7.天下無双は並び立つか
オレに前世の記憶が刻み込まれたのは一朝一夕のことじゃなかった。
それは大抵の場合、夜毎に夢として未来の人生を追体験し、夢が超大作であった場合、昼間は居眠りばかりして過ごしていた。有り体にいって変な子供だったと思う。見ようによっては病人であるが、大抵の場合は睡眠を妨げられるほどでもなく、健康優良児で野山を駆け回って遊んでいたのだ。
しかし、時折は朝になっても起き出すことがなく、続けて一昼夜を寝て過ごした。それでイビられたりすることもなく、おおらかに見てもらえたのは生まれた家に余裕があったことや、末弟だったことも影響していただろう。
年の離れた一番上の兄である囚獄佑は、幼くして両親を失ったオレを哀れんで甘やかしたし、次兄三兄も変わり者のオレを面白がって構いつけていた気がする。もちろん、いつまでもそんな調子でいたならば僅かな銭を持って寺へ押し込まれ、托鉢するか餓死するかの結末が待っていただろうけども。
ともあれ、穏やかな日々ではあったのだ。
そんな暮らしが突然終わったのは、今から7年前。
世にいう長篠の戦いが終わった直後のことだ。
甲斐の武田は長篠で大敗を喫したことにより家勢を著しく衰えさせ、従属する本栖渡辺の家でも次兄と三兄が命を落とし、当時11歳だった末弟のオレをいつまでも居眠りさせておくわけにいかなくなった。惜しむらくは前世の記憶は極めて断片的かつ五感的であって「戦国時代の主要な出来事」みたいな整理された情報としては入ってこなかったことだろう。現在も続く記憶の流入は当時のオレに長篠の戦いを教えてくれなかったのだ。オレの愛すべき家族を救えなかったことは、所詮オレなんて無力なのだと挫折を知る出来事だった。
ともあれ、本栖渡辺氏は頼りになる一族を失い、いっときはオレも兄貴や親族からプレッシャーがかかる状況に陥った。しかし、同時に当時は記憶の流入がかつてなく激しくなっていて、目を覚ましている間も酷い体調不良に悩まされていた。その体調不良を具体的に言うなら、頭痛、吐き気、発汗、手の震えなど。しかも特定のときに症状が強く出た。
例えば、燕が風を切って目の前を横切るとき。
例えば、遥か彼方で遠吠えする狼を感じたとき。
例えば、硝煙蔵に仕舞われた硫黄を嗅ぎ取ったとき。
不幸中の幸いだったのは、前世の自分が頭痛持ちであり、程度の差こそあれ似たような経験をしていたことか。なにかしら脳が強い刺激を受けて興奮状態に陥ったときに体調不良になる人がいると知っていたのだ。
そして疑わしいリスク要因のひとつが、「低血糖」である。
オレは原因不明の低血糖をなんとかせねばならず、糖分を得る手段としてデンプンの糖化を思いつき、銭のかからないデンプンとして落ちているドングリや地中の葛に目をつけたのだった。
数年を経て、ドングリや葛から酒を作るようになると、オレが槍働きなどせずともいざとなれば兵を雇い武具を買い揃える役に立つとして、周囲から煩いことは言われなくなった。
だが、そのような風向きになるまでは、オレにも武芸の鍛錬が求められた。
そんな7年前のある夜のこと。夕餉の折に兄貴の囚獄佑が、
「明日は早朝から湖畔で稽古をするでな、早く寝よ」
と命じてきた。
その時のオレはすでに眠気から船を漕いでいたので余計なことを考えず、麻の寝具に包まって普段のように夢を見た。
翌早朝、命じられた通りに湖畔へ向かうと、赤い甲冑に身を包んだ屈強な老人が体を動かしているではないか。
真剣を振る姿に緊張を覚えたオレは遠巻きに見るともなく見ていたが、遅れて兄貴がやってきて老人へ向かい、
「遅れて相済まぬことでござる。
稽古をつけていただけようか」
と詫びる。珍しいことに兄貴まで甲冑を着込んでいた。
「気になされるな。年寄りは朝が早いものじゃ」
ふたりは礼を交わし、真剣から木刀に変えて幾度も幾度も打ち合い続けた。
その姿は素人目にも兄貴が拙く、所作に乱れのない老人は教え導く姿勢を貫いていた。
だが、戦のほかに甲冑など身につけることもなく、武芸も平凡な兄貴は湖畔に太陽が差し切るまえにへばって、仰向けに倒れ込んでしまった。
それから、オレに横顔を向けたまま、
「お前も大熊備前守どのに稽古をつけてもらえ」
と、言うではないか。オレは完全にビビってしまって、
「あわわわわ」
と意味もない声をもらすばかりだったが、大熊備前守さまはそんなオレを哀れんだか、打ち合うような稽古をせず、
「儂が普段の稽古を見せるでな、よく目に焼き付けておくのじゃぞ。
お主が真似して棒切れを振っておれば、いずれ儂ほどにはなれようぞ」
そうして富士山を前に、朝日が遠くに差す薄闇のなか、ゆるりゆるりと演武してみせた。
老人の動作は一瞬たりとも遅滞がなく、しかしオレへ覚えさせるためかゆっくりと。
差し障りがあるのは、その演武が「オレと正対」して、まるでオレを斬りつけるように披露されたことだ。
夜毎に記憶が流入して、常人の倍の人生を生きるに等しかったオレの脳。
昼と夜とでそれぞれ脳を酷使してなお擦り切れないオレの神経細胞は、ただひたすら成長を続けることで計り知れない負荷を乗り越えていた。それはまるで、ある種の成長ホルモンが過剰分泌しているような有様。
成長ホルモンは、アスリートが体外から摂取したならドーピングとして問題視される類のものだ。効果は筋肉や骨格が強くなるばかりでない。脳や全身の神経細胞が年齢の限界を超えて成長期のように発達することで、バランス感覚や動体視力など運動神経の成長が促進されるのだ。
よく学び、よく育つ。
ときに記憶を強く刻みつけ、ときに感覚が常識を超えて鋭敏に変わる。その理由だった。
そんなオレへ追い打ちをかけるがごとく、数多の工夫が込められた剣を、真っ向正面で繰り出された。
剣聖と名高い上泉伊勢守と引き分け、赤備えの山県昌景のもと、副官を務めた豪傑。
大熊備前守朝秀。
彼が一生を賭けて磨いた技を、惜しげもなく振るう。
見せつけられたオレは、滝のように汗をかきながらも背中が凍りつき、全身を一本の棒のようにして固まっていた。
大熊備前守は半刻ほども木刀を振るい続けたか、いつしか太陽は湖面にも光を届け、老人の纏う赤甲冑の隙間から汗の湯気がゆらゆらと立ち上っていた。
型の最後に、木刀をオレの前へと突き出して、
「ホレ、どんなに不格好でも良い。
ここに打ち込んでみるがいい。儂が器量を測ってやろうものを」
刺激を受けすぎた脳が痺れ、熱に浮かされたような気分のオレは、怖いもの知らずにも兄貴の木刀を拾って構えると、老人に向かって打ちかかっていった。
老人がやっていた姿に似せて、ゆっくりと遅滞のない身体と木刀の運びを意識して。
「ふむ」
老人は眉根を上げ、愉快そうな表情へ変わった。
オレへ打ち込ませようと、木刀を突き出していたはずの老人。
その気が変わったとばかりに木刀を引いて変化させ、さらには、オレと合わせ鏡のようにゆっくりと、振りかぶってきた。
文字通りに無我夢中のまま、オレは木刀を進め、老人の木刀と交錯し。
オレの木刀は、空へと飛び上がっていた。
老人の木刀は、半ばから折れていた。
「面白いわい」
意識を遠のかせるオレの耳に、老人の声が聞こえた。
○
久しぶりに棒振りの鍛錬をしたので、オレは昔を思い出すことになった。
あの老人と会ったのは、あれが最初で最後の1回きりである。
あの老人はつい先日の天目山にて、勝頼に最後まで従って命を散らしていた。
真似したいと思わないが、真似しようと願ったところでオレなんかにはできない。
稽古を終えたオレたちはタンポポコーヒーで一息入れていた。
一口飲んだ市橋九左衛門が吐き捨てる。
「やっぱり、こいつは不味いぞ。俺は酒がいいな、ねえのかよ」
「ねぇよ。だからこれから作るんだろ」
遠慮なく言い放つオレはタンポポコーヒーに水飴を溶かして甘くしていた。
武士が振るう本気のスピードに合わせようとすれば、頭が疲れて糖が欲しくなるのだ。
ちなみにオレと市橋九左衛門は経験上でも立場上でも格が違う。にもかかわらず、こちらがへりくだった態度を取るとなぜか九左衛門が、
「凄腕のくせして、三下みてえなクチをきくんじゃねえ」
と言い出すので、対等になったつもりで喋ることにしていた。
先日の腕試しから菅屋九右衛門と奥田監物が立会人となり、本栖での不行状について九左衛門は兄貴ばかりでなくオレや小作人の辰蔵にまで詫びた。しかも辰蔵には見舞い金まで払うと提示したことで手打ちが終わって、一安心となるかと思えば、九左衛門が暇なことに変化はない。
ふたたび問題を起こされては困ると思った菅屋九右衛門は、市橋九左衛門へ、
「八郎兵衛と稽古でもしておれ」
と唆したことで押し付けられて、拒絶もできずに毎日のように棒切れを振る羽目になった。またたびたび顔を合わせることで九左衛門も遠慮がなくなり、
「稽古をする誼で、酒造りの秘訣を教えろよ」
と、臆面もなくずけずけと言ってくるので、面倒くさくなって、
「良いけど、手伝えよ。どうせやってみないと覚えないだろ」
と、答えてしまった。
ちょっと早まったかと思わないでもなかったが、我が家の納屋も実家の蔵も、商人から届く酒の原料で急速に埋まりつつあった。人手は必要だ。
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