第二話 シャーデンフロイデ
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
そして二年後────
誘蛾灯の周囲に散らばる虫の死骸めいて所々に落ちているローブを黙々と回収していく。
檻が正常に機能している証拠だ。
活殺結界の術式には触れたものが吸魂鬼ならば問答無用で処し、それ以外にはやんわりと立ち入り禁止の感情を想起させるプログラムが施されていた。
「…………」
外の、街道の景色に後ろ髪を引かれつつもネリネは森の奥へと踵を返し先へ進む備限の背を追ってゆく────
外周哨戒の遠征を終え、拠点へと帰還する道中で休憩をとる二人────
「なんかさ、今まで一心不乱に我武者羅にタスクをこなしていたから特に気にしなかったけれどさ────こうも暇になっちゃうと色々考えてしまうわよね」
まさしくその通りで、実際備限も虚無めいて考え込む時間が増えていた。
「…………」
「あれからもう二年も経つのよね────」
それは備限にとって一番、目を逸らしたい現実であった。
「よせ…………」
「娑婆や俗世から隔絶されたこの森で二度目の誕生日、さらば十代────成人おめでとう備限くん!!」
「ぐっ……俺は二年間も一体、何を…………」
備限の精神的ダメージは深刻だ────
「ハレの日なんだから元気出しなさいよ、白髪が増えちゃうわよ────」
傲岸不遜な自信家、備限ハヤゾメ唯一のコンプレックスが若白髪である。
「うがー! 好傑漢な俺様は白髪など疎まないのだ!」
備限はちょろちょろと飛行するネリネを片手で捕まえると人差し指の腹でその顔面をぷにゅった。
「ふぎゅ────」
「それはさておき────マジで……いやマジでさ、マジな話……ここまで続くと思ったか? 思わないよな? 実際俺は森の広さを鑑みても精々ひと月以内にカタが付くだろうとタカを括っていたんだ」
実際二年もあればToDoリストの進捗状況も大きく変わっていただろうと思うとやるせない。
「そりゃ予想だにしなかったわよ。恐ろしく慎重派なのか、何か別の思惑があるのか……なんにせよこの二年、まさか掠りもしないとはね────」
「彼奴め、我が索敵奥義【知覚過備】を以てしてその尻尾すら掴ません」
「それ弱体化してて射程距離がゴミだったじゃない。だから地道な哨戒による駆除活動を余儀なくされたわけで────」
「…………」
備限は遠い目をしている。
「……ま、まぁ、活動の甲斐あって開始当初あれだけ無尽蔵に湧いてきた吸魂鬼が今これだけ数が減ってるってことは、着実にアイツも消耗してっているワケで…………ここにきてようやく兵糧攻めの効果が如実に表れてきた────ってのがあたしの見解だけど、どう?」
「概ね同意だ────俺以外の人間が居ない以上、何らかの能力で無から生成し生み出しているんだろうが、今の現状から限界が近いと見える」
「ぼちぼち引き上げを検討、視野に入れても良い頃合いかもね────」
ネリネの提案に、備限は露骨に渋い顔をする。
「…………費やした二年分のツケを払わせる事叶わず、人知れずどこぞで餓死するなど冗談ではないぞ。そんな幕切れは断じて認められん……」
今更引き上げる等という日和った選択肢は有り得ないのだ。ぐがぎぎ
「知ってる? そういうのコンコルド効果っていうのよ────でも向こうもバカじゃないだろうし流石に餓死する前には姿を見せるでしょ────と、思いたいけど…………」
「人外魔境の魑魅魍魎の価値観や思考回路なんて所詮あたし達には及びもつかないし知る由もないし、案外ポックリ逝くのかもね────」
ネリネのマシンガントークは止まらない────
「人類の脅威とは言え未登録の新種が世に知れず絶滅していくのって複雑……あの上位個体は知性がありそうだったけど、もしも……なーんてのは、エゴかしらね」
「何が言いたいかって、言語とは斯くも叡智の結晶! やはり対話こそ相手を知る最強の手段なワケよ」
謎の力説をするネリネ。自身のお喋り好きを正当化しているのだろう────
「で話を戻すけどさ──犯人の心理をあたしなりに分析・推測すると──」
「プロファイリングか──? さっきは魑魅魍魎の思考が云々ぬかしてたよな」
「暇なんだから、何もしないより良いじゃん────でね、犯人は初見であんたと活魂刀を一目見た瞬間、とびっきりのご馳走に映ったの。でも今しがた食事を終えたばかりで満たされた状態では極上のご馳走を最大限堪能出来ない。空腹こそ最高のスパイスだからね────」
「それで、お腹を空かせる為に一時退散した訳だけど…………あろうことかあんたと活魂刀は一気にチカラを使い果たしてへろへろの出涸らしになってしまったもんだからさぁ大変! 犯人は心底絶望し引き籠ってしまいましたとさ────」
「へろへろの出涸らしは余計だ────」
「なによ言い得て妙でしょうが」
「ま──辻褄も合うし意外と核心突いてるかもな────」
「でしょでしょ~♪」
「つまり────俺と活魂刀が二年前当時同様のフルチャージ状態になれば、奴は姿を現すのか」
「以前と一緒じゃあインパクトが足りないかもね────何らかの付加価値が……あんたさ、滅茶苦茶美味しそうな匂いを醸し出す奥義とかないの? 猫にマタタビみたいな」
「そんなアホみたいな奥義は無い……。備限流はかっこよさ重視なのだ」
「相手の嗅覚に訴えかけるような魅了めいた技は確かにあんたのガラじゃないわね────」
休憩を終え、再び帰路へと歩を進める────
「それで────現時点のチャージ具合はどうなの?」
「朗報というか、ほぼ戻りつつある────具体的にはそうさな……【知覚過備】の有効射程で推し量ってみよう────」
備限は片膝をついてその場にしゃがみ込むと、地面に右手を翳した。
今なら活魂刀のリソースと共に全力を出せば森全域の索敵が可能だ────
────どうする?
出し惜しみは無しだ、全力全開!
▶また出涸らしになるワケにはいかない
(ここは俺自身のリソースのみで温存しておこう────)
日払いの家賃めいて毎朝【一斉封備】維持の為にリソースを支払う生活で、ここまで回復するのに実に二年もの歳月を要したのだ。
【ハヤゾメ流・知覚過備】
「きゃっ」
なんと! 発動の瞬間、俄にそよいだ上昇気流に煽られネリネはパンチラした!
「こらー! 風が吹くなら先に教えなさいよ! サービスしちゃったじゃない!」
「アホか……オマエのお子ちゃまぱんつなど、なんのサービスにもならんわ」
キッパリと言い放つ。
「は? ティーン御用達、話題沸騰の注目ブランドLINGELIC-LAYERのお気に入りのやつなんですけど!」
「ぃゃ知らんがな──」
「信っじらんない! これだから男っても~……! 乙女心傷ついたわ……」
めんどくさいのがはじまった……
「ホントは興味津々でしたゴメンナサイ」
心の中では真顔だ。
「む~…………で────? 結果はどんな塩梅だったのよ」
「それはな────」
備限はおもむろに抜刀し一呼吸置くと、不意に奥義を繰り出した!
【備限流・右疾間飛射・ハチワン自在】
あらぬ方向へと斬撃が飛んでゆく…………。
すると遠くでドサドサと何かが落下する音が聞こえた────
「────え? 何かヒットしたの? あんたドヤ顔してないでちゃんと説明しなさいよ!」
「無論索敵に引っ掛かったから奥義を放ったのだ。知覚過備は俺を中心に9x9、81マスに区切られたブロックの内部を索敵する感知技。盤面のサイズは消費リソースに依存するが、今発動したのはタテ3480メートル、ヨコ3170メートルだ」
「まるで将棋ね」
ゴミ射程が随分伸びたわね~という言葉は口にせず飲み込んだ。
「さらに感知した対象にマーキングめいたピンを挿し、そこめがけて自動追尾する右疾間飛射を撃った。ハヤゾメ流と備限流の複合技だ────」
「エモいわね────それで81自在か」
「おまけに正面からぶつかるのではなく常に死角に回り込み強襲する様プログラムを組んだ────何処へ逃げようと執拗に追い回すのだ、ククク」
「ねちっこいわね────あんたの性格が奥義によく表れてるわ」
「人聞きが悪いぞ、初お披露目が不発に終わった件を重く受け止め、アップグレードしたのだ」
「ほぇ~伊達に────」
「伊達に二年間も燻っちゃいないぜ」
備限は得意げだ。
「皮肉っぽく聞こえるかと思って言うの踏みとどまったのに、余裕を醸し出しくさってからに!」
じゃれ合う二人。
冒頭の卑屈さはすっかり消え失せ、お互いに笑顔が戻ったのであった────
「ふふふ、ともあれ確認しに行くぞ。4・三のブロックだ。行ってみよう────」
音のした地点には案の定、中身の無い三つのローブがあった。
「こ、これって…………」
しかしそれぞれデザインが違い、今までになく個性を感じる。内一枚は明らかにサイズも大きい、ローブというよりゴツいコートだ。
「これは推測するに、あの日父親を喰ったとされる取り巻き連中ね。カエラちゃんは両親共に現役時代は馴らした冒険者だったと言っていたから、強い人間を喰らって上位種に進化したんだわ」
「一般的なモンスターで当てはめるなら脅威個体ってやつね。きっと彼ら同士で呼称し合う呼び名、自分の名前を持ってたと思うわ。今となっては知る由も無いけどね」
「奇しくもカエラ父の仇討ち代行を果たしたわけか────喜ぶだろうか」
「どうかしらね……あの子優しいから……。けど、どんな反応をするにせよ事実を報告するまでよ」
備限はそれらを回収すると、再び拠点を目指し進んでゆく────
視界の先に巨大な山めいた影が見えてくる────
それは旅籠の裏手に堆く積み上げられた、過去二年分ものローブの山だ。
備限は持ち帰った戦利品をいつもの様に、その頂上めがけて強肩のプロ野球選手めいた遠投で積み上げてゆく。
「数日ぶりの帰還ね────」
裏手から正面玄関へと回り込み、屋内へと入る。
「帰ったぞ────っと」
「あっ、備限さんにネリネさん! おかえりなさいっ」
カエラが無垢な笑顔で出迎える。
「…………」
ヌヒトは奥ゆかしくそっと熱いおしぼりを差し出してくる──相変わらず無口だ。
ここで、怨滅私姉弟の現状について語っておこう────
二年経過した今でも、二人の見た目や体格は出会った当時のまま成長も変化もしていない。
おそらく不老なのだろう────
そして睡眠も食事も必要がない、疲労もしない24時間活動体質になった。
万物に一切触れられないという問題は、両親の形見とも言える例の歪な布を試しに羽織らせてみたところ、なんと部分的にではあるが実体化したのだ。
カエラはその布を、悪戦苦闘しつつ長い時間をかけ、不格好ながらも二組のケープと手袋にリメイクし、現在ヌヒトと共に装着している。
ケープの効果で身体の透け感は若干緩和し、手袋の効果で自由に物を触れるようになったのだ。
完成当時、山積みのローブも素材にしてもっと何か作るか? と提案した事があったが、いいえ、これで十分です。お父さんとお母さんの遺した物だから、過不足無く、これがいいんです。それは備限さんの戦果なんですから、備限さんの旅のお役に立ててください。と、やんわり返された。
11……いや13とは思えない慈愛に満ちた表情をしやがる。
両親からたっぷりと愛情を注がれ育てられたであろう事が想像に難くない。
これでようやく思う存分、ご奉仕が出来ます! と、装備が完成して以降カエラは、甲斐甲斐しく世話をやいてくれる。
一方、カエラの弟ヌヒトは────
備限はヌヒトからおしぼりを受け取ると先ず手を拭いて、そのまま顔もゴシシ
「あ゛ああぁぁ────」
「オヤジくさいわね────」
「ふぃ~~~~。小僧よ──このおしぼり、ベストな適温ではないか。グッドだ」
備限はヌヒトの頭をわしわしと撫ぜる。
「~~~~~~♪」
もしもヌヒトに尻尾が生えていたならば、ちぎれんばかりに振り回していただろう。
「喉が渇いた。水を一杯くれるか────」
「あっはい、少々お待ちください。すぐに汲んで来ま────」
言うが早いかカエラが水を汲みに動き出すより早く"バビュンッ"とヌヒトは勢いよく壁をすり抜け飛んで行く────
浮遊の推進力が姉の比ではない。装備の影響でいちいち脱がなければカエラには不可能になってしまった壁抜けも、ヌヒトには依然着たまま状態で可能である。
ヌヒトはこの二年で特殊ボディの特性をよく理解し、姉以上に完璧に使いこなしていた。
ヌヒト曰く────
備限の注いだエネルギーが身体中を駆け巡っているのだとか
自覚すれば無敵の全能感が湧き上がってくるのだとか
姉は備限へのリスペクトが足りないんだとか
普段寡黙なヌヒトが備限を語る時ばかりは饒舌になり、舌がよく回る。
カルト信者めいたそれを、いつもカエラは困り顔で苦笑しつつ聞いている。
あの日、備限によって強烈にわからされたオスガキ──それが怨滅私ヌヒトだ。
水を差し出す姿はさながら忠犬のようである。
水を飲み、人心地ついた備限がカエラに話しかける────
「そっちは特に何も変わりないか────?」
「それが…………珍しくお客さんがいらして────」
「何? amunzenの配達員ではないのか────?」
「ええ。一般のお客様です」
人払いの結界を突破して来たのか、一体何者だ…………
実際それは、この二年で初めての出来事である。
「"この店で一番美味い飯を食わせろ"と言うので、弟の作った創作料理を先程、ご提供したところです」
「なんだと、アレを出したのか…………」
いつだったか、この旅籠の今後について話し合った事があった。
俺はコンサルめいてグルメで集客するのだ、と助言をしたがカエラもヌヒトも、味覚が死んでいて味見が出来ず、如何せんメシマズと言わざるを得ない。
その後カエラは味付けする必要のないカットフルーツや、キノコと山菜の天麩羅といった客の塩加減に委ねる無難な方向へと逃げたが、ヌヒトの方は無謀にも創作料理に目覚めてしまったのだ。
今の身体になって時間を持て余したおかげで日夜研究に没頭しているらしいが、おそらく成果は出ていないだろう。それどころか、より悪化している可能性も…………
その時──食堂の方から怒声が聞こえてきた────
「この物体を作ったのは誰だぁっ!! 女将を呼べッ!!」
作った張本人であるヌヒトが先んじて食堂へとすっ飛んで行った。
食堂を覗いてみると、食卓に一頭のぶたが居た────
※この異世界ジャッポガルドに於いて"ぶた"とは豚とは違い二足歩行をし、人語を解すのである。もちろん我々に馴染みのある家畜としての豚もしっかり存在する。
「あれは…………」
「知っているのかネリスケ」
開花妖精システムを展開し、データベースを参照するネリネ。
「うん、やっぱり間違いないわ。棘のある辛口批評で知られる、食通で美食家の"過茨ぶー山"よ。グルメ界隈では相当な有名ぶたなんだから」
「貴様がシェフか。まるで地獄のような味わいだったぞ、危うく三途の川を渡りかけたわ」
どうやら今まで意識を失い、生死の境を彷徨っていたらしい。
「よもやこのぶー山をぶたと侮り、この────犬も喰わぬ様な劇物を饗したのではあるまいな? この店は客を選んでサービスの質を上げ下げするのか!?」
その後もぶー山は8……いや10歳児には酷な罵詈雑言、誹謗中傷を浴びせかける。
しかしヌヒトは決して泣かなかった。
ぶー山の苛烈な言葉を一つ一つしっかりと受け止め噛みしめている。
殺されかけたのだからぶー山にも言うだけの正当性はあるし、いちいち正論なので困る。
ひとしきりまくし立てると────
「私は気分を害したぞ、非常に不愉快だ。これで失礼する!」
ぶー山は憤慨しながら帰って行った…………
「嵐のようなぶただったな…………」
「ヌっくん、よく頑張ったね」
弟の健闘を讃えるカエラ
「すまなかったな、激昂するぶたがあまりにも興味深くて一部始終静観してしまったわ」
「あんた、ぶたは見慣れてるでしょうが」
「いや、怒ってるとこ見た事ないし……」
納得するネリネ
「それにしても……ぶー山さんのあの様子じゃ……これで客足がまた更に遠のきそうですぅ」
カエラとヌヒトは姉弟らしくシンクロしてしょんぼりと肩を落とした。
「しかし、あまりの不味さに臨死体験が出来るって売り文句は意外とアリかもしれんぞ」
「いやナシでしょ……」
ぶー山が立ち去ったあと────
今度は勝手口から、業者用の呼び鈴がジリンジリンと鳴り響いた。
「今日は千客万来だな────」
「ちわーーッス、ALINCO運輸で~~す! お荷物のお届けに上がりましたぁ~」
ALINCO運輸は地底の物流を一手に担う運送会社で、その従業員は全て蟻人という種族で構成されている。
ひとりでに移動しているように見えるamunzenのロゴの入ったダンボールの下には、むきむきアントという小型の鼠サイズの蟻たちがひしめき、彼らによって運ばれてきたのだ。
地底を通るので地上とは違い、荷物を狙った野盗からの襲撃を受ける心配もなく、危険な紛争地域でも過酷な環境の土地だろうと天候の影響を受けずに迅速安全にお客様の荷物をお届けするので、顧客満足度は非常に高い。
むきむきアントの耐荷重は1トンを誇り、脚力は最高時速66キロと、中々にパワフルだ。
そしてむきむきアントを従える蟻人は種族特性により、蟻から人の姿へと自由に変化可能だ。
配達先の直下に到着し地上に出ると擬人化し、"ロンゴミアント"という術式を用いて地層を傷つける事無く地底から荷物をむきむきアント共々引き揚げる。
その際に消費するリソースが実際重いので、配達員は原則二人一組が会社規定で定められている。
ロンゴミアントを使いこなせる事が配達員の資格条件だ。
「ご苦労様でーす!」
ネリネはニコニコで受け取りのサインをする。
「お、キアリクではないか。久しいな」
「おわっ、誰かと思えば備限さんじゃないッスか! 久しいってレベルじゃ……旅に出たって話は聞いてたけど、こんな秘境に居たんスね。元気してました?」
amunzenはアカデミー時代もちょくちょく利用していたので、キアリクとその姉キアリィとは顔見知りなのだ。
「…………」
キアリィは肩掛けの小さなカバンから角砂糖を取り出すと、しゃがみ込んで手の平からむきむきアントへと給餌している。
むきむきアントは行儀よく整然と並び角砂糖を一個ずつ受け取ってゆく。
角砂糖はむきむきアントにとってガソリンのようなものだ。
この姉弟はカエラヌヒトとは正反対に姉が内気で、弟が社交的である。
「ああ、この通りよ。お前も元気そうだな────」
備限は里を発ってから現在までの境遇をざっくりと語り聞かせた。
「────ええっ!? そんじゃあ備限さんは未知の怪物から人知れず世界の平和を守ってたんスね、かっけぇ…………」
「というわけで外界の情報に飢えているのだ。何か面白い話はないか? 小難しい世界情勢でも、令晴32年のトレンドでも何でもいい────」
「あっ……二年も情報から隔絶されてたんじゃ知らないっかあ…………去年、天照様が崩御なされて代替わりしたんで、令晴は31年で終わったんス。今年は戒晃2年ッスよ」
「戒晃、だと…………うがーー! 年号がァ! 年号が変わっている!!」
「うわ! どうしたんスか急に、落ち着いてくださいよ!」
「ちょっとやってみたかっただけだから気にするな、俺は冷静だ。続けてくれ────」
実際は少しショックを受けた。
「はぁ。そんで、トレンドと言えば最近うちの姉貴がどハマりしてんのは絵動ッスね。特に"ぬづすんづ"って事務所に所属してる"甚鰈"って男性絵動にエラくご執心で、配信をリアタイしちゃあ投げ銭までしてるくらいで────」
キアリィが顔を真っ赤にしてキアリクの肩をぽかぽか叩く。
「いてて、甚鰈は神父の恰好した凄腕のヴァンパイアハンターって設定の絵動で、実際女子からの支持が圧倒的なんで、別に姉貴が異常って言ってるわけじゃあ……」
「それじゃ説明が足りない…………! 全然ッ…………! 鰈様は口癖めいて語頭に甚だしくも~を付けるのが特徴的な語り口で、常に沈着冷静なの。"もがき、のたうつ者"という投擲剣を武器に戦う戦闘スタイルで、決して慢心せず、敵には一切の慈悲を与えないわ。そして毎回配信の終わりに必ず詠唱する、キリエ・カレイソンで視聴者は浄化されるのよ。あ、キリエ・カレイソンは古代エルメド語で"鰈は、煮付けたまえ"って意味で、詠唱の内容もカレイの煮付けのレシピを大仰に唱えてるだけよ」
キアリィがめっちゃ早口で補足してきた。
「とまぁ、こんな調子で……手に負えないんス……」
「俺の知る絵動といえばマイナーコンテンツで絵畜生呼ばわりされていたが、今はそんなに市民権を得ているのか────」
「それは去年、謎の奇病"日没病"が昼腋の国に蔓延して、全国的に夜間は外出禁止の風潮になったんで、暇を持て余した民衆がみんなして絵動の配信を見漁るようになって、そんで爆発的に火が付いたんスよ」
「まーイナゴみたいに急増しちゃって不祥事やらかす奴も多いし粗製濫造の玉石混交状態で、本当に面白い絵動はほんの一握りッスけどね」
「なるほどな────奇病の方はどうなったんだ?」
「さっき天照様が崩御なされてって言ったじゃないスか? その死因が日没病で、天照様が亡くなった後から何故か急速に終息したんスよね────なので今はもう普通に出歩いても大丈夫ッス」
「日没病は罹ると体質が変化して日光が猛毒になっちまう、とんでもなくヤバい病なんで……いやガチできれいさっぱり終息してくれて良かったッスよ────」
(夜出歩けば罹患者の疑いをかけられた……というわけか。天照に特効めいた効能といい、終息の不自然ぶりといい、人為的なきな臭さを感じるな────)
「あとは何かあったかな────これ以上にでかいニュースは流石に無いッスね────」
その時────キアリィがキアリクに何やら耳打ちした。
「ああ、姉貴が言うには、"シャーデンフロイデ"って悪の組織が魔王の復活を目論んで暗躍してるとか。日没病もそいつらがウィルスばら撒いたって噂で────」
「物騒な連中だな」
「都市伝説みたいな話で眉唾ッスよ────第一、噂ばっかで目撃情報は一切聞かないし、実在してんのかどうかも────」
「そりゃあ目撃者は口封じの為に消すだろう────」
なんと! キアリィが立ったまま気絶してしまった!
「おわわ! 姉貴は気が小さいから、備限さんの凄味に充てられちまったんだ……!」
「んな馬鹿な……言うほど凄味を利かせたつもりは────」
「あんま配達先で長居してると上からドヤされるんで、この辺で失礼します! そんじゃ、マイドアリっした!」
気絶したキアリィをむきむきアントに運ばせてキアリクは慌ただしく出て行った。
……今後キアリィの前で強い言葉は控えよう。
「絵動は正直どうでもいいが、悪の組織シャーデンフロイデか────世界が英雄を求めている気がするぞ」
「あんたの場合、強敵を求めてんだから魔王復活してもらった方が好都合なんじゃないの」
「復活の邪魔しようにも正体不明じゃどの道打つ手がないしな────それより先に片を付けるべき正体不明野郎が居るし、まずはそっちに全集中よ」
「正体不明繋がりで、実は組織の一員だったりしてね────」