8.C4型光合成植物
戦国時代の日本にモロコシはないがモロコシならある。
なんのこっちゃと思うかもしれないが、オレの目の前にはそれが山と積まれていた。
俵に包まれた赤い小さな粒の穀物が大量に持ち込まれていた。
室町時代から日本で栽培されるようになった雑穀「モロコシ」、英名「Sorghum」である。
令和日本でモロコシといえば玉蜀黍だが、戦国時代はまだ日本には伝来していない。しかし、蜀黍は寒冷地や山間部などで普及していた。
そのモロコシが馬借によって運び込まれ、山のように高く積まれていく。
俵を数えるオレの隣には、上等な着物に身を包む体格の良い中年男がいた。
「それにしても勿体ないことですな、八郎兵衛どの。
もう少し待てなかったのですか?」
「三位中将さまのお指図ですからね、急ぎだったんですよ」
「ならば仕方ありませんが、モロコシの収穫も早生ならすぐでしょう。
もう少し待てれば、もっと安く買い集められましたものを」
不審に思って探るような目を向けてくる男から、オレは視線をそらした。
男は後藤源左衛門という商人で、徳川家に強いつながりを持つ人物だった。
渡辺囚獄佑が徳川と連絡を取り合う際に、情報を仲介してくれる人物でもある。
それもこれも、女衆が取り持つ縁に始まっていた。
徳川家は甲州征伐以前から甲斐に縁を持つ人物が多く、今となっては徳川の奥向きなど甲斐の女だらけ。
代表的な人物といえば、阿茶局であろう。
史実で2代将軍となる秀忠の生母「お愛の方」は、家康が生涯でもっとも愛した女性と言われたが、生来から視力が弱かった。そのため、家康が家来を下がらせ、奥で過ごす際の身の回りの世話から、秀忠の養育、女達の社交まで一切を任されたのが阿茶局であった。阿茶局がそれらを託されたのは、極めて賢明な人物であったため、という。家康が最も愛した女がお愛の方なら、最も頼りにした女が阿茶局ということだ。
その阿茶局の仕事のひとつが、家康の衣装の手配であった。
衣装について、家康は若い頃から後藤縫殿助という呉服商を用いたが、呉服商はただの商売人ではない。富裕な家へ入り込み、身分高い人物の近くまで寄ることの許される特別な商売人で、権力者の懐具合を計れる立場にもあった。家康が情報を集める手段のひとつ、というわけだ。
そして後継者のなかった呉服後藤家へ養子に入ったのが、オレの隣に立つ源左衛門である。なんとこの男、生まれは薩摩島津氏の分家であり、流れ流れて十代の頃は武士として関東の戦場をかけていたとか。道理で体格がよく、気の強そうな大作りの顔をしているわけだと納得してしまう。
その後藤源左衛門は、つい先日まで阿茶局の手下となって徳川氏による甲斐国人切り崩しに動いていたのだった。本栖に現れて繋ぎをつけ、徳川氏や穴山氏の婚姻外交の調整に汗をかいたひとりといえる。
当時のオレは有力な商人と聞いて「裕福な百姓には商人のツテが必要かも」などと考え、贈答用に仕舞い込んでいた酒を分けるなどし、個人的な取引を持ちかけていた。
何が功を奏するかわからないもので、当時の縁から今回の取引を願ったのだ。
呉服商といっても頼めば大抵の品を調達してくれるファジーな時代で助かった。
「それにしても妙なご注文でしたな。
こんな不味いモロコシを買い込んでくれ、と言われたのはともかく。
関東の、叶うことなら遠方から調達してくれとは。
運ぶにも銭がかかりますで、自分から銭を捨てるような話でしょう」
「大丈夫だと思いますけど、万が一を考えたんですよ。
もし不作になってしまったら、近所から恨まれてしまいますから」
これから本能寺の変を経て、甲斐国も不穏になっていく。
そうしたときに兵糧となる穀物価格は上昇。本栖が近隣の穀類を買い漁っていたことが知れ渡ったら、恨みを買うだろう。
だから、モロコシを買い集めるのは遠方から、運ぶのは駿河から親徳川勢力圏を通じて持ち込んでもらった。多少の値上がりとなったが、前述の通り米に比べればだいぶ安い。
具体的には、玄米と比較して3分の1以下の価格で同量を調達できる。そのぶん、食味の点でモロコシはコメに大きく劣り、渋味と苦味が強く、舌触りもボソボソで、オレの好みからは外れていた。
それでも、モロコシは穀物。立派なデンプンであり、アルコールの原料には出来る。
大陸ではモロコシを使った蒸留酒を白酒と呼ぶ。
ちなみに、この時代の経済や食料について未来で誤解されていたことが多いのだけれど、石高、とは米の生産高とは限らない。課税対象所得、もしくは領民総生産、みたいな指標だ。
日本での稲作は近代以降の品種改良を待たなければ、寒冷地や山間地での生産が出来なかった。つまり、戦国時代を含む江戸時代以前、山だらけの日本列島で稲作をしていない土地も多く、第二次大戦後もしばらく雑穀生産をしていたところが珍しくなかったのである。
ではそのような地域は石高がゼロだったのか、と問われればそんなことはない。
雑穀でも漁獲でも手工業でも、米に換算した収入が石高として表記されていただけ。
そこで重要になってくるのは「米に換算した収入」まさにこれ。
米が換金容易な商品作物として重要視されたため、生産容易で食味に劣る雑穀は安く、雑穀を生産していた地域の石高も低く換算されていたのである。つまり、カロリーベースでは石高が当てにならないこともしばしばだった。
甲斐国にしても、日照時間は日本屈指の長さで、四方を高い山に遮られて好天に恵まれやすい。
大気中の二酸化炭素を効率よく取り込む仕組みを持った植物を、C4型光合成植物と呼ぶけれど、その代表格がトウモロコシやサトウキビのような大量のエネルギーを蓄えるタイプと、侵略的植物と恐れられる葛や雑草など駆除が難しいほどの凶悪な生命力があるタイプ。
雑穀はそれらのちょうど中間みたいなC4型光合成植物であり、米や麦のようなC3型光合成植物に比べて高温にも乾燥にも耐性があって実に頑強。さらに効率よくエネルギー生産を行うので、乱暴に言ってしまえば、焼き畑して種をまけば、米や麦ほど手をかけずともガンガン育ってバクバク食える、という塩梅だった。よって甲斐の問題は食糧生産高よりも、無理な外征のために繰り返された重税だった。あと忘れてはいけないのが雑穀の食味からくるメシマズ。
「150貫文で、こんなに買えたんですか」
搬入された量を数え終えたオレは思わず声を上げていた。
源左衛門への支払いは酒の仕込みに使う燃料や酒壺など、なんだかんだ含めて200貫文すべてを突っ込むことになっている。
「こそりと上様御用の話を通しましたからな。
上様と手打ちした北条領なら関を越えるのもいくらか税が少なく済みましたよ。
しかし馬借の手間がなければまだ4割ほど増えたというのに。
なんでまたこんな無駄なことを」
輸送でそれほど引かれてこんなに届くとは、さすがモロコシは安い!
運び込まれたモロコシの総量は、なんと600石余。
1石が150kgあるので、計90t超。
モロコシに含まれるデンプン量を考えれば60tほどは使用できるはずで、その量のデンプンをアルコールに加工できれば、およそ30tのアルコールが生産できる。度数を50%に抑えるのなら60tまで水増し可能!
これは飲みきれない。笑顔にならざるを得ない。
だって、60tはひとりじゃ飲みきれないもの。ぐふふ。
「八郎兵衛、おい、てめえ、なんちゅうスケベな顔してやがるんだ。
まだ真っ昼間だってのに、気持ちわりいな」
オレの前を通り過ぎた市橋九左衛門は諸肌脱ぎになってモロコシの俵ーー1石ではなく1俵なので60kgーーを担いでいた。
あれを短時間でも水車にかけて粗挽きしたなら、そのまま加水して軽く鍋で煮る。そこには食べられない殻やら微細なゴミやら多少混じっているものの、気にせず麦芽を加えれば中学校で習うようにアミラーゼで糖化される。十分な糖化の後、麻袋で絞って濾した糖汁に酵母を足してやれば醪が作れる。
雑に作ったモロミだから余計な成分がたくさん含まれているけども。そのまま酒として飲むわけじゃない。陽気の良い春先のことだから最短2週間ほどで蒸留手前まで持っていけるはず、だ。
さすがに90tの仕込みは多いので、全部仕込んだら何ヶ月もかかりそうだけど。
ソルガムは、赤い粒を想定しています
白い粒のホワイトソルガムがあったなら当時の米すら霞む人気が出たかも知れませんが
残念ながら1990年代に生み出されたものなので