こでぶ色の空
ある朝、私はいつものように妻に、
半透明のごみ袋を手渡され家を出た。
空は晴れ、全身を冬の朝独特の
冴えきった空気が包み込んでいた。
ふと、気づくと、家の前に
白い息を吐きながらたたずむ、こでぶがいた。
(まいったな、よりによってこんな気持ちのいい朝に
こでぶに出会うなんて。
それも、わたしに用事があるみたいだ。
うちの家の前に立っている。
42年間の人生において、こでぶとコネクションを
持った事など一度も無いのに。
とは言っても、生まれついての先天的こでぶに限られてしまう。
もし、私の過去の友人が、後天的にこでぶになってしまっていたら
対処の仕様が無い。)
私は、後天的にこでぶになる可能性のある友人を、
思い出そうとした。
(やれ、やれ、なんだって朝からこんな事に気を悩ませなければ
ならないんだ。
だめだ。
思い出したところで、もう既に家の前にこでぶはいるのだ。
別に危害を加えるわけでもあるまい、
少し位、話を聞いてやろう。)
「やあ、おはよう。 いい天気だね。」
「こ、こ、、、、、、っこんばんわ、ぼっぼぼぼぼぼく、こでぶです。」
(やれ、やれ、ろくに挨拶も出来ないのか。
その上、この活舌の悪さ。)
「す、す、こし、おはなしをきいてくれませんか?」
(おい、おい、ちゃんと漢字を使って話せよ、
分かり難いな。)
「いいですよ、私は仕事に行かなければならないので、
歩きながらでいいかな?」
と、あくまで、にこやかに私は答えた。
私とこでぶは連れだって歩き始めた。
てく、てく、てく、
「......、.....」
なんだ、一向に何も話さないじゃないか。
こでぶは、私の約50cm後方について歩くだけで
何も話しださない。
「何か、私に話があってたずねてきたんだろ?
黙っていたら分からないよ。」
「あ、あ、あの、の、の、の、の、の、の、、、、、」
おい、なんか息苦しそうだぞ。
「いや、そんな無理に急いで話さなくていいよ。」
なんか、このシュチエーション何処かで憶えがあるぞ、
.....。
そうだ、田中だ!
先月、新入社員で入ってきて2週間と経たないうちに
辞めていった田中との会話と同じだ。
あいつ、確か、私にコピーの使い方を聞きにきて
2時間近くほとんど何も言えず、私の側に立ったままだったな。
それで、あいつが辞めた理由が、私にひどく叱られたせいだって
周りやつに思われたんだよな。
くそ、なんか腹立ってきた。
ん?もしかして
こいつは、もしかして田中なのか?
田中が、こでぶ化して私の前に現れた?
そんな、
田中自身、私は何もしてない事が
分かっていたはずだ。
怨まれるような事は、何もしていない。
当て外れも良いところだ。
私は、まじまじと隣にいるこでぶの顔を見てみる。
だが、当然の事なのだが、こでぶの顔に
田中の面影は無い。
こでぶ化した人間は、金太郎飴のように
こでぶの顔になってしまう。
気がつくと、私はすでにいつものバス停に来ていた。
バスを待つ列の途中に、同期の峰方が居たので
声を掛ける。
「やあ、おはよう。
来週のゴルフの事なんだけどさ。」
「おう、時間とメンバー決まったよ。白井、坂口、安堵....。」
言葉が突然、空中で消え、
峰方の目線は、私の右側で固まっている。
3秒後、峰方は突然、鳴りもしない携帯を手に持ち
何かを話し始めた。
顔を横に向け私の存在を完全に無視している。
まるで、元々、存在しなかったかのように。
たぶん、何を話し掛けても無駄だろう。
しかたなく、私は列の最後尾についた。
当然、横にこでぶはまだ居る。
こいつが原因なんだろうな、...たぶん。
暫くすると、バスがやってきたので定期を見せ乗り込んだ。
「お客さん、困るよ!それ!」
なんだ、こでぶが一緒だとバスも乗れないのか?
「ゴミ捨ててきてから乗ってくれない。」
私は、妻に渡された半透明のゴミ袋を持ちながらバスに乗っていた。
バスは、私とこでぶと半透明のゴミ袋を残して、去っていった。
乗ってきたバスを振り返らないようにして
駅に向かって歩きつづけた。
こぎみよく。
かつ、かつ、かつ、ぺた、ぺた、ぺた、
かつ、かつ、かつ、ぺた、ぺた、ぺた、
かつ、かつ、かつ、ぺた、ぺた、ぺた、
ん?
私のすぐ後ろに、こでぶは付いてきていた。
チキショウ、運転手の奴、面倒を避けるために
こでぶのこと見逃しやがった。
ごみ袋は持ち込むのを断ったくせに。
まあいいさ、自動改札は通れないだろう。
こでぶのやつ小さいから、顔面を改札機の扉に
ぶつけるんじゃないか。
ざま、みろ。(なんか、性格悪いな、俺って。)
改札を通り過ぎた私は振り向いた。
閉まらない?
なぜだ?
そうか、あまりの背の低さに
改札機は、こでぶのことを
子供と認識していたのか。
地下鉄の吊革に揺られる私を
椅子に座ったこでぶはずっと見上げていた。
何を勘違いしたのか、親切な老人がこでぶに
席を譲ってくれたのだ。
私は諦めて会社へこでぶを連れて行く事にした。
私は、ガラス張りの回転扉を抜け、
いつも通り受付の戸田奈津子に挨拶をする為に歩み寄っていった。
今日は、いつもとは反応が違うだろう。
なにせ、私のすぐ後ろにはこでぶが社内にまで付いてきている。
やさしい彼女の事だ、気を遣って気が付かない振りをするかもしれないな。
しかし、ほんの少しでも顔色が変わるのを私は見逃さないだろう。
私の20年来の営業経験が。
かつ、かつ、かつ。
「やあ、おはよう。昨日の映画はどうだった?」
「おはようございます。
ええ、とっても良かったです。
特に、ラストシーンのあしかの台詞が素敵でした。
と言っても、字幕の事ですけどね。」
「そう、気に入ってもらえて良かった。
また今度、良い映画が有ったらメールするよ。
じゃあね。」
かつ、かつ、かつ。
おかしいな、全然、....普通だ。
私は振り向いた。
いない。
こでぶは、いつのまにか私の後ろから居なくなっていた。
あたりを見回したが、何処にもこでぶの姿は無かった。
気が付くと、戸田奈津子が
私を不思議そうに見ていた。
気まずくなり、中途半端な笑顔を返し、
私はエレベーターに急いだ。
「ふう。」
エレベーターに誰も居なく一人であった。
良かった、少し気を落ち着けよう。
目を閉じ、深呼吸をする。
ゆっくりと、エレベーターは上昇して行く。
体に、特有の感触を与えながら。
今日の予定は、
よっぽど気が動転していたのか
会議があった事を忘れていた。
時計を見ると、9時5分前だった。
まだ間に合うな、良かった。
資料も用意は終わっている。大丈夫だ。
チンッ
目の前に開けた空間が広がる。
私のデスクのある、20階に着いた。
いつもの冷静な自分を取り戻した私は、
フロアを規則正しい足取りで、歩いて行く。
自分のデスクに座り、自動販売機で買った
プラスチックのカップに入ったブラックのコーヒーを
飲みながら、メールのチェックをする。
取引先からのメールが、5件と他部署からのメールが3件。
なんだ、仕事のメールだけか。
会議が終わると昼になっていた。
さてと、今日は何を食いに行こうかな。
会議も終わって気分もすっきりしたし、末吉のとんかつ何て良いかもな。
同僚の三鷹は、もう下に居るだろう。
指先でブラインドを広げビルの前のベンチを見る。
いつも思うのだが、こうしているまるでドラマの刑事みたいだ。
誰でも思うことなのか?
座ってたばこ吸っている。
ん?
こでぶが、すぐ側に立っている。
え?
ゆっくりと顔の向きが変わり、こちらを見上げる。
そんなはずは!
20階下から、ブラインドから除く人の姿が確認できる筈はない。
机の中から双眼鏡を取り出し、こでぶの顔を見てみれば分かるだろう。
やはりこちらを見ていた。
少し朝と表情が違う?
朝、私の横に並んで歩いていた時は、
目は糸のように細く、半分申し訳なさそうに笑ったような目だった。
それが今は、ほんの少し、ほんとに僅かに開いた瞼の間から、
黒い2つの瞳孔がこちらをじっと見ている。
全然、笑っていない目で。
私の背中の中心にある窪みに一筋の汗が伝う。
こでぶの口元が2mmほど上に上がる。
笑っているのだ。冷笑している。人を見下すように。
私のうろたえた心を見透かすかのように。
絶対に下には行きたくない。
私はブラインドから手を離し、窓際から離れ柱の影に隠れる。
息がうまく出来ない、全身から汗が滲み出る。
椅子に座り、三鷹の携帯に電話をする。
「もし、もし、申し訳ないんだが今日は一人で食ってくれ。」
「なんだよ、それなら早く言えよな。宮井総業の件が原因か?
まあ、いいや。何にしろおまえ独りでどうにかなる問題じゃないんだ。
そう、気にするなよ。そんじゃな。」
「大丈夫ですか?顔色悪いですよ。」
電話を終え、呆然と座っている私を見て、部下の柿本が声を掛けてきた。
そうか、こいつは弁当だった。嫌な所を見られたな。
「いや、何でもないんだちょっと朝から胃の調子が悪くてな。」
それにしても、何だあいつの表情は、まるでストーカーだ。
気分が悪くなってきた。ホントに胃がむかむかしてくる。
しかし、もし、あのままあいつがあそこで私を待ち続けたら?
十分、その可能性はある。
出口は別にあったか?
くそ、仕方ない、柿本に聞くか。
「なあ、柿本、ビルの出口は正面ホールの以外何処にあったかな?」
「どうしたのですか急に?昔、騙した女でも待ち伏せしているですか?」
喜んでやがる。
「ちょっとな。」
「僕の知っている限りでは6ヶ所ですね。非常口が3個所。
セキュリティー会社用の出入り口が1個所。
屋上のヘリポート。
お分かりかと思いますが、非常口とその他の出入り口からでは、結局ビルの脇から出ることになり
見つかる恐れがあります。無論、ヘリポートなんて使えません。
そこで、お勧めなのが、残りの一個所の地下通路。
ビルの下にですね、光通信用ケーブルなんかが這い回っているトンネルがあるのです。
そこへですね、なぜかよく解らないのですが、一階のトイレの何処かから下れるそうです。
出口は、なぜか、嵯峨沼公園の公衆トイレです。
地下通路の簡単な地図はこのフロッピーに入っています。
うまく逃げ切れたら、今度、飯でも奢ってくださいね。」
柿本のいった通り、確かに、一階のトイレに地下通路の入り口があった。
就業後の5時25分、私は一階のトイレに入る。一番奥の個室トイレの壁に縦横70cm扉があることに気づく。
しかし、何故今まで気が付かなかったのだろう?
まわりに誰も居ないことを確認し、トイレに入り鍵を掛け、水を流す。
この中に入るのか?
地図を持って地下通路を歩く。まるで、テレビゲームの世界じゃないか。
別に正面玄関から出て行って、こでぶを無視して帰れば良いだけじゃないのか?
かえって、暗い地下通路を歩くほうが危険じゃないのか?
散々迷った挙げ句、私はそのまま入ることにした。
扉には、4桁のダイヤル式の鍵が付いている。
多分、プロットアウトした地図に書いてあった数字が鍵の番号なんだろう。
扉を開けると中は予想通り、漆黒の闇が広がっている。
扉の側の壁に電気のスイッチを探す。 多分、そんな物はないだろう。
ん、ある?
パチッ。
目の前には、何百本ものケーブルの入ったスチールの棚と、奇麗に塗り固められた、コンクリートの正方形の通路が続いている。
ふ、そりゃ、そうだよな、何を俺は想像してたんだ。
露天掘りのアーチ状のトンネル?
天井から水の滴り落ちる、オレンジ色の裸電球だけがぶら下がった。
今時、そんな筈ないよな。
ほっとしたせいで、口に出して一人で喋っていた。
地図に描いてある通り、外に出ると、また、トイレだった。
嵯峨沼公園の。
わたしは、足早に最寄りの駅に行き、家路を急いだ。
途中、電車の中やバスの中、家までの道にこでぶの姿を探したが、
幸い何処にも見当たらなかった。
夕食後、家のパソコンのメールをチェックした所、3件のメッセージが届いていた。
アドレスは、toda-n@...となっていた。
@@@@@@2014.Jan,21:40
こんばんわ、
正面玄関の前に8時まで待っていたのですが、出てこなかったので帰りました。
メールをチェックしたら返事ください。
@@@@@
戸田奈津子が私を待っていた?
@@@@@2014.Jan,22:10
なかなか、帰ってこないのでまたメールしました。
早く返事を下さい。
@@@@@
何か焦っているのか?
重要な話があるみたいだが。
@@@@@@2014.Jan,22:40
とても残念です。
あなたとは分かり合えると思っていたのですが。
けれども、わたしはまたあなたの前に現われます。
本当に残念です、例え私の姿、形が少し変わっているからと言って、
それを気にするような人ではないと思っていましたから。
@@@@@@
ん?
姿、形?
また、現れる?いつも受付で会うはずなのだが。
まさかな。
階段を駆け下り、妻が風呂に入っているのを確認すると、
すぐさま、また部屋に駆け戻り、妻に隠して持ち始めた、
プリペイド式の携帯電話を取り出し、戸田奈津子の携帯に電話した。
3回目のコールで、彼女は電話に出た。
「はい、もしもし、戸田ですけど。」
「もしもし、○○だけど、こんな時間にすまない。今、家かな?」
「はい、どうしたのですか?こんな時間に。」
明らかに、驚いている。しまった、もう少し落ち着いて考えてから電話するべきだった。
しかし、あれこれ、嘘を考えている余裕はなかった。
「いや、それほど大した用ではないのだが。
戸田さん、今日、私の家にメールを送ったかな?」
「家ですか?
さすがに、私はそんな、大胆なことはしませんよ。
何か私の所から来ていました?」
「いや、なんと言うかな。申し訳ないのだが、送信欄を見てもらえないかな?」
「はい、.....ちょっと、待って下さい。
何も、今日は送っていませんが。」
「そうか、ありがとう。なら、いいんだ。うん。夜遅く、悪かった。おやすみ。」
「あ、はい。あやすみなさい。」
プッ、プー、プー、プー。
背中の中心を嫌な汗が、じわじわと流れていた。
やはり、あのメールはこでぶが書いた物だ。
しかし、どうやって?送信したメールは、その場で削除すればいいとしても。
家の中に、戸田さんがいるにも関わらず、なぜあのメールが送れたのだ。
第一、戸田さんの住所をどうやって知ったのだ。
次の日、家の前にはこでぶは居なかった。
辺りを見回す。早朝の住宅街は静まり返っていた。
道を歩きながら、バスに揺られながら、電車の中で、気配を感じてはいたが、こでぶは
居なかった。正確に言うと、見つけられなかった。巧妙にその姿を隠していたのかもしれない。
「おはよう。」
「おはようございます。」
戸田奈津子の顔は、明らかに曇っていた。やはり昨日のことが気に掛かっているようだ。いつもの笑顔が、微妙にバランスを崩していた。右頬に数ミリ程度歪みが見える。
「昨日は、夜遅くすまなかった。話すと長くなるから、メールで送っておくよ。まあ、大したことではないんだけどね。」
「はあ。」
私は、昨晩、動揺していたものの、最低限周りの人間に怪しまれない、ストーリーを4種類ぐらいは考えておいた。
は?一瞬、戸田奈津子の顔が、ほんの僅か瞬きするぐらいの間だけ笑った。ものすごく短い間ではあるが、今まで彼女の表情で見たことのない、それどころか、いかなる状況でもこんな表情をするはずがないと思っていた領域の笑い。ゆっくりと底なし沼に沈んで行く人間を楽しみながら眺めるような。一瞬のことなのに、今は全くいつもの表情に戻っているのに、残像は私の脳にこびり付いた。
その場を去り、エレベーターに乗り込むときに、もう一度、振り返り彼女の顔を見たが、特に変わったところは無かった。
自分の席に着き、パソコンのメールをチェックしたが、特に変わったメールは無かった。
昨日までのことが、全て幻だったかのように、何事もなく、1日が過ぎていった。
私は、以前の自分を取り戻しつつあった。
家に帰り、夕食後、いつものように家のパソコンでメールをチェックする。
猫の雉間が来ていた。こいつには、大吟醸だったな。飼い主と同じで、日本酒が好きなポスペだ。お、踊ってやがる。ご機嫌だな。えーと、メールの内容は、
@@@@@@
おいっす、元気にやってるか、八甲田へのスキー大丈夫だよな。返事くれ。
@@@@@@@
勿論、OK。
@@@@@@
っと、返信。俺のペット、しなちく(うさぎ)がメールを運んで部屋を出ていった。
ん?窓の外に何か居るな。牛?UFO?........!
こ、こ、こ、こ、こでぶ?
死んだ魚のよう目をした、こでぶが、窓の外に見える。可を半分だけ覗かせた。
なんで?
私は、すぐさま、ポスペのウィンドウを閉じた。普通、ウィンドウが閉じられれば、
窓の外のキャラは、消えた筈だ。
ポスペを再び開く。ま、まだ、居る。それどころか、もう覗いているといった感じではない、
でかい顔が窓いっぱいに見える、そして、視線は、部屋の中じゃなく、パソコンのモニターを眺める、俺自身に向けられている?終了だ。
私は、ふるえる手でCtrl+alt+deleteキーを何度も何度も叩いた。
何で俺はこんな事を。フリーズした訳じゃないのに、普通に、終わらせればいいじゃないか。ブツン、どちらにしても、画面はブラックアウトした。
暫く、呆然としながら、真っ黒な画面を眺めていた。
画面の中には、ひどく憔悴した中年男の姿が見えた。風呂に入ろう、疲れた。
風呂から出た私は、意を決して、パソコンを再び立ち上げ、ポスペを開いた。
良かった。窓の外には、既にこでぶの姿は無かった。もしかして、ペットが帰ってきているかもしれない。メールをチェックするか。
音が鳴る。お、帰ってきた。とん、とん。ドアをノックする音がする。
また別のペットが来たか?げ!
ドアから私のペットに連れ立ってこでぶが入ってきた。
そして、私がペットのために、置いたバッテラをムシャムシャ食っている。
畜生、こんなやつ、殴ってやる。
私は、マウスをクリックし続けた。かちっ、かちっ。それでも、ひるまず、こでぶは食べ続けている。指が痙攣しそうだ。なんで、こんなにバッテラがあるんだ!
動いた!かと思うと、俺のペットのベッドで寝始めやがった。くそっ、鼻風船まで出してる。どうすりゃ良いんだ!私は、訳も分からず、おもちゃの中から、レコードプレーヤーを出し、CDでフランクシナトラをかけた。何処かで読んだ事があったのだ。
フランクシナトラのレコードを掛け続け、ウミガメの襲撃を逃れた人の話を。
確かに、私もなんでこんなCD持ってるんだ?自分で聞いていて気分悪い。
おっ、目を覚ました。嫌そうな顔をしている。やった、出ていった。え?
こでぶと、一緒に私のペットも出ていってしまった。
また疲れた。もういい。来たメールだけ読んでもう寝よう。あいつは、今パソコンの中にいるだけだ。
メールは、自分のペットの日記だった。どれどれ。
@@@@@@
○月×日 司馬の所に行こうと思って、歩いていると、公園に見知らぬ奴がいた。
いい奴そうなので、話し掛けたら、
「その手紙、良かったら持っていってやるよ。疲れてるんだろ?公園で寝てろよ。」
「悪いな、見ず知らずの僕に。そうだ、それじゃ、御礼に家に来いよ。多分、今日あたり、バッテラが出ると思うんだ。うまいぜ、かなり。」
「そいつは、嬉しいな。じゃあ、届けてくるよ。」
「ありがとう。よろしく。」
ってな感じで頼んでしまった。たまには、良いだろう。
@@@@@@@@@
なにー!このやろー!と言うより、ここまで、ポスぺはリアルだったのか。まさかネットワーク上に公園があるとは。ポスペパークとは違うんだろな。柿本なら知ってそうだな。
まあ、いい。もう疲れた。今日は、もう寝よう。
心地良かった1日が、こでぶのせいで最後にぶち壊された。
次の日、会社に行く道にこでぶは現れなかった。
私は出社し、いつものようにメールチェックした。
当然、此処にはポスペは入っていない。
1ヶ月ほど前に、プレゼンした新規取引先からだった。
なかなか返答が来ないので、既に諦めかけていた。
何にしろ、見てみないと良い結果かどうか分からない。
@@@@@@@
結果から申し上げます。
こちらとして、前回提示された条件で契約します。
正式な書類は、○月×日に当社にて、と言うことで。日程のほう調整願います。
@@@@@@@
よしっ!朝から良い感じだ。
○月×にちと。
その日も何事もなく無事に終わった。
あまりの機嫌の良さに、私は妻の好物のダンキンドーナツを5個買って家に帰った。
妻は、一瞬、喜んだ表情を見せたが、すぐに顔色を曇らせて言った。
「何かあったの? 正直に言って。」
「あったよ。プレゼンがうまくいったんだよ。そんな顔するなよ。」
「ふーん。」
納得の行かない様子だったが、すぐに興味と目線はドーナツに向けられ、
「チュロとココナッツチョコとフレンチクルーラー貰うわ。」
と言い箱を持ってキッチンに行ってしまった。
部屋に入りメールをチェックする。これで、奴が来ていなければ。
緊張したせいか3回ほどパスワードを入れ間違えた。
アウトルックでチェックすることも考えたのだが、何か自分が負けるような気がしたので、
きちんとポスペを立ち上げる。
メールはありません。ふー、来てない。窓の外にも何も見えない。安心した。
結局、その日、寝る前までに3回もメールをチェックした。
メルマガが3通来ていただけだった。ほとんど読みもしないのに、配信中止をしないメルマガが。
朝、目がさめると、私は、何かこめかみの当たりが重い、痺れのようなものを感じる。
昨日は、あんなに気分良く眠ったのに…。階段を降りキッチンの扉を開ける。ん?
何だこの臭いは?いつも、妻が作る味噌汁の匂いのはずなのだが、どうにもきつい。
こめかみの痺れが頭全体に広がってくる。危うく倒れそうになりながら、テーブルに何とか手を付く。「大丈夫?」
心配そうに妻が私の顔を覗き込む。ふだん、めったに体を壊す事の無い私が、
調子の悪いのを見て少し驚いたらしい。
しかし、大丈夫とは到底言えそうにない。この臭いがきついとも言えない。
とにかく、ここから離れよう。朦朧としながら、居間ソファーに座り込む。
ふー、気を失う直前でなんとか立ちなおした。どうしたのだろう?
こでぶの事が、こんなにまでも体にダメージを与えていて、安心した後にそれが現れたのか?何にしても、ちょっと仕事には行けそうにない。
まあ、プレゼンが通ったことだし、今日1日ぐらい、ゆっくりしても良いだろう。
少し早いが、誰か居るだろう。
「はい、もしもし、株式会社0000です。」
「もしもし、ooだが。」
「あ、おはようございます。柿本です。」
柿本?あいつこんな早く来てなにやってんだ?ま、いい、そんな事考えるのも面倒だ。
「柿本、申し訳無いが今日は、休ませてもらう。部長には、体調不良だと言っておいてくれ。もう一つ悪いが、俺のメールを家に転送してくれ。 」
「分かりました。サーバーから直接転送しておきます。何かあったら。メール入れます。」
「ああ、よろしく頼むよ。」
がちゃ。
「どうにも調子が悪いから、今日は仕事を休むよ。1日寝てれば多分良くなるだろうから、
仕事に行ってくれ。多分、プレゼンのことで意外と疲れがたまってたんだろう。」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫。今は、とにかく何も食いたくないから、部屋に戻って寝るよ。」
部屋に辿りつき、ベッドに倒れこむと同時に眠りがやってきた。
鉛色の雲が、全てを覆い尽くしていた。あの嫌な雲が...。
次の日、大分気分の良くなった私は出社し、いつものようにメールをチェックする。
お、例の取引先からメールが来ている。
日程の変更か?
@@@@@
㈱○○の境です。
先日は、来社頂きありがとうございました。
早速ですが、お話ししていたゴルフ場の件よろしくお願いします。
当社の各務も楽しみしております。
では、日程等決まり次第、連絡をお願いします。
@@@@@@
ん?俺は、行ってないぞ。それに、まだ予定の日は、先のはずだが。
パソコンのスケジューラーをチェックする。
げ!
どう言う事だ?今日が、○月×日?俺は、仕事を1週間も休んでいた?
俺は、まるまる1週間も眠りつづけていた?
「おい、佐々木!今日は、何月何日だ?」
「え、どうしたんですか急に。○月×日ですけど。」
「じゃあ、誰が俺の代わりに、㈱○○に行ったんだ?」
「は?冗談言わないでくださいよ。自分で行ったじゃないですか。
凄くご満悦で帰って来て、課長のおごりで、みんなして飲みに行ったじゃないですか。」
「ははは、そうだよな。悪い悪い、なんか寝ぼけてたな。」
……、どうなってんだ?
私は、静かに柿本に近寄り、話し掛ける。
「柿本、6日前、朝、俺が家から社に電話した時おまえ電話に出たよな?」
「は?6日前、、、、課長からの電話ですか?出てませんけど。」
「おまえじゃ、なかったのか?」
柿本の表情が曇っている。話しを変えよう。
「いや、何でも無いんだ。気にしないでくれ。
そういえば、この前教えてくれた地下通路。ありがとな、役に立ったよ。しかし、
あんな所にあるとはな。」
「は?地下通路?課長ゲームでもやるんですか?知りませんでした。課長も若いっすよね。
昨日も遅くまでやってたんすか?なんかさっきから、変な事ばかり聞きますね、ちょっと寝ぼけてるんじゃないですか?あ、すみません、言いすぎました。」
「はははは、実はそうなんだよ。お陰でクリヤできたって言いたかったんだが、おまえじゃなかったけか?」
ゲーム?俺は、会社の地下の話しをしてるんだが。こいつ、さっきから俺をからかってん
のか?
その日、心を曇らせたまま、表面上は、万事うまくいっている自分を装う。雨に打たれびしょ濡れになりながら、さんさんと降り注ぐ太陽を浴びるかのように振舞う。
なんとか1日をやり過ごした私は。ぐったりとしながら家に帰る。
自分の部屋に入る。解き放たれた緊張感と共に疲労が一気に私の全身を覆い尽くす。
疲れた。メールだけチェックしてもう寝よう。時計は、8時を回ったばかりだった。
日付は…、やはり、1週間たっていた。
@@@@@@
メールが2件あります。
@@@@@@
お、戸田さんからメールが来ている。
今日、1日ろくでもなかったが、これで少しは気が晴れるな。
メールを読む。
「先日は、どうもご馳走様でした。
あんな、渋くて美味しいお店を知ってるなんてさすが、課長ですね。
一体どうやって、見つけたんですか?…」
途中まで行って、頭がくらくらしてくる。
俺は、飯を食いになんて行ってないぞ。一体誰だ!
俺に成りすましている奴が何処かに居るのか?
馬鹿な!ドッケンベルガーじゃあるまいし。
そんなものが現実に起こりうるはずが…
これ以上読む気は起こらなくなる。
もう一つのメールは..タイトルもアドレスすらない。
どうやって、送られてきたんだ?
何も書いてない?いや、下の方に何か書いてある。
おしまいです。
は??なんだこれは?
パソコンの電源をコンセントを引き抜き落す。
もう寝よう。
目が覚める。昨日までの事が全て嘘のように今日が何事も無い素晴らしい日でありますように。残念ながら願いとは裏腹に、ろくでもない1日が始まる。
ここはどこだ?
けど、見覚えのある扉が見える。
目が覚めると、私は、家の前に立っていた。
立ったまま寝ていた?それも玄関の前で。
いくら寝ぼけてもこんなところに来て眠るはずは。
夢遊病者じゃあるまいし。
おかしな夢でも見ているのだろうか?
玄関の扉が開く。
どこかで見たことのある中年の男が、半透明のごみ袋を持って出てくる。
....................!?
それは、間違いなく私自身だ。ここに居るはずの私が目の前に居る。
私の目に映る私は、少し困った顔をして言う。
「やあ、おはよう。 いい天気だね。」
「こ、こ、、、、、、っこんばんわ、ぼっぼぼぼぼぼく、こでぶです。」
私は、無意識のうちに答えていた。
おわり。