクムクと勃起めいて肥大させていたのだ…………ジーザス!!
ネリネはみるみる赤面し
(ちょっと……伸びてる理由って……え? ……ちょっとちょっと……待って、え? これってもうセッk……ぃゃ……ていうか真備の旦那よ現役ハッスルちゃん過ぎでしょ……と、とりあえず、い、今すぐ止めなきゃ……うん、止めさせないと……うん)
「ぁ、あんたっ、いい加減止め────」
制止の言葉を投げかける途中でそれは起こった────
水平に構え絶賛高速ピストン運動に無我夢中の備限は完全に無防備で、文字通り虚を突かれた。
刹那。眼前、虚空にこの二年追い求め続けた標的が突如出現した異次元風テクスチャからぬるりと顔を出し、そのまま瞬く間に備限の唇を奪った!
「ッッ!!!!」
思えば昨日、かの取り巻き連中が釣れたのもネリネのサービスめいたパンチラが切っ掛けであった。
結局のところ、とどのつまり、この未確認未登録種の、中でも取り分け自我を持った上位存在たちの嗜好は活力よりも生命エネルギーよりも何よりも、破廉恥でピンクな波動だったのだ。
この二年もの間、性欲を押し殺し、一心不乱にシリアスを貫いたムーブは裏目も裏目、逆効果でしかなかった。
とは言え今この状況、そんな過ぎた事を悔いている場合ではない。
積年の相手との邂逅、千載一遇の好機。
いざ────決着の刻────
備限は瞬時に癇癪からスイッチを切り替え情熱的に舌を絡めていく────
(ようやく逢えたな、親玉ちゃんよ────なかなかのカワイ子ちゃんではないか。最大の懸念点だった顔面化け物だったらどうしよう問題が杞憂に終わって助かったぜ────)
とは言え相手の吸引力も凄まじい。なるほど、並みの人間ならひとたまりもないだろう。
(俺に前置きは無ぇ。開幕から終幕まで、徹頭徹尾ララパルーザだ!!!!)
※ララパルーザとは、スペイン語で地鳴りや地響きの意。格闘技の試合などで、最高潮に盛り上がった観客の踏む地団駄が会場を震撼させた時にも用いられる。
実際備限の周囲には謎の力場が発生し、局所的に大気を震撼させていた。
固唾を飲んでその一部始終を見守るネリネの脳裏には先程の姫路城が想起され、そこからとめどなく供給され加速してゆくピンクの波動が、存在の希薄だった親玉ちゃんをより色濃く実体化せしめた。
なんと! 異空間の中からずるりと肩口まで引きずり出せた!
ナイスアシストと言わざるを得ない。
ごくりと生唾を飲み込むネリネの目は最早釘付けだ。
何処とは言わないが、一部がしめやかにモイストしていた────
備限は右手を柄から手離し、その手で親玉ちゃんの後頭部をがっちりホールドし、左手は鞘を携えながら、露になった背の上部を抱いた。
親玉ちゃんの瞳には既に完堕ちめいてハートマークが浮かんでいたが、備限は更に力強く濃厚さを増した接吻で攻め立てる。
それはクライマックスが近い事を物語っていた。
そして間もなく────親玉ちゃんの嬌声が辺りに木霊し、決着を告げた────
勿論親玉ちゃんが派手にモイストしたのは言うまでもない────
……………………
………………
…………
……
「────てなワケで────もうジャキンジャキンするのは今後一切禁止よ────」
「むう…………留意しよう────」
「だから────禁止だっつってんのよ。留意とか言ってるようじゃ面白がってまたやる気でしょ、肝に銘じなさい! ────それから納刀も出来る限りゆっくりと厳かにするの。あれよ、残心ってやつよ。そうすれば肥大化の抑制ができるはず────わかった?」
耳の痛いお説教である。
「……………………。おっ! どうだ気分は────落ち着いたか?」
「はぁ……はぁ……ぃ、イエス……ユア・マジェスティ…………」
絶頂の余韻でしばし息絶え絶えだった彼女の第一声であった。
「ハハハハハ! こやつめ、自分の立場をよく弁えておるではないか」
「そりゃあ、あれだけのディープなやつをお見舞いされたら屈服しちゃうわよ。すぐには歯向かう気なんて起きないでしょ」
だらしなく伸びていた姿勢を正し、異空間の窓の縁に両手をちょこんと掛け顔を覗かせている彼女は逃げる素振りも見せず、縋るような瞳で備限を見つめている。
「楽しい尋問タイムの予定だったが、これでは圧をかけるまでもなく詳らかに答えてくれそうだな────」
「さて────聞きたい事は山ほどあるが……まずは名前からだ」
先に名乗るのがマナーなのでこちらの自己紹介をサクっと済ませる。
「あの……それが、私は気付いたらこの見知らぬ森に居て、それ以前の記憶が無いのです。名前はおろか自分が何者なのかも分からぬ始末で…………宜しければ主様に名付けて頂きたく存じます」
「なぬ、記憶喪失とはいきなり出鼻を挫かれたな…………まぁいい、では我が眷属に相応しいファビュラスな名前を授けて進ぜよう」
※ファビュラスとは、「ものすごい」「途方もない」あるいは「非常にすばらしい」という意味合いで主に用いられる英語の形容詞である。
「ええー? ちょっと! 眷属ってあんた、旅の仲間に加える気満々なワケ!? 実績と名声獲得のため当局に突き出すんじゃないの!?」
「当初は俺もそのつもりだったが────今は違う。実績や名声を得るというのは同時にしがらみも増え、自由に身動きが取れなくなってゆくものよ。ゆるりと諸国を漫遊するという俺の目的にそれらは邪魔なのだ」
そう、俺は知る人ぞ知る陰の実力者でいいのだ
「最もらしい事言ってるけどさ──── 一番の理由は可愛い女の子だったからでしょ!」
くっ……ぐぅの音も出ないぜ……
「う~ん…………もしも誰かと敵対した時、名が売れてるよりも無名の方が相手の油断も誘えて都合がイイ? の、かもね────」
ネリネも納得? してくれたようだ────
「よし、気を取り直して命名の儀を執り行う。まず個性や特徴からインスピレーションを得たい。取り敢えず何ができるのか能力を披露して見せい」
「はい────」
彼女はシャっと窓を閉じるとその場から忽然と消え果せた。
予めピン留め済みだったにも関わらず知覚過備は機能せず、追跡が遮断されてしまった────完全に気配をロストしたのだ。
「ああ! ちょっと! どうすんの!? 逃げたんじゃ────」
「ネリスケよ────真面目に言ってるならお前の目は節穴だと言わざるを得ない────」
備限の言葉の直後、再び虚空に謎テクスチャが渦巻いて彼女が姿を現した。
「ああうん。やっぱりね。全然知ってたけど? 備限くんが動じたりしやしないか一応試したのよね────うんうん、やるじゃない。けっこうけっこう」
ネリネは師匠ぶって頷きながら備限の肩をぽんぽんする
「……………………」
「え、えっと…………この様に隔絶された異次元空間を自由に開閉できます────如何でしょうか」
「あの日初めて対峙した時からおおよそ見当はついていたが────こうも完全に捕捉不能になるとは……いくら探しても見つからんわけだ」
「あたし達が考察していたあれこれへの答え合わせができて面白いわね────あとは手下のディメンターもどきを生成する能力かしら?」
「それは私のリソースで生成した外套をその辺を浮遊している人畜無害な霊に羽織らせると私の意のままに使役できる"アンシリーコート"へと変異させる、記憶のない私が唯一覚えていた能力です」
アンシリーコート…………祝福されざる者、か。
「無差別に生物から生命力を吸い取って創造主たるあんたへと供給するのがアンシリーコートの役目ってわけね」
「はい」
「しかし対象を亡き者にした挙句、ネズミ算式に増殖していくのはシステムとして欠陥だろ。最終的に破綻するではないか、自分の首を絞めるようなものだ────」
「生かさず殺さず、飼い殺しにするのが基本よね」
「元々命まで奪うつもりは…………初めての食事で力加減が上手く制御できず…………あの一家には可哀想な事をしました…………」
「この俺様を敵に回した最大の要因だな」
「猛省しなさいよホントに────んで、アンシリーコートとやらの生成も実際見せてもらうの?」
「当然。主従関係を結ぶ以上、主として従者の全容は把握すべきだからな。────やれるか?」
「はい────ん、と…………あれ? 感覚がいつもと…………んん~っ…………駄目です。ごめんなさい。どうしてか出来ないみたいです」
「……どう見ますか考察好きのネリスケさん────」
「そうね────あたしの見解では…………元は透け透けで薄かった存在があんたとの戦闘を経て現在は色濃く実体化してる事からおそらく────属性が裏返ったんじゃないかしら、闇から聖へと。それでコートが作れなくなったのよきっと」
「な、なるほどです……」
「うむ。俺も概ね同意見だ────」
人類の敵を生み出す能力など、無くなっても何ら問題はない。それより────
「俺の期待通りなら────そろそろコイツの出番かな?」
備限は活魂刀の柄に手をかけた。
「流石の慧眼……感服致しました。ご賢察の通り私の領域であるこの空間内は無制限の保管倉庫として御利用いただけます。先刻、不躾ながらぐったりしつつもお二人の会話はしっかりと耳に入っておりました。その刀が抱える問題、解消できるかと愚考します」
備限の左方にもう一つ新たな異次元窓が出現した
「……入れるのはいいが念の為、活魂刀の前にこいつで取り出し方法を確認したい────」
備限は二年の酷使で更に年季の入ったよれよれの通学カバンを放り込んだ。
遠ざかってゆく、思い出の詰まった相棒を、感慨に耽りつつしみじみと見つめていると────無情に窓は閉じた。
「────で、どうするんだ?」
「私と主様は既に契りを結んでおりますので、出ろと念じれば窓口が開きますよ」
「うおっ、まじで出せたぞ」
「あとは対象をイメージしながら中に手を入れれば手応えを感じるはず────」
指示に従い備限が取り出した物は────
なんと! 膝栗毛だ! カバンではなく中身をダイレクトに取り出したのだ!
「こいつぁすげぇや…………この機能は"蔵渦"と名付けよう」
「お気に召した様で何よりでございます」
備限は早くも蔵渦を使いこなし膝栗毛を再び放り込んだ
「漂流めいて遠ざかっていったが、中は重力が無いのか?」
「倉庫に使ってるのはそうです」
「? それはつまり────」
「はい、私はさまざまな特性を持つ多様な次元へとチャンネルを変え自由にアクセス可能なのです。この二年間は専ら能力の理解に努めておりました────ちなみに主様が扱えるのは蔵渦のみなのでご了承ください」
「いや十分だ────しかし無重力帯を漂流するとなると、これをやったら親父殿は憤懣やるかたないだろうが…………許せ父上」
それは、物言えぬ一振りの刀へと成り果てたおしどり夫婦の、唯一とも言える娯楽を奪うに等しい。
セックス依存症のカップルからセックスを取り上げるようなものだ。
備限は活魂刀を抜刀すると、その刀身のみを蔵渦へと放り込んだ
「なるほど。抜き身のまま二度と納刀しなければ確かに問題解決ね────今後は蔵渦が鞘代わりってわけだ」
「まだ遊びたかったがな────」
「こら!」
「くくく、しかしこいつはもっと楽しいぞ。なにしろ異次元空間からの抜刀だ……厨二心をそそるぜ────」
ズズズ…………と刀を抜き出し悦に浸る備限
「異様過ぎてハッタリも効くわね────」
「あほぅ、カッコイイというのだ」
「カッコイイですよ主様、ステキです」
「ガハハ! 愛いやつよの────」
(媚びくさって、太鼓持ちかってーの。眷属ならそれで正解、ていうかそれが当たり前なのかもしれないけどさ、な~んかおもしろくないわ────)
などとネリネが内心モヤついているのをよそに
「さてネリスケよ────以上を踏まえてお前なら彼女に何と名付ける?」
「は? なんであたしが……まっいーけど。はいはい降りてきたわ────ズバリ"異次元の存在"を直訳して、アナザー・ディメンショナル・ビーイングよ」
「それでは人間にニンゲンと名付けるようなものではないか。雑な上に長ったらしいし────」
「なら縮めてザーメンよッッ」
「!! げ、下品な女だ…………でかい声で…………」
ベジータめいて戦慄する備限
「うっさいわね、どうせあんたの命名以外は受け付けないでしょ。だったら真面目に考えてらんないってのよ、馬鹿馬鹿しい」
「なにをそんなにピリピリしているのだ」
「ほっといてよもー! あたしのことはいいからさっさと発表しなさいよ」
「そ、そうか。では発表しよう────」
「どきどき…………」
冷めたネリネとは対照的に期待に胸を高鳴らせるザーメン(仮)
「ズバリッ、コンテナから因んで"コンテ"だ!!」
「ぷっ……一緒じゃん。あんたこそ倉庫にソウコって名前つけてるじゃない。あたしのセンスを参考にしたの? あたしのこと好きすぎでしょ」
(なんか謎に機嫌直ったな)
「ちがわい、この俺様のセンスがそんな浅はかな筈なかろう。コンテには古代エルメド語で"美しい女の幽霊"という意味がある。ハイセンスなダブルミーニングなのだ」
「むむ、悔しいけど確かにオシャだわ」
「美しいだなんてそんな…………えへ、えへへ。謹んで拝名致します」
「よっしゃ! 華々しく凱旋じゃーー!!」
(このままコンテちゃん連れて帰っても大丈夫なのかしら…………)
と、ネリネが一抹の不安を抱きつつも、一行は帰路につくのであった────