第一話 義を見てせざるは勇無きなり
夜の森──
野営の焚き火を前に、丁度いいサイズ感の岩に腰掛ける男が一人──
妖精めいた小さきものと談笑していた──
「静かな夜ね────明日は一度拠点に戻るわよね。amunzenでポチッた荷物が届く予定日なのよ」
虚空に表示されしホログラムめいたコンソールを手慣れた手つきで操作しながら小さな妖精が続ける。
「──にしてもここ半月くらいはめっきり平穏よね~。この突如始まった唐突且つ突発的緊急クエスト、思いがけず長丁場になったけど、いよいよ終わりが見えてきたんじゃないの、ねぇ?」
「まったくそう願いたいもんだ────」
焚き火に小枝を放りつつ男が答えた。
「……なんか哀愁漂ってるわよあんた……でもそりゃそうよね。大志を抱きし青年が冒険者養成学校を卒業してからこっち、成り行きとはいえ最初に踏み入った森でまさかまさかの自分を生餌にした哨戒兼討伐任務を延々とする羽目になるとは誰も思わないもの」
言いながら使用を終えたコンソールのウインドウを閉じ、ぐぐーっと伸びをする。
「目当ての標的が釣れるまでは終われない──」
表情からプロめいた意志の固さが窺える。
「ストイック~。羽目にっていうのは失言だったわ、皮肉に聞こえたのならごめんね。別に不満があって言ったわけじゃないのよ、ただもうちょっと刺激が──」
……………………
………………
…………
……
二年前──
所狭しと木々が生い茂る樹海──
この深い森は昼間でも薄暗い、不気味な雰囲気に包まれている──
「俺の名は備限・ハヤゾメ。種族は人間。この春アカデミーを卒業したての18歳だ」
「え? こわ、どうしたの急に。自己啓発の一環?」
「そして俺の周囲を飛び回るこのちんまいのはネリネ・ダイヤモンドリリー。種族はゴブリン。アカデミー入学以前からの知り合いで、付き合いは実際長い。よく助けてくれるので、俺は親しみを込めて"ネリスケ"と呼んでいる」
「……だから怖いってばさっきっから! 此処の雰囲気も相まって一層こわいから!」
「すまん、どうしてもこのタイミングしかなくて──もう大丈夫だ」
「おどかさないでよね、まったくもう。それで備限くん、わざわざこんな世捨て人か人生に絶望した自殺志願者しか立ち入らないような樹海へは一体何をしに?」
「よくぞ聞いてくれたなネリスケよ。いいか? 俺は派手にハッキリと旅の目的を決めているのだ」
ビシッと両手の人差し指でネリネを指差しながら言い放つと備限は背負っていたカバンを降ろし、ごそごそと漁りはじめ、一冊の冊子を取り出した。
※因みにこの年季の入ったカバンは学校指定の通学バッグを卒業後も現役で使用している。
取り出した冊子の表紙には膝栗毛の三文字が太く豪快な毛筆で表記されている。
これは卒業生にもれなく配布された、所謂"地球の歩き方"のようなガイドブックだ。
その中身は、一般常識めいた旅の作法や新米冒険者の心得とかいったそれらしいような事を冗長と記した、毒にも薬にもならぬような、ほぼ在学中の復習めいた薄い内容だ(要点をまとめれば実際厚さは半分以下にできただろう)
しかし巻末の数ページは持ち主が自由に書き込める白紙のフリースペースがあり、備限はそこにToDoリストを記していた──
「これを見よ」
箇条書きされたリストの一行目を指し示したその先には"全国踏破"とある。
「地元である陸奥から碌に出た経験のない俺は、この旅を通じ見聞を広め、自分の世界を拡げたい────」
「素敵な目標だとは思うし、あたしもとことん付き合うつもりだけどさぁ……全国を謳いつついきなり初手から未開の地に突っ込んで往くとか、普通は隣国や観光地を周るでしょうよ無難に────でも大好きだわ」
ツッコミを入れつつも肯定してくれる、愛いやつよ。
「ノリで未開の地なんて言ったけど実際どうなのかしら。あたしの開花妖精システムを駆使したゴブリンネットワークが機能しないから少なくともゴブリンは居ないわね」
ネリネのマシンガントークは止まらない──
「墾田永年私財法からの大開墾時代を経て未だに残ってる未開拓地ってのは未開拓たるそれなりの理由があるのよね。あんたの────」
言葉を遮るように暗がりから不意に音も無く現れたのは、ローブめいたボロ布を纏った浮遊体だ。
そのまま有無を言わさず襲い掛かってきた!
「キャー!! なになになになになにーーー!?」
慌てふためくネリネとは対照的に、備限は淀みない動きで袖と胸倉を掴むと、くるりと背負い冷静にぶん投げた。
正体不明の襲撃者は錐揉み状に回転し、軌道先にある木に激突し沈黙した。
「これぞ備限オリジナル……錐揉み大回転・柔式・竜巻────」
「すごぉ、相変わらずの腕っぷしね。それにしてもなんなのよコイツいきなり!」
「うーむ……」
──備限は何やら不満そうだ。
「え、どうしたの? 見事な一本だったけど」
「俺のイメージでは……投げた軌道に竜のオーラが顕現し、巨木を次々と突き破り、地平の彼方まで吹っ飛ばす予定だったのだが────」
「確認したい事があるんだから地平の彼方まで吹っ飛ばさないでよ」
「うん……」
「……まぁ、その────なんちゃら式ドラゴンスクリュー? 初めて実戦登用した言わばプロトタイプなワケでしょ? これから磨いていけばきっとイメージ通りの技になるわよ、うん!」
フォローするネリネ
「……ごもっとも。若輩故に未だ道半ば、日々是精進あるのみよ」
「そうそう。汝、驕ること無かれ────ってね。その意気その意気!」
ネリネの言葉に備限は一層励むべく、奮起するのであった。
「それにしても体術ばっかりだとその"活魂刀"、錆びついちゃうんじゃない?」
ネリネの視線が備限の左腰に佩かれた太刀へと向けられる。
「うむ、実に良い指摘だ。よし、満を持して発表しちゃうか──これ────」
また膝栗毛を取り出した。
リストの二行目に書かれていたのは"備限流の完成"
「家に代々伝わるハヤゾメ流──今まで幾度となく世話になってきたしおそらくこれからも頼るであろう奥義の数々は実際便利だ。だが俺は今こそ型を破り、俺自身に合った、俺の俺による、俺のための流派を新たに築き上げる。人それを、"守破離"と云ふ────」
浸りつつ語りつつ、リストへ新たに"俺より強い奴に、会いに行く"と追記していく備限。
「(……あんたより強い奴なんて早々居ないでしょうに)なるほどなるほど、ハヤゾメ流ってば体術メインだものね。つまり備限流では剣術に重きを置いて新たなる奥義を編み出していくってワケだ──なんだか少年マンガの王道展開っぽくてイイじゃない」
「ふふふ……備限流開祖、備限ハヤゾメ先生の次回作(奥義)にご期待ください────」
「ちょww笑わせないでよwww」
「冗談はさておき────脱線しまくったが本題はコイツよ────」
「そうそう、確認したい事があるのよ──っていうかそもそもあんたが拗ね散らかしたから脱線しまくったんでしょうが」
ツッコミに苦笑しつつ備限は未だ地面に伏して微動だにしない襲撃者の元へ近づきしゃがみ込むと、その頭部をむんずと掴み上げた。
「中身は……典型的な亡霊族って感じの半透明ボディだけど──口元だけ妙にハッキリしてるっていうか……やけに発達してるわね」
確かに目鼻はモヤがかっていて、かろうじて窪みが判別できる程度なのに対し、口元は鮮明であった。
「コイツさ、あんたの顔面めがけて猛烈にキスしようとしてなかった?」
「ああ────亡霊族のそんな習性は聞いた事ないが、実際迫ってきた」
ゴースト系には多くの亜種が存在するが、そのどれもが内気で奥ゆかしく消極的なのはあまりにも有名である。
「加えて口腔のこの発達ぶりよ──見るからに肉食系のキス魔でございってな面構えだぜ。つまりネリスケが確認したい事ってのは────」
「そう。ズバリ未確認未登録の新種なんじゃあないのってことよ! 新種の発見なんて冒険者の実績に箔がつくわよ! これは幸先がいいかも♪」
「それに、新種は発見者が命名できるのよ! どんな名前がいいかしらね────と言いつつ、実はもう候補があったりして。発表していい?」
「聞こうではないか」
「魂を吸う鬼と書いて────吸魂鬼!! ふふふ、我ながらセンスが光るわ」
「……もっとも暗く、もっとも穢れた場所にはびこり凋落と絶望の中に栄え、平和や希望、幸福を周りの空気から吸い取ってしまう様な、それでいて世に幅広く浸透しそうな、いい名前ではないか」
「"闇の生物"感がよく出てるでしょう」
「だが念のため俺の案も発表しとくわ──魂を喰らう幽霊で────喰魂幽」
「なんかゴブリンぽい響きが引っかかるわね」
「まぁ諸々の事情で万が一、吸魂鬼が使用できなかった時のための保険だ────ひとまずは吸魂鬼で進めよう────」
「さすが、備限の名に恥じぬ万全の備えね」
「命名も済んだところでお次は────ある程度習性とか生態とかを把握しておきたいわね────って……えぇ──?」
なんと! ローブだけを残し、中身の吸魂鬼は備限の手の中からサラサラと粒子めいて消失してしまった────
「ありゃ」
「あああぁ────……迂闊だったわ────」
「ネリスケ? 一体どういう……」
「はぁ……い~い? 魚が人間の体温ですら火傷を負うように、コイツはあんたの発する活力エネルギーに充てられて浄化されてしまったのよ!」
「つまりあんたってば、活魂刀を帯刀してる副次効果で活力全開に身体中から満ち溢れてる言わば完全活力人間なのよ」
「そもそも霊的な存在を物理的に掴み上げるなんて、普通の人間には不可能だし。もはや天敵まであるわね」
知らなかった……俺にそんなチカラがあったなんて────
「となると、生態の研究はおろか生け捕りにするのも難儀しそうね──はぁ……とりあえずこのボロいローブ持って先に進みましょう。冒険者はこうやって戦利品として得たドロップアイテムを売って生計を立てるのよ────」
ばっちぃので気は進まなかったが、誰かさんが睨むのでやむを得ずカバンに詰めて森の奥へと進んでいった────
どれぐらい歩いただろうか……進めども進めども樹海の変わり映えのない景色が続く────
ちなみに道中で散々遭遇した吸魂鬼のおかげでカバンはもうパンパンだ。
お喋り好きのネリネも流石に口数が減ってきた、そんなとき────
森の中ひっそりと建つ、ホラーめいた雰囲気漂う和風建築──もとい武家屋敷が視界の先に見えてきた。
それは樹海というロケーションに不釣り合いということもなく、しっかり周囲と調和がとれてマッチしている。
「なんだかいかにもって感じの佇まいね────」
「屋敷タイプの擬態型ダンジョンか────?」
警戒レベルを上げつつ近づいてみると、看板が出ているので読んでみる。
どうやら旅籠らしい。
その名も"地獄にほと家"──
「最悪な立地だけど、経営成り立ってるのかしら……っていうか未開拓じゃなかったのね、人が暮らしてるなんて驚きだわ────」
「経営がどうかは知らんが立地といい屋号といい、コンセプトがしっかりしていて良い旅籠ではないか。命からがら辿り着いた利用客にとってはまさに地獄に仏だろ────」
「まぁ色々と情報収集も出来そうだし、今日の宿はここで決まりね────」
備限は膝栗毛をめくり、フロントでの会話手順を予習しつつ
「ああ──この旅初のチェックイン。緊張とワクワクが入り混じっ……」
「────ッッ!!」
何かを感じとった様子で勢いよく正面玄関を開け放つ備限。
するとロビーではお取込み中の様相を呈して緊急事態が起こっていた。
なんと! 複数体の吸魂鬼に無辜之民が襲われているではないか!
経営者らしき夫妻が床に倒れ伏し、既に事切れている様だ。
そして吸魂鬼の中心に居る、明らかに上位存在めいた禍々しいオーラを纏った個体が、夫妻の子供だと思われる少女とその弟らしき少年を、謎の力で自身の眼前、宙空に縛り留めていた。
苦悶の表情を浮かべる少女の唇からは唾液めいた糸がキラキラと輝いて見える。
たわんで切れ落ちた糸の繋がっていた先は…………どうやら既に事後のようだ────
一刻を争う状況────距離的に体術では遅いと備限は刹那の判断力で抜刀、と同時に咄嗟の閃きで剣圧を飛ばす新奥義を繰り出した!
【備限流・右疾間飛射】
音速で撃ち出された衝撃波は、対象に命中する直前、突如宙空に現れたブラックホールめいた黒い渦に飲み込まれていった。
そしてそのまま、窓サイズの渦の中へと吸魂鬼たちは消え去っていった……
支えを失った姉弟は着地するとそのまま力なく膝から崩れ落ち、倒れる。
すぐさま駆け寄り声をかけつつ安否確認をする。
「おい! 大丈夫か!?」
抱き起こすも返事は無く、それどころか体がみるみるうちに透けていく姉弟。
もはや人としては絶命し、身体構造がさながら奴等の同族へと変貌していく工程を見せつけられているようだ……
「ヤバイわよ! これってもう……あんたは触れない方がいいんじゃ……どうするの?」
「逆だぜネリスケ────完全に変異しきる前だからこそ間に合う可能性がある────吸い取られたモンを補充できれば或いは……」
備限は腰から活魂刀を取り外すと、肩を寄り添わせた姉弟の胸に抱かせるように押し当てた────
「"直"は素早いんだぜ────この、活魂刀・吉備真備の真髄を見よ……!!」
パワー全開で注ぎ込んだ。すると────
「ぁ……う……」
なんと! 姉弟は意識を取り戻し、息を吹き返した!
「やった! やったじゃない! 見事に蘇生成功……?」
「一応、透過の進行は止まったが……どうなんだこれは」
どうやら透過の進行を食い止めるに留まり実体化までの回復には至らないようだ……
「こういうの……不可逆って言うんだっけ? とりあえず透けてる以外の外傷的なダメージは無さそうだけど、足はすっかり幽霊ね……」
両の膝下は先細って一本化し、うねうねとカールを巻いていた。
「あの……た、助けていただき……ありがとうございます……私、私の体……これ、どうなってしまったんでしょう……幽霊?」
自身の身に起こった変化に戸惑っているようだ。
「意識がしっかりしてて意思疎通も出来る幽霊なんて初めてよ…………ヒトでもアンデッドでもない、こういうの生き霊っていうのかしら。いつの間にか着てる服ごと透けてるし」
「………………」
備限は神妙な面持ちで大部分が透けている少女の体へとおもむろに手を伸ばし、触れようと試みる。
スカッ……スカッ……と、手応え無く空を切り少女の体を貫通する腕。
「きゃっ、な、なんですか……?」
「なんということだ、俺が触れないだと……」
「怯えてんでしょうが、やめなさいって。だけどさっき抱き起こせてたのに不思議な────」
その時、少女がハッと緊急めいてネリネの言葉を遮った
「そうだ、お父さんとお母さん! ぁ…………。あの……! さっきの不思議な力でお父さんとお母さんも治せませんか!? どうか、どうかお願いします……!」
必死に懇願する少女
「まかせておけ────」
少女を安心させるように頼もしく落ち着いたトーンで言い放つと、備限は姉弟にしたのと同様に倒れている夫妻に活魂刀を押し当て活力注入した。すると────
なんと! マンドラゴラめいた断末魔とともに"バシュンッ"と派手な音を立て、眩い閃光を発し二人とも完全に消滅してしまった!
その場には、衣服から例のローブへと変容途中だった歪なボロ布だけが取り残される……
「「あっ……」」
ハモった
「え……え? ど、どうなったんですか? お父さんとお母さんは……」
不安げに見つめる少女……
「「…………」」
しばしの気まずい沈黙のあと一呼吸置いて、備限は突然片膝をつき、わざとらしく肩で息をし始めた。
「ぐ……、はぁ……っはぁ……! や、野郎マジか……亡骸に爆弾を仕込んでやがったッ!!」
「そんな……ば、爆弾を……!?」
「戦地ではよくある話よ……敵兵の死体を地雷の上に寝かせてね、戦友を野ざらしにしておくのは忍びないと抱き起こした瞬間ドカン」
淡々と語るネリネ
「善意や仲間意識、故人との絆めいた関係値が高いほど効果を発揮する、非人道的ブービートラップ……それを、こんな年端も行かぬ子どもの、その両親に! ぐうの音も出ないほどの畜生……悪魔じみているっ……!! ひゅるせねえ、ぐぐ……許せねえ…………ッッ!!」
拳を震わせ迫真の備限
「死者への冒涜も甚だしいわよ……!! 遺体が跡形もなく木端微塵じゃあ弔うことも、悼むことも……こんなのってあんまりよ…………」
「お父さん……お母さん……う、うぅぅ……ぐすっ……。でも、巻き込まれたお兄さんたちに怪我が無くて、良かったです」
両親を亡くした直後で辛いだろうに、他人を気遣える心優しき少女はぐっと涙を堪え気丈に微笑む。
「あ、あぁ。俺は鍛え方が違うからな────」
(ふぅ……完全に俺の過失だが、なんとかヘイトの矛先を逸らせたな)
(活魂刀が毒になるか薬になるかの分水嶺、既に変異が完了しちゃってたわね……人を襲いだす前に処置できたと思えば、まんざら過失でもないでしょ)
少女に背を向けて小声でひそひそと話す二人。
「……?? あのぅ、なにか────」
「あ、あー! そういえばお互いまだ名前も知らないわよね! 自己紹介でもしましょうか! そうしましょう、うん!」
先に名乗るのがマナーなのでこちらの自己紹介をサクッと済ませ、少女のターンだ。
「私は怨滅私カエラ、歳は11才です。そしてこの子は弟のヌヒト、8才です」
「…………」
弟くんは姉の服の裾をつまんでもじもじ隠れている。
「弟は普段やんちゃなんですが、人見知りしてるのかな……ここにはほとんど来客ないので。ヌっくん、助けていただいた命の恩人なんだから、ちゃんとお礼を言わなきゃダメだよ」
「…………ありがとうござい、まひゅ」
若干噛みつつペコリと礼を述べると、すぐにまた姉のうしろに隠れてしまった。
「和むわね~。あんたにもこんな可愛い時期があったりしたのかしらね」
「そんな大昔のことは覚えとらんわ。 で、カエラよ、この旅籠の事────それと俺たちが来る前にここで何が起こったのか詳細を知りたい────事の顛末を聞かせてくれ────」
「はい……えと……うちは旅籠といってもお客さんはほとんど来ない開店休業状態で、普段は自然の恵みで自給自足しながら暮らしていて、宿として機能するのは森に迷い果てた冒険者さんが訪れた時だけで……でもお父さんはよく言ってました、いつかこの旅籠を"踏界導五十三次"に名を連ねるくらい有名にするんだって」
「なんだと、ではここは踏界導だったのか」
踏界導とは国と国の堺に横たわる中立の国境地帯だ。綺麗に整地され舗装された街道もあれば、険しい山脈や、ここのような深い樹海等々その地形は実に様々である。
「はい、陸奥と出羽の北部の、そのちょうど真ん中くらいですね」
「踏界導は神々の管理下、"国土交通大神"の管轄。手つかずの大自然も納得ね」
よく見ると受付フロントの壁には国交大神お墨付きの証書が額縁に入れられ飾られていた。
他にも目を引くものが備限の視界に入った────土産物の売店だ!
「おぉ! 見ろネリスケ! お土産が売っているぞ! 定番のペナントはあるか!? 通行手形は!?」
「はしゃぎ過ぎよ、恥ずかしいわね~」
「うふふ、ありますよ! これはお父さんが木彫りした通行手形で、水性ニスを塗る仕上げ作業中によく弟がちょっかいかけて怒られたりして。こっちはお母さんが織ったペナントです。ペナントはお母さんに教わりながら私もだんだん……織れ、る……ように……ひっく……ぐす……」
解説の途中でカエラは亡き母親との思い出に感情が込み上げ、徐々に嗚咽めいてむせび泣いてしまう。
「ご、ごめんなさい私…………しっかりしないといけないのに…………でも、止まらなくて…………」
「辛いのは当然よ────そういう時は無理に我慢するとかえって良くないんだから、存分に泣きなさい。こっちこそごめんね……話の続きは明日にでも────」
ネリネが女同士特有の同調めいて慰めていたその時──大人しくしていたヌヒトも涙するカエラの姿に釣られて泣き出した。それは姉の比にならない程のギャン泣きであった。
「ぐお…………ええい、やかましいぞ! 男がピーピー泣き喚くな! 姉に引っ付いてまだ甘えたい盛りだろうが、こうなった以上は関係ない……キサマは長男、家督だろう! 自覚すればメソメソと女々しく泣いている暇など無い筈だ」
活魂刀の柄に手をかける備限
「悲しみを乗り越えろ小僧、お前は強くならなければならない────」
居合一閃、備限の放った目にも止まらぬ抜刀術がヌヒトの頸を斬────らずにすり抜け、その背後に迫っていた吸魂鬼を討滅した。
「────ッッ!!」
あまりの出来事に、言葉にならず絶句する三名
「ふっ、今のは俺の斬りたいと望むものだけを斬る奥義……名付けて【望ノ太刀】即興だが上手く決まったぜ」
「ななな、なんつー危険な…………失敗してたらどうすんのよ」
「小僧には荒療治が必要なのだ。都合よく現れた奴さんの登場が良~い演出になったわ。がはは」
備限はヌヒトを真っ直ぐに見据えて言葉を続ける。
「望ノ太刀で俺はもう一つあるものを斬った。それはな────」
「どーせ"泣き虫"を斬ったとか言うんでしょ」
「ちょ……おま…………ここ一番のシーンだっただろ常識的に考えて…………あ、ありえん……」
先に言ってしまう奴があるかよ
「クサい台詞は阻止したくなるのよ、ゴブリンの性質なのよ────それに、キザな二枚目よりも二枚目半のが女子ウケいいって────」
「…………まぁいい。とにかく! 泣き虫を斬ったからには今後一切泣く事はゆるさーーん! 少なくとも俺の前でだけは絶対許さん。俺様を嘘つきにしたければ別だがな────なぁ小僧?」
呪いめいた圧をかけられ早くも泣きそうになるがぶんぶんと首を横に振り、泣かないと誓うヌヒト。
「……若干八つ当たりに見えなくもないけど、弟くん、いい顔になったわね。文字通り生まれ変わったって感じ」
「はい、本当に…………また助けていただいて、重ね重ねありがとうございます。私も、もう落ち着きましたので話の続きを────」
「そういえばそうだった、今度こそ水を差さずに大人しく聞くぞ」
「いつもと変わらない一日でした。お父さんは野良仕事に。学校へ通っていない私と弟はロビーのテーブルでお母さんに勉強を見てもらってて……」
「そんな静かな時間を過ごしていたとき────いつから居たのか、玄関を開けた気配も無くあの胡乱な集団がもうロビーの中央に居て…………」
「その時ちょうど勝手口から帰ってきたお父さんは彼らを見て団体客が来たとはりきっていましたが、お母さんはすごく警戒していました。私と弟にテーブルの下に隠れているように言うと、ようこそいらっしゃいませと声をかけながら来客の応対をするために近づいて行きました」
「そのあとは、うまく説明できないんですが…………お母さんのすぐ目の前の空間が歪んだように見えて…………そこが黒い穴になって…………その中から出てきたお化けに、あっという間でよく見えなかったけど何かされたみたいで、お母さんは倒れました」
「お父さんはすぐに横合いからアマレス式のタックルでぶつかっていったんですが、お化けの体をすり抜けてそのまま転倒してしまって、お化けが何か合図すると、後ろに控えていた集団が、立ち上がろうとしていたお父さんに群がっていきました」
「その様子がとてもおそろしくて私も弟も震えてじっと隠れていたのですが、不思議な力に二人とも引きずり出されて…………そのまま二人とも、口をつけられて、どんどん力が抜けていって…………そして目が覚めたら備限さんが居ました」
「そりゃトラウマものの恐怖体験だったわね……聞く限り本当に紙一重の差だったみたいで責任感じちゃうわ」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
「カッコつけてるとこ悪いけどそれ本来の意味と違うからね。誤用よ誤用」
「お父さんもお母さんも現役時代はそれなりの冒険者だったのですが、あのお化けには為す術もなくて…………昨日まで平和だったのに、急にどうしてあんな…………これから一体どうすれば…………」
悲観するカエラを見てネリネが続いて備限に問いかける。
「どうするの? 備限ハヤゾメくん」
────どうする?
▶義を見てせざるは勇無きなり
強く生きろと言って立ち去る
「義を見てせざるは勇無きなり」
「誤用からの汚名返上、ちゃんと正しい意味でベストな回答じゃない。そうこなくちゃ!」
ベストアンサー賞の称号を獲得しちまったようだな、フフフ。
「当然だろ────神出鬼没に出現しては人間襲って同族に変え増殖してゆく怪異を放置していたら人類滅亡するわ」
「加えて物理攻撃無効、あの穴使われたら属性攻撃も怪しいし……改めて聞くとどの特性もヤバいけど差しあたって神出鬼没なのが厄介ね────おちおち休めないわよ」
「任せろ。セーフゾーンを作ってやる────カエラよ、二つ確認したい────この旅籠の位置は踏界導の丁度真ん中だと言っていたな?」
「は、はい、そうです」
「そしてあの怪異には今日この日、初めて出くわした」
「はい、生まれて初めてです」
「よし…………スゥー……はぁぁぁぁ…………」
備限は活魂刀を床に突き立て精神統一めいて深呼吸をすると、強く握って集中する。
【ハヤゾメ流奥義・一斉封備・褪赭】
足元から発生したエネルギーの波動が激しく渦巻いたあと収束し天井へと向かっていく。
そのまま天井をすり抜け屋根を抜けると、エネルギー体の一部が屋敷全体を覆うように包み込んでゆく。
上昇し続けていたメイン部分もある程度の上空で停止すると一斉に弾けて森全体をドーム状に覆った。
「これで大丈夫だ────対象識別式の活殺結界を張った────この旅籠と、森全体、二重構造のな────」
「森全体って、どんだけの広さよ……」
「大体16971ヘクタールってところだ────」
「はああああ!? そんな広範囲の、しかも複雑で高度な術式…………あんたどうなってんの、人間業じゃないわよ」
「流石に俺だけじゃあ無理だ────三人分のリソースで賄った」
備限はオーラの輝きが消えて心なしか元気が無くなった様に見える活魂刀を軽くポン撫でする。
「それにしたって滅茶苦茶よ」
「あ、あの……三人分って? その刀は一体…………」
何から何まで理解が追い付かないカエラが摩訶不思議な刀への疑問を口にした。
「こいつはな────何を隠そう、俺の両親なのだ」
「エッッッッ!?」
衝撃の事実に驚きを隠せないカエラ。
「刀は父、真備ハヤゾメ。鞘は母、吉備鞘歌。二人は17年前、"破滅の魔王ルイン"との激闘の末、なんやかんやでこの姿に────」
因みに魔王は封印したらしい。
「じゃあ、備限さんは私たちよりもうんと小さいときからご両親を…………」
「育ての親曰く、魂がまだ活きてるので厳密には死んではいないらしいがな」
「それで"活魂刀・吉備真備"なんですね」
「左様。────そうだ、旅のついでに人間に戻す方法でも探してやるか────」
備限はToDoリストへ新たに活魂刀を人間に戻すと書き記した。
「ついでって、本来一行目に書くべきでしょそれは……悲しんでるわよ今きっと────」
「いや、我が子の成長が誇らしくて感涙しているに違いない────」
「檻と安全地帯も出来た事だし、今日は休んで明日から駆除していくか────」
「思ったんだけど、こっちから出向かなくても森の結界を徐々に狭めてさ、同時に旅籠側の結界をどんどん広げていけば一網打尽にできるんじゃないの────?」
ネリネが最もな疑問を口にする。
「口惜しいが俺由来の出力じゃないからな────オンとオフのみで繊細な制御は出来んのだ」
「さすがに都合よくはいかないか────」
「それにあの親玉にはプライドを傷つけられた借りがある────活魂刀を駆使した俺の記念すべき初号技をフイにしやがって、絶対許さん。俺様がこの手で直々に葬り去らねば」
「息巻いてるけど術式の維持に相当消耗してるのが見え見えよ────かなり弱体化しちゃってるけど勝算はあるの────?」
「余裕だ────寧ろもっとハンデをやってもいい────」
「あんたにゃ愚問だったわね────」
「さ! 明日からの駆除活動に備えて休ませてもらいましょう。いいわよねカエラちゃん────」
「────えっ? あ、いや、でもそれは……」
まさか渋られるとは微塵も思わなかったのでカエラの意外な反応を受けて面食らう二人。備限はネリネへ咄嗟にパスを出す。
「そういえばカエラと小僧に大事な事を伝え忘れていたよな────ネリスケ?」
ツーカーの察し力を発揮したネリネは開花妖精システムを展開し、忙しなくコンソールをリズミカルに叩き出す。
「そ、そうよ! 実はあなた達のご両親、あの最期の断末魔、ただの絶叫に聞こえたかもしれないけど、あれは歴とした遺言だったのよ! 時間がかかってしまったけれど翻訳が完了したから伝えるわね」
※賢明な読者ならお気づきだろうがそんな翻訳機能は備わっていない────
「えーと……カエラヌヒトヨ、マダオサナイオマエタチヲノコシ、ワカレヲツゲルマモナクコノヨヲサルコト、ワガコノセイチョウヲミトドケルコトカナワズ、マコトニツウコンノキワミデアル────ドウカネガワクバ、フタリノゼントニサチオオカランコトヲ」
「ソレカラ、イノチノオンジンデアルビゲンドノトネリネオジョウサマニハシッカリトオンガエシスルコト。サイダイゲン、ココロヅクシノ"オモテナシ"ヲテイキョウシテサシアゲナサイ────だそうよ」
無論、カエラは恩人の宿泊を渋り、難色を示すようなさもしい人間性ではない。
この茶番は完全に二人の早合点による見切り発車であった。
「え、えっと……ちがくて、是非宿泊していって欲しいですし、おもてなしだって寧ろ望むところです! だけど……いろいろ頑張ったり試したりしてるけど、なんにも触れなくて、この身体じゃ満足にお世話も、おもてなしも出来ないですぅ……ふよふよと浮遊することしか……くぅぅ」
カエラは痛恨の極みめいた表情で意気消沈している。
「ご奉仕出来ず、うらめしいよぅ……なんのお構いもできませんがせめて此処を拠点として自由にお使いください────」
「な、なんだか幽霊然としてきたわね……有難く使わせてもらうわよ────」
「なっちゃったからにはもう、ね……ロールプレイですよロールプレイ、うふふふふ……」
「順応性」
────斯くして、人類の存亡をかけた戦いが幕を開けたのであった────